ようこそ、リヨートの村
鈍く光る刃が恙なく肉を抉る。斜め下から切り上げて、すらりと上方へと抜けた。最後の魔狼の頭部が切り離れる。それは、ぼとりと地に落ちる前に、残った體ごと、霞のように消えた。
俺は、代わりに現れた銀貨を空中でひったくるようにしてつかんだ。そのまま、無造作にポケットに突っ込む。そして、ようやく剣を鞘に納めた。
久々に闘った手応えは上々。自分が思ったよりも、遥かに高いレベルで身体が動いた。動作を繰り返すごとに、この身体への適応度が増していったようだ。
それでももちろん元の身体の頃までとはいかない。本来ならば、これくらい簡単に一掃できるのに。しかし、悔しさは僅かばかりだけ。今は、自分の成果に多少なりとも満足していた。
火照った身体を冷やすようにその場でほっとしていたら、ぴゅーと口笛が聞こえてきた。続けて、拍手の音が聞こえてくる。
振り返ると、キャサリンがさぞ、感心した様子で唇を尖らせていた。お腹の辺りで手を叩いている。目が合うと、すぐにぱーっと明るい笑顔を浮かべた。
俺は軽く手を上げて応じた。そして、すぐに仲間の待つ場所へと急ぐ。いつの間にか、俺が敵を追いかける形になっていたので、彼らから少し離れたところまで来てしまっていた。
まだヨシフは倒れたままだった。キャサリンは立ち上がって、タークはその傍らに座り込んでいる。その両手は傷ついた人間の胸のところにかざされていた。そこからは、淡い緑の光が放たれている。
治療をしているのだろう。その神秘的な輝きにはよく見覚えがあった。
「どうだ?」
「お疲れ様です、アルス様。思ったより酷くはないです。もう少しで傷は塞ぎ終わりますよ」
近づくと、タークは顔をちょっと上げた。しかし、すぐに視線は怪我人の下へと戻る。
ヨシフは気こそ失っているものの、その表情は穏やかに見える。少なくとも、さっきのように悶絶はしていない。
出血はしっかり止まっていた。しかし、雪の大地に残った赤い染みが、彼が傷が意外にも深かったことを示している。
「それにしても、アーくん。凄かったねぇ~」
「ああ、正直俺も驚いた。こんなことなら、ずっと前に試しておくんだった」
「ホントだよ~! どれだけアタシが苦労したと思ってるの」
悪い悪い、と申し訳なさに顔を歪めて手刀を切った。それについては、本当に済まなかったと思っている。
さすがに魔王に敵うとは考えていないけれど。もう少し、城での脱獄騒ぎの際、やりようがあった気はする。
すると、彼女からわざとらしい怒りの表情はすぐに消えた。ぷくっと膨らんだ弾力に富む柔肌は、元の形に戻る。相変わらず、単純な奴だ。
「まあこの先は楽できそうだからいいけどさ~」
「なに言ってんだ。元々、この辺の魔物に、お前の魔法の効き目はほとんどなかったじゃないか」
「むー、ダメージは与えられなくても、押し退けることぐらいはできてました~」
「はいはい、そーですね。でも、そういうけどさ。残念ながら武器はない――ってなんだよ、これ?」
話の最中に、タークが俺の目前に何かをつきだしてきた。それで、思わず変な顔になる。
彼はなおも回復魔法をかけ続けながら、こちらを一瞥もしない。片手だけである物体を差し出している。
「剣です」
「見ればわかる。お前のだろ?」
「はい。武器がないなら、これ使ってください」
言葉だけ向けられて、ぐいっとまた一押し。さすがに受け取らずにはいられなかった。
意図がわからないまま、俺はそれを手に取った。長さは、正直物足りない。子どもの背丈くらいのタークにはぴったりだろうけど。
釈然としないまま、それを抜いてみた。じっくりと刀身に目を落とす。よく刃は研いである。試しに素振りをしてみるが、特に重くはない。
……まあ、ぶっちゃけ、良し悪しはよくわからないんだけど。とりあえず、再び鞘に納める。
「お前はどうするんだ? 丸腰だろ」
「僕は後方支援の方が向いているので。さっきも、強化の魔法、役に立ったでしょう?」
「……ああ、どうりで身体が軽いと思った」
タークはこちらに顔だけ向けると、自信満々な表情を見せた。どこか勇壮ささえ感じさせる。
なるほど、好調だったのはそれが理由か。途中から、身体のキレが上がったのは事実だった。まあそうだとしても、闘えることには変わりないからいいか。
もちろん、こいつが傍にいないと、どうなることやらという感じではあるが。今のところは一緒なわけだから、あんまり心配し過ぎても仕方がないし。
「適材適所、役割分担は何事においても肝心です」
「へいへい、そーですね」
「なあに、もしかして闘いたくないの? 人を散々闘わせたのに」
「そんなんじゃないけどさ。一応、俺、今は女だぜ?」
「それを言ったらアタシもそうなんだけどな~」
いや、そこは普通の人間と魔族だから。違って当然というか。見る人が見れば、一国の王女サマなわけだしね。
しかし、彼女のニコニコ笑顔がかつてないほどに、恐ろしかったので、俺は口を噤んだ。薄ら寒さすらも覚えたほどだ。
「いいじゃないですか、闘うお姫さま。かっこいいです!」
「その台詞と目の輝きは、元の姿に戻った時に欲しかったな……」
ため息混じりその呟きは、途端に雪中へと吸い込まれてしまうのだった。
*
「いやぁ、アリスは強いんだなぁ。オラ、ビックリだ!」
「いえまあ、あれくらい嗜みというやつですわよ。オホホホ」
「タークもありがとうな。おかげで、もうなんともないだよ」
「いえいえ、快復したようで良かったです」
ヨシフが完全に回復するのを待って、俺たちは行軍を再開した。怪我は治ったようだけれど、どこか足取りは重いような気がする。
しかし、意識が朦朧としていたはずなのに、俺が闘うのを見ていたとはな。幸いにして、魔族二人が俺の本名を呼んだことには、気づいていなかったらしい。
先の一件を反省して、しっかりとあたりを警戒しながら進む。魔物と遭遇しなくて久しかったから、ついつい平和ボケしてしまっていた。
「まさか、あれだけの数の魔物に囲まれるなんてな。ハラ噛まれた時には、死んだかと思ったよ」
「ホントホント~、血もドバーッて出てさ。いやぁ、興奮――じゃなかった、心配でハラハラだったよ」
興奮って、こいつ吸血鬼か何かかよ。あるいは、ウンディーネの趣向なのか。もちろん、確認するわけにはいかないけれど。
どちらにせよ、もう少し自分が魔族だってことを隠していただけませんかね。タークはわりとうまくやったいるというのに。
やはり、まだ気分爽快とはいかないのだろう。ぼんやりしているのか、ヨシフはキャサリンの失言には全く気付いていない様子。今も腰のあたりをさすって苦く笑っている。
「きっと、最初の一匹が原因でしょうね」
「というと?」
「ほら、あの断末魔。やけに長く反響していたじゃないですか。きっと仲間を呼ぶ遠吠えだったんですよ」
「なるほどなぁ、タークは物知りだ。まるで、魔物博士だな!」
「そんな、魔物博士だなんて……」
なぜそこで嬉しそうな顔をする? とても、俺には誉め言葉だとは思えないけれど。
第一、こいつも魔族だから、大まかなカテゴリーで言えば同族のはずだ。詳しくても、不思議ではないというか。そもそもの話、どうせなら水耐性があることも推察してくれればよかったのに。
やがて歩いていると、前方に高いアーチが見えてきた。おそらくあれがヨシフの村の入り口なのだろう。
流石に気分が高揚するというもの。人里を目にするなんて、いつぶりだ? 入れ替わりから何日たったかなんて、すぐには思い出せない。
ようやく、だ。今度こそ、故郷に帰れる。それで全てが解決するわけではないけれど。
すぐにでも、母に今大事に抱えている薬を渡す。高名な魔法使いであるならば、もしかしたらすぐにでも入れ替わりの解決策を考え付くかもしれない。
自然と体が軽くなる思いだった。ワクワクドキドキ、胸の高まりは、歩を重ねるごとに強まっていく。
「よし、あとちょっとで、リヨート村だべ!」
「わぁー、なんだかすごい楽しみね~」
「ペガサスの翼、あるといいですね、アリス様?」
「そうね。本当に心の底からそう思うわ」
旅の終わり。それを予感すると、魂が震える。……しかし、こうして思うのは、何度目だろうか?
頼むから今度こそ――強く深く静かに胸の中で必死に祈るのだった。




