未知との遭遇
「ねぇ~、もう疲れた~、歩きたくない~。寒いし、ちょっと休もうよ~」
ぐだぐだと不満の声を上げるキャサリン。そのまま足を止めて、腰に手を当てる。
いつもの我儘な叫び。だが、今の俺には、そのまま一蹴する気にはなれなかった。むしろ、どこか彼女お気持ちを理解できる。
依然として、俺たちはただひたすらに歩き続けていた。人工物が何一つ見当たらない、この真っ白な大地を。何の当てもなく、ただ足の向くままに。
林は思いの外、広くはなかった。タークの言う、狩りの痕跡というものも見当たらず、そのまま抜けてしまった。今はまた、だだっ広いだけの雪原を進んでいる。
洞窟を出発してから今まで、ほとんど歩き尽くしだった。そのため、非常に身体は疲れている。なにより、気持ちがかなりうんざりしてきた。
木々の間を歩いていた時はいざ知らず、行けども行けども景色は全く変わりない。何一つ、人里への手がかりもないわけで、そりゃ心は荒むってものさ。
タークの補助魔法のおかげで、歩くのはそこまで不快ではない。増強魔法は疲れを少しはましにし、防寒魔法は突風が吹きつけない限り寒さを感じさせない。だが、心だけは、魔法では決してなんともならなかった。
「ですが、キャサリンさん。ご覧の通り、生憎、どこにも腰を落ち着けられそうなところはないですよ?」
「ええー、もうこの際さ、雪の上に布かなんか敷いちゃおうよ~」
「ダメですよ。濡れちゃいます。乾かすの、大変なんですから」
「ターくんのケチ!」
「いや、ケチとかじゃ……。どうします、アルス様?」
「ん、まあ、そうだな」
いきなり、話を振られたので俺は言葉に詰まってしまった。口元に手を当てて、考える素振りを始める。ぶっちゃけ腹積もりは決まっているけれど。
だがしかし。この期に及んで、そのことを口にするのは憚られた。くだらない、ちんけなプライドが邪魔をしている。だから――
「キャサリンがそんなに言うんなら、一休みしてもいいんじゃないか?」
表面上、彼女の我儘に負けた形を取ることに。根負けした口調で、タークに返事をした。
「おっ、意外と話がわかるじゃない、アーくん! でも、本当は自分も辛いだけだったりして?」
「そんなわけないだろ」
どこか、揶揄する様な笑みで首を傾げるキャサリン。タークも、なんとも言えない表情で見上げてくる。
その見透かした様な一言に俺はドキッとした。おそらくきっと、思いつくままに喋っているんだろうけど。
必死に動揺を抑えて、抗議するような目でキャサリンを睨み返した。すると、彼女はしらーっとした顔をして、そのまま視線を逸らした。
「……はあ。もう少しだけ進んだら、今日の行軍はそこでやめましょうか」
「やったぁ! ……でも、どうするの? 洞窟とか、そういうの見つからないけど」
「テントがありますから!」
タークは誇るように、ぽんぽんと背負っていたリュックを叩いた。なかなか用意がいい奴だ。……地図もあれば最高だったのに。
再び、俺たちは歩き始める。キャサリンはようやく休める目途が立ったからか、すっかり気力が恢復しているみたいだった。跳ねるように、雪上を進んでいく。
結局、今日中にどこかの村や町にはつけそうにもないか。焦っても仕方がないが、親父のことが気掛かりだ。あれだけ大々的に、魔王に闘いを挑んだのだ。きっと無事ではない。それどころか――
暗い結末が頭に過った。一つ大きく深呼吸をして、見なかった振りをする。やめよう、考えたところで気力がそがれるだけ。とりあえず、できることからこなしていかなければ。
それは決して、のんびりとことに当たるということでもなく。魔王城に囚われた他の人々、そして、母さんの病――懸念事項は山ほどある。あえて、思いつめることで、気力が少しずつ戻ってきた。
気持ち、足により強く力を込める。キャサリンの背中に迫りそうなほどに、足取りが早くなった。
「――あれ、なんでしょう?」
ふと、タークが足を止めた。遠くを指さしているが、俺には何も見えない。キャサリンも同じなのか、不思議そうに首を右へ左へせわしなく動かしている。
「俺にはよくわからないけど……なにがあるんだ?」
「人影が見えます」
「えー、ホント!? アタシにも、見えないんだけどな~」
「お前、意外と目がいいよな」
「意外とって何ですか、意外とって!」
少し怒ったような顔をしたが、俺とキャサリンはそれを見て、和やかに笑うのだった。
*
近づいていくにつれ、確かに俺にもその人影の姿が見えてきた。人型が一人、まだ遠くを歩いている。
あれは果たして、魔族か人か。おおよそ、こんな劣悪なところにいるのだらか、前者の可能性が高そうだが。それでも、希望をもって、それを追いかける。
やがて、その姿がついにはっきりしてきた。タークの魔法の力も借りて、ここまで急いできた甲斐があった。追いつくのはそう難しくはない。
――人間だ。そう認識した時、胸に一入の感動が訪れた。泣きたくなるほどの感動。旅の終わりがようやく見えてきた。まさしく感無量だ。
「すみません!」
俺は大きな声で、その人に呼びかけてみた。そのまま、駆け寄っていく。
ゆっくりと、そのシルエットが後ろを向く。精悍な顔つきをした男性。年は二十を超えてそう。肌は、男のくせして雪のように白い。
前進を外套にくるみ、頭には耳まですっぽりと覆う毛皮の帽子を被っている。厚着なので、体格はとてもよく見えた。
「――なんじゃい、あんたたちは」
男の怪訝そうな視線がさっと俺たちに向けられる。
当たり前か。こんな雪原で人に遭遇するなんて、俺たちだけでなく彼にとっても、ほとんどあり得ない現象だ。しかし、この人が不審に思っているのはそれだけでないだろう。だって、俺たちのパーティはというと――
美貌(たぶん)だけが取り柄のお姫様。底なしに明るいウンディーネ。よくわからない小柄な魔族(エルフっぽいけど)……どう考えても、不審者軍団です。本当にありがとうございました。
やばい、何とか弁明しなくては――
「わたしたちは怪しいものではありません!」
「……とても、そうは見えないがね。女二人に子供が一人。こんな過酷なところを彷徨くているなんて……はっ! さては、オメーら、魔物とか妖の類だろっ!」
怯えた顔で、男は後ずさりした。その顔には警戒心が色濃く見て取れる。
ううん、当たってる。見事に正解だ。姫は違うけどな。
困ったなぁ……仲間たちの方を見た。彼らもまた小難しい顔をしている。どうするか話し合うために、男に聞かれない程度に離れて顔を突き合わせた。
「めちゃくちゃ怪しまれてますよ?」
「まあ、仕方ないさな。状況も状況。それにお前らが魔族なのは事実だし」
「えー、それって差別じゃん。ひどくな~い?」
「いやいや、魔物が人間たちに与えた害を考えてくれよ……」
「僕らは何もしてませんよ?」
「人攫いはしてるよね、君たち」
言葉に詰まるターク。それだけは、揺るぎのない悪事である。あと、監禁。
「アタシは関係ないもーん。それに、人間界に残ってる魔物って、ただの魔界のはぐれものよ? そういった点でも、アタシたちには関係ないわ」
「……お前らがなんとなくいい奴だってのは、俺も薄々だけど認めてるさ。だけど、やっぱり世間的にはなぁ……」
魔王配下の魔物と、この世界に住み着いた魔物たちが違うのはわかる。誘拐事件の一件はおいておいても、意外と人間に友好的だったわけだし。捕らえた人たちの命も無意味に奪ったりしていなかった。
かといって、全面的に彼らを肯定するわけでは決してないけれど。でも、こいつらはこうして俺に協力しているわけだから、陳腐な言葉だが、いい魔物だと、信じている。
「例えばの話、今魔物に襲われたらどうする?」
「倒すわよ~。ね、ターくん?」
「僕らを襲ってくるならそうするしかないでしょうね。人間たちも、野生動物を殺すでしょう? それと同じことです。同じ世界に生きてるからとはいえ、そのまま無条件で仲間ってわけじゃないですから」
「うーん、わかったような、わからないような……」
つまり、人間界にいる魔物というのは、彼らにとっても害獣ということなのだろう。あるいは、タークが以前言っていた魔王軍うんたらみたいな話と関係があるのかも。
まあ、なんにせよ。それをそっくりそのまま、この男にぶつけたところで信用されるはずはないわけで。気が引けるけど、禁断の手段を使ってみるか。
「そんな、人を魔物扱いなんて。酷い、酷いですわ……およよ」
「いや、その、おらはそんなつもりじゃ……」
「あんまりです! わたしたちは、魔物に攫われたところを必死な想いで逃げてきたというのに……」
「えっ、本当かい! それは大変だったねぇ」
わざとらしいと思ったけれど、泣き落としは成功らしい。魔王城での闘いが功を奏した。ちなみに、ウソは言ってないから、セーフ。
「あの厚かましいお願いですけど、近くの町まで案内してもらえないでしょうか? 見ての通り、わたしたちはこの辺りを迷った哀れでか弱いだけの存在なのです……」
「ああ、それくらいだったら、構わないとも! さ、おらについてきてけろ!」
すっかり、この男は信じてくれたらしい。おおよそ、素朴な村男といったところか。その良心をあざとく利用しているようで、心苦しい。
しかし、手段は選んでいられない。俺たちは、この男についていくことにした。
「やけにあっさりですね」
ふと、タークが漏らしたその一言は、なぜか俺の心に深く突き刺さるのだった。




