勇者(姫)酒場に行く
「オーリヴィーアちゃーん……」
目を閉じていると、頭上から声が聞こえてきた。まだ朝には早いはず、だって、さっき布団にもぐりこんだばかりだから。わたしの意識が飛んでいなければ、だけど。あるいは、感覚と実際の時間の流れに大きな隔たりがなければ。
昔のわたしなら、そんなこと、ありえない話だと一笑に付しただろう。しかし、今この身に起こった出来事を考えれば、何が起きても不思議ではない。意識が覚醒したまま、時間が飛んで行って|、もう朝だと言われても何も驚かない……いや、ちょっとはびっくりするけど。
とにかく、この謎の声に反応しないと。か細くてどこか震えた、こちらの恐怖心を煽るような声。まるで、幽霊みたい。しかし、ちゃんとその音には聞き覚えがある。
「なんですか、ソフィアさん?」
布団から顔を出した。いきなり闇が入ってきたものの、すぐにその中によく見知った顔が、浮かび上がった。どこか心細く見えるのは、きっと視界が悪いせいだけではないでしょう。
「あのね、出かけませんか?」
「はい?」
何を言ってるんだろう、この人は。今、出かけるとか聞こえた。訊き間違いかも。でも微睡んでいたわけでもなく、わりかし頭ははっきりしているんだけどなぁ。
しかし、この人からそんな誘いを受けるなんて……。それにこんな夜更――といっても、世間一般にはまだまだ夜はこれからよ、みたいな時間帯だけれども。
とにかく、こんなこと、おおよそ素朴で純真、真面目系ガールのソフィアさんにはとても相応しくない。
あ、一番ありそうな可能性を忘れていた。これは夢だ。だったら、こんな突拍子のないことが起こっても仕方がない。私の中の遊び心がソフィアさんの皮を被っているのでしょう。
しかし、依然として、勇者様の姿なのは納得いかないのだけれど。ま、いっか。夢だし。夢だからこそ、久しぶりに元の身体の感触を味わいたかったと思うところもあるけど、ね。それは後のお楽しみということで。
「おやすみなさーい」
「あっ、待って」
夢にせよ、なんにせよ。彼女の静止の声も聴かず、わたしは一気に布団を被り直した。付き合う道理はない。
夜は寝るもの。お肌に悪いし……退屈だったお城での暮らしの中では、しょっちゅう夜更かししていたものだけど。今は、健康少女に生まれ変わったのよ、わたし。
「ぐすっ、ぐすっ……」
今度はすすり泣く声が聞こえてきた。えぇ、なんかわたしが悪いことをしているみたいじゃない……。居心地が悪くて、再びすぐに顔を外気に曝した。
ソフィアさんは目元必死に擦っていた。しかし、わたしには、そこに涙が流れているようには思えない。つまりは、ウソ泣き――この女、意外とあざとい手を使うのね。
呆れながらも、もう一度、本当の夢の世界に向かう気にはなれなかった。またしても、謎の妨害に遭うことは目に見えているから。
「なんですか、いったい!」
「しーっ、声が大きいです、オリヴィアちゃん!」
眉間に皺を寄せて、唇に人差し指を押し当てるお騒がせな村娘。そして、彼女はおそるおそるもう一つのベッドの方に目を向ける。
そこは、彼女と妹様が一緒に浸かっているダブルベッドだった。ザラちゃんが小柄なので、二人でもなんとか寝れるということでこうなった。流石に椅子に寝るのは、みんな嫌だったから。
わたしもつられてそっちの方を覗き見てみた。見ずらいので、上半身をもたげて。
ザラちゃんはぐっすり眠っているように見える。規則正しい、可愛い寝息がわたしの耳元にまで、微かに届いていた。
「起きちゃいます」
「……ほんと、このこの娘、健康優良児だねぇ」
わたしはしみじみと呟きながら、静かに首を振った。妹様は、大変寝つきがよろしい。さらに、体質的に長く夜遅くまで起きれない性質だった。
「そもそも、ソフィアさんが起きだしてこなきゃこんなことにならなかったんじゃ」
「いや、それはそうですけど。でも、どうしても、その行きたいところがあって」
「なんです、いったい? それなら、さっき言ってくれればよかったのに」
わたしは咎めるように少し語気を強めてみた。別にそこまで怒っているわけではないけども。眠りかけていたところでもなかったし。
ただ、ちょっとからかってみようと、悪戯心が芽生えていた。
「そうなんだけど……あの、ザラちゃんには知られたくない話だったから」
「どういうことですか?」
「――私ね、酒場に行ってみたいの!」
ややためらいがちに紡ぎ出された言葉は、とてもソフィアさんのものには思えなかった。
*
趣向が凝らされた灯りに照らされて、淡い光に包まれる室内。ちょっとの喧騒と、本淳奈アルコールの香りが辺りに充ちている。
エルム村とは違い、ここニアマン村は、それなりに栄えていた。大方、山登りに挑む旅人の最後の休憩所といったところかしら。街道にまっすぐ繋がっているから、アクセスも悪くない。
わたしたちは、酒場のカウンターに二人並んで腰かけていた。その前には、お酒の入ったグラス。今回は、ワインに挑戦中だ。
「それで、九年くらい前にエルム村から来た人がいないか、ですけど」
「ううん、そうだなぁ……」
少し渋い見た目のおじさまが、くぐもった声を漏らす。腕を組んで、強く目を閉じた。
それを、どこか期待するように見守るソフィアさん。挟まれている形の私は、少し居心地が悪い。
行方不明の父親の手がかりを探す、それが彼女の目的だった。酒場なのば、人も多く集まるから、とのこと。あと、父がお酒大好き人間だったらしい。
まあ確かに、そらなら彼女の口から似つかわしくない言葉が出てきたのも理解できる。あと、ザラちゃんが寝静まるのを待ったわけも。あの娘が一緒だと、入店からして難しい。
そういうわけで、わたしたちは席につくなり、すでに酒を嗜んでいたおじさまに声をかけたのだ。警戒心を解くための、軽い世間話を、わたしは杯を傾けながら聞いていた。
「……うーん、やっぱりだめだ。美しいお嬢さんの頼みだから頑張ってみたけど、さすがに昔過ぎてねぇ」
「いえ、いいんです。ごめんなさい、変なことを聞いて」
「大切な人なのかい?」
「ええ、父親なんです。ずっと帰ってこなくて」
「それで、探してるってわけか。おうおう、泣かせる話じゃねえか!」
大仰しい言い方だと思ってそっと見ると、男性の鼻が少し赤くなって、ぐずぐずとすする音もする。
それを見て、この人はいい人だと思うわたし。つられて、涙が出そうになる。
「ぐすっ、マスターはなんか知らないのかい?」
「うーん、俺もなぁ。考えていたけど、どうにも。だって、毎日色々な人が来るからなぁ」
グラスを磨きながら、口ひげを蓄えたダンディーなおじさまは答える。目が合うと、力なく首を振った。
「そうですか……」
「そんなに、落ち込みなさんな、お嬢ちゃん。きっと、見つかるさ。であれかい? じゃあ、そっちのにいちゃんは恋人さんだろ? あれだろ、親父さんに娘さんをくださいってやつをやりに行くとか」
「ぶっ!」
「ア、アルス様!?」
突拍子のない一言に、わたしは思わず口内の液体を吹き出してしまった。幸い量が少なかったから、あまり濡れずにすんだけれど。
我ながら、下品だと思う。ナプキンで口元を拭いながら、顔が熱くなるのを感じた。
覗きこんでくるソフィアさんの顔も赤い。もともと、アルコールのせいでそうだったのが、いっそう強まったらしい。
「あれ、違った? てっきりそういう事情だと思ったんだがね」
「ほら言っただろ。この二人は、カップルなんかじゃないって」
「くつそー」
悔しがりながら、男は銅貨を一枚テーブルに置いた。それを、主人がさっと自分の方に寄せる。
「あなたたち、賭けていたの?」
「いやぁ、そんなに睨まないでくれよ、お兄さん」
全く、なんて人たちなのかしら。知らないとはいえ、このわたしを賭けの対象にするなんて。不敬も不敬。今度、絶対城に呼び出してやる。
「マスター、この御仁に何か」
「はい、同じものでいいですか?」
頷くと、店主はにこやかな笑顔で空いたグラスに、透明な液体を注いでくれた。鼻をつくは、刺すような芳醇な香。
よし、許しましょう。わたしは笑顔で、それを一口含む。
「しかし、もう少し早かったら、楽に山越えできたのにな」
「どういうことですか?」
「つい、この間まで、お城の兵士の一団が来ていたんだよ。ゼルシップに用があるんだと」
わたしは、その言葉にぴたりと手を止めた。ほろ酔い気分を醒ますには、十分すぎた。
どういうことでしょう? もしや、わたしを捜しに行くとでもいうのかしら? それは喜ばしいことだけどーー
「どうかしました?」
「ううん、なんでもない」
心配するソフィアさんの声に、即座に首を振る。
気を取り直して、わたしはお酒を飲む手を再開した。考えても仕方ないことね。
わたしは一気にグラスを仰いだ。そして、あえて音が出るようにグラスを置く。
すると、横から口笛がして――
「いい飲みっぷりだ!」
と、おじさまから感心したような声。気をよくして、わたしは次に頼むお酒に目処をつけ始める。それが、何杯目かは、忘れちゃった。




