わがままプリンセス
これは昔の話。どれくらい前だったかはよく覚えていないけれど。とりあえずわたしはものすごく幼かった。物心がついたばかりの頃だった気がする。だから記憶は曖昧で、細かなところは間違っているかもしれない。一応、それとなく昔から城にいる人たちに話は聞いたけどね。
ある日お父様から一羽の鳥が贈られた。なんでも海の向こうの遠い東の国から来た商人から買い付けたらしい。緑色した毛むくじゃらのくちばしが大きく、くりりとした瞳が可愛い鳥。今ならそれがインコだとわかるけど、当時のわたしはいまいちそれがどんな種類なのかはわからなかった。ただ可愛いお友達といった認識。あの子が最初で最後の友達だったなぁ、なんて。
そんな寂しいことはおいておいて。わたしはとにかくその子を――ピーちゃんを可愛がった。動物なんて今まで買ったこともなかったから、わからないことだらけだったけれど。世話係に協力してもらいながら、そういえばあの頃はまだ関係が険悪じゃなかった気がするわね。
でもある時、わたしはピーちゃんをとても可哀想に感じてしまった。時折中庭や窓の外に見た自由に空を翔ける鳥の姿と比べると、あの子は狭い鳥籠に押し込められて人間の良い様に可愛がられている。それがとても不憫でなんだかとても悲しかったのよ。
だから、わたしはピーちゃんを外に逃がしてあげた。これ以上、あの子を留めておくことはできなかった。自由に空を飛んでもらいたい。それは絶対に自己満足の行動でしかなかったけれど。あの時のわたしはそれが正しい行為だと信じて疑わなかった。
しかし何のことはない。わたしとあの子は一緒。自分もまた鳥籠の中の鳥なのだ。ただその籠があまりにも広いから気付くのに遅れただけ。わたしにも自由はない。ただの愛玩動物と一緒。姫として可愛がられ、姫としての立場だけが求められる。
当時はそんな風に思ってなくて、ピーちゃんに慈悲を与えている気分だった。飛んだ上から目線、それはとても滑稽で、なんと無様なんでしょう。
周りにはピーちゃんが一人でに逃げたと嘘をついた。初めこそ、わたしの身を案じてくれたが、数日後にはそのことも忘れて。今はあの子のいた鳥籠はわたしの部屋の隅でひっそりとインテリアと化していた。その意味を知る者は、わたししかいない――
*
「爺や! これどうなっているのよ!」
力強く私は一階南東にある小部屋の扉を開けた。教育係の老夫婦の部屋だ。わたしは今日貰ったばかりドレスをこの城一番の古株に突きつける。
それは数日後に行われる勇者様の式典のため手配したもの。その地味な色遣いや装飾はとてもじゃないが、わたしの趣味ではない。世に名を馳せる有名デザイナーだからと期待したのにこれじゃあがっかりだわ! 勇者様にがっかりされちゃうじゃない。
「おや、姫様。何か問題でも?」
爺やに動揺した様子はない。そんなこと――わたしの我儘なんて慣れっこだという感じ。なんだか適当にあしらわれている様でムカつくわね。
「これ気に入らないんだけど!」
「しかしですな。そんな風に言われれも」
「じゃあどう言えばいいの? わたくしこのドレスが気にりませんことよ、オホホとか?」
「そんなエセマダムみたいな話し方……爺やは姫をそんな風に育てた覚えはありませんよ!」
「とにかく、わたしはこれは着ません。こんなんじゃ、勇者様にひかれちゃうわ」
「我慢してくだされ。これを作るのにいくらかかったと思うのですか?」
「そんなこと、わたしの知ったことじゃないわよ」
ばちばちと、わたしと爺やの間で火花が点る。まあこれもいつものことだ。爺やはわたしの我儘をそうたやすくは受け入れてはくれない。でもこっちが退くことは絶対にしないわよ。
「うん、どうした二人とも。何かもめごとか?」
闘志を燃やしているところに、お父様が通りかかった。入り口から顔を覗かせている。その身体越しに大臣が何人か立っているのが見えた。何らかの仕事の途中だけど、これは丁度いい。
「お父様も聞いてください!」
私の呼びかけに父はやれやれといった顔をした。しかし嬉しさが透けて見える。控えていた人たちに何かを言って、大股で部屋に入ってきた。わたしは残された家臣たちが苦笑するのをばっちりと目撃。あとで、お父様に告げ口しておきましょう。
「して、どうしたのだ?」
「それが王様。姫様が――」
「お父様! このドレス、他の取り替えてもらえませんこと!」
「……しかしなあ」
お父様は眉をへの字に曲げて、少し遠い目をした。腕組みをして、じりじりと唸り声を漏らしている。どうしたらよいか、思案しているらしい。
こんな風にわたしは取り留めもない我儘を言って周りを困らせていた。
勉強内容がわからなければ、すぐに家庭教師に反発して。
料理に嫌いなものが出れば、すぐに料理長に文句を言って。
化粧が気に入らなければ、すぐにスタイリストに不満をぶつけて。
教育係とはいっつも口喧嘩が絶えない。
「まあオリヴィアがいうんだったら仕方ないな」
「王よ! 相変わらず、姫様に甘すぎますぞ!」
「でもなぁ……」
爺やの指摘にお父様は少しだけ苦笑いを浮かべた。たじたじといった様子で首の後ろをかく。そこには王としての威厳は微塵にもなく。ただ親バカな男の顔があるだけだった。
爺やは最後まで渋い顔をしていた。ほいほいと娘の我儘を聞くなんて、王としての沽券に係わるのだからわからないでもないけれど
しかし爺やが――周りがどんな口を出しても、結局全ては許される。わたしがこの国で一番偉い人の娘だから。ずっとそうだった。お父様はわたしにダダ甘。それが普段一緒にいられないことに対する罪滅ぼしか。あるいは、わたしが生まれてすぐになくなったお母様の面影を重ねているのか。その理由はよくわからない。もしかしたら、どちらでもないのかもしれない。
それが、なおさらわたしが我儘を言うのを増長させた。だって言えば大抵の願いは叶うもの。誰かをクビにしたり、こうして欲しいものを手に入れたり、王の権力の範囲内にあるものなら何でも。理由は簡単。そうしないと、鳥籠の中の鳥に誰も見向きもしてくれないと思った。
父は国王だから、もちろん忙しくて食事すらも数えるほどしか一緒に取ったことはない。いつも周りにいるのは爺やと婆や、あるいは世話係。それでもいつも寂しさを拭う事はできなかった。
彼らはわたしがいい子にしていると構ってくれない。だから、わたしは些細な事でも文句を言うように。ダダをこねれば、寂しい思いをしなくて済むと学んでしまったわけ。奇しくも、それは籠の中でけたたましく暴れまわるピーちゃんとそっくりな行いだと思う。私もあの子も何とか注目を集めようと必死なの。
そんなわたしを周りは鬱陶しく思っているなんて、とても子供じみているなんて、とっくの昔からわかっているけれど。わたしはいまいちそれを止めることができないでいた。踏ん切りがつかなくなっていたのかもしれない。あるいは自由が得られないことに対するささやかな抵抗だ。せめて、鳥籠の中では、自由だと思い込みたかった。
*
その日の夜。食事もお風呂も全部済ませて、あとは眠りにつくだけの時間帯。わたしは読んでいた本をぱたんと閉じて、枕元の明かりを消した。夜もだいぶ更けてきている。近頃は布団に入ってから、こうして飽きるまで物語を読むのがマイブームとなっていた。もちろん昔は夜更かしをするとよく怒られたものだけど。近頃はもう何も言われない。呆れているのか、一人前の大人として扱われているのか。一応十五の誕生日はすでに終えたから、一般的には大人なのでしょうけどね。
こうして本を読んでいるときだけ、わたしは自分が姫だということを忘れられていた。物語の登場人物に完全になり切っていた。わたしはその中では自由。……現実とは違って。
お気に入りなのは、冒険譚だ。『サーモンの勇者』のなんて最高! いつもドキドキハラハラさせられる。当世の『サーモンの勇者』はどんな人なのだろう。あったことはないけれど、強く心が惹かれていた。きっととても立派でかっこいい人に違いない!
しかし本当に彼らが羨ましいわ。わたしも自由に世界を旅してみたい。魔物とかは怖いけれど、それでも外の世界というのはとても魅力的で。もちろん、この城を出たことは何度もある。父の用事の付き添いで。だから、いつも厳重体勢。一人きりになれる時間なんて一秒たりともない。
だから、それは決して叶わない願いだ。わたしは暗闇のある一点を見つめながら感傷に浸る。そこにある鳥籠のシルエットをぼんやりと感じながら自虐的に笑った。
王家に生まれたというただ一点だけで、わたしの運命は決まっている。このままこの城で過ごして、適当なタイミングでどこかの王家から婿を取ることになるのだろう。あるいは、新進気鋭の貴族かもしれないけど。大事なのは、わたしは決して結婚相手を自分で選べないということ。それどころか、些細なラブロマンスでさえ経験することもない。そして良き妻、良き母としてその後の一生を過ごす。
「……はあ、人生って難儀なものねぇ」
齢十五の娘が何を言うかと思われるかもしれないけれど。わたしにとっては切実な想いだった。けれどもわたしはすぐにこの言葉を後悔することになる。
こうして城の中でぬくぬくとした生活が送れることがどれだけ幸せなのか。微塵にも分っていなかった。日常など容易く崩れ去る程に脆い。
城中が騒がしくて、わたしは眠りから醒めた。どうしてこんなにも騒がしいのか。原因を確かめようと、薄い紫色のショールを肩に羽織って、布団から抜け出そうとしたのだが――
バリン! バルコニーに繋がる窓が割れた。謎の影が私の寝室に侵入してくる。大きな影と小さな影の二つ。
ひっ、という小さな悲鳴を上げることしか、わたしにはできなかった。全身完全に恐ろしさに凍り付いている。命の危機が迫っていることを本能的に感じて、冷や汗が止まらない。
「やはり、一国の姫とあってはその姿は大層美しい!」
月明かりに照らされて、その姿がはっきりと私の目に映った。長身瘦躯に漆黒のマントを纏い、切れ長の目、不敵な笑みを湛える口元、何より尖った耳は明らかに人のそれではない。全身から、妖気と威圧感を放っている。魔族だ――そう思った瞬間、わたしは身体をべったりと壁に押し付けて膝を抱える。
「よし、決めたぞ。この者を我が妻としよう!」
震える私など全く意に介さず、それはわけのわからない言葉を吐いた。その真意を確かめる暇もなく、私の意識はいきなり途絶えたのだった――
次回まで少し気色の違う話が続きますが、よろしくお願いします。