一難去って……
ワイバーンの背中は殊の外広かった。俺、ターク、キャサリンの三人が乗っかっていても十分に余裕がある。まあ、姫様の身体含めて、みんな小柄だということもあるのだろう。
俺は前方に座って、後ろに軽く固定したキャサリンと、タークがちょこんと座っている。
ともかく、この紅のワイバーン君は俺たちを乗せて快活に空を翔けているわけだ。空の旅に出てどれだけ立ったか。豆粒みたいに小さくなった魔物の姿も、闇に聳え立つ魔王の居城もすでに見えなくなった。まあ実際のところは、この悪天候がすぐにそれらの姿を包み隠したわけだけども。
「こ、ここは……?」
「気が付いたか、キャサリン。どうだ、体調は?」
「最悪ですよ~。依然として、というか、さっきよりも寒い!」
そう言いながらも、比較的彼女は元気そうに見えた。まだ、平時の小うるさい状態までは戻っていないようだけれど。
それもタークが、回復呪文をかけ続けたおかげか。彼は乗り込むなり、あまりにも体力を消耗して気を失っていた同胞を見てすぐにその行動に移ったのだった。そして、その上に持ってきていた毛布を掛けた。
さて、ひとまず仲間の一人が復活したところで。次の問題は、いったいどこまで飛べばいいのかということだ。先ほど、タークの防寒魔法が切れて駆け直しをしてもらったものの。高高度、飛行速度、気候、この三要素が見事にシナジーを発揮している。キャサリンほどではないが、俺も少しばかり寒かった。
早く地上に降りたいところではあるが、人里の灯りというものは全く見えてこない。本当に不安になる。
「ガオーっ!」
突然、ワイバーンが吠えた。その方向が空気を大きく揺らす。
あまりにも間近にいたせいで、耳がキーンとなった。あわや、手綱を落としそうになる。
「どうしました?」
タークはあろうことかワイバーンに声をかけた。しかし、意志疎通ができているのか。意味を持つ彼の言葉と、意味不明なドラゴンの鳴き声が交互に行き交う。
一体何を話しているんだろうか。俺はハラハラしながら、モンスターたちのやり取りを見守る。
「お、お願いです! そこを何とか!」
「いやぁ、そう言われてもねぇ」
「ってか、喋れんのかいっ!」
悲痛なタークの願いに答えたのは、俺でもキャサリンでもなく、それは他でもないワイバーンだ。しかもその声は妙に甲高い。
……これまでも、人の言葉を話す魔物には多数遭遇してきたが、まさかこいつまでとは。予想外過ぎて、つい勢い良く反応してしまった。だったら、最初から話してくれればいいのに。
「えと、ターくん。どういうことかな?」
「それがですね――」
「わし、疲れたんで、ここら辺りでお別れっちゅうこって」
「はあっ!? 何言ってるんだ、ちょ、ちょっと待って。タン――」
いやいやいや、明らかに何もないんですけど、この辺り! こんなところで放り出されたら、死ぬ。確実に命を落とす。
慌てる俺たちをよそに、ワイバーンは一気に身体を傾けた。それで視界が斜めになる。全身に重力を感じて、なんとか手綱を強く握って堪えようとするが――
「うわぁぁぁぁぁ」
そんな抵抗など全く意に介さず、ドラゴンはぐるりとひっくり返った。背面飛行――とても奇妙な感じだが。それを味わっている暇など微塵もなかった。
重力に従うように、俺たちは真っ逆さまに落ちていく。闇の中へと、何の頼りもなく。味わったことのない浮遊感と共に、俺の意識は段々と薄れて行った。
*
目が覚めた。暗くて当たりの様子はよくわからない。それよりも――
あの高さから落ちて、俺は見事に生存したようだ。それどころか、身体に傷一つない。どういうことだろう。あるいは、ここは天国――死後の世界なのかもしれない。
となれば、俺の胸に淡い期待が生じた。この身体も元に戻っているんじゃあるまいか。死後の世界なら、その人本来の姿に戻っているはずである。
寝転がった姿勢のまま、俺は自分の身体に手を巡らせてみた。だが、すぐにやめた。なぜなら、胸元の柔らかい感触に行きついたからだ。ハリのあるそれは、補正器具の力も借りて重力に何とか負けまいとしている。
どうやら、俺は相変わらず姫様の姿のままらしい。死んだ後もそのままなんて、それはいったいなんて罰ゲームだ。自分が何をしたか、少し考えてみるも、すぐには浮かばない。こんな罰を受ける程の悪さをした覚えなんて、かけらもなかった。まさに青天の霹靂というやつである。
そもそも、死後の世界なんてあるわけなくて。第一、そんな世界にいて元の姿に戻ってたとしても何も嬉しくはない。だって、それはすでに自分が死んでいるということだろう。
頭のウォーミングアップ代わりのくだらない思考を止めて、俺は身体を起こすことにした。一応布が敷かれているが、背中越しの感触はごつごつとして不快。
「お目覚めでしたか、アルス様」
闇の中から声がした。見ると、タークが少し離れたところに座っていた。その前には、明かりがぽつりと。
肩越しにもう一人誰かが横たわっているのも見えた。おそらくキャサリンだと思う。
どうやらここは洞穴みたいだ。粗っぽい岩肌が剥き出しで、奥の方にはまだ空間が広がっている。薄暗いがようやく目が慣れてきた。
入口から見える外は、相変わらず雪が舞っていた。その勢いは収まるところを知らない。それにどうやら、夜になっていたらしく、暗さの種類がさらに濃くなっていた。
「あの後、何があった?」
「見事にですね、僕たち雪の中に突っ込みまして」
「なるほど、クッションになったわけか」
生きていた理由が分かった。しかし、それが普通の地面だったらと思うと――思わず背筋が凍った。それは決して寒いからではなく。
「まあそれだけじゃなく、僕が防護魔法をかけたんですけど。とにかく、二人とも気を失ってるだけだったので、お二人をまず担いで。そして、近くを歩き回って、ようやくこの洞穴に」
「……意外とすごい力だな、お前」
「えへん!」
胸を張るその姿は、やはり小柄。本当、どこに俺たちのことを運んでくる力があるのやら。キャサリンはともかくとして、姫様は意外と贅肉が多いというのに。
「キャサリンさん、見ててもらえます?」
「ああ、いいけど。今度はお前がお休みか?」
「いいえ、ちょっと外に出てきます」
「おいおい、こんな雪の中だぞ? 色々と危ないだろうし、そもそも戻ってこれるのか?」
「それは大丈夫です。秘策があるので」
どこか挑むように彼の口角が、微かに上がった。こいつがそんな表情をするのは珍しいと思った。
「秘策、ねえ……」
「あっ。もちろん、ナイショです!」
しーっ。小さき兵士は、自らの唇に人指し指を押し当てる。その姿は、子どもらしくて愛らしい。
「へいへい、まーどーでもいーけどねー」
「なんだかそういう言い方をされると、ムカつきますね」
「じゃあ、気を付けてな。あと、もしお前が戻ってこなかったら、俺たちは全滅すると思ってくれ」
「わかってますよ」
タークは、最後に呆れたように笑うと、帽子を深く被りなおした。そのまま躊躇いなく、猛吹雪の中に飛び出していく。
俺はその姿が完全に見えなくなるのを待って、未だ倒れたままのキャサリンの前に座り直した。
その寝顔はとても穏やかで、俺は一人退屈を紛らわさなくてはならなかった。




