家族の想い
「ソフィアっ! なに、ふざけたこと言ってるのよ!」
わたしだけでなく、この場にいる誰もが、暫く呆気に取られていた。この若い娘さんの唐突な一言に。ただ一人、その言葉を発した人間だけが平然としていた。
そんな中、初めに反応を見せたのは、当事者のお母様。はっと我に返ると、即座に自分の娘を大声で怒鳴りつける。その顔は険しくて、どこか慌てふためいていた。
「母さん、私は本気よ。アルス様についていきます!」
すると、手前に立つ母と祖母を押しのけて、彼女はわたしたちのところに歩み寄ってきた。そのまま、勇者様の腕をつかんで、くるりとターン。ぎゅっと身体を寄せて、自らの家族と相対する。
いい匂いがふんわりと辺りに漂って、それがわたしの鼻腔をくすぐった。さらに、右腕に感じる柔らかな感触。それはどこかとても懐かしい。
……じゃなくって、あまりのことにわたしは、しばらく我を忘れていた。咄嗟のことに対応できず、ただぽかんと開けて、瞼を何度も何度も激しく動かすばかり。ようやく自分を取り戻したのは、左隣の妹様に脇腹を思いっきり肘で抉られたから。
「いったぁーいっ!」
「だ、大丈夫ですか、アルス様!」
悲鳴を上げるのを我慢することができなかった。そして、ソフィアさんの腕を半ば無意識に力いっぱい振りはがす。そのまま、一生懸命患部を押さえて、痛みに悶絶しながらそのまましゃがみ込んだ。
ソフィアさんは、少し腰をかがめて、顔を覗き込んでくる。それはとても心配そうに。しかし、犯人はわたしの方を見向きもしていなかった。
「どうしたの、お兄ちゃん?」
「ザ、ザラちゃ……あなた……」
何とか声をひりだしながら、縋るように彼女に向かってのろのろと手を伸ばす。しかし、彼女は優しく微笑むだけ。しかもその目はとても冷ややかで――
「ううん、よくわかんないなぁ。まあ、この人のことは放っておいて――ソフィアさん」
「は、はい! な、なんでしょうか……?」
名前を呼ばれた彼女は、なぜか妙に畏まっていた。少し声が上ずって、殊勝な顔して背筋をピンと伸ばす。どことなく緊張して見えた。
しかし、それは気のせいではないでしょうね。なにせ、間近で、この一見すると実年齢より幼げな少女の暴力行為を、目撃したのだから。……まだ、左わき腹は痛い。この小さな体のどこにそんな力があるのか、不思議に思う。
「あの、理由を教えてもらってもいいですか?」
「理由ですか?」
「はい、ソフィアさんも外が危険でいっぱいなのはご存じのはず。村に送り届ける時も、薬を採りに行く時も、魔物に襲われて、それをわたしとお兄ちゃんが対処しました。それなのに、なぜ?」
「父を、父さんを探しに行きたいんです!」
それは父を想う娘の悲痛な叫びだった。見上げる彼女の顔には、必死さが表われている。目を大きく見開いて、僅かばかり身体が前のめりになっていた。
空気が凍り付く瞬間に、わたしは初めて遭遇したかもしれない。心痛な面持ちでそっと目を伏せる。ソフィアさんの家族たち。そして、ザラちゃんはぐっと眉間に深い皺を刻む。
またしても、ソフィア家における時の流れが止まった様な気がした。それも、さっきと同じ女性の一言によって。まるで、時を操る魔法使いのようだ……というのは、あまりにもくだらない比喩かしら。
わたしは鈍い痛みを堪えながらも、何とか立ち上がる。物音ひとつしない静寂が、やけに気まずさを感じさせた。
「ソフィア、どうして突然そんなことを……」
「突然じゃないよ。ずっと、思ってた。ううん、待ってた、父さんが帰ってくるのを」
「じゃが、九年だぞ? 流石に生きてるわけあるまい。例え、生きていたとしても、それは――妻子をそれだけ長い間放っておいたことになる」
「そうよ、前にも言ったでしょう? あの人は死んだのよ」
「違うよ、それはまだわからないでしょ! 母さんが命に係わるような病気になって、思ったの。父さんを探したい。もう一度、母さんと会わせてあげたいって。こんなどっちつかずな状態、もう嫌なの!」
ソフィアさんの言葉はまるで悲鳴だった。長年抱えていた不満が一気に噴出したような激しさ、それでいて切なさが溢れていた。
わたしとザラちゃんは家族の会話をただ黙って聞いていた。発するべき言葉なんか、持ち合わせていなかった。できるのは、空気のように息を殺して存在感をなくすことだけ。
「あなたの気持ちもわかるけど、じゃあ、あたしはどうなるの? 夫だけじゃなくて、娘もどこかに行ってしまうなんて、そんな、あんまりだわ」
「大丈夫よ、母さん。私はちゃんと帰ってくるから!」
「そんなこと言ってもねぇ、ソフィア。このご時世――勇者様は姿を見せず、代わりに魔王が跋扈しておる。そのうえ、風の噂では王女様も行方不明らしいし。お前なんかでは、旅に出たらすぐに野垂れ死んじまうよ?」
「だから、アルス様たちについていきたいんです!」
「全くこの子は! それはあまりにも自分勝手すぎるわよ。お父さん探しと、アルスさんたちは関係ないじゃない! ただ余計な迷惑をおかけするだけよ」
「それはわかってるけど、でも……」
彼女は少し困った顔して、勇者様の方を見てきた。頬は少し赤らんで、丸い瞳は微かに潤んでいる。
まあ、彼女一人では危険極まりないだろうから、人を頼るというのは理論の帰結としては納得できる。しかし、それがわたしたちとなると……。
正直な話をすれば、わたしはソフィアさんを連れて行ってもいいかなぁ、と思う。旅は道連れ世は情け。大人数の方がそれはそれで楽しそう。もちろん、ザラちゃんとの二人旅が嫌なわけでは決してない。
それに彼女一人増えたところで、なんてことはないだろう。この辺りの魔物は別に勇者様の相手ではないし。彼女が一緒でも、近くの山は踏破できたわけだし。
一番は、父親を捜したい。彼女のそんな悲痛な願いを突っぱねる様な真似、わたしにはできないと思ってしまった。その気持ちはわかる。私の父はいなくなってはいないけれど、でもこんな姿じゃすぐには会えないわけで。だから――
「別に僕たちは構いませんよ?」
「本当ですか、アルス様!」
「こら、ソフィア! 一々大声上げてはしたないわよ」
「それは母さんも一緒じゃない」
「まあまあ二人とも、落ち着きんしゃい」
「なあ、ザラも――」
「お兄ちゃん。ちょっと」
ふと見る妹様の顔つきは、背筋が凍るほどに恐ろしかった。だから、わたしはすぐに言葉を引っ込めた。有無を言わさない迫力を放ちながら、威圧感満載の笑みを浮かべている。わたしはそのまま無抵抗に頷くしかなかった。
*
ザラちゃんに力づくで引っ張られて、ソフィアさんの家から少し離れたところに来た。ここからしっかりその扉が見える。固く閉じられていて、盗み見なんかはされていないようだった。
「何勝手なこと言ってるのよ、オリヴィアさん!」
「で、でも、だってあんまりにもかわいそうじゃない、ソフィアさん……」
「だからってね、一緒に旅するなんて無理!」
ザラちゃんはかなり怒っているようだった。まさに取り付く島もない。
「ザラちゃんには人の心がないの? この、鬼、悪魔、大魔王っ!」
「うっ、なんでそんなにザラが責められないといけないの……ザラだってねぇ、本音を言えばソフィアさんを連れてってあげたいよ。だって、ザラもおんなじだから」
そういえば、彼女もある意味では兄を探す旅をしているのか。確かにその点では一緒だ。と、わたしが勝手に納得していると――
「実はね、ザラのおぱぱ――つまり、先代の『サーモンの勇者』なんだけど、行方不明なんだ」
「えっ……! それ本当?」
初耳だった。しかしそれで納得がいった。ソフィアさんのお父さんの話になると、ザラちゃんが妙な表情をしていた理由が。
「し、知らなかったんだ……。さっき、ソフィアさんのおばあちゃんも言ってたでしょ。勇者様も姿を見せないって」
「ああ、そういえばそうね……てっきり、アルス様のことだと思ってた」
「まあ確かに。本当ならとっくの昔に次の勇者として、お兄ちゃんが名を上げてたはずですけどね」
ザラちゃんは、少しからかうような笑みを見せた。先程までのおっかなさと、少し落ち込んだ感じが僅かに晴れたみたいだった。
そう言われると、わたしには返す言葉はなかった。少し決まりが悪くて、そのまま黙りこむ。
「とにかく、ザラのパパの話はまた今度ととして……ソフィアさんの気持ちはよくわかるけど、それは難しいでしょ?」
「でも、人探しも入れ替わりの魔法を解く方法探しも、難易度的には変わらないじゃない?」
「……難しいって、そっちのことじゃない! いや、それも少しあるけど」
「え、じゃあ、何の話?」
「……オリヴィアさんも気づいてるよね、ソフィアさんがあなたに――お兄ちゃんに惚れてること」
そ、それか……。確かに、わたしも薄々感づいていた。ソフィアさんの勇者様に対する接し方が、どうにも好意に満ちていると思った。その辺り、深く考えると大変なことになりそうだったから、考えないようにしていたんだけれど。
「……やっぱり、ザラちゃんもそう思う?」
「うん、あからさまだもん。ソフィアさん。まあ、お父さんを探したいってのは本当なんだろうけど、きっとお兄ちゃんと別れたくないんだとも思う」
もしそうだとするならば。ソフィアさんはアルス様のことが好き。しかし、その中身はラディアングリス王女のわたし。つまり、彼女はわたしに恋をしていて、それは女の子同士なわけで――
少し考えてみたものの、すぐにややこしい事態に突入した。なので、わたしは思考を放棄することに。ただ純粋にソフィアさんは、お父さんを探したいだけ、そうに違いない!
「わたしたちの勘違いだよ、きっと!」
「逃げたね、オリヴィアさん……。ザラたちの杞憂に過ぎなくてもだよ。彼女がお兄ちゃんだと思っている人の中身が、オリヴィアさんなのは変わらない。それを知ったら、また彼女の決断も変わるかもしれないでしょ? だって、このまま連れていったら、どこかで後悔することになるかも。それとも、ずっとアルス様の振りをします?」
わたしは即座に首を振った。ここ二日、大部分もそういう風に過ごしてきたけど、堅苦しくって仕方がなかった。これなら、お城で淑やかな王女様を気取っている方がよほどまし。
「つまり、事情を説明するしかない、そうザラちゃんは言うのね?」
「それは、お任せしますよ、お兄ちゃん」
最後に妹様は意地の悪い笑みを浮かべた。そして、くるりとその身を翻すと、ソフィアさんの家の方を向く。
……はあ、そうだよね。わたしがやるしかないんだ。だって、深く考えないで、ソフィアさんに希望を持たせたのは、他でもないわたし。自分の事情そっちのけで、つい彼女に同情してしまった。
覚悟を決めて、とぼとぼと、ソフィア家の玄関に近づく。中から、少し言い争うような声が聞こえる。少し臆しながらも、わたしは強くノブを掴んだ。
「もう決めたの。母さんが何と言おうと、私は旅に出ます!」
「そういう頑固なところはホント誰に似たのかしらね!」
「こら、二人ともっ!」
わたしが顔を覘かせたのに、最初に気付いたのはお婆様だった。そして、そのお婆様の窘める声で、他の二人もわたしの方を見る。どことなく気まずそうだが、それはわたしも一緒だ。
「あのー、ソフィアさんだけ、ちょっとよろしいですか?」
「は、はい。えっとなんでしょう……?」
わたしは少し怯みながら、おずおずと娘さんに話しかけた。彼女はとても怪訝そう。そのまま、困惑している彼女を少し強引にザラちゃんのところまで連れて戻った。




