包囲網を切り抜けろ!
魔王は玉座の前に立っていた。その背丈は二メートルを優に超えるかというほど。しかし、しなやかなシルエットだ。まさに、すらりと背の高い美男子がそこにはいた。
「いやぁ、しかし、姫だけではなくて、タークやキャサリンまでいるとはな」
奴はとても皮肉げに唇の端を曲げた。そして大げさに両手を天に向けて肩を竦める。その顔が微かに動いた。その冷たいまなざしが、俺の後ろにいる二人の魔族に注がれる形に。
「飼い犬に手を噛まれる、青天の霹靂……まあ、キャサリンの方はともかくとしても、だ」
いやにもったいぶった話し方だ。隙だらけ、しかし親父はただ突っ立っているだけ。戦闘態勢を取りもしない。
いくら武具がないといえど、その状態で彼は全く闘えないわけじゃない。俺もそうした訓練を受けてきたわけで。他でもないこの男から。
事を構えるならば、今の状態でも容易いはず。だけれども。親父は何を考えているのか。警戒するにしても、敵同様、無防備すぎる。
……どうにも姫様の身体だと、うまいこと気配とか雰囲気とか、いわゆる第六感が効かない。親父の力量も、魔王の力量も、上手く測れないでいた。
まあでも、仮にも魔王というのだから、その強さはきっと勇者にも匹敵するのだろう。だから、こうしてなぞの間延びした時間が続くことも納得できる。
「ターク、これはいったいどういうことかな? まさか、お前がこんな行動に出るとはね」
「いやぁ、それはですね……」
「彼はわたしが助けてって、お願いしただけよ」
俺はタークを守るようにして、一歩前に進み出た。そして、大きく両手を広げる。……まあ、今さら感はあるけれど。それでも黙っていられなかった。
だが、それは果たして彼を庇ったことになったのか。魔王はただ冷たく鼻を鳴らすだけ。あんまり聞いていないようだが……
「それはそれで、我の人望がないようで、我悲しい」
しっかりと、彼の心には響いていたようだ。さっきのは、ただの強がりだったのか。
かなり凹んでいる。いや、そんなつもりは毛ほどもなかったんだが……。
「そ、そんなことありませんよ、大丈夫です!」
「えー、アタシはそう思わないけれど~」
それがとどめとなった。がくりと膝をつき、あからさまに落ち込んだ姿をみせる魔王。嘆きのため息がここまで聞こえてくる。
敵ながら、少し可哀想になる。彼だって頑張ってるのだ。人間の女に鼻の下を伸ばして、警備体制はガバガバだけれど。なんだか、余計に憐れになってきた。
とにかく、これは千載一遇のチャンスだ。さっさっと逃げよう――そう声を出そうとしたが。
「ふむ、まあ理由はどうあれ、流石にこのおイタ見逃すわけにもいかないのだよ」
非常に残念なことに、立ち直りは意外と早かった。すくりと立ち上がると、どこかわざとらしく居住まいを整える。そして、悦に入った笑みを浮かべて、首を軽く傾げた。
パチリ、と魔王は指を鳴らす。その音は、空っぽのこの空間に響いた。するとその後ろから、ぞろぞろと魔物たちが姿を見せた。それだけではなく――
「完全に囲まれたな」
俺たちの背後にも、魔物たちが集まった。どいつもこいつも、血走った表情で、きっちりと武装してやがる。
「殺すなよ? 大切な花嫁、そして元同胞、さらに、伝説の勇者殿だ。手厚くもてなして差し上げねばな」
「おぉーっ!」
その雄たけびは号砲となって俺たちに襲い掛かった。思わず、身が竦む。無理もない、今俺は見た目だけはただの小娘。迫りくる魔族の圧に、なかなかどうして耐えられない。
「どうします? 命だけは助かるみたいですよ?」
「バカは休み休み言え。ここまで来て諦めてたまるかよ!」
「おおっ、アーくん、カッコイイ! 見かけはとてもキュートなのにぃ~」
「……はいはい、ありがとー」
タークの方は、心の底から参っているみたいだが、キャサリンは全くいつも通り。主に対して反旗を翻しているというのに、暢気な奴だ。
「親父なら、魔王にも勝てるんじゃないか?」
「それこそ、バカも休み休み言え、だ。こちとら、さっき囚われの身から解放されたばっかだぞ? 全盛期ならいざ知らず、今この状態じゃ、例え奴さんが一人でも倒すのは無理だな」
「じゃあ、このまま大人しく捕まれっていうのかよ?」
「だがな――『高等爆発魔法』!」
詠唱と共に、現象が叶った。それは爆発呪文の上級のもの。その威力は強大で、玉座の後方に陣取る魔物の一団は吹き飛んだ。
そして、遅れて響く太く儚い断末魔。
「お前や母さんみたいに、ほいほい究極クラスは使えないが、それでも十分だろう?」
ニヤリと笑う親父。そして続けざまに、言霊を発する。再び大きな爆発が起こって、今度は俺たちの背後の集団が吹き飛んでいく。
そして、やがて一筋の脆い道が完成した。まだ魔物は残っているが、それでも出口に繋がる階段ははっきり見える。
「さあ、行け!」
親父は叫ぶ。そして、びしっと包囲網の穴に向かって指を突きつける。
「親父はどうするんだよ!」
「俺はあいつと地獄のデートさ」
父に促されるように、俺は敵の大将に目を向けた。爆風に包まれながらも、その姿に変化はない。
「ここから逃げるには、あれを足止めしないといけない。わかるだろ?」
「それはそうかもしれないけど。でもさっき、親父――」
「倒すのは無理でも、まあ時間稼ぎくらいはお手の物さ。腐っても、俺だって勇者だからな」
そういうと、彼は魔王に向かい合う。ぐっと闘う姿勢を執って――
「さあ、さっさと行け。チャンスはそう何度もないぞ?」
「でも――」
「ほら、アーくん、行くわよ! ターくんも!」
ぐっと姫の腕を引っ張ったのはキャサリンだった。その表情は真剣そのもの。それで、俺も心を決めた。
その手を払って、自分の力で踵を返した。そして、まっすぐにそのゴールを見据える。
「その袋だけは失くしてくれるなよ? 母さんを頼んだ!」
俺はなにも言葉を返さなかった。強く大きく一歩を踏み出す。魔物たちがばたばたと倒れている出口に向かって。
「高等爆発魔法!」
親父の支援を受けて、迫りくる魔物は次々に吹き飛んで行った。未だに、心惹かれるものを感じながらも、俺は一心不乱に魔物軍の穴目掛けて駆けだしていった。
*
階下にも、大勢魔物たちがいた。みんな、俺たちを捕らえようと必死だ。それをなんとか掻い潜って進むけれど、なかなか城の出口にはたどり着かない。階段が正反対の位置にあるこの構造が、とても憎たらしくって仕方がなかった。
とりあえず、今は通路の陰に隠れながら、そっと次に進むべき空間の様子を窺っている。今のところは、魔物はいないようだった。
「ああぁ、とんでもないことになっちゃた……」
「仕方ないわよ。もともと時間の問題だったってば~」
「ですが、面と向かって事が露呈するのとそうじゃないのとでは大違いです!」
「まあまあ、こうなったら、これでお前も晴れて反逆者の仲間入りさ。おめでとう」
「めでたくないですっ!」
「おい、こっちだ!」
珍しくタークは声を荒らげたが、それはろくな結果をもたらさなかった。目の前から、ぞろぞろと武装した兵士たちがやって来る。手に荒っぽい棍棒を持ったゴブリンたちだ。
「さあ、大人しく捕まってもらおうか!」
「それではいそうですかって、素直に応じると思う?」
「こっちだって、手荒な真似は避けたいんだよ」
「ねぇ、じゃあ、見逃して欲しいなぁ。ねっ?」
ぐっと胸元に腕を寄せて、少し身を屈めて。さらに、うるうるとした上目遣いまでつけてやった。出血大サービスのつもりだ。
しかし、話している相手こそ多少ぐらついたようだが、それは多勢に無勢。全員なんて、いくらこのお姫様の美貌を以てしても不可能か。
しかし、その間に準備ができたようで、キャサリンは目が合うと一つウインクをしてくれた。
「渦巻く水流、あたしの心も渦だらけ。いでよ、中級水流魔法!」
おかしな詠唱と共に、突然水が巻き起こった。それはすぐに兵士たちを飲み込んで、勢いよく壁にたたきつける。
こんな感じで、追いかけてきた魔物に囲まれるたびに、キャサリンの魔法に何とかしてもらったわけだ。流石ウンディーネ、その水魔法の威力は目を惹くものがあった。
「変な呪文だな」
「ええっ、自信作なんだけどな~」
「……オリジナルってことか? それ意味あるのかよ……」
思わず、がくっと力が抜けた。すっかり、彼女はいつものマイペースさを取り戻している。あの真剣さは一瞬の出来事だった。
「そんなことより、お二人ともこれからどうするつもりですか?」
「それは、ひたすら外めがけて進むしかないだろ?」
「そうそう。だって、このままだと捕まるだけでしょ? 逆にそれ以外に何かあるの?」
「いや、ないですけどね。でもそのまま外に出てしまったら、待ち受けるのは凍死だけです」
まあ確かにタークの言うことはよくわかる。逃げるのに夢中で、つい忘れてしまっていたけれど。親父の移動魔法なしに、この山から下りるのは不可能だ。しかし、親父のところに戻るわけにはいかない。なにか別の手段を考えなければ。
すぐには思いつかないけれど、それしか道はない。こんな状況になってしまえば、親父も言ってたように次は殆どない。このチャンスをものにしなければ、必死に頭を動かしていく。
「あーあ、アーくんが悩みこんじゃったよ……ふう、あたしたちが自由に飛べたらいいのになぁ」
「キャサリンさん、それは無理ですよ。人間のアルス様はもとより、僕らだって翼はないですから」
「わかってるってば、ちょっと言ってみただけ~」
「まったく、ちゃんと考えてくださいよ」
キャサリンの言葉に俺は天啓がひらめいた。飛ぶ、翼……思い当たることが一つある。
「ドラゴンだ!」
俺は叫ばずにはいられなかった。予想外に大きな声が出て、二人がびっくりしたような顔でこちらを見てくる。
……その後、またしても見張りに見つかったのは言うまでもない。




