魔王城の在処
「な、なんだよ、これ!?」
扉の先には、地獄のような光景が広がっていた。見える範囲には、びっしりと雪が積もっている。そしてこれでもかといわんばかりの猛吹雪! その激しさたるや、一寸先すら見えないほど。
凍り付きそうなほどの冷たい空気が、容赦なくエントランス部分に吹き込んでくる。そのせいで、屋内にいるというのに、非常に寒い……。思わず、俺は身を縮こませた。
「さ~む~い~っ!」
キャサリンが苦しそうな呻き声を漏らした。その身体はぶるぶると震え、顔はいつにもまして青白い。元々、透き通るような肌の白さなのだが、それに拍車がかかっている。やはり、この魔物は寒さにはとても弱いらしい。
そしてもう一体はというと、奴は涼し気な顔をしていた。身に着けている衣服はそこまで分厚そうに見えないのに。種族の違いゆえか。とても羨ましい。
思えば、こいつは全てを知っていたのだろう。だから、俺やキャサリンとは違って、扉から離れたところに立っていたのだ。
しかし、この寒さ本当にシャレにならない。中に入り込んでくる冷たく白い塊もそうだが、何よりこの強い風が問題だ。このドレス姿だと、足元から冷気が入り込んでくる。しかも薄い布でできているから、寒さが直接伝わってくるのだ。
あまりの冷たさに、まず手足の先の感覚がなくなってきた。そして、段々と身体の芯まで底冷えしていくのがわかる。さっきから、鼻水が止まらない。もはや、冷たいという感覚を通り越して、痛みさえ覚える。
当然、こんな調子だととても外には出られない。それは単なる自殺行為だ。数歩進んだだけで、遭難、そのまま死ねる自信がある。
悔しいが、外に出るのは諦めるしかない。第一、これ以上扉を開けたままにしていたら――寒さに耐えかねて座り込むキャサリンを見る。俺ももう限界は近かった。
忸怩たる思いで扉を閉めにかかる。外に向かって、腕を伸ばすと、一気に冷たさが絡みついてきた。俺の意思とは関係なく手は震えて、指がかじかんでうまく取っ手が握れない。
ばたん――それでも、なんとか必死に探り当てて、俺は勢いよくドアを閉めた。重たい大きな音が城内に反響する。
「し、死ぬかと思った……」
身を捩り、手を擦りながら、何とか体温を取り戻そうとする。しかし悲しいかな、それは焼け石に水。ちっとも身体は温まらない。
一度、冷気に侵されたこの一帯は、すっかり冷え込んでいた。室温はわからないけど、体感気温はぐっと下がったまま、少しも戻る素振りはない。
「大丈夫ですか、アルス様?」
「大丈夫に見えるか?」
「キャサリンさんよりかは」
いつの間にか、ウンディーネは地面に倒れていた。もう限界を超えてしまったらしい。ああ、いい奴だったよ、キャサリン。お前のことは忘れない。
と思っていると、その身体がもぞもぞ動いてるのに気が付いた。まだ息はあるらしい。しかし、魔物って概して人間より強いと思うんだが。真っ先にダウンするなんて。
「キャサリン、しっかりしろ~」
「ううん、もうダメかも……あ、泉! 綺麗な泉が見えるよ~」
「落ち着いてください! ここはキャサリンさんの故郷じゃあないですから!」
どうやら、見えてはいけないものが見えているらしい。とてもまずい状態なのがよくわかる。とりあえず、彼女を何とかするのが先決だ。
「ターク、どこか暖かい小部屋はないのか?」
「ええ、いくつもありますよ。あっ、そこにキャサリンさんを?」
「ああ、ひとまず移動た。放っておいて取り返しのつかないことになったらやだし。それに、俺自身ももう寒くって寒くって」
凍てつく脚をぎこちなく動かしながら、俺はキャサリンのところに近づいた。彼女の左腕を担いで、その身体を持ち上げようとする。少し触っただけで、異常なほどに冷たかった。
それは、恐ろしいほどに軽かった。人間の大人、一人分の体重ない。だから、姫様の身体でも存分に持ち上げることができた。魔族と人の身体構造は根本から違うのかもしれない。
「こっちです」
ちらりと俺の方を見てから、タークは少し駆け足気味に歩き始めた。俺もしっかりキャサリンの身体を抱きかかえながら、後に続いた。
*
部屋の中は真っ暗だった。タークが先に中に入って、灯りを順々に点けていく。それを待って、俺も彼についていった。廊下よりもいくらかは暖かい。
真っ先に視界に飛び込んできたのは、簡素な白いベッド。真ん中にはぽつんと低い丸机が置いてあって、部屋の最奥には暖炉が設置してある。部屋の広さは、俺のいる牢屋よりも少し狭い程度だ。ここは何の部屋なんだろう?
「宿直室ですね。まあ、しばらく使われた覚えはないですけれど」
俺の質問に、タークはすげなく答えた。そして、暖炉にすぐに火をつける。
俺はとりあえずキャサリンをベッドに横たえた。相変わらず、かなり苦しそう。その上に布団をかけてやる。
「うー、あ、ありがとう、二人とも……」
彼女のいつもの陽気な声の高さはどこにもなかった。やっとの思いで、言葉を絞り出した様子。一瞬大きく身を震わせると、亀みたく布団に身体を引っ込めた。そして、丸くなる。
少しはよくなるといいんだけど……。そう思いながら、もうできることも思いつかなくて、俺は床に座った。何も敷かれていない剥き出しの床はかなり冷たい。尻からものすごい冷気が伝わってくる。
「これ、どうぞ」
「……ありがとう」
タークが差しだしてきたのは、少しかびた臭いのする茶色い毛布だった。少し気が退けながらも、それを受け取る。いったいどこからも持ち出してきたのか……彼はもう一枚をキャサリンの身体にかけた。
すっぽりと口元から全身に巻き付けるようにして被ってみる。臭いは気になるものの、やはり暖かかい。少しずつ指先に感覚が戻ってくる。
そんな風に一人ぬくぬくしていると、タークが目の前に座った。彼は、相変わらず寒さをなんともしていないようである。
「それで、あれはどういうことだ?」
「アルス様は雪を見たのは初めてですか?」
「そういう意味じゃない。雪は慣れ親しんでるわ」
タークの的外れの回答に、俺はそっと頭を掻いた。本気で言ってるのか、とぼけているのか。そのポーカーフェイスからは、どちらかは読み取れない。
ラディアングリス地方にもしっかり冬はあった。あの辺りはしっかりと四季がある。それに、俺の生まれ育った家は山間部にあるので、雪もがっつり降るし積もる。だから、あれくらいは慣れっこではあるが……。
「ここ周辺は今は冬なんだな?」
「いいえ、この場所は年がら年中あんな感じです」
「……ここから逃げるには、まず防寒具が必要だな」
改めて姫(自分)の服装を顧みてみる。素肌の上に、皮でできた薄手のドレスが一枚。そして、粗末な平靴。どこをとっても、雪の中を進める姿ではない。また面倒くさい問題が表出してきたものだ。
そもそも、果たしてこの辺りに人里はあるのだろうか? こんな氷雪地帯に、人が寄り集まって暮らしているとは思えない。あの光景を見てしまうと、そう思えてしまう。
「まだ諦めていなかったんですね」
「当たり前だ。あれくらいの関門、へでもないさ。言うほど、城から出るのは難しくないじゃないか」
全く、甘く見られたものだ。何が人間にここから逃げることはできない、だ。確かに、あの猛吹雪や雪道は厄介だけれど。そこまでのもんじゃないだろう。
しかし、タークは妙な表情をしている。それは、どこかこちらを哀れんでいる目というか……。やがて、ためらいがちに口を開いた。
「ここが世界一高い山、その頂にあると言ったらどうしますか?」
…………はい?




