はじめてのひとだすけ
林へ入って間もなくのこと。ザラちゃんが速度上昇魔法をかけてくれたこともあって、それはすぐに見つかった。
枝葉をかき分けて、草を踏み鳴らして進むと、少し開けたところに出た。木が少なくて、よく見ると、荒っぽいが道ができている。
視界の先に、一人の少女がいた。座り込んで、その小さな体躯はめいいっぱいに震えている。ほんの遠くに見えるその横顔は、恐怖で青ざめていた。つーっと、一筋の涙の線も見える。
彼女を脅かす元凶、それは頭上をぐるぐると飛び回っていた。鷲に似た魔物――その体長は腰を抜かす少女よりも大きい。
深紅の眼はとても凶悪そう。そして、鍵爪は鋭い、時折開ける嘴からは鋭い歯が見える。バサバサと翼を揺らして、巻き起こる旋風は少女の身体を強く揺さぶる。
「なかなかまずい状況……!」
「ど、どうしよっか、ザラちゃん」
「オリヴィアさん、あんまりおろおろしない! 今の、あなたにはお兄ちゃんの力があるんだから」
「でも……」
悲鳴を聞いて、先に動き出したのは、実はザラちゃんだった。それで、仕方なくわたしは彼女の跡を追ったわけ。黙って待っているわけにもいかず。もちろん、その声の主が心配なことは心配だったけど。
わたしには覚悟が付いていなかった。状況に対して、全く予測が立っていなかった。そして、こういう経験もない。だから、ついついザラちゃんを頼りにしてしまう。自分より年下のこの(見た目は)幼い少女に。
「……今なにか、失礼なこと考えませんでしたか?」
「い、いえ! まさかぁ」
敏いザラちゃんは、見事にわたしの考えを見抜いたようだった。半目の表情で、訝しがるようにギロリと睨んでくる。しかし、すぐにまた元の真面目な顔に戻ると――
「ザラにいい考えがあります」
ごにょごにょと、小さい身体をぐっと伸ばして、彼女は耳元で何かを囁いてきた。耳に当たると息がこしょばゆい。
――なるほど、わかったけれど。本当にうまくいくかしら。不安な想いで、妹君の顔を見つめ返すけれど、彼女は自信満々に頷いてくるだけ。
まあ、森のヌシ退治の時は成功したし、大丈夫よね! それに、今はああして、飛び回ってい隠してるだけだけど、いつあの魔物が少女に襲い掛かるかわかったもんじゃないしね。
わたしは静かに目を閉じた。気を鎮めて、身体の中を、よくわからないエネルギーが巡回するのをしっかりと感じる。グーっと、胸の辺りに力を籠めるのがコツらしい、ザラちゃん曰く。
「火球魔法!」
わたしは、そして、ザラちゃんから教わった呪文の一つを口にした。本当は長々として前段詠唱があるらしいけど、そんなものとても覚えられなくて。名前だけでも口にすれば、とりあえずは放てるとのことで、それだけは何とか頭に刻み込んだのだ。
わたしの言霊に応じて、メラメラと燃え盛る火の玉が発露する。それは、真直ぐに魔物へと向かって飛んで行った。しかし――
「ぎゃおぉぉぉ!」
怪鳥は不格好な叫び声を上げると、ひらりと身を躱した。火球はモンスターに当たることなく、空中の彼方へと消えていく。
「今よっ!」
ザラちゃんが大きく声を上げた。それで、わたしたちは一気に少女の方に駆け寄っていく。魔物は、炎を避けるために少し上空を飛び上がった。襲われている彼女との距離が少し開いて、隙ができたのだった。
「大丈夫、大丈夫だからね!」
「うぅ、ひっく、ぐすっ……怖かったよぉ」
ザラちゃんが優しく声を掛けながら、女の子のぽんぽんと肩を叩く。よく見ると、泣いている少女はザラちゃんよりも大きい。なんとなく、わたしに近い年齢な気がする。それはともかくとして、見た目的にはなんだかちぐはぐな図だわね……。
そして、少女はなぜか勇者様の方に抱き着いてきた。ちょうど、その頭がすっぽりと胸の辺りに収まる。彼女の紫色した髪の匂いが鼻腔をくすっぐった。
どうしていいかわからずに、わたしはとにかく彼女の背中に手を回した。そして、もう一方の手で、その頭をそっと撫でる。とても不思議な気分だ。
「オリ――お兄ちゃん、なんで一発で仕留めてないのよ! 魔法を空ぶる人なんて、初めて見たわよ」
「そんなこと言われたってさ」
「ほら、来るわよ!」
見ると、魔鷲はわたし目掛けて一直線に降下してきた。その尖った爪をこちらに向けながら。
わたしは慌てて、少女を放した。立ち上がって、彼女の前に出る。後ろに、二人がいるこの状態では避けることはできない。わたしは剣を抜いて、その一撃を受け止めた。
カキンッ――甲高い音が静かな森に反響する。
剣を通じて、わたしの身体に走る重たい衝撃。しかし、勇者様の身体はびくともせず、真っ向からそれを受け止めることに成功した。そのまま、モンスターの身体を切り上げるが――
「へたくそっ!」
「う、うるさいなぁ、もうっ!」
剣の切っ先は鈍い軌道を描き宙を舞った。魔鷲はまた再び大きく飛び上がる。
後ろから聞こえてきた罵倒の声に、憤りを感じながらも、わたしは再び敵の攻撃に備えた。しっかりと両の手で柄を握り、軽く腰を落とす。記憶にある兵士の見よう見まねで。
やっぱり、剣の扱いにはまだまだ慣れないわね……。弱いモンスターや、鈍重なモンスターならまだしも、こうも早く動かれると困る。自在に剣を振れる技術は、わたしには皆無だった。
「範囲魔法です、範囲魔法!」
またしても、ザラちゃんの声が聞こえてきた。攻撃範囲の話は、確かに昨日ザラちゃんから聞いた。一口に魔法といっても、色々な種類があって――そうか、あれだ!
もう一度、魔鷲がこちらに突進してくる。今度は羽根を、まるで槍の要に突き出しながら。
わたしは全神経を研ぎ澄ます。モンスターの一挙手一投足に目を見張りながら、素早く気を――魔力を練り上げていく。段々と勝手が掴めてきた。そして――
「凍結魔法!」
高らかに呪文を叫んだ!
すると、辺りに白い煙が湧き出して、少しずつ冷気がやってくる。それはやがて、魔鷲の身体を包み込んで――パキン、なにかが割れるような音がした。見ると、モンスターの身体は見事に凍り付き、そのまま地面に落下する。そして、バラバラに砕けてしまった。
「……ほんと、お兄ちゃんはズルい」
近づいてきたザラちゃんは、不満げに唇を尖らせている。そして、その口調はとてもうんざりとしていた。
「ねえ、初めからこうしておけばよかったんじゃ……?」
「あの人を巻き込まない自信あるんだね、オリヴィアさん」
薄く笑うと、彼女はくるりと後ろを振り返った。
モンスターに襲われていた少女は、どこか呆然としたまま、わたしたちの方を見ていた。
*
「あの、助けていただいてありがとうございました」
紫髪の少女は、落ち着きを取り戻すと、深々と頭を下げた。全身からは、安堵しているのをひしひし感じる。
「いえいえ、これくらいお安いご用です!」
「なにを得意気になってるんでしょうね、この人は……」
わたしは少女に向かって、胸を張ってみせた。こんなわたしが、誰かの窮地を救えるなんて、とても誇らしい。
隣では、ザラちゃんが浅いため息を一つ。そして、諫めるような眼差しを送ってきた。呆れ返っているみたいだけれど、気にしない。
「それで、あなたはどうしてここに? 見た感じ、とても冒険するような感じじゃないけど」
少女は普段着姿だった。布でできたワンピース、足元は簡素な丈の短いブーツ。そして、小さな袋を強く握りしめている。
どうみても、わたしたちと同じ旅人には思えない。見るからに、可憐な少女といった出で立ちだし。だから、なぜこんな魔物が出る場所にいるのか、とても不思議だった。
「あたし、近くのエルムって村に住んでて。本当は、一人でここに来てはいけないんだけど。でも、お母さんが病気で、それを癒す薬草を取りに――」
早口で話ながら、彼女は右手の袋を掲げてみせてくれた。どうやら、薬草の採取には成功したらしい。少し気まずそうな表情は、自分の行いが悪いという自覚があるからかしら。
「それで、帰り道にあの化物に、襲われたんだね?」
「はい、そうなんです。あたし、もう怖くって、どうしたらいいかもわからず……でも、お兄さんはとても強いんですね! 魔法なんて、初めて見たからとてもびっくり」
そう言うと、女の子は目を丸くして、手を合わせた。にっこりと口角を少し上げて、その瞳はキラキラ輝いている。
「よろしければ、村に来ませんか? 助けてもらったお礼、しなくっちゃだし」
「それは助かります! 実は、ザラ――私たちも、そのエルム村を目指してたんですよ」
「それは、なんて素敵な偶然ですね。さあ、行きましょう! あたしに着いてきてください」
少女は、すくっと立ち上がると、弾むように歩き出した。わたしたちの来た方向とは反対に、軽く整備された道を。
わたしとザラさんは顔を見合わせて、思わぬ幸運に顔を綻ばせる。そして、すぐに少女の後ろに続いた。




