ダメ親父
「ところで、アルス。お前、いくつになった?」
「数日前に十五に」
「じゃあ、あれはもう今から五年前か。俺が旅に出たことは覚えているか?」
「ああ、もちろん」
忘れるはずもない。それが親父との永遠の別れになったのだから。少なくとも、ほんのついさっきまではそうだった。母さんとザラにとっては、未だにそうだ。
俺の返答に、親父は静かに頷いた。
「あれはなんてことはない、普通の魔物退治の依頼だった――っと、こんなことを言うのは、兵隊さんに失礼かい?」
「いえ、別に。元々魔王様の配下はこの城にしかいませんから。五年前だと、ぎりぎりこっちに侵攻したかしてないかくらいですし。きっと、野良の魔物でしょう」
突然、話を振られたにもかかわらず、タークには少しも動揺したところはなかった。平然として、落ち着いた口調のまま言葉を返す。
……適応能力が高いな、こいつ。俺はその態度に少し感心した。人間――相手は勇者なのに、躊躇いなく会話できているとは。
「へぇ、魔物さんたちにもいろいろあるんだねぇ」
「でも、野良の魔物って……」
「魔族も一枚岩じゃないってことですよ。それより、今は話の続きの方が大事では?」
「……そっちも気になるけどな。まあ、それは後で聞くとして。で、その魔物退治はどうだったんだ?」
後ろ髪を引かれる思いがしながらも、俺は親父に話の続きを促した。軽く顎をしゃくる動きもつける。
「なんやかんやあって、俺はこの辺の海岸に漂着した」
「ちょっと待ていっ!」
「……息子よ、いくら見張りがいないからって、大声を上げるのどうかと思うぞ?」
「タークもそう思います」
なぜか、俺が責められる流れが出来上がっていた。いや、確かに大げさに反応したことは認める。だが、おかしいのは親父の方で……俺は不満げに唇を尖らせた。いくらなんでも省略し過ぎだと思う。
「そのなんやかんやの部分も大事だと思うんですけど?」
「そうか? どう思う、兵隊くん?」
「でも、ひめさ――勇者様はなぜお父様がここにいるかだけ、知りたいのではないんですか?」」
まあ本題はそこにあるけど。でも、この五年ずっと父を心配してきたわけで。だから、その身に一体何が起きたかを知りたいと思うのだ。
それよりも、なぜこんなにも親父とタークの息はぴったりなのか。さっきから、どちらも特に敵対するわけでもなく、比較的友好的に接しているように見える。
俺には、それがどうにも腑に落ちなかった。人間と魔物は決して相容れないものだと、思っていた。魔物は平気で人間の生活を脅かす。だから、人々は魔物退治を父に――『サーモンの勇者』に頼んできた。
だから、親父もきっと魔物を目の敵にしていると思ったんだが……そんな様子は少しもない。もしかしたら、胸の内に秘めているのかもしれないけれど。だとすれば、こんなにタークに話しかけるのもおかしいわけで。
それはタークも同じだ。姫様に対して丁寧に接するのは、まあわかる。だって、魔王が嫁候補としている相手だから。他の魔物も、それは一緒。
俺にしたって、タークたちに対して、なるべく穏やかに接している。でもそれは、今は姫様の姿だから大人しくしようという打算からくるわけで。もしこれが元の姿だったら、おそらく片っ端から倒して回ってる。姫様も捕まっているわけだし。
だが、姫の正体を知った現在でさえ、タークはいつもの物腰を崩しはしなかった。決してこちらに、敵愾心や嫌悪感といったものは見せない。それをひた隠しにしてるなら、大した役者だと思う。
振り返れば、初めからタークはこっちに対して友好的だった。それに、キャサリンも。いくら魔王が大切に想っているからって、それだけで人間とそんな風に接触できるのだろうか……。
謎は深まるばかりである。人と魔物の関係――それは思ったより複雑なのかもしれない。今答えを出すには、あまりにも俺には知識や経験がなさすぎた。
とにかく魔王は、姫やその他女性を大勢攫った。そこは確定している。その点で見れば、少なくとも魔王は、倒さなければいけない相手……だと思う。
「どうした、アルス? なんだか、ボーっとしているが」
「具合が悪いのであれば、可及的速やかに牢屋に戻りましょう!」
「……いや、大丈夫だ。話を続けてくれ。一応、なんやかんやの部分から、な」
俺はこちらを心配してくれる二人に向かって、穏やかに笑ってみせた。
「ああ。退治する魔物――それは、大洋を荒らす巨大な海蛇だった。話を聞いた俺は、早速小舟でその出現ポイントに向かったのさ」
「おおっ、勇敢ですね!」
「なんで、お前が嬉々としてるんだよ……」
「こういう冒険譚は良いものです。姫様は――これはもちろん本物のですが――、よく色々とお話を聞かせてくれました。彼女にとっては退屈しのぎだったのでしょうが、わたしにとってはどれも貴重なものでした」
ああ、それであの時、俺に話をするよう求めたのか。入れ替わり初日の夜のことだ。ようやく、納得がいった。……ここにもまた、人と魔物の不思議な関係が見られる。
「海蛇なんぞ、今まで何度も退治してきたからな。はっきり言って、俺は慢心しきっていたのかもしれない。俺は嘘のように負けた」
「はい? いやいや、仮にも『サーモンの勇者』だろ? いつも俺に勝てる魔物はいないって、豪語してたじゃないか!」
「いやぁ、ほんと恥ずかしいよ」
親父はばつの悪そうに笑った。そして、苦い表情のまま自分の右のほっぺたを掻いた。
「……そんなに強かったのか?」
「いや、そんなことないぞ」
「だって、今負けたって――」
「小舟を狙われた。適当に木を組み合わせて作ったのが、いけなかったらしい」
そこで、親父はあっはっはと豪快に笑い飛ばした。悔しがる素振りは微塵にもない。
「それで荒れ狂う波に呑まれたわけよ。目が覚めたら、見知らぬ浜辺にいてな。俺はもう少しも動けなかった。体力も魔力も底をつき、いよいよ死を待つばかりと思ったんだが――」
「そこに我が通りがかったわけよ」
その時、俺でもタークでもない声がした。よく聞き覚えのある声――慌てて、俺は後ろを振り返った。
「ご機嫌いかがかな、我が麗しの君よ。さあ、牢屋に戻る時間だ」
そこには、魔王がいた。数体のオークを引き連れて、柔らかな表情をしながら立っている。そして、右腕を真直ぐこちらに伸ばしていた。
……どうして、魔王がわざわざ来たのか。それはわからなかったけれど、とにかく今日の所はこれで終わりらしい。全く、肝心な話ができなかったぞ。
*
俺はじっと身を固くして、魔王から紡がれるだろう言葉を待っていた。隣には、珍しくタークがいた。いつもなら、俺を魔王の元に連れてくるとさっさと姿を消すのに。
親父がいる地下牢から連れ戻され、俺はタークと一緒に玉座の間へと連れてこられた。重厚なオークの護衛付きで――とても、誘惑できるような状況じゃなかった。……気持ち的にも。タークに招待を、打ち明けたばかりだったし。
魔王は、あの豪華な趣味の悪い椅子に深く腰掛けている。きつく目を閉じて、その眉間には皺ができていた。さすがに、今回ばかりはこいつもお冠らしい。
正直な話、脱獄騒動を咎められるだけなら、なにも問題はない。はいはいと、左から右へ聞き流していれば済むからだ。問題なのは、魔王がどこまで話を聞いていたか、である。
万が一、姫の中身のことまで聞かれていたら……この先どうなるか見当もつかない。俺は必死に無表情を装って、魔王の仏頂面を眺める。
「いやぁ、しかし大変だった」
魔王がゆっくりと口を開いた。そして、ゆっくりと瞼を開ける。
第一声にしては、それはとても妙なものだった。俺が予想したものとは大分違った。
「あの迷宮、ホント厄介だな」
「……へ?」
「よく、姫は乗り越えられたものよ。我、称賛!」
ぱちぱちぱちと、魔王は手を叩く。こちらを馬鹿にしているのか……? それにしては、本当に心から感心しきっているみたいだけど。
俺は思わず、タークと顔を見合わせる。何言ってんだ、こいつ? 俺たちはかなり困惑していた。
「突然、下から大きく揺れたものだから。気になって、確かめに行けば、なかなか最下層に辿り着かないではないか!」
「いやいや、作ったのあなたじゃないの?」
「まあそうなんだがな……」
(なぜそこで嬉しそうにはにかむ……)
頭が痛くなってきた……こんな奴に姫も親父も捕まっているなんて。とても、悲しい気持ちになりますね……。
「そして、迷宮を抜けたら、ストーンブラザーズは倒れてるし。姫は、伝説の勇者殿と面会しているしで、我、驚き!」
「はぁ、そうですか……」
驚きなのは俺の方だよ……。なにゆえ、そんなにコミカルなのか。
とにかく、どうやらこいつは姫の正体には気がついていないらしい。もし知っていたら、真っ先に話題に出すだろう。そして、もっと慌てているはず。
かといって、事実を尋ねるのも憚られるわけで。余計なことを言うと、墓穴を掘りそう。なので、真実はスルー。
「そういえば、どうして勇者は生かしてあるのですか?」
代わりに、俺はずっと気になっていることを訊いた。親父との再会を果たした時から、引っ掛かりを覚えていた。
魔王が、勇者を囚えておく必要はない。その力を怖れるのであれば、わざわざ拾って来ずに殺せばよかったじゃないか。そこがどうにもちぐはぐである。
「だって、ここから決して逃げられないようにすれば、生き死にはどうでもよかろう?」
――ぞくりとした。
相変わらず、そこには余裕の笑みがあったのだが。言い方さえも、飄々としていたが。
桁外れな残虐性を、魔王は一瞬纏った気がした。それが、奴の本心で――結局のところ、城内を自由に歩けるのさえ、こいつの気まぐれ。掌で転がされているだけなんだと、思わずにはいられない。
「それは、姫君も同じこと。人間には、決してこの場所から逃げることなど、できないのだよ」
言い終えると、奴は、刹那ニヤリと口角をあげた。そして、たいそう満足したように、高々と笑い声をたてるのだった。




