檻の中にいる
「お前は……誰だ?」
鉄格子が目に入って、この時初めてここが牢屋だという事実に気付かされた。どうりでなんだかじめじめしているし、薄暗いし、壁は風情のない石タイルだしなわけだ。つまり俺は閉じ込められている……? だとすればどこに……?
ひとまず疑問はおいておいて。俺はベッドから降りると、檻の向こう側にいる謎の声の主に近づいた。歩いている時、身に着けている洋服の違和感が凄まじい。ドレスなんて、見たことはあれど決して着たことはない。なんだかスース―して、妙な感じだ。胸元の辺りもきついし。
見たところ、そいつは魔物の様だった。大きさや見た目はどことなく人間の子どもみたい。大きな瞳が印象的だった。鼻は高く先端は鋭くてツンと上を向いて、唇は薄い。しかし、青白い肌とエルフの様な尖った耳が人間とは違う種族だと訴えていた。そして、微弱だが魔物特有の魔力を感じる。
その格好はというと、頭には両手鍋みたいなつばがついた黒い色の帽子。そしてボタンのついた赤色のベストと膝くらいの長さしかない茶色いズボンを身に着けている。
右手に剣、左手には盾を装備していて――なるほどどうやら魔族の兵士らしいことがわかる。おおよそこの牢屋の番人か何かだろう。その割にはおどおどした雰囲気が隠せていないけれど。
奴は俺の質問には答える代わりに怪訝そうな眼差しを返してきた。何度かまばたきを繰り返しながらこちらを見上げてくる。まさに、何言ってんだこいつ状態である。俺にはそう見えた。
もしかすると言葉が通じていないのか? そう思って、もう一度同じことをを言おうようとしたところ――
「……ええと、それは何かの冗談でしょうか?」
よかった。言葉は通じるみたいだ。それなりに知能もあるようだし。しかし、今度は俺が返答に困る番だった。黙って魔物兵士(仮)を見つめる。
「あ、あの、照れるので止めてもらっていいですか?」
なんと彼は顔を赤らめてしまった! 人間とはいえ、女に見つめられると恥ずかしくなる類の生き物らしい。だからどうしたと言えばそこまでだが。とりあえず俺は視線を逸らしてやった。
「あのそれで姫様。魔王様がお待ちなんですけど……」
まだ気恥ずかしいのか、矢継ぎ早に彼は言葉を重ねた。その声は少し上ずり、そして少し早口だ。
そういえば、さっきもそんなことを言っていたな。あの時は、自分が女になった衝撃と突然声を掛けられた驚きの二つが重なって、その言葉の意味がすんなり頭に入ってきていなかったけど。
……って、これ何気に結構重大な発言じゃないか! 姫様というのはもちろん俺のことだろう。そして魔王というのは当たり前だが魔族の王様。それがここにいるということは、姫は魔王の城に捕らえられている! さっきの疑問は見事に解決してしまった。
そして、俺には魔王に攫われた姫に一人心当たりがあった。それは俺が住む地域一帯を治めている国王の娘である。仮にも勇者と呼ばれる存在の俺は、彼に娘を救うように頼まれたわけだが――
(つまり俺は助けに行くはずの姫様になって、しかも魔王のすぐ近くにいるのかよ……)
とんでもないことになってしまった……。
これではっきりした。これは女体化ではない。何らかの要因で、俺は姫様に成り代わってしまったのだ。とすると、俺の元の身体は――
あまりの事態に俺はただただ呆然とするしかない。何度も目をぱちくりさせて、落ち着かない気持になる。挙句の果てには天井まで見上げて――最後にはもう一度兵士のことを見据えなおした。
そんな姫のことを目の前の小さな兵士は心配そうに見つめていた。
*
そして時間は現在に戻る。あの後、依然として思考はぐちゃぐちゃのままだったが、番兵の言うことに従ってみることに。なにせ俺はあまりにも情報を持っていなさすぎた。
大人しく彼のうしろについて、暗い城内を進んで、階段をいくつか下り、ようやくここまでやってきた。そして、その結果が先のプロポーズである。ちなみにあの小さな兵士は今はこの場を離れていた。
現状をまとめると、勇者の俺は目が覚めたらとある国のお姫様と入れ替わっていた! 彼女は魔王に捕まっていて、あろうことか求婚までされているらしい。そして今日も元気に魔王は彼女にプロポーズをした。しかし彼は今日その中身が宿敵の勇者だとは知らず――といった感じだな。うわぁ、なかなかにカオス! 相変わらず思考はフリーズしたまま。
「どうした、我が姫よ? 今日は珍しく寡黙だが?」
俺がいつまでも何も話さないのを、魔王は不審に思っているみたいだ。。形の良い眉に力が入って、黒目がちな瞳でまじまじと見つめてくる。
現状、まだこいつは俺のことを姫だと思っているようだ。となれば、この入れ替わりの原因は魔王ではない。まあ彼には何の利点もないしな。
それが露見しないうちはおそらく身に危険はないはずだ。誘拐事件から数日経つのに、この身体がぴんぴんしているのがその証拠。魔王は姫にご執心らしい。つまり、万が一にでも姫の正体がバレるのは防がないと。だから何か言わないといけないわけだけど――
「そんなのお断りだ!」
「……………………うん、まあそうだろうな」
俺が言葉を発すると、目を見開いてどこか呆気に取られた様子だった。長い間ができた後に、奴ははっとした表情になって困惑気味に言葉を吐き出した。
うん、その気持ちはよくわかるぞ。今のは自分でもやらかしたと思う。焦っていて、ついいつもの気分で話してしまった。流石にこの身体の持ち主はそんなおてんばな喋り方はしないらしい。
「お断りですわよ!」
「なんだか今日の姫は疲れているようだな……」
繕う様にそれっぽい口調で繰り返したが、これも違うらしい。全く姫様は普段どんな口調で喋っているのだろうか。これはこの先相当苦労しそうだな……俺はぼんやりと不安を感じた。
「今までならばもっと苛烈に言葉を捲し立ててくると思ったが。疲れているのであれば、今日はもう下がってよいぞ?」
苛烈に捲し立てるって、仮にも相手は魔王だぞ? 俺でさえ、ひしひしと威圧感を感じているのに。なるほど、どうやら姫はとんでもない気概の持ち主らしい。……それ俺が助けに行く必要はあったんですかね? まあ気を取り直して――
「そう、私は疲れてるの! だからさっさと牢に戻らせてもらうわねっ!」
「ふむふむ、それでこそ我が愛する姫だ。昨日の食事の時など、さぞ愉快だったぞ」
はっはっは、と魔王は高笑いをして手を何度か叩く。その様子は心底楽しそうである。こんな物言いをされても、邪険に思わない辺りかなりの大物かもしれない。
しかし、適当に喋ってみたのにこれが一番正解に近かったとは。ただ慣れない口調なので、ちゃんと練習しないと。あとで一人になった時にやっておこう。
それはともかくとして、姫昨日一体何をやらかしたんだよ。とても気になったが、今はボロを出さないうちに牢屋に戻るべきだな。