はじめてのまほう
わたしたちはそのまま逃げに逃げ。それでもなお、ヌシは追ってくるわ、追ってくるわ。それは、多くの人が子供の頃に遊ぶ鬼ごっこというものにそっくりだ。……生憎、わたしはやったことがないけれど。広い城の中を活用したかくれんぼが精一杯ですとも!
しかし、森のヌシ様もなかなかに執念深いこと。そろそろ森を抜けようかというところなのに。本当に地の果てまで追い回されるかもしれないわね。嫌な想像が頭を過った。
けれども、今、走っている目的は別に凶悪な魔物を振り切ろうということではなかった。わたしたちはあくまでもそれを退治しに来たわけで。おめおめと尻尾を撒いて帰るわけにはいかない。
あ、これは全部隣を駆ける少女――勇者様の妹君の受け売りです。先ほど、彼女の企みを聞かされた時に、そう熱く説得されてしまった。
そこには、先ほどまでのしおらしさはどこにもなくて。まあ、元気いっぱいの方が彼女らしいからいいんだけど、なんて少し多めに見過ぎかしら。
「でも本当にうまくいくかしら?」
「大丈夫です。ほら、こうしてザラたち走り続けることができてるじゃないですか! これ、姫様の魔法のおかげですよ?」
「そ、そうかな?」
完全に他人様の力なんだけど、しかし、褒められて悪い気はしなかった。勇者様の努力のたまものだとしても、今使っているのはこのわたしなわけで。そう考えれば、ザラさんの言葉はある種正しい気はする。
速度上昇魔法……スピーディアと言うそうだが。それが今、わたしとザラさんにかかっている。いつもの調子で走っても、速度が二倍に。そんな素敵な状態を作り出したのは、ザラさんではなくて。わたしだった。
事の発端は、少し前に遡る。あの時ザラさんがした提案、それはわたしが闘うことだった。
「む、無理だよ!」
「でも今姫様の身体はお兄ちゃん……『サーモンの勇者』のものです! 世界最強なんですよ、お兄ちゃんは!」
最後の方は、なんだか別の感情が入り混じっているような……。しかし、その身内びいきを抜きにしても、理屈はわかりはする。わたしだって、この身体の素晴らしさ(変な意味じゃなくて)は昨日体験していた。剣を一振りするだけで、この辺の魔物はイチコロでした。でも――
「あんなに強そうな相手、身体能力に任せて闘っても勝てないと思うわよ。外見は勇者様でも、中身はただのか弱い姫、戦闘経験なんてからっきし」
「自分で言いますか、それ……。まあ確かに、身体能力が高いことと、その使い方はまた別の問題ですけど」
「ザラさんだって、わかってるじゃない! ね、ほら、違う方法、考えましょう?」
「でもですね、姫様。闘いは何も物理だけじゃないんですよ……?」
そう言って、ザラさんは妖しげに笑った。その笑顔はとても不気味だった。何かとんでもない企みを秘めているような……。今でも容易く思い出せるくらいはっきりと脳裏に刻まれている。
「魔法です!」
「魔法!? でもわたし、使えないけど――」
「今は、お兄ちゃんの身体じゃないですか。きっと大丈夫ですよ。しかも、お兄ちゃんはわたしなんかより、全然強い魔法使えるので、あんな奴、ホントに一撃です!」
彼女は自信ありげな顔で力説する。しかし、先の失敗を見ていると、どうにもそれが信用できなくて。それに、魔法を習得したのは勇者様で、身体だけあっても無駄なんじゃないかと思う。
そんな不安を口にすると、ザラさんはちょっと小難しい顔をした。どうやら、わたしの言うことにも一理あったらしい。しかし、そんな微妙な表情のまま――
「試してみましょう。とりあえず、スピーディアって言ってみてください。自分の足に手をかざしながら」
「速度上昇魔法……」
いまいち気持ちが乗らないものの、彼女の言う通りにしてみた。結果は、今現在の状態が物語っている。そう、わたしには魔法が使えたのだ!
「さて、そろそろいいと思いますよ?」
「は、はい」
ザラさんの呼びかけに応じて、わたしは足を止めた。そこは、森の少し開けた場所だった。後ろを振り返ると、ヌシとの距離は十分空いていた。しかし、それもすぐに詰められることになるだろう。時間はあまりない。
ザラさんはどこか気楽な顔をしていた。自分の立てた作戦に自信を感じているらしい。そこに数分前の完全に自信を消失した少女の姿はない。
対照的に、わたしはかなり緊張していた。……もし、失敗でもしたら、そう考えると手が震えて、足が竦む。迫りくるモンスターに確かな恐怖を感じている。それはちょうど、誘拐されたあの夜みたく。
「大丈夫、きっとできるよ!」
そんな怯えはすっかりザラさんに知られていて。彼女は安心させるように囁きながら、兄の手を握る。小さな手だったけれど、暖かく柔らかい感触に包まれて、不思議と気持ちが落ち着く。
「うふふ、なんだか変な気分です。表面的には、お兄ちゃんを勇気づけるなんて」
「ごめんね……。なんだか、お兄様のことを台無しにしているような気分です」
「初めはそういう風に思ったりもしましたけど。大丈夫です。今は気にしていないので」
わたしは自然と笑っていた。ザラさんも同じ。柔らかく微笑んでいて。初めて、気持ちが通じ合った気がした。
「さあ、来ますよ。繰り返してください――閃光殲滅魔法!」
「閃光殲滅魔法!」
必ずあいつを倒すんだ。そんな強い気持ちを込めて、力強くありったけに叫んだ。祈る様に胸の前で手を組み合わせながら。そして――
瞬間、目の前がいきなり明るくなった。目を開けていられないほどに眩しい。だが、その煌めきはすぐに収束する。
そしてモンスターの前に一つの大きな光の球が出来上がった。そこから線上に光が伸びていって、敵の身体を侵していく。やがて再び眩い光に辺りが包まれて――
ドカンっ! 大きな爆発音が森を揺るがした。
「やった――」
思わず、わたしは強く拳を握った。単純にうれしかった。
光が晴れると、ヌシの姿は跡形もなく消え去っていた。衝撃の余波で、周辺の木々は吹き飛んでいる。
「す、すごい……」
わたしは突然開けた視界に、ただただ途方に暮れていた。辺り一面に広がるでこぼこの大地を見て、その魔法の威力にただただ驚愕している。
「やりましたね、姫様!」
「ええ、そうね、ザラさん!」
彼女に声を掛けられて、ようやく現実感が湧いてくる。そのまま、ハイタッチを交わして、ヌシを倒した喜びに浸ろうとするけれど――
「金貨だわ!」
よく見ると、焦げ跡の中心には金色に光る小さな山ができていた。遠目でも、それがはっきりとなんだかわかる。わたしはうきうきしながら、そこに駆け寄った。
「姫様も現金じゃないですか……」
後ろからは、少女のそんな呆れきった呟きが聞こえてきた。
*
「おおっ、お二人ともご無事でしたか! 森の方が突如光り輝いたのを見て、ドタバタくんと心配しておったのですよ」
あの後、わたしたちはすぐにノースデンに戻った。移動魔法を使って、一瞬で。これもわたしが使ったものだ。
本音を言えば、もっといろいろな魔法を使ってみたいと思うんだけど。その気持ちをしまい込んで、ヌシ討伐の報告のために、町長の家に向かった。
楽しみは後でとっておこう。ザラさんにあれこれ聞くのが、楽しみで仕方がない。なので、さっさとご褒美をもらって帰りましょう。
「あれは僕が使った魔法ですよ。ヌシを倒すために使った、ね」
「ということは、ヌシは……?」
「もちろんばっちり倒しましたとも!」
わたしが答える代わりに、隣でザラさんが胸を張った。まあ、彼女が一番の立役者だから、誇らしげになる気持ちもわかる。
「す、すごい、流石は勇者様! やりましたね、町長!」
「そうだな、ルダン君!」
「だから、僕の名前はルダンだって――あれ?」
本当に二人は嬉しそうだった。それを見ていると、わたしも嬉しくなってくる。いいことをして、かなりいい気分だった。誰かの役に立ったなんて、初めての経験だけど、悪くなかった。
「あの、それで報酬なんですけど」
「おお、そうでしたな。こちら、少ないですが――」
ザラさんは今度は遠慮がちに声を出した。わたしも少し楽しみだった。さっき拾った金貨と併せれば、しばらくお金には困らなさそう。つい口元が綻んでしまう。
町長は机の下から、小さな皮袋を取り出した。それをポンと机の上に置く。わたしはすかさずそれに手を伸ばして、袋の口を開けるけど――
「……こ、これは?」
「我が町の誇る名産品――干しイモです!」
「は、はい?」
完全に拍子抜けだった。てっきり、報酬と聞いてお金がもらえるものだとばかり。いや、確かに町長さんはそんなこと一度たりとも言ってなかったけど。
「こ、これだけですか?」
「ザ、ザラ、なんてことを!」
その気持ちはわかるけど、さすがに言葉にするのはどうかと思うわよ、わたしは……。城で我儘尽くしだったわたしにも、それくらいの分別はあるわけで。
「やっぱり少なかったですかな。カダン君、追加分を発注しておいてくれたまえ」
「また変わってるし……まあ、わかりましたよ」
「そういうこと――」
「あ、ありがとうございます! でも、僕たちそろそろ宿に戻ろうか、と」
まだ不満を漏らそうとするザラさんの口を慌てて塞いだ。全くこの子は……遠慮という言葉は彼女の辞書にないのかもしれない。そして、これ以上干しイモをもらっても仕方がないから、さっさとお暇させて頂こうと思ったのだけれど――
「そうなのですか? これから、ヌシ討伐の宴を開こうと思っていたのですが――」
「ぜひ参加させてください!」
「ちょっと、お兄ちゃん!」
「まあまあいいじゃないか、ザラ」
「そうです、そうです。妹さんも遠慮なさらずに、ぜひ!」
宴――ああ、なんて良い響きでしょう。こちらの方を、ヌシ退治のご褒美だと思えば、悪くない。きっと、豪勢な料理と、そしてお酒が――
「……はぁ、わかりました。でもお兄ちゃん、飲み過ぎないでね!」
ザラさんはにっこりと優しそうに笑ったけれど、わたしにはそれがとても恐ろしく映った。




