バレちゃいました
わたしは一心不乱に駆けていた。足場が悪い中、いくらか躓き転びそうになっても。先の魔物と対峙した時の恐怖が、わたしを追い立てていた。
「こ、ここまでくれば、大丈夫かしら……」
どれくらい走っただろうか。よくわからないけれど、少し視界が開けたところでわたしは足を止めた。体力はまだまだ有り余っている。息はほんのわずかに乱れているだけ。
辺りを見ると、少し樹々の密度が薄くて、陽の光がよく行き渡っている。そよ風に草木が揺れて、穏やかな雰囲気さえ感じさせた。あの時の邪悪な感じはどこにもない。
しかし、森のヌシがあんなに強そうな魔物だなんて。確かに、見た目こそは熊ではあったけれど、あんなに巨大で禍々しい化け物、とてもその言葉の枠に収まりきらない生き物だ。
あんな怪物だなんて、全く考えもしなかった。勝てる気は微塵にもしません。初めから知っていたら、絶対に討伐の依頼なんて受けなかったですとも!
それもこれもザラさんが報酬に目が眩んだから……って、そうだ! あまりにも恐ろしすぎて、彼女を置いてきてしまった。大丈夫だろうか……恐る恐る後ろを振り返ってみる。すると――
「ちょっとお兄ちゃん!」
「ひ、ひいっ!」
そこにあるはずのない顔を見て、わたしはつい小さく悲鳴を上げてしまった。あまりの驚きで、腰が抜けそうにまでなる。
ザラさんがいた。その顔は不審の色で一杯である。眉間に深い皺を刻んで、強くこちらを睨んでいた。同時にひしひしと怒りすら伝わってくる。
「ど、どうしてここに?」
「速度上昇魔法を使ったの!」
「ああ。ザラは、そんな魔法まで使えるんだ、凄い――」
「そんなことは今どうでもいい! さっきのあれ、どういうこと!」
ザラさんは語気を強めながら、詰め寄ってきた。腰に手を当てて、明らかに憤っている。幼い風貌からは想像ができない程の迫力を放っていた。
わたしはもう完全に気圧されていた。自分よりも年下の女の子相手に怯えていた。
「な、何のことかな?」
「とぼけないで! なに逃げ出してるのよ!」
「い、いやぁそれはさぁ……」
「ううん。さっきのことだけじゃない。お兄ちゃん、今日ずっとおかしいよ? まるで別人みたい……」
怒りは少しずつ収まっていったが、代わりに彼女には疑念の念が宿り始めていた。顔を曇らせて、腕組みをしながらそっと呟く。
す、鋭いなぁ、この子……。それで合ってる、合ってるんです。今、目の前にいるお兄ちゃんは本当に別人なんですよ……。
しかしどうしたものかしら。今の呟きは冗談にしても、このまま彼女と行動していると、正体がバレるのも時間の問題ね。ただでさえ、朝から今までで疑う要素盛り沢山だったし。とりあえず、話を逸らそう。
「ちょっとお腹が痛くて……」
「はあ!? なに子供みたいなこと言ってんの! ……それで、大丈夫なの?」
「へ?」
「だから、腹痛よ! もういいの?」
どうやら、怒りながらもわたしのことを心配してくれているらしい。優しい子だ。こんな子を騙しているのは心が退ける。
「ああ、ちょっとは収まったかな」
「だったら、さっさと、あいつのとこ行くよ!」
優しいと思ったら、厳しかった。スパルタだ、この子、スパルタな一面も持っている。
「本気かよ、ザラ……結構手強そうだったぜ」
「何言ってんの。あれくらい、お兄ちゃんなら余裕でしょ!」
有無を言わせない迫力があった。童顔なのに、鬼気迫っていて怖い。もう可愛らしいなんて言ってられない。鬼ね、この子は鬼のように怖いわ……。
でもわたしも、はいそうですか、と容易く頷くわけにもいかなくて。死活問題ですもの。あんな化物と闘うなんて、無理! きっと勝てない。それにザラさんまで巻き込んでしまいかねない。わたしは彼女がよく知っているお兄ちゃん――勇者様じゃないから。
わたしは覚悟を決めた。このまま無理くり、また魔熊の前へ引きずり出されるよりかは、全ての真実をつまびらかにした方がまし。だから――
「あ、あのね、ザラさん!」
「な、なに、お兄ちゃん? いきなり畏まって、変な喋り方して」
「わたし、あなたのお兄ちゃんじゃあないの!」
「…………はい? どこかに頭でもぶつけた?」
「あなたのお兄ちゃん――勇者様と身体が入れ替わってしまったんです」
「ええと、全く意味が分からないんだけど」
ちょっと待って、というように手を突き出して。渋い顔で、ザラさんはこめかみの辺りを押さえた。その顔はかなり苦悶している。
それ以上、畳みかけるわけにもいかなくて。だって、彼女の気持ちはよくわかる。わたしももし、一番身近な身内――例えばお父様が、身体が入れ替わったの、なんて言ったらすぐには理解できない。きっと、頭がパンクする。信じられないと、拒絶さえするかもしれない。
しかし、ザラさんは違った。やがて、再びわたしの顔をじっと見つめてきた。その顔は、未だに少し歪んではいたけれど。
「それで、あなたは誰なんですか?」
「オリヴィア・ラディアングリス――この国の姫です」
「だぁーっ、もうわけわかんない!」
そこが彼女の脳のキャパシティの限界だったらしく。ついに、ザラさんは叫び出してしまった。頭を抱え込むと、そのまま地面にしゃがみ込んでしまった。
わたしとしては、彼女が落ち着くのを、ただひたすらに待つしかなかった。
*
「――というわけなんです」
わたしは長い時間をかけて、ようやく今までのことを説明し終えた。本当のわたしは魔王に攫われて、その城に幽閉されていること。それが、昨日目が覚めたら、こうして勇者様と身体が入れ替わっていたこと。初め、城に帰ろうとしたが、本来の勇者様のせいでこの身体だと出入り禁止になっていること。その後、ノースデンに戻ってからは、ザラさんも知っての通りだ。
わたしが話している間、彼女は神妙な面持ちで、ずっと黙っていた。腕を組んで、時折、何かを考え込む仕草もしながら。何とか必死に、わたしが語ることを受け止めようとしていた。
「……まだ、信じられないんですけども、本当のことなんですよね?」
「ええ、お気の毒ですけど……」
「うぅ、まさかお兄ちゃんの中身が女の人――それもラディアングリスのお姫様だなんて」
苦い顔をして、ザラさんは唸った。さっきから一度もしかめっ面が緩むことはない。形の良い眉の間には、皺がずっと刻まれたまま。
「お姫様はこれからどうするつもりだったんですか?」
「ええとですね、特に何も考えてなかったというか……」
「バカなの? ……はっ、申し訳ありません! ザ――あたしったら、失礼なことを! 姿はお兄ちゃんだから、つい……」
彼女はしょんぼりとした顔をしてしまった。目線を落として、少し下唇を噛み締めている。
わたしとしては、一向に気にするところはなかった。比較的年齢が近くて、同性なわけだから、フランクに接してもらっても構わない。端から見れば、兄と妹なわけだし。
「別に楽に話してもらって、いいですよ?」
「いえ、そういうわけにはいきません!」
付け加えると、彼女は猛然と首を左右に振った。堅苦しいのは、わたしも嫌なんだけど。まあおいおい解決すればいいか。
「やっぱりお城に戻ったらどうです?」
「それが、さっきも言いましたが、なんだかこの姿、相当兵士たちの恨みを買ってるみたいでね。城下町を歩いてるだけで、囲まれてしまったのよ」
「それは……すみません。兄が失礼なことを……ったく、何やってるのよ、あのバカ兄は!」
「きっと勇者様にも、事情があってのことだろうから、仕方ありませんよ。それに、妹さんには何の関係もないことですから」
「そう言ってもらえると、少しは気が楽ですけど……。でも、確かに困りましたね。これからどうしましょう?」
わたしたちは顔を見合わせて、途方に暮れてしまった。そのままお互い黙り込む。必死に頭を働かせるものの、特に何も思いつかなくて……。
「とりあえず、ヌシを倒しに行きませんか?」
「えっ! それ、本当に言ってるんですか?」
「はい。このままおめおめと、ノースデンには帰れませんよ。出禁の町が増えるだけです」
うぅ、確かに彼女の言うこともわかるけど。でもとてもじゃないけど、アレには勝てるとは思えない。幾らザラさんが立派な魔法使いだとしても……。
「でも正直怖いというか……」
「その姿でそんなことを言われると、なんか新鮮――じゃなかった、調子狂うなぁ。大丈夫です! お姫様は見てるだけでいいので!」
「本当に、あなただけで大丈夫ですか?」
「そこは見くびらないでほしいですね。あの程度の魔獣、ちょちょいのちょいですよ!」
そういうと、勢いよくザラさんは立ち上がった。その顔は晴れ晴れとして、自信に満ちている。そして、右手を兄に向かって指し出した。
その小さな身体は頼もしく見えた。未だに、不安に思うところはあるけれど。それしかないかと諦めて、わたしは彼女の手を取る。それはとても小さくて柔らかかった。
「さ、いっちょボス戦と参りましょうか!」
彼女に手を引かれて、わたしたちは来た道を引き返す。目指すは、あの魔熊と遭遇したポイントへ。……この期に及んで、まだわたしはあいつが姿を消していればいいと願っていたけれど。
しかし――
「がおぉぉぉぉっ!」
そんな願いも空しく、森のヌシは未だにその場所にいましたとさ。
さあ、はじめてのボス戦の始まりです――帰りたいよぉ……。




