三日目の朝
「おはようございます、姫様」
「ええ、おはようターク」
「よく眠れましたか?」
「ぐっすりと」
三日目の朝。もはや俺は目が覚めたら身体が元に戻っているなんて奇蹟、微塵も期待していなかった。あり得ない。いや、こうして身体は入れ替わっているから、あり得たことなのだけれど。
かといって、漠然と待っているのは無理だ。日夜貞操の危機を感じる。他人の身体なのに。魔王からの求婚とウンディーネからのボディタッチ。悩みの種が二つもある。ああ、嬉し!
原因がわかれば、まだ対処のしようもあるが、見当はつかない。考える足掛かりすらないわけで。俺の職業は学者ではないので、そういうことは専門外。
得意分野は闘い。……と思っていたけれど、そんな力は微塵もこの身体にはないのだ。でも人間、そう本質は変わらないので、俺は今日も脱獄に挑む。状況を打破する手段はこれしか知らない。ここから逃げて姫様――おっと、今は勇者様か――と合流するのが先決だ。
「はい、朝ごはんですよ」
「今日は魔王に会いに行かなくていいの?」
言いながら、ベッドから降りて、俺は牢屋の扉に近づいていった。確かに、タークは食器の乗ったトレイを持っている。いくつかからは湯気が上がっていた。
「ええ、なんだか用事があるとのことで、先に朝食を済ませて欲しいと」
「そういうこと。……ありがとう」
結局行かなきゃダメではあるんだな、がっかりしながら、トレイを受け取った。その時、俺の頭にとある疑問が浮かんだ。
「そういえば、見張り役変わらないのね?」
「……姫様は僕のことお嫌いなんですか?」
悲しい顔をされてしまった……。目が潤んで、少し眉毛が下がっている。さらに唇は少し尖って。
「違う、違う。あなたが嫌とかそういうわけじゃないのよ? ただ、昨日夕食の時は別の魔物が来たでしょう? てっきり、わたしの見張り役、首になったのかと」
「そういうことでしたか。でも、昨日机といす運んできたじゃないですか?」
「あの時は、キャサリンの方が気になっていたから――」
思い出しただけで、顔が熱くなってきた。昨夜もまたあの後辱めを受けて。たわわな感触を味わったり、いじられたり。奴め、今日も来るだろうか。明日もお楽しみに~チャオ~、と楽し気に去っていきやがった。と、それはよしとして……よくないけど!
「姫様にくびったけになっちゃいました、あのリザードマンさん」
「はい?」
「だから姫様にくびったけに――」
「聞き間違いじゃなかったのね。というか、あなたその言い方好きね?」
「ですか? 自覚はないんですけども」
なぜか照れたように、少し表情を崩すターク。なんだその反応……恥ずかしそうといった感じではない。
それはともかくとして。首ったけって、本当か? あのトカゲ兵、終始不愛想で一切顔を合わせなかったぞ? まさかあれ――
「照れて顔見れなかったんじゃないですか?」
「……まじで?」
「姫様、言葉遣いがおかしくなってます」
「あ、あら、それは失礼を」
そうは言いながらも、まだ動揺は収まらない。今度はリザードマンかよ。魔王、ターク、リザードマン、どんどん姫のファンが増えていく。ああ、鬱だ……。
そんなにも、この女は魅力的なのかねぇ……鏡の類は一切ないから、正直顔のことはわからない。……身体は別だけど。客観的に言って、とても魅力的だとは思いました。
「まあそういうわけですので、今度ともよろしくです」
「そうね、あらためてよろしく」
タークが頭を下げたので、俺もそれに合わせて腰を折った。トレイの上の朝食が零れないように、最大限の注意を払いながら。
それにしても、一応こいつ姫様逃亡の手引きをしたんだが……。にもかかわらず、またその見張りを任せるなんて。タークに甘いのか、姫を甘く見ているのか。
それはとても好都合なことではあるんだが。俺は兵士の顔を眺めながら、少し唇を緩めた。さてさて、今度はどんな手でここから出してもらおうか!
「……な、なんです姫様。変な顔をして?」
「変な顔とは失礼ね。今日もまたお城の探索、楽しみだなぁーって」
「きょ、今日もですか……その可否はおいておいて、早く食べないと、食事、冷めちゃいますよ?」
「……それもそうね」
腹が減っては何とやら。いつまでも立っているのも疲れてきて、俺は昨日貰ったばかりの机に、トレイを置いた。なんだろう、とてもしっくりする気がする。手を合わせて――
「いただきます」
ゆっくりと、俺はパンを手に取った。
*
「特別な囚人に会いに行こうと思います!」
「はい?」
俺の宣言に、タークは理解できないといった顔をした。まばたきを多く繰り返しては、口をへの字に曲げる。
時間は少し遡る。朝食を済ませて、魔王への朝の挨拶を向かう直前のこと。俺を檻から出そうと、タークが扉の鍵を開けようとしていた。今その動きはピタッと止まっているが。
「昨日言っていたでしょう? 最下層には、特別な人間が捕まっているって」
「……まあいいましたけど。でもだめですよ!」
「いいじゃない。今度こそバレないようにするから。ねっ、お願い!」
俺はウインクをして、パンと手を合わせた。そして、拝むようにして、見張りに頼み込む。
「……仕方ないですね」
渋い顔をしつつも、何とかタークは頷いてくれた。昨日の件もあって、抵抗は無駄だと悟ったのかもしれない。どこか、諦めたような雰囲気さえ感じられた。
「とにかく魔王様の所、行きましょう――」
そして、現在。魔王との謁見を終えて、あとは牢屋に戻るだけなのだが。
「さ、行くわよ。ターク!」
「ほ、本当に行くんですね……」
「同意したのはどこの誰だったかしら?」
「うっ、まあそうですけど」
彼としては、もしかすると俺が忘れることを願ったのかもしれない。その場だけ話を合わせて、うやむやにするとか。まったく甘く見られたものだ。
「こっちです」
観念したように肩を落として、タークは玉座の間を出た後の通路を左に折れた。本来は右に曲がるべきところである。その奥には下へ降りる階段があった。
「念を押しますけど、絶対に変な行動をとらないでくださいよ! 見張りに見つかったらまた面倒なことになりますからね!」
「はいはーい、わかってまーす!」
「真面目に聞いてくださいよ……」
タークは少し泣きそうな顔をしていた。だったら断固として拒否すればいいのに……いや、頼んでいる俺が言うのもあれだが。彼は魔物のくせに妙に優しすぎる。流石に申し訳なく思ってはいるが、しかしそれはそれ。俺が脱出するためには、必要な犠牲ということで勘弁願いたい。
だが、ふと思う。ここから逃げるのはいい。でもその後は? 身体を取り戻したら、何をするのか。……もちろんここに捕まっている人は助けに来る。それは絶対で。しかし、闘いになったら――もし、タークが敵として立ち塞がったら、その時俺はこいつを倒せるのだろうか?
「――様? 姫様? どうかしましたか、ボーっとして? もしかして、この先に進むの怖くなりました?」
「……まさか、そんなわけないじゃない。ちょっと考え事をしていただけ。さ、さっさと行くわよ」
一度は目を輝かせたタークだったが、すぐに心底残念そうな表情になった。少し俯いて、力なく床と睨めっこをしている。
俺はそんな彼の背中を押して、先を歩く様に促した。今は、先のことを考えるのはよそう。一つ一つ目の前の問題を解決していくだけだ。できることを力の限りやる。それは明らかに逃げの思考だったけれど、沸き上がる鬱屈とした思いをぐっと呑み込んだ。




