はじめてのおかいもの
「あー、これは完全に男の子になってるわね……」
私は鏡を見ながら大きくため息をついた。すでに気づいていたことといえど、改めて現実として直視すると辛いものがあるわね。眉を顰めると、鏡の中の青年の顔も険しくなった。それ以上見ていられなくて、私は鏡台の前を離れた。
しかし、どうにも身体が重たいわ。まだ完全にこの身体に馴染み切っていないかった。それにしても、男性の身体とは本当に興味深い。
まず何よりも身体がなんだか重く感じる。これは特にこの身体が死亡が一切ない鍛え上げられた体躯だからということもあるのだろうか。ぱっと見た感じは細身なのにしっかりと筋肉がついている。無駄な脂肪は一切ない。どこまでも武骨な体つきだった。肌もザラついているし、手も節くれだっている。
かつてのやや丸みを帯びた豊満ボディは見事に姿を消していた。時に邪魔になる胸についた大きな二つの脂肪の塊がないのはいいが、熱心に手入れした肌や神の感触が懐かしい。まあでもそれが今の自分の身体なのだから、受け容れるしかないのだ追うけど。
そういえば失ったものもあれば、新しく増えた身体のパーツもあった。股に確かな違和感を覚えている。それが一番慣れていない部分でもあった。先ほどお花摘みに行った時に不可抗力で目にすることになったけれど、とても不思議な気分だった。しかし幼い頃の記憶にあるお父様のモノよりは小さな――って、わたしったら何を考えているのかしら!
なんだか思い出すと、恥ずかしくなってしまった。顔中熱を帯びているのがわかる。わたしは気を取り直す様に改めてぐるりと部屋を見渡した。
男の子になる前にいた場所と比べると雲泥の差だ。日差しが差し込んで明るいし、何といってもじめじめしていない。それに壁紙もしっかり貼られているから、ごつごつした石の壁とは違って雰囲気が柔らかくなっている。
そして一番はやっぱり大きな窓があることね。私は大股で近づいていくと、それを大きく開け放った。室内に外の爽やかで新鮮な風が流れ込んでくる。気持ちいい~! こんな気分は本当に久しぶりです! そしてそのまま、桟に手をかけて外に身を乗り出してみた。いつもならば、教育係にはしたないと窘められるだろうけど、今は全く関係ないわね。
右へ左へ視線を動かしてみる。どうやらここは宿屋みたい。INNと書かれた看板が見えたわ。私は世間知らずのお姫様かもしれないけれど、それが何を意味することくらい知ってますとも。城内での生活は退屈過ぎて、いつも本ばかり読んでいましたから。
「しかしこれからどうしましょうか?」
ぱたんと窓を閉じて、ベッドの縁にすとんと腰を下ろす。情報が多すぎて、なかなか頭が追い付かないわね。ほんのりと脱力感というか疲れさえ覚えていた。それでもぼんやりと頭を働かせる。
一体自分の身に何が起きたのだろうか? とりあえず現在地は魔王の城ではなく、どこかの町の宿屋。目が覚めたら、ここにいた。しかも身体は男の子になっている。
すぐに思いついたのはわたしが別の世界に迷い込んだ、という可能性。つまりこの身体は元々の女の身体が変化したもの。そんな物語みたいなことはあるのかしら……?
あるいは、同じ世界のそこらの男の子の身体に乗り移ったか。その場合、わたしの姫の肉体はどこにあるのだろう? そして、この身体の持ち主の魂――精神はどこに? まさかの入れ替わりとか……だったら嫌だなぁ。それって、誰かがわたしの身体を自由にしてるってことじゃない!
「いつまでもこうして考えているわけには行かないわね」
ここが宿屋ということならば、永遠に居続けることはできないわけで。ちゃんと仕組みも知ってますから。と誰にでもなく威張ったところで、わたしはゆっくりと立ち上がった。
そして部屋の片隅に置いてあった袋を取りに行く。もちろん剣と盾も身に着けてっと……うっ、なかなか重いわね。でも思ったほどじゃあない。
このように部屋の中には、わたしあるいはこの身体の持ち主のものと思われるアイテムが置いてあった。単純に考えると、入れ替わり説が濃厚であるけれど……って、また思考の袋小路に入るところだった。
最後にもう一度身だしなみを整えて……うん、立派な旅人に見えるわね。鏡の中の男の子は
よく謁見にやってきた旅人の姿と比べても遜色はない。むしろくたびれた感じがしない分、いつもよりも好印象だった。
とにかくこの町で情報を集めましょう。しかしなんだかワクワクするわね。一人で街に出るなんて、姫の身体の時は全く考えられなかったことだから。
*
「ちょっと高すぎじゃない!」
「いやでも旅の人。『ペガサスの羽根』はそれなりに稀少だからねぇ」
道具屋の主人は渋い表情で口髭を弄り回している。厄介な客に絡まれたとか思っているのかもしれない。
宿屋を無事に脱出後(人生初のチェックアウト!)こうして町に出てきたのだけれど。わたしは現在ぼったくりに遭遇中です。
街の人に話を聞いたところ、どうやらこの世界はわたしが姫だった世界と同じらしい。いくつか地名を挙げたところ好感触が返ってきた。なによりここはわたしの城の領内にある町だということがわかった。北にある『ノースデン』だ。つまり必然的に私の城もこの世界にある! もちろん、わたしの世界とそっくりそのままの別世界ということもあるかもだけど。まあ気にしても仕方ないわね。
それでわたしはあるアイテムを求めて道具屋に寄ったわけ。その名も『ペガサスの羽根』――一度行ったことのある場所ならどこにでも行くことができる魔法のアイテム。これを使って、故郷に帰ろうという算段だった。
しかし、その価格は何と金貨一枚と銀貨二枚! 銅貨一枚でパン一つ分の値段。そして金貨一枚=銀貨十枚=銅貨百枚だから……と、とにかくこのアイテムが稀少と言えど、高すぎじゃないかしら。段々と怒りが湧いてきたわ!
「あなた、わたしが世間知らずの姫だからって足元みてますね!」
「はあ?」
間の抜けた声が店主の口から洩れた。そして怪訝そうな表情で、こっちを見ている。眉間に皺を寄せて、口は少し空いていた。
何かおかしなことでも言ったかしら? 最初、わたしは自分の言葉を顧みた。何のことはない、真に顧みるべきは今の自分の姿だ。どこからどうみても姫――女の子ではないんだった……。つい、いつもの感覚で話してしまった。少し気持ち悪い裏声が出たのも、納得だ。
わたしと彼の間に微妙な雰囲気が流れる。時間が止まった様な感覚……しかし往来を歩く人の存在が、しっかりと時が動いていることを示していた。
たぶん、相手はわたしのことを頭のおかしな人だと思っているに違いない。どう見ても男のなりをした人物が変な声色で、自分は姫だ、なんて言ったらわたしだってそう思う。これが城内での出来事だったら、即刻兵士を呼んで牢屋にぶち込む案件だもの。
「わかりました。その値段で買います」
「まいどありっ!」
今度はしっかりと低い声を出すことを意識した。そして満面の笑みで、揉み手をする商人。なんだか騙された気分だ。
こうして、適正かどうかわからない値段で『ペガサスの羽根』を手に入れることになった。あ、代金は袋の中に入っていたお財布から拝借しましたことよ。
今回は姫視点でお送りします。
こんな風に視点は交互に移り変わります。