だ・つ・ご・く・し・た・い
お姫様生活二日目。字面だけでいくと、さぞ豪勢な暮らしを送っていると思われるかもしれないが……残念ながら檻の中。そんなものとは縁遠いく。そもそも、俺は男だ。ひょんなことから、自らが住む国の姫様と身体が入れ替わってしまった。
長い睡眠を終えた後も、やはり身体は元に戻っておらず。しかし、目が覚めているというのに、悪夢のような現実の中にいた。肉体は貧弱、魔法は使えない。そして、この陰惨な牢の中で一日を過ごさないといけない。とんだ罰ゲームである。
「……では、そろそろ食器をおさげしましょうか」
口の中に入れた野菜のシャキシャキ感を味わいながら、意味のないモノローグに耽っていると、しばらくぶりにタークが口を開いた。彼は俺が朝食を食べている間、ずっと黙ってこちらを見ているだけだった。だから気まずくって仕方がなかったわけで。
とりあえず最後にグラスの中の水を飲み干して。ふぅ、と小さく息を吐いて一つ気分を落ち着ける。こんな状況でも……だからこそ、こういう和む時間を大切にしたいものですな。
「ごちそうさまでした」
手を合わせて、軽く上半身を折った。床に置いていたトレイを持って立ち上がり、それを鉄格子の扉までゆっくりと運んでいく。
「ありがとうございます」
「気を付けてね」
心にもないことを言いながら、俺はトレイをタークに突き出した。そして一瞬の隙をついて、前もって端に寄せていたナイフを、すっと袖の中に隠す。後は素知らぬ顔して、しっかりとそれを彼に手渡した。
奴に俺のことを怪しんだところはなかった。お盆の上からナイフが一本消えていることも知らずに、彼はさっさと闇の中に姿を消した。
こつこつと足音が遠ざかっていくのをじっと耳をそばだてて聞いていた。それが一切しなくなったことを念入りに確認してから、とりあえずベッドの所に戻る。そっと、縁の所に腰を下ろした。……椅子が欲しいなぁ。
改めて、袖口からナイフを取り出して、手の中で遊ばせてみた。しかし、見れば見る程にあまり切れ味はよくなさそう。まあ逆にビュンビュン切れるテーブルナイフも、それはそれでどうなのと思うけど。
これを手にした理由はただ一つ。もちろん脱獄するためである。早くここから逃げ出したくて仕方がなかった。昨夜から今朝にかけて、怒涛の最悪なイベントラッシュが、その気持ちに拍車をかけていた。
まずは夜。キャサリンとの湯浴みは地獄……いや、ある意味天国というべきか。水辺だから妙にテンションが高かったのは、ウンディーネたる所以か。奴は身体を洗うという名目で、色々なトコロを触ってきた。
姫様が敏感なのか、あちこち弄られる度にくすぐったくって仕方がなかった。次第に頭が白くなって、恍惚としてくるし、で――
思い出すだけで、身体が熱くなってきた。もじもじと少し身じろぎをする。忘れよう、忘れないといけない、忘れたい。自分に強く言い聞かせて。
今朝の話? また魔王にプロポーズされましたよって。なんなんだ、あいつはいったい。まさか二日続けてだなんて。どれだけ姫のことを愛しているのか。実に情熱的。
しかし、悲しいかな。今はそれが相手に届くことは絶対値ない。だって中身は俺だから。奴はとんだピエロである。
と、宿敵を馬鹿にしながら。攫われてから、毎日この拷問を受け続けただろう姫様のことを尊敬した。すごい忍耐力だ。俺はもう爆発しそうです。
そうした事情から、やはり早くここから逃げ出したいわけで。とりあえず、二、三度ナイフで素振りをしてみた。あまり手に馴染まないがまあ何とかなるだろう。
すっと、立ち上がり鉄格子のすぐ真ん前へ。右手にナイフをしっかり握り、腰を落とした。そして、左腕は身体の前に、右腕は後方に伸ばして軽く身体を捩じる。深く呼吸すること三度――最後に大きく気合を貯めて。
「鋼鉄斬り!」
カキンと金属同士が激しくぶつかり合う音がして。いや、パキンかも。見事にナイフが先端から折れた。くるくると回転しながら、それは壁にぶつかる。カランという音がして、床に落ちた。
綺麗に刃の部分を失った元ナイフを、幾度となくまばたきを繰り返しながら見つめる。ゴミと化したそれを、最終的に放り投げた。
案の定、うまくいかなかったか。でもよく見ると、鉄格子の方も少し抉れている。なるほど、技は発動したらしい。技術は魂に染み付いているということか。よくわからんけども。
だが、その威力たるは悲惨である。腕力のなさのせいか、道具の劣悪さのせいか。多分両方の相乗効果な気はするけれど。
ともかく、俺の浅はかな企みは失敗に終わった。さて、次はどうしようか。げんなりしながら、粗末なベッドに姫の身体を投げ捨てた。
*
「ね、お・ね・が・い、タ~くん!」
「い、いや、そんな風に頼んでもダメですよ!」
必死な表情で、タークは首を振ってみせた。檻の向こうにいる彼は、また一歩少し後ろに下がった気がする。まったく、なかなかに心が狭い奴だな。
なんだよ。人がせっかく羞恥心を押し殺して、可愛く頼んでいるというのに。しゃがみこんで、上目遣いまでして。おまけに、もろに媚びた猫なで声までつけた。さらに口元に指を当て、少し顔を傾ける。魔王も惚れる美貌を悪用する気満々だった。
自分でも、本当に気持ち悪いと思う。仮にも、伝説の勇者の子孫だというのに何をやっていることやら……哀しくなってきた。お許しください、勇者サーモンよ!
だが、もはや手段を選んでいられない。魔法はダメ、剣技もダメ。肉体の強さは言わずもがな。ぶよぶよとは言わないけど、筋肉はない。容易く折れそうなくらいに四肢はスラッと細く、胸と尻には余分な脂肪がたっぷりと。
そんな状況で、一体どうやって自分の力で逃げられようか? いやいや、どだい無理な話である。そこで俺が行きついたのは、単純明快な答え。そう、正攻法で逃げよう! 堂々と牢屋から出ればいいのさ。
これでも十分考えあぐねた。手ぶらで戻ってきたターくんにむかって、開口一番ここから出してと乞うてみた。彼は初め呆気に取られていたけれど、すぐに拒絶。そんなことわかっていたから、今こうして姫としての魅力を最大限に動員してお願いを続けている。
「そこを何とか! お願いよ!」
「いくら姫様の頼みでもできません! あなたを逃がしたら、魔王様からどんな大目玉を食らうことか……」
「あなたはただ鍵を開けてくれるだけでいいの。あとは知らんぷり。ねっ?」
「そんなことできるわけないじゃないですか! 馬鹿なこと言うのも大概にしてくださいよ」
「こんなに頼んでもダメかしら?」
今度は色仕掛けでもしてみるか。ドレスの胸元を少し下に引っ張ってみた。くわえて、少し身体を前に傾けまでして。大きな二つの山、その谷間を見せつけるようにする。
「そ、そんな、ちょっと姫様!」
タークは目を真ん丸と見開いた。そして、真っ赤になってそっぽを向く。なかなかに初心な奴である。実に揶揄いがい――もとい、付け入る隙があるというものだ。
「あーあ、わたしがこんなに頼んでるのに……」
俺は次のステップ――泣き落としにかかった。心底残念そうな声色を作って、伏し目がちに顔を背ける。さらに少し目を潤ませて、小さく鼻をすすってみた。
「タークにはわかんないのよ。一日中こんなところに押し込められてたら、おかしくなっちゃう」
「……ですが、姫様。そんな我儘を言われてもですね――」
「タークの鬼! 薄情者! 大っ嫌い!」
精一杯喚いてみた。あと一押しな気がする。それに、俺の方もそろそろ限界だ。今こうして、か弱い女のふりをしているそのストレスで押しつぶされそう。
「……わかりました、わかりましたよ。ちょっとだけですよ。ただし僕の側を離れない様に」
「ありがと、ターク! 大好きよ!」
おえっ。お礼を言いながら、愛の言葉なんて口にするんじゃなかった。我ながら、気色悪くって仕方がない。目の前に鉄格子があって、初めてよかったと思う。おそらく抱き着くはめになっていただろうから。
それにしても、よくここまで漕ぎ着けられたものだ。自分の演技力に拍手。それと家族に関する昔の思い出にも。あいつからこんな風におねだりされていた時は、鬱陶しくてしょうがなかったのに。それに助けられるとは、全く何が役に立つかわからないな。
しかし、ようやく何とかなったはいいが。果たして、この城を彷徨うことで得るものがあればいいけど。とりあえず、一歩前進ということで。静かに胸を撫で下ろした。




