新たなる門出
いつもよりも目覚めは穏やかだった気がする。やはり自分が使い慣れたベッドは素晴らしい。このいつもとは違う身体でもしっかり来るものがあった。
久しぶりに口にする母親の料理は格別に美味しく感じられた。あるいは、今までの道中ろくなものを食べていなかったからかもしれない……ただの照れ隠しだな。
家探しをして、何とか旅の道具を揃えた。さすがにもう古臭いものしか残っていない。倉庫までひっくり返す羽目になった。
親父が旅に出て、俺が城に呼ばれて、ザラがそれを追いかけて、そして俺が再び旅に出る。改めて、整理してみると、なるほど、当事者ながら意味がわからない。そりゃ、必需品はもりもり減ってくわな。いくら先祖代々世界中巡ってきたと言えど。
「じゃあザラのこと頼むわね」
「ああ、大丈夫だって。すぐ見つかるさ」
無限に広がる青空、吹き抜ける風が気持ちいい。太陽は新たなる旅立ちを祝うように、燦燦と照り付けている。小鳥たちの囀りはとても朗らかで、一面に広がる短い草原はグリーンの絨毯みたいに……よく見慣れているはずなのに、ちょっと違って感じる。
家の真ん前で、俺たちは母と向かい合っていた。本当なら、玄関でオサラバしようと思ったが、流石に四人で並ぶには狭すぎた。
母は家で留守番だ、薬は効いたものの、まだ本調子ではないらしい。俺たちを見送ったら、またひと眠りするとか――もちろん、件の究極の自衛魔法を使って。
ザラのことは心配だったけれど、あいつもそんなに子どもではない。見た目はぜんぜん幼い少女にしか見えないが……。危ない目に遭ったら何とかできるだけの魔法は知っているはず。
かといって、大事な妹だから二の次にはできず。さらに今後のことを考えれば、俺も捕まえて置いて損はない。そういうことで、ひとまず二人の捜索をしてから、改めて魔法都市マギアルクスに向かうことになった。
「でもしばらく経つからねぇ……」
「あれじゃない? おにいちゃんについてってるんだよ、きっと」
「いや、そのおにいちゃんとやらは俺なんだが……」
「アーくんは、お姫ちゃんでしょ?」
「……ややこしくて頭痛くなってきました、僕」
「ターク君、奇遇だな。俺もだよ」
「ええと、キャサリンちゃんは中身が王女様のアルスについていったって言いたいのよね?」
母はこめかみのあたりに手を当てながら言った。ぐっと眉間に皺を寄せて、困り切った表情をしている。そんな弱った顔の母は初めて見たかもしれない。
考えを見事にいい当てられたキャサリンは嬉しそうに頷いた。昨日は、女同士ずいぶんと打ち解けたらしい。
「いやいや、ないと思うけどな。だって中身は別人だぞ? 着いていく理由がないじゃないか」
「ほら、それに気づいてないとか!」
「それ、失礼だけど、とんでもなくおバカだよ……」
「いえ、それほど姫様がお芝居がお上手だということでは!」
なぜか目を輝かせるターク。そうか、こいつだけは本当の姫様のことを知っているんだった。彼女の肩を持つ気分にも、少し納得がいく。
まあしかし――
「ううん、私が言うのもなんだけど、すぐに気付くと思うわよ。あの子、頭はいいから」
「……攻撃魔法はからきしだけどな」
「誰にでも向き不向きはあるから仕方ないわ、それは」
「ちょっと待て。俺、父さんにも母さんにもそんなこと言われたことないんだが……」
「貴方はだって、息子だもの。仕方ないわ。勇者たるもの、万物に通ずるべきです!」
母さんは腰に手を当てて、俺を厳しい目で見降ろしてきた。そうされると、子どもの時のことが脳裏に過る。泣き言を口にしたら、そんな風に窘められた。
「厳しいね、アーくんママ」
「ああ、他人事ながら恐ろしい」
「でもああいうのってなんだか憧れますけどね」
「……こほん。とにかくザラのことは俺が何とかするから。母さんは安心してくれ」
仲間たちに茶化されて、俺はかなり恥ずかしい気分になっていた。頬から伝わってくる熱から、顔が赤くなっているのがわかる。
「そうね。お姫様も含めて、なるべく早く見つかることを祈ってるわ」
「その点では、お二人が一緒にいる方が都合いいですね」
「でしょ~。あながちアタシの言うことも的外れじゃないんだってば」
「キャサリンちゃんのは願望を述べてるだけだろ?」
「じゃ、俺たちそろそろ行くから」
うだうだしてると、また余計な話に発展しそうだった。口答えしかけたキャサリンの口を手で塞いで、母に別れを告げる。
あの日とは違う。これは長い別れではない。それがわかっているからか、俺は笑顔を崩さないでいれた。
「ええ、頑張ってね。それじゃ、みなさん。どうしようもない息子ですけど、よろしくお願いしますね」
母は深く腰を折った。そのまま、まるで時間が止まったみたいにピクリともしない。
俺たちはそのまま踵を返した。一つ一つ、新たなる旅への道のりを踏みしめていく。ちらりと後ろを見ると、まだ母は礼をしたままだった。
「それで、アーくん。どこへ行くの?」
「ノースデンっていう街に行こうと思う。今からだと、夕方前には着くと思う」
「ふーん。ねぇ、それって大きな街?」
「……そこそこな」
その前に、王都の近くを通過することは黙っておこう。それを知ったら、こいつなんて言い出すことやら。
ここを発つのは二度目。しかし明確に違うことが二つあった。一つはこの身体。そして、もう一つ――これが俺にとって最も重要なことだが――仲間がいることだ。それをあの日の自分は欠片も思っていなかったのに。
ほんと、不思議な日々が続く。ちょっとだけ、顔が綻んだ。新しい目標を得た今、気分一新に俺は旅を続けるのだった。
*
予定通りに俺たちはノースデンに到着した。町全体が、夕闇に染まりつつある。かつて目にした大きな通りには、変わらず多くの人が行き交っている。
「うーん、これならスニーチカの方がよかったな~」
「本当かい、キャサリンちゃん! そう言ってもらえると、俺としてはかなり嬉しいぜ」
「お前らなぁ、滅多なことを言うんじゃない。周りの人が聞いてたらどうすんだ」
「アリス様こそ、口調、ちゃんとしてくださいね」
「……ごめんあそばせ、おほほほほ」
この時間帯なのに、街は賑わったままだ。喧騒は大きくて、上手く俺たちの姿を隠してくれている。
しかし、用心しないという選択肢はないわけで。億劫さを感じながら、姫様の皮を被ることに。久しぶりに自分らしく振舞った反動のせいか、どうにもやりにくさを感じて仕方がない。
目的地はもちろん宿屋。時間的に、宿泊したいこともあったが、主たる目的は情報収集だ。今から十日前――カレンダーから日付の類推は容易かった――俺はここで夜を明かした。
道を覚えていたこともあったが、大通りに面していたから目的地にたどり着くのは容易かった。立派な警官に『INN』の看板をしっかりと確認する。
「いらっしゃいませ。ご宿泊でしょうか?」
「そうなんだ――のですけど、その前に一つ訊いてもいいかしら?」
「はい、私が答えられる限りなら」
帳場に立っていたのは、恰幅の良いおっさんだった。彼は人懐っこそうな笑顔を浮かべている。見るからに人がよさそうだ……というのを、一度目も思った気がする。
俺は彼に一枚の写真を突きつけた。そこにはとある若者の姿が映っている――初回の旅立ち前に母が撮ったものだ。それを借りてきた。
「この人に見覚えは?」
「ええと、どれどれ……」
おっさんは俺の手から写真を受け取ると、しげしげとそれを眺め始める。瞳を大きくしたり小さくしたりして、難儀そうに凝視していた。
やがて、おっさんの顔に再び笑みが戻る。
「ああ! この人のことなら、忘れやしませんよ。この街の恩人ですから」
「恩人?」
「ええ、近くの森の強力な魔物を退治してくれたのです。小さな女の子も一緒でしたよ」
「それいつのことだ?」
「八日くらい前のことですかね……。詳しいことは町長さんに聞けばわかると思いますぞ」
どうなってるんだ、全く……。姫様の奴め、人の身体で好き勝手しやがって。思うところは色々あるが。
それよりも一緒にいた小さな女の子とやらはきっと妹に違いない。……結局、キャサリンの推理が当たっていたということか。
何はともあれ、町長に話を聞いてみるしかないか。いますぐにでも訪ねたい気分だが、さすがに俺にも時間を弁える理性はあった。
「おじさん、部屋を四つ取っていただけるかしら?」
「かしこまりました。ちょっと待ってくださいね」
彼がごそごそと机の下で作業するのを見て、俺は後ろを振り返った。
「明日の朝、町長さんのとこに行ってみましょう」
「意外と早くかたがつきそうで良かったですね」
「ほらやっぱりアタシの言った通りじゃない!」
「いやぁ大したもんだ、キャサリンちゃん。頼りになるなぁ」
「はい。どうぞ、こちらが鍵になります。料金は……こちらですね」
宿泊料を支払って、俺たちは鍵を受け取った。そして、店主に深くお辞儀をして、階段を昇っていく。
母から少し資金援助を受けておいて、よかったと思う。俺たちの元々の持ち合わせでは全く足りなかった。
なにはともあれ、早速手掛かりが手に入ったのは幸先がいい。――そんな気分の良さは、その後のキャサリン襲撃事件によって跡形もなく木っ端みじんにされてしまうのだった。




