勇者と母
母はベッドの真ん中で横たわっている。シーツの上に布団も被らず仰向けの姿勢。清らかな白い絹のローブ姿がよく映えている。
瞼は固く閉じられたまま。手は胸の前で組まれている。まるで神に祈りを捧げるがごとく。頭からつま先まで、びしっと真直ぐになっていて、はりつけにされてるみたいに動かない。
「し、死んでる……!?」
少しの間愕然としていると、マラートが駆け寄ってきた。俺の隣に立って、彼もまたその異様な光景に目を落とす。その横顔はかなりの驚きに満ちちていた。目をかっと見開いて、その額にはいくらか汗が滲んでいる。
「まっさかー、寝てるだけだってば――呼吸もないよ~!? 身体も冷たいし!」
今度はキャサリンが金切り声で叫んだ。横たわる女性の口元に手をやって、その後は首筋を触ってと、生体反応を確かめながら。彼女の白い顔がより一層白くなった気がする。
「あ、あ、あ、アルス様! どうして、そんな平然としておられるのですか!? この人でなし!」
ついには俺は人間失格の烙印を押されてしまった。それも魔族によって。何たる皮肉だろう。タークは慌てた顔を小刻みに震わせながら、強くこちらを見上げてくる。
全く酷い言われようだ。俺だって、初めこそはしっかりと動揺したさ。ずっと乱れ切ったままだった胸の鼓動は限界を突破。呼びかけようと思った矢先にマラートに邪魔された。
その後、口々に仲間たちが騒ぐもんだから逆に冷静になってきた。母の異常な姿を観察して、一つの可能性に至ったわけである。
「これは魔法をかけた状態だ」
「いや、魔法がかかってるって……俺には死んでるようにしか見えないけど。どんな魔法なんだい?」
「究極の自衛魔法さ」
俺のその言葉に、みんなきょとんとした表情を浮かべるだけだった。聞いたことない、みたいな反応だ。
秘法中の秘法。古代に編み出されて以来、使用者が片手で数えられるほどしかいない凄まじい魔法だと、母親は教えてくれた。
使用者の時間を対価に、外界のありとあらゆる反応から身を護る。今母の肉体は、世界から断絶された状態にあると言っても過言ではない。
「時間を止めてる、みたいなものですか?」
「まあそういう風に捉えることもできるな」
「ひぃっ、時間に干渉する魔法だなんて、聞いたことないよ~。なんか怖くなってきた」
「でもそれ、どうやって解除するんだい? だって使ってる本人の時間は止まっているんだろう?」
「なかなかいいところに気付くじゃないか、マラート。……いつもそんな真剣な感じだと、非常にありがたいんだけどな」
「何言ってるんだい、アルス。俺はいつも至極真面目だよ」
彼は爽やかに笑って、キラっとした白い歯を見せつけてくる。まったくもって、胡散臭いというか、軽いというか。これのどこが、マジメだよ。
こほん。少し話が脱線した。仕切り直すように、咳ばらいを一つ。気を引き締めて、もう一度真面目な顔を作り直す。
「外から解除するしかない」
俺は仲間たちの顔から視線を外すと、母の額に手を当てた。驚く程の冷たさが伝わってくる。少しばかり、不安になってきた。……実は俺の考えは的外れで、母はすでに亡くなっているとか。生きている人間がなりえない程の低体温だ。
気を取り直して、意識を集中させていく。この究極の自衛魔法を解く方法はただ一つ。とある、言葉を口にすればいいだけ。
「――時よ、再び動き出せ」
……しかし何も起こらなかった!
「あのー、アーくん?」
「あ、あれ? おかしいな」
「もしかして、その身体だと魔力がないからダメなんじゃ……」
あ、そうか。その可能性は大ありだ。なるほど、解呪するにも魔法がいるのか。一つ賢くなってしまった……じゃなくて、なんたるマヌケさだろう。途端に恥ずかしくなってきた。
「えーと、マラート。頼んでもいいか?」
「ああ、任せてくれ。おでこに手を当てて、さっきの言葉を言えばいいんだよね」
俺は黙って頷いた。そして彼と立ち位置を交代する。
準備ができたらしい。マラートが右手を、母の額に置いた。俺はそれを、祈るような気持ちで後ろから見守る。……もし、ダメだったら。いや、きっと大丈夫なはず。またしても心拍数が上がってきた。
「――時よ、再び動き出せ」
マラートが告げると、二人を包み込むようにして、淡い白い光の球体が発生した。それが俺の推論の正しさを物語っている。
すぐに、光は晴れた。二人の姿が再び見える。マラートは少し茫然としているのか、中々その場から動かない。しかし――
「……動ける、ということは、あの二人のどちらかが帰ってきたということね」
懐かしい声がした。十五年間ずっと身近に聞いてきた声。状況も相まって、思わず涙が零れそうになる。
ゆっくりと、母はその身体を起こした。そして瞼を開く。その顔が俺たちの方を向いた。そして――
「と思ったけれど、あなたたち何者かしら?」
毒気のない表情で、彼女はさらっとそんな言葉を吐くのだった。
*
とりあえず場所を移して、再び居間に戻ってきた。母を前にして、四人一列に座る。
「それで、どういうことか説明してもらえますか? もちろん、私が心ゆくまで納得できるまで」
母は淡々と語った。無表情で、ぶっきらぼうに言葉を紡いでいく。そこまで警戒している風でもない。きっと、いくらか思い当たることがあるのかもしれない。
「母さん。信じられないかもしれないけど、俺はアルスだ」
「……意味が分からない」
彼女の眉がピクリと動いた。少しだけ、その顔に困惑の色が表れる。
「入れ替わったんだよ。あの日旅立ったその次の日に!」
「入れ替わりって……まあ納得できないこともないか」
「信じてくれるのか」
「一応はね。この場所を知ってるのは、夫か子どもたちしかいないもの。それにあの魔法の解き方を知っているのは、あの人とアルスだけ。頭ごなしに嘘だと否定する根拠は薄い」
ふぅ。とりあえず、一安心だ。しかし、さすが母さん。この事実を前にして、全く狼狽えないなんて。改めて、母を尊敬した。どこぞのスケベ親父とは大違いだ。
母は一つため息をついた。そして髪をかき上げる。すると、じろじろと俺の顔を見てきた。
「その顔……見覚えがあると思ったら、王女様ね。さすがにすぐにはわからなかったわ」
「知ってるのか、姫様のこと」
「知ってるも何も、当たり前じゃない。むしろあなたが知らない方が、問題だと思いますけど。まあいいわ。それにしても、数奇な運命もあるものねぇ……」
母は俺の顔を見つめたまま、しみじみと呟いた。
数奇、か。勇者と王女の入れ替わりだもんな。そういう言葉もどこかしっくりとくる。またしても、母に感心させられていた。
「あの、一つ訊いてもいいですか?」
「どうぞ。小さな魔族さん」
その一言に、俺だけでなく、他のみんなも驚いた表情をしていた。タークなんかは、たちまちに自分がしっかりフードを被っていることを確認し始める。
母はそれがなんでもないことのように、ニコニコとしていた。むしろ、こちらを面白がっている様な気さえする。
「へ? ど、どうして、こいつが魔族だって」
「アルス君。私は別にただの母親じゃないでしょ。希代の大魔法使いよ。これくらい大したことないわ」
「……じ、自分で言うんだ」
少しキャサリンがひいていた。こいつの性格も相当アレだが、それを慄かせるとは……。
息子としては、そういうことを言われると恥ずかしくって仕方がない。これが他人ならば、ただ単にその慧眼を感服するけども。
「えと、どうしてお母様はあんな魔法を?」
「実はちょっと具合悪くてね。今、家には私以外いないから。誰か帰ってくるまで、ずっと寝てようと思って」
俺は三つの感想を抱いた。一つ目は、母の具合の悪さに関して。それで思い出して、俺は懐から薬の入った小袋を取り出す。
そして、もう一つは、どうして母しかいないのか。妹は、ザラのやつはどこ行った? 果たしていつからいないのか。俺があいつを最後に見たのは、出発の前の日だ。というのも、家を断つ頃にはあいつはどこかに行ってしまっていたからだ。
最後の一つは、呆れ。そんなことで、あんな大魔法を使うなよと思う。そのぶっ飛んだ発送、さすが希代の魔法使いだわ。
とりあえず、俺は薬を指し出した。積もる話は、これからゆっくりすればいい。
「アルス、なあにこれ?」
「親父から。これで母さんの病気も治るって」
「あの人から!?」
母さんは一際嬉しそうな顔をした。そして、その目の端に涙が少し浮かんでいる。
「これはどうやら長い話になりそうね」
彼女は袋から薬瓶を取り出す。中には、緑色の粉が入っている。それを一気に飲み干すと、どこか苦い顔をするのだった。




