帰宅
ようやく森を抜けて、穏やかな平原に出ることができた。これで、山全体としては中腹部辺り。周囲には木々がなく、見晴らしのいい光景が広がっている。
心なしか、ここまでの道のりいつもより時間がかかった気がする。果たして、その原因はこの身体のせいか。あるいは、仲間とお喋りに興じていたからか。……まあ、両方だろうな。
「おっ、こんなところに民家があるね」
「あそこが俺の家だ」
マラートは視界の先を指さした。短い草地の真中に、木造の二階建ての家屋が一見ぽつんと建っている。久々に見る我が家だが、別段変わったところはないようだった。
しかし、ここまで長く家を離れたのは初めてだ――無人島ぶち込まれ事件のことはもう忘れました。だからか、いつもと同じその全景が今は懐かしく感じる。さすがに胸の奥底からこみ上げてくるものがあった。
旅立ちの朝。しばらく帰ってくることはないと覚悟を決めていた。そのせいか、あの時にはもう少しうら寂しさを感じたものだが。今は、胸いっぱいに広がるのは安堵感。
「えー、アーくん、こんな辺鄙なところに住んでるのー!?」
「ずいぶんとまあ失礼な奴だな」
「そういうキャサリンさんのいた泉だって、だいぶ人里ばなれた場所にありましたよね……」
「しーっ! それはナイショだから~」
ウンディーネは顔を赤らめると、仲間の口を塞ぎにかかった。しかしそれはひょいと躱される。
ったく、自分を棚上げして、そんな物言いをするなんて失礼な奴だな。まあしかし、ここが辺鄙というのは認めよう。かといって、今までの人生、特に不都合を覚えたことはないけれど。
しかし、今の話を聞いて、こいつらのいた世界に興味が湧いた。所謂、魔界というやつ。流石にご先祖様の記録を漁っても、その場所の探索録は見たことはない。まさに人類にとっては未踏の地――ついこの間まで、霊峰グランダルトもそうだった。
そのまま俺たちは、家めがけて歩いていく。今にも日が暮れそうな時間帯、今日はここで夜を明かすことになるだろう。……こいつらの分の寝床はあるだろうか、余計なことを思い浮かべる。
「親父さんは魔王のとこにいるから、今、家にいるのはお母さんと妹さんだけなんだよね?」
「ああそうだ。あっ! あと、駄狐がいるはず」
「ダギツネ……? なんだい、それ?」
マラートはぐっと眉間に深い皺を刻み込んだ。そして少しその首を傾けた。
「使い魔の狐のことさ。いつから家にいるか、正確には知らないけど、ただのペットみたいなもんと化してる」
「それは、心配ですね。ここまでなんとか魔獣に遭わずに来ましたけど。こんな山奥だと、うじゃうじゃいてもおかしくないでしょう」
「でも遭遇せずに済んだのは、やっぱし、アタシの日頃の行いがいいからよね! うんうん」
その言葉に反応する者は誰もいなかった。代わりと言わんばかりに、白けた視線をそれぞれ彼女に送る。
しかし、当の本人はそれに気が付いていないのか。自分の言葉に酔ったように、頷きを繰り返すばかり。したり顔で腕組みまでして。果たしてどこまで本気なのやら。
「二人の前で言うのもあれだけどさ、実はこの辺の魔物は粗方狩りつくしちゃったんだ」
「……それ、どういう意味ですか?」
「そのまんまの意味さ。力試しとして、毎日のように野山を駆け巡ってたら、いつからかばったりと姿を消しちまった」
「さらっと言ってるけど、それとんでもないことだよね。さすが『サーモンの勇者』恐ろしい……」
俺はその言葉にただ苦く笑うことしかできなかった。そういう風に言われると、なんだか気恥ずかしいというか、むず痒い。
そして実際は、魔物が憎くて暴れまわったというのが事の真相だ。父の行方不明の遠因となったとして、半ば八つ当たりのように。自分が弱かったのが許せないこともあった。
その行いを悔いているわけではないけれど、今からしてみれば愚かだときっぱり言い切れる。我ながら、随分と無駄なことをしたものだ。
「なぁ~んだ。アタシの善行が認められたんじゃなかったのね」
「お前それ、本気で言ってたんだな……」
彼女からもたらされたその言葉は、俺を現実に立ち戻すには十分すぎた。なんとも言えない思いがして、ただただ渋い表情をするしかなかった。
*
こんこんこん。入り口の扉を何度か叩いてみる。しかし、ここは自分の家。その行動の不思議さに、俺はちぐはぐさを覚えずにはいられない。
叩き終えると、やってきたのは静寂。――しかし、待てども待てども、扉が開く気配はない。それどころか、中から物音一つ聞こえてこない。
俺が記憶している限り、家に来客があったことはない。だからもしかしたら警戒しているのかもしれないな。
最初から、ずかずか入っていけばよかった。俺の家でもあるんだから、何の問題もない。無駄に気を遣ったのが失敗だった。
ノブに手をかける。……最近、これにいい思い出がない。魔王城でも、砦でも、いつも必ずスムーズに回ることはなかったからだ。
しかし、今回はそんなことはなくて。扉は簡単に開いた。――中からひんやりとした空気が流れてくる。
「ただいま」
……返事はない。あっ、そうか! いきなり謎の女の声で、そんなこと言われても困惑するだけか。
中から人が出てこないのも当然に思えて、俺はずかずかと室内に上がり込んだ。こっちから顔見せて、事情を懇切丁寧説明するしかない。
「お邪魔します」
俺が手招きをすると、仲間たちも後に続いた。そのまま短い廊下を進んでいく。とりあえず、リビングのドアを開けてみた。
「……いない?」
「出かけてるのかね?」
「でも、こんな山奥でどこに?」
「他の部屋にいるのかもしれませんね」
そこはもぬけの殻だった。近くの台所もついでに覗いてみるが、やはり人の姿はない。調理器具が地味な存在感を発揮しているだけ。
気になってざっとあちこち調べてみた。家具は少し埃を被っている。しばらく掃除されていないみたいだった。生活感がまるでない。誰もここに住んでいないみたいな感覚――胸騒ぎがする。
出かけているにしては、あまりにも奇妙すぎる。かといって、家の中には人間の気配を感じない。冷静に考えれば、誰かが勝手に入ってきてるんだ。ここまできて反応しないのはおかしい。
心臓の鼓動は段々と早くなっていく。悪い想像が次々に思い浮かんでは、脳内に滞留を始めていく。失踪、誘拐、神隠し、あるいは魔物の襲撃か。室内に荒らされた感じはないけども。
ここだけじゃ判断がつかないな。タークの言った通り、他の部屋にいるのかもしれない。淡い期待を胸に、一階にある部屋を次々に巡っていく。数は多くはない。書庫、学習部屋、風呂場、トイレ、ぱっぱっとリズミカルに首を突っ込んでいく。
「どこにもいませんね」
「ねぇ、あのぉ、アタシ怖くなってきちゃったんですけども……」
「ああ。確かに、これは……アルス、君はどう思う?」
マラートは深刻な表情をしていた。きっと、奴の頭の中でも似たような想像が巡っているのだろう。それを明言しないのは、不安を煽りたくないという彼なりの配慮か。
俺はその問いかけに黙って首を振った。結論を出すのは、全てを見てからでもいい。廊下の突き当りにある階段を顎でしゃくった。二階は寝室と私室がある。
階段にも埃が積もっていた。一段一段昇る毎に、ぎしぎしと軋む音が上がる。それがこのひっそりとした室内に響いて、より不気味さを感じさせてくる。
上がり終えて、一番近い部屋の扉を開けた。俺とザラの寝室だ。頼む、ここにいてくれ――そんな願いを込めて。
「ここにもいないのか」
それはいとも容易く裏切られた。棚やベッドなどがただ静かに佇んでいるだけ。一応、妹の布団に触れてみたが、温もりは全くない。
部屋を出る時に仲間たちと目があったが、もう誰も言葉を発することはなかった。沈黙の眼差しが、俺を労わっているのがよくわかる。
次は両親の部屋だ。ここまで来ると、俺は何の希望も抱いていなかった。頭の中を占めるのは、この家の中に誰かいるのか、ということではなく。誰もいない、その理由。脈拍が激しくなりすぎて、気持ち悪くなってきた。
がちゃ。機械的に、俺は扉を開いた。ぐるりと視線を巡らすと、飛び込んできたのは、ベッドの謎の膨らみ。初め、やや面食らったもののすぐさまそれに近づいていった。
「か、母さん……!?」
そこにあったのは、安らかな表情で目を閉じている母の姿だった――




