時の煉獄
「入れ80286番」
今日も一人、看守に連れられて罪人がやってきた。
「ここで悔い改めよ」
そう言いながら看守が牢を施錠し去っていった。
80286番と呼ばれた罪人が牢の中を見ると、自分の他にもう一人受刑者が居た。
「やあ我輩は2番。前の奴が居なくなって10年……いや11年か? まあいいや、ずっと退屈してたんだ。お前さんは何年くらいココに居る予定かな?」
目の前のヤツが問いかけて来たものの、言い出しづらい。
それを察したのか、2番が苦笑しながら口を開いた。
「我輩は懲役255年、あと残り155年かな」
「っ!?」
あっけらかんと言うが、懲役255年とはいくらなんでも無茶苦茶過ぎる。
そもそもこの「時の煉獄」が運用開始されたのが100年前なのだから、その時代からずっと居ると言うのか。
「何をやったのかは全く覚えてないのだけどね、どうやらかなり大それた事をやらかしたらしい」
「大それたどころか、私が説明を受けた限りでは時の煉獄は最長255年のはず。つまり君はこの世界における最も重い罪を犯したという事になる」
―― 時の煉獄。
世界的に死刑反対の声が高まる中、我が国が加害者及び被害者またはその遺族に配慮して生み出されたシステムで、その概要は次の通り。
一つ。
死刑に相当する罪を犯した者は時の煉獄に収容される。
一つ。
受刑者は記憶を消された後、時の煉獄システムの説明および自らの刑期を知り、それから収容される。
一つ。
時の煉獄に収容された者は老いが止まり、出所まで加齢されない。
一つ。
刑期を終えた者は記憶を失ったまま出所し、新たな人生を歩む。
「つまり自分達が出所する頃には、その罪を知る者は誰も生きちゃいないし、自分達もどんな罪を犯したのか知らないまま再スタート。確かに合理的かつ倫理的にもよく出来た仕組みだね」
2番はあっけらかんと言うけど、80286番は釈然としない。
「つまり、君は何の罪を犯したのか知らないまま100年の時を生きてきた……?」
「何を他人事みたいに。お前さんだってココに来たという事は人の寿命よりも長い懲役刑に等しい罪を犯したって事だろう? 何年だい?」
改めて訪ねられて渋々答えた。
「……155年」
「なんだ、それなら一緒に出られるじゃないか! 前のヤツはすぐ居なくなってしまったし、ほとんど独りぼっちで100年を過ごすのは正直辛かったけど、これからの155年は退屈しないで済みそうだ!」
「だが人が集まれば必ず争い事が起こるし、きっと同じ部屋だからこその気まずさだってあると思う」
80286番の現実的な意見に、2番はかんらかんらと豪快に笑った。
「喧嘩したら仲直りすれば良いのさ」
「はぁ」
思わず溜め息のような返事を返してしまったが、それを見て2番は優しく微笑んだ。
◇◇
時の煉獄には刑務作業というものは無く、受刑者はずっと檻の中で暮らしている。
外部の情報を与えられる事も無く、ひたすら薄暗い部屋の中で刑期が終わるのを待つだけ。
「これは死よりも辛い苦行なのでは……」
「ほう、どうしてそう思うんだい?」
「人は生産活動の無く、なおかつ感情の起伏の無い生活は辛いものだろう。君はどうして耐えられる?」
その問いかけに2番はしばらく目を瞑って考えてから口を開いた。
「煉獄に来たヤツには選択肢が2つある」
「はぁ」
前と同じような相槌を打つと、今度は2番は真剣な表情で答えた。
「生きるか死ぬか、ただその2つだけ。我輩は生きる道を選んだだけさ」
「……」
「そして前回の同居人は後者を選んだ」
「っ!?」
その意味に気づき、80286番は座っていた場所を飛び退いた。
「あっ、ちなみにココで命を絶ったわけじゃないから安心しておくれ」
そう言われても落ち着かない。
「看守が来た際、時の煉獄での暮らしに耐えられないと宣言すれば、この場で説明を受けて檻から出る事になるね」
「説明……?」
「一度ここを出たら二度と戻れない事と、出た後に自らの意志で命を絶つ事さ」
「……」
「我輩は、ここでの生活の辛さが自ら命を絶つ恐怖を上回った事なんて一度も無い。皆、とんでもなく勇気があるのだなぁと関心するよ」
2番の言葉に80286番はワナワナと震える。
「……絞首台から罪人を落とすのと、檻から出した罪人に自害を求めるのも、大差無いじゃないか!」
「死刑は他人が一方的に命を奪うから駄目なんだって。ここの場合は生きる方法を提示した上で、死を望む者に特例として死ぬ権利を与えているから人道的ということらしいよ」
あまりの暴論に頭がクラクラしてきた。
「我輩としては君とずっと居られる事を願うよ」
「ああ、自分もそう願う」
◇◇
「これが食事……?」
80286番の手のひらには角砂糖よりも更に一回り小さな白いキューブがひとつ。
先ほど、檻の端にあったトレイの上に突然コロンと2個出てきたものだ。
「時の煉獄では1日これ1個食べれば生きられるらしい。実際、我輩は100年生きたわけだしね」
「何と……」
「これがそこの配給口から自動で出てくる都度に1日をカウントしていけば、自分がどれだけここに居るのかが分かる。まあ1年経過するごとに教えてもらえるから別にカウントしなくても良いのだけども」
「なるほど。だが、よく経過日数を覚えていられるな。自分なら途中で忘れてしまいそうだ」
関心する80286番に対し、2番は少し照れる。
「不思議な事に1年くらいは大体の出来事を覚えてられるんだよ。記憶を消される前の我輩は、もしかすると超天才だったのかも……!」
「なんだそりゃ? 自画自賛が過ぎるだろう」
呆れる80286番を見て2番は楽しそうに笑った。
・
・
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「今日で2番は101年、80286番は1年だ。特に問題行動も無いようだな。これからも自らの罪を償うが良い」
そう言い残して看守は去って行った。
「あと154年よろしくね」
「さすがに顔を見飽きてきたが、改めて宜しく」
互いに向き合ってペコリとお辞儀をする。
「……それにしても、さっきの看守おかしいね」
「何がだ? 私が連れてこられた時と何ら変わってなかったと思うが」
80286番の言う通り、先ほどの看守は自分をこの牢に連れてきた人だった。
「変わらなすぎだよ。同じ服装……は当然だとしても、服の襟元にケチャップをこぼした跡まで同じだなんて」
「なっ!!?」
2番の言葉に思わず絶句する。
「それは本当か?」
「うん、それに右奥歯に仮治療中の詰め物が見えたけど、治療をそんなに長いこと放っておくのは良くないねー。そんなに歯医者さんが怖いのかな?」
80286番が腕を組んだまま深く考え込む。
しばらくして目を開け、2番に訊ねた。
「今まで100年間、君は病気した事があるか? もしくは同室の人は?」
「病気? そういえば我輩は一度も無いね。過去にひとりだけ急病で倒れて運ばれて行ったけど、残念ながら帰ってこなかったよ……」
2番が悲しそうに答えると、続けて80286番は次の質問を出した。
「では、今までこの牢屋で改修工事が行われた事はあるか?」
「わざわざ重罪人の牢屋をピカピカにするわけないだろう。100年ずーっとこのままさ」
2番が呆れた様子で答えると80286番は確信した。
「少なくとも私たちが与えられている食事にはあらゆる万病を防ぐような効果は無いと思う。でなければ過去の同居人は倒れなかったはずだ。だが、君が100年間なにも疾患が無いのは逆におかしい」
「我輩は健康には自信があるのだけども」
「いくら時の煉獄で加齢が止まると言っても、病気というものは年齢に関係なく生きていればかかるものだ」
それから80286番はコホンと軽く咳払いをした。
「そして……100年間未改修はありえない。牢屋を綺麗にするとかそういう問題ではなく、耐用年数を考えてもおかしい。仮に凄まじい耐久性を誇る新素材が100年前からあったとしても、経年劣化が少なすぎる。ここはまるで出来たばかりの建物みたいだ」
80286番の言葉に2番は首を傾げたまま困り顔になる。
「……お前さんは何に気づいたんだい?」
「まだ確証は無いが、ものすごく時間がゆっくり流れているのではないかと考えている」
「時間がゆっくりって、ココが異次元空間とか別世界って話かい? そんな夢の技術を牢獄に? ウチの国は随分と変な事をするもんだね」
2番は茶化して返したが、それに対して80286は首を横に振った。
「多分、時の煉獄は普通に時間が流れている」
「……?」
「時間の流れがおかしいのは私達の方だ」
◇◇
それから、配給された白いキューブを毎日2つずつ貯めていった。
既に1ヶ月以上何も口にしていないのだが、体調に変化は無い。
「1年後に看守が着替えること無く現れたという事は、少なくとも時の煉獄における1年は現実での1日未満だと考えられる。仮に1年が1日だとすれば、1ヶ月何も口にしなくてもせいぜい2時間弱だ」
「つまり我輩の100年の孤独は、外の世界ではたった3ヶ月の出来事か……何だか諸行無常だねぇ」
だが、ここで一つの疑問が出てくる。
「もしも時の煉獄での懲役255年が現実における255日だとすれば、軽い犯罪を犯した受刑者よりも早く出てくる事になる。そんな事を被害者やその遺族は許せるのだろうか?」
「既に懲役100年以下の連中は出所してるからね。それが明るみに出ていればとっくにここは閉鎖されているんじゃないかな」
「ということは……」
「我輩達が出所するのは縁もゆかりも無い場所で、それは第三者に知らされないという事だろうね。文字通り第二の人生になりそうだよ」
◇◇
備蓄したキューブが200個を越えた頃から少し感覚に変化が現れ始めた。
ふたりが少し仮眠をとってからふとトレイを見ると、キューブが60個以上転がっていた。
「これは……」
「我輩達は1ヶ月も昼寝していたようだね」
「まるで三年寝太郎だ……だが無茶は禁物だな」
「?」
「このキューブに混ぜられている何かによって体感時間を長くしているのだとすれば、元の速度に戻ったまま下手に寝ると、トレイに大量にキューブを積んだところに看守がやってくる事になる。むしろ、看守が私達に早さを合わせる為に自ら同じキューブを接種した状態で現れたら、どんな状況になるのやら……」
「理屈の上ではものすごい勢いで看守が現れて、テープの早回しみたいな勢いで喋るのかな? それはそれで凄く見てみたいけども」
好奇心で目をキラキラ輝かせる2番に釣られ、キュルキュルと高速に動く看守を想像した80286番はハァと溜め息を吐いた。
「さあ、これからどう生きて行くか考えてみよう?」