第二輪
「ごめん、空木さんとは付き合えない」
「そう、ですか…………」
空木葉子。彼女の真っ直ぐで純粋な気持ちに、感謝と申し訳なさを覚えながら断る。
嘘は、吐けない。それは懸が自分自身に課した戒めだ。だからこそ、彼女の覚悟に応えて理由を告げる。
「今付き合ってる子がいるから。その子の事を裏切るわけにはいかない」
「……そうだったんですね。そんなことさえ知らずに告白して、こちらこそごめんなさい」
これは別に珍しいことではない。中学の頃から何度も繰り返し見てきた景色で、最早慣れてしまった。
整った顔立ちと、目立つこと無く出来るだけ周りに優しくしてきた生来の性格。同じ条件なら誰だって好意を向けられる事があるだろう。
だからこそ、その気持ちには真摯に向き合うべきで……懸の場合はそれが早い者勝ちだと言うことだ。
「ただ、勇気を出して告白してくれたことは素直に嬉しかったから。俺が何かを言えた義理じゃないのは分かってるけれど……ありがとう」
「いえ、こちらこそ、ありがとうございました」
何度も、経験した。
けれどもずっと分からない。こういうとき、どうしてあげれば目の前の子をこれ以上傷つけなくて済むのだろうか。
余計な事は言わずに立ち去る? 最後まで見送る?
ずっと、分からない。
だからいつも、こうしている。
「……何か他にある? 訊きたいこととか、話したいこととか。無ければそれでいいけれど」
きっとこの瞬間は今しかないから。未練だとか心残りだとか。そう言うものを語るわけではないけれど。今目の前の彼女がしたいと思うことには、出来る限り応えたいとは思うのだ。
残酷だと言われても仕方ない。だって俺には、どうすればいいか分からないから。
「…………それじゃあ、えっと……」
「うん」
何かを探すように。はたまた見つけたそれを迷うように。
拳を握って。少しだけ視線を逸らして。……それから再びこちらを見据えた彼女は、意を決したように桜色の唇を開く。
「わたしと、友達でいてくれますか?」
「空木さんさえよければ」
「……うん。ありがとっ」
そうして、彼女は微笑む。
望む答えをあげられただろうか。これでよかったのだろうか。微かに浮かべた涙の意味は、なんだろうか。
俺には、分からないままだ。
部活を終え家に帰ると、妹の紫が先に帰っていた。リビングを覗けば、ソファーに仰向けに寝転がった制服姿の紫がテレビをぼぅっと見つめながら大福を口に咥えていた。
「制服汚れるぞ」
「ふぉふぃいふぁん、ふぉふぁえふぃー」
「ただいま」
お兄ちゃん、お帰りー。なぜか分かった行儀の悪い言葉に挨拶を返しつつ制服の上着を脱いで冷蔵庫へ。コップにお茶を注いでソファーに腰を下せば、紫がじっとこちらを見つめてきた。
「……どうした?」
「また告白されたの?」
「…………そろそろ教えてくれ。どうして分かるんだ?」
「ないしょー」
そこまで顔に出るタイプではないと思うのだが、一体何を基準にそうも毎回的確に当ててくるのだろうか。少し怖い。
前に聞いた限りでは、心や依織の情報横流しではないそうだ。と言うかそういう類の話では無いらしい。
となると彼女個人が懸を見て判断していると言う事なのだろうが……どうにも検討がつかないのが怖い話だ。
「で、付き合うことにしたの?」
「いや、断ったよ」
「あれ、まだ続いてたんだ。ってことはぁ、えっとぉ…………後三日で最長記録更新かな」
「人の恋愛遍歴を娯楽にするな」
「だってこの時間のテレビ面白くないし」
だったら点けるなよ。電気代がもったいない。
「あ、そうそう。今夜お父さん遅くなるって」
「知ってる」
「…………あー、また個別に送信したんだ。一斉送信覚えればいいのに。て言うかまだメールだし……」
別に、用件が伝わればそれでいいだろうに。他人に自分と同じ物を求めるのはどうかと思う。
などと益体も無く考えつつ、中身の無い話をしながらしばらく時間を過ごして。やがて母親が帰ってくると一気に家の中が動き始める。
紫が加わって二人で料理を作り始めれば、懸は二階の自分の部屋に篭ってインターネットを開き、時間潰しに検索エンジンから電子の世界へと旅立つ。
何か面白い動画でも……と考えたところで震えたスマホ。見れば依織からで、今朝話していた作品についての話が飛んできていた。
と、脳裏を過ぎった依織の顔に、それから連想ゲームの如く巡ったのは演劇のこと。直ぐに鞄を漁って見つけたのは話し合いに使ったプリント。その裏に書き留めていた題名……『踊ってすりきれた靴』と言う童話についてを調べる。
どうやら某有名百科事典には個別のページが無いらしく、代わりにあらすじの掲載されたサイトを見つけて目を通す。
話はあの時に聞いたのと同じもので、幾つか別のサイトを渡って見た限りだと出てくるキャラクターなどに多少差異はあるものの、大まかな流れは殆ど一緒だった。これなら展開を決めるのに特別揉めたりすることも無いだろう。依織に押し付けずに俺がやればよかったかもしれない。
出来ることなら目立たないところで役を貰いたいなどと希望を抱きつつ諦めを抱いて。気分転換に学校の宿題に手をつける。
一応明日から週末……土日の連休で、今週は土曜の授業もないため青春を謳歌するだけの自由が許されている。と言うときに、さて。宿題を最終日にするのか、初日に終わらせるのか。それとも計画的に少しずつ消化するのか。……はたまた提出に間に合うように冒険をするのかは人それぞれだが。懸はと言うと基本的に気が向いた時……一瞬でもしようと思ったその時に手をつけることにしているのだ。
勉強に限らず、どんな物事にもモチベーションは大切だ。運動をするにしてもゲームをするにしても。やりたくない物を嫌々したところで嬉しくもないし、身にもならない。
それに人間、最初が億劫なだけで集中できる環境でやり始めれば意外とそれなりに出来てしまう生き物だ。だからやりたい時にする。それが一番ストレスを溜めない方法だ。
そんな宿題。連休だからと溺れるほどに出されたそれに少しずつ出来るところから片付けていく。
今回はそれなりに長く続いたらしく、気付けば部屋の窓から見える外の景色は既に夜の帳を下していて。机の上の時計に目をやればそろそろ夕食時。となるとそのうち……と思考を巡らせたところで階段をのぼってくる聞き慣れた足音に教科書を閉じて伸びを一つ。一緒に暮らしていれば足音で誰か分かってしまう。日常と言うものは恐ろしい。
「お兄ちゃん、ごはん」
「ん、分かった」
ノックと共に扉の向こうから告げられた言葉に声を返して、一階へ。食卓に並べられていたのはグラタンとパンにサラダと言う洋風なメニューだった。
椅子に座って食前の挨拶をすれば、テレビから流れてくるバラエティの音をBGMに口に運ぶ。と、途中でスマホを部屋に置いてきてしまったとどうでもいい事を考えながらしっかりと残さず食べきって。
まだ少し残っていた勉強意欲を最後まで出し切ろうと再び部屋に篭れば、机の上においていたスマホに通知の光。着信でも入ったかと手を取れば、どうやら通知はSNSのものだったらしい。
内容は簡素に、別れようと言うもの。送ってきたのは付き合っていた女生徒からだった。……残念。最長記録更新ならずかな。
一応確認に本気かどうか尋ねれば、直ぐの返信で相手の覚悟を知る。彼女がそう言うなら仕方ない。告白したのは向こうからだったし、その想いが尽きてしまったと言うだけのことだ。
薄情だと言われるだろうか。けれどこれも、最早慣れてしまったのだ。原因は、分かってはいるのだけれども…………。
「ん……」
温度の感じない電子上のやり取りに分かったと返せば、重なるように震えた通知は依織から。タイミングがいいのやら悪いのやら。
彼からの用件は明日暇なら少し付き合えと言う遊びの誘い。……予定が入る事もないだろうしいいだろう。
了解の旨を返して、スマホをベッドに放る。跳ねて液晶を下にして止まったそれを一瞥して、次いで先ほどまであった勉強意欲がなくなっていることに気がつけば小さく息を吐いた。
…………リセットだ。
切り替えた思考は着替えを持って階下の風呂へ。階段を下りている途中で夕食を食べ終えたらしい紫と擦れ違う。
「入る?」
「あぁ」
「あがったら教えて」
「分かった」
出来るだけいつも通りに。まぁどうせそのうちバレてまた話の種として風化してしまうのだろうけれども。
思いつつ脱衣所で服を脱ぎ、洗濯籠に放り投げて中へ。体を洗い湯船に浸かると、そのまま脱力して顔の下半分まで溺れる。
…………あぁ、空木さん。なんて言うか、巡り合わせが悪いなぁ……。
不意に過ぎった彼女の顔にそんなことを考えつつ溜まった何かを吐き出すように息を吐く。重く大きな泡の音が少しだけ浴室の中に響いて、やがて明かりの音が聞こえるほどに再び静まり返る。
とりあえず、明日は気をつけておこう。変なことを口走って依織にも、空木さんにも迷惑を掛けないようにしなくては。
そう気持ちを纏めれば、保温の為に沸き始めた湯から逃げるように風呂から上がって着替える。脱衣所から出れば、ちょうど父親が帰ってきたらしく、玄関の方から音がしていた。挨拶だけして、それから自室へ。途中紫に風呂が空いたことを告げれば、自分のベッドに身を委ねる。
……今日はちょっと疲れた。このまま眠ってしまおうか。
考えは、けれど通知に遮られる。手探りでスマホを探して画面を見れば、心からのメール。どうやら依織から連絡が回ったらしく、明日は彼女も同行するらしい。面倒が増えた気がする。
…………うん、やっぱり考えるのはやめだ。寝よう。
「で?」
「挨拶より先にそれかよ」
翌日。依織の呼び出しに応じて駅前に集合すれば、文脈もなく隠さない問いが突きつけられた。
「坂城君、それは相手の子に失礼だよ」
「俺への弁護は無しか?」
隣からは図ったように敵側についた心が紡ぐ。まったく、他人の恋路を話題にするとかデリカシーの欠片もない奴だな。
「……俺からはノーコメントだ。別件で、付き合ってた子とは別れたけれどな」
「んー……うん。分かった。じゃあパーティだねっ」
「何が分かったんだよ」
今の一言で心は察したらしい。この辺りは空気を読んでくれる幼馴染でありがたい話だ。
「と言うか今日の用事は依織だろ? 用件はなんだ?」
「つまんねぇの……。まぁいいや。とりあえず遊びにいこうぜ」
「れっつごーっ」
フリルの袖を突き上げる心。彼女の今日のコーディネートは桜色のワンピースに若葉色をしたカーディガンを羽織った春らしく柔らかい装い。彼女の私服スカートは珍しいと思いつつ背中を押されてバス停へ。
流石に週末の朝と言う事もあって人が多い。今日は電車に乗る予定はないが、また今度どこかへ遊びに行くときは時間も考慮しようなどとどうでもいいことを考えながら。
駅前から出ている無料の送迎バスに乗って向かった先は懸達が住む町、茜ヶ丘市で最も大きな商業施設。ショッピングセンターに飲食店、映画館、遊技場など、一通りそれなりの物が揃う建物で、中学の頃は生徒の休日のたまり場になっていた場所だ。きっとこれからも度々世話になるのだろう。
到着するや否や駆け出した心を追い駆けるように向かった先はいきなりフードコート。そこで、何の相談もなくアイスを買ってきた心が懸に向けて片方を差し出す。
「はいこれ。奢りだからいいでしょ?」
「散財控えないとまた去年みたいに泣くぞ?」
「だいじょうぶっ! 実を言うと私にはまだ手をつけていない秘密の財布があるのだぁ」
ちらり。こちらへ向けてきた視線に溜息を吐く。便利な歩く財布。但し節制システム搭載済みだ。
「その時は俺も少し恵んでもらうかな」
「暴利がつくぞ?」
「そしたら保証人がどうにかしてくれるっ」
「だとよ、心」
「私の保証人は懸君だから大丈夫」
「保証人の保証人ってなんだよ」
しかし、それなら大丈夫だ。この裁判所は心に対して免責が許可されない仕組みになっている。自己破産はさせない。
なんて馬鹿なことを考えつつ心の優しさに甘えてアイスを口に運ぶ。まだ春の、少し寒く感じる日もある今日この頃。空調の効いた場所で食べるのはどうかとも思ったが……休日の人ごみのお陰でプラマイゼロだ。おいしいチョコの分だけプラスかもしれない。寒い日のアイスや暑い日の鍋について少しだけ見識を改めようか……。
次に向かったのはゲーセン。ここは依織の独擅場でシューティング、レース、落ちゲー、UFOキャッチャーと、ありとあらゆるゲームで彼の実力が発揮され、見ている分にはいい娯楽として楽しめる。
上手下手を横に置けば、懸も心もゲームは好きで。勝つことよりも楽しむ事を優先とした遊び方で娯楽を謳歌することは出来る。気分転換、ストレス発散にはいいだろう。
そうこうしていると昼時。飲食店に入って食事を注文すれば、ようやく腰を落ち着けて脱力できた。
「坂城君もう上級クリアしたの?」
「今回のは簡単な方だぞ?」
「ガチ勢はやっぱり違うねー」
「俺なんかまだまだだって」
向かいでは依織と心がアプリで開催されているイベントの話題で盛り上がっている。
前に話していたのを聞いた限りでは、依織は出演している声優が、心はストーリーが好きらしく、それに惹かれて始めたらしい。
そんな二人の声をBGMに、懸も自分のをプレイしようかとアプリを立ち上げたところでスマホが震える。画面上部に出たポップにSNSの通知であることと、一瞬映ったその内容を確認して未読スルー。
と、通知音を耳聡く聞いた心がこちらに話を向けてくる。
「誰から?」
「メルマガ」
どうでもいい嘘を吐けば、そこからデイリーを周回がてら顔を上げて話題を向ける。
「依織、そろそろ本題に入ってくれよー」
「ん、あぁ忘れてた……。ちょいと待ってくれよー?」
答えて、傍に置いていたリュックから彼が取り出したのはノートパソコン。立ち上げてパスワードを入力し画面をこちらに見せる依織。するとそこには、つらつらと書き綴られた文章が広がっていた。
流し読めば、どうやらそれは演劇で使う台本用の文章らしい。
「一応昨日の夜でそれとなくまとめてみたんだが、どうだ?」
「私にも見せて?」
向かいに座っていた心が回りこんで隣に腰を下す。彼女の席を開けて肩を並べれば、依織が作った台本に目を通し始めた。
登場人物は約三十人ほど。
話し愛の時に愛が言っていたように、お姫様……王女と王子様が12人ずつ。王様、魔女、男が1人ずつで、男の身分が兵士になっていた。
話は王様の娘である王女達への疑念から始まり、彼女たちの秘密を暴ければ彼女たちを娶る権利を掲げて国中に広めれば、爵位持ちのお坊ちゃまから街角の男。果ては隣国の王子様までが絶世の美女と名高い12人の未来の妻を求めて試練の三日に挑み始める。
けれどもどの男たちも秘密を突き止められずに時間が終わり、権利を失っていく。そこに現れるのが一人の兵士。戦場で怪我を負い後方に下げられた男が、当て所も無く城下を彷徨っていたところへ偶然魔女が現れる。
ふらふらして何処へ行くのかと言う彼女の言葉に、素直に自分でも分からないと答えれば、魔女が王のお触れのことを囁く。最初は自分には無理だと拒否する兵士だが、魔女が力を貸せば簡単なことだと付け加える。
目的が無いなら夢でも追いかけて見ればいいと。その言葉に背中を押されて兵士は決意を固める。
兵士は魔女から姿を隠すマントを授かり、助言として差し出された酒を絶対に飲まないことを念押しされる。魔女曰く、眠り薬が入っているらしく、その薬の所為でこれまでの者達は秘密を突き止められなかったのだと教えられる。
城に向かい、王の出したお触れに従って三日の期間を与えられた兵士は夜を待つ。王女たちの寝室の見張りを任された彼は、王女が用意した葡萄酒を飲む振りをして眠るように項垂れ、その時を待つ。
やがて微かな足音共に扉を開けて寝室から出てきた一番上の王女。綺麗にドレスで着飾った彼女は兵士の眠った振りに騙され哀れむような言葉を残して部屋に戻っていく。
上の王女は下の妹達に告げて準備を終えると、ベッドに隠された地下へ続く隠し通路を静かに下りていく。その様子を扉の隙間から見ていた兵士は魔女に貰ったマントを身に着け、彼女たちの後を追い始める。
長い階段を下りた先に辿り着いたのは、銀色の葉を揺らす並木道。次いで金、ダイヤと、この世のものとは思えない木々の道を抜けながら、証拠にとその枝を幾つか折って懐に忍ばせる兵士。
更に奥へ歩けば今度は大きな川が横切っており、その向こうには小さく煌びやかなお城の影が見えている事に気付く。と、川のこちら側にはボートが十二艘。その一つずつに端整な顔立ちの豪奢な服を着た王子様が座って待っており、王女たちは次々に乗り込んでいく。兵士は王女の船に隠れて同乗し向かいの城まで乗り込むことに成功する。
城の中からは絶えずダンスのための生演奏が響き渡り、おいしそうな料理や飲み物がずらりと並べられてこれでもかと言うほどに荘厳なファンタジーの空間を作り出す。
そんな城の中へと入っていった王女たちは、一緒に船でやってきた王子と共に気の向くままに、まるでオルゴールの上の人形のように踊り始める。疲れた者は休憩に用意された料理を食べたり、バルコニーで気の合うものとお喋りをしたりと、宛ら舞踏会のような時間が過ぎていく。
やがて城の時計が午前三時を示す頃、踊り続けていた王女たちの靴が磨り減ったことを機にお開きとなる。再び王子が漕ぐ小船に揺られて川を渡ると、また次の夜に戻ると約束を残す。
兵士はそのやり取りを聞きつつ、先に階段を駆け昇って寝室の前に伏せて再び寝た振りを。遅れて戻ってきた王女たちが兵士のいびきに気をよくしながら笑い合って、寝室へと戻っていく。
翌日、兵士は昨日の出来事を夢ではないかと疑い、その夜も王女たちに着いて地下の城へと向かい、同じ景色を見て確信する。三日目の晩は、今一度素晴らしい世界と城、そして舞踏会を見ようと三度王女たちの後を追い、更なる証拠として城で使われていたカップを持ち帰ることにする。
そして期日の三日目。王のお触れの通り答えを言う時間が来ると、金、銀、ダイヤの三種の木の枝とカップを持って王様に真実を告げる。答えを聞いた王様は王女に問い質し、王女も嘘を吐いてもいずればれると考えたのか正直に頷く。秘密を突き止めた兵士に対し、王様が約束通り12人の中から好きな王女を妻に選べと尋ねる。と────
「……あれ、坂城君、最後は?」
「問題はそこなんだよなぁ。元を読んで、自分で書いて…………なんかしっくりこなくてな? それで相談しようと思って今日二人に声を掛けたんだよ」
最後まで読み終えたところで零れた心の言葉。その声に納得のいかない様子の依織が答えれば、注文していたメニューが届いて、机の上を慌てて片付けた。
とりあえず冷めてはもったいないと食べながら話を戻す。
「原作は確か自分は若くないからって理由で一番上の王女様を選ぶんだよな」
「あぁ。でもそれは兵士の年齢とかを弄れば解決する問題だし、本当に自分が兵士だったなら自分が最も好みの相手を選ぶもんだろ? そう考えたら結末が書けなくなってな」
「そのままじゃ駄目なの?」
「悪くは無いが、やっぱり俺たちが演じる以上、少しはオリジナルが欲しいだろ? その方がモチベーションもよくなるしな」
「そっか……はむ」
ポテトをフォークで刺した心が考えるように咀嚼する。彼女に声を掛けたのは女性の意見が欲しかったからなのだろう。
そんな彼女の隣から、原作を思い出しつつ話を続ける。
「あと、原作と違うと言えばあれか。お触れが達成出来なかったときの罰」
「そうだな。そっちでは触れてないが、原作だと秘密を暴けなかった奴は首を刎ねられてる。……グリム童話らしい部分だな」
「王子たちの方にも、王女と踊った日数だけ呪いが掛かる描写があったりしただろ。まぁこの辺りは無くてもどうにかなるし、話にスパイスが足りないと思ったら追加する感じだな」
グリム童話はえぐい過程や残虐な結末が多く見られることで有名だ。それだけ子供の教育に役立つと言う事もであるのだろうが、今ではそう言う童話は大分マイルドになっているとか。別にトラウマの一つや二つ、あってもいいとは思うのだが。
「でだ。参考までに懸の意見を聞こうと思って」
「参考って……依織が俺を推薦する前提での話だろ?」
「バレたか」
嫌な未来を言葉にすれば、笑みを零した依織。
脚本を押し付けた事の仕返し。この物語において主人公であるところの兵士役に、彼は懸を押し上げるつもりなのだ。
もちろん今回の演劇に無縁を貫くのは不可能だと分かっている。依織が推薦しなくとも他の誰か……それこそ心辺りが面白がって名前を出すだろう。そうすれば顔だけはいいと噂の懸は役有りを避けられない。
だからと言って主人公を演じるのは別問題だ。可能であれば……兵士の前にお触れに挑戦して失敗する踏み台辺りが妥当だろうと叶わぬ望みを抱いていたのだが……。
「私はいいと思うよ、兵士懸君っ」
「お前は出ないからそうだろうな」
「えっへんっ」
流石に衣装班の全体管理と役を兼ねるのは無理がある。それに、心は心で無理を出来ない理由もある。
……まぁそれはいいとして、問題は懸のことだ。
「懸はどう思う? 懸が兵士なら、誰を選ぶ? 誰に恋する? 誰を愛する?」
「…………分かってて訊いてるんだろ? 俺がそれに答えなんて返せないことを」
「もちろんだ。だからこそ答えて欲しい。懸はどの王女を選ぶ? ……誰が相手なら嬉しい?」
そういう質問じゃないだろうに。意地悪に問いを重ねる依織に、けれど不覚にも脳裏を過ぎる顔が幾つか。
中学からの付き合いで、互いに軽口を叩き合う仲の信頼出来る先輩である愛。正真正銘のお嬢様で、容姿だけを取っても12人の一人には必ず選ばれるだろうクラスメイトの愛。懸が兵士をやると知れば、自ら立候補してでも肩を並べようとするはずの、懸を慕ってくれる元気な後輩、恋。
他にも演劇部の部員や、人気のある女子生徒が幾人か。そんな彼女たちを想像の中で無粋にも並べて、きっと最初から決まっている答えに辿り着く。
「俺が誰か一人を選べるかよ。だから依織だって悩んでるんだろうが」
「ちぇっ、懸のヘタレ……」
「そーだそーだっ」
一人無邪気に外側から野次を飛ばす心。だったらお前を選んでや無理やり引っ張り上げてやろうかと。
……大体、原作でも甲乙つけがたい12人の王女として登場するのだ。選ぶ基準なんて、それこそ原作の兵士のように年齢くらいしか差は無い。
そうだ。俺は流し読みをしただけで、12人の王女の詳しいところまでを知らないのだ。もちろん、知ったところでそれもまた悩む要因になるのだろうけれども。
「……野心家か、欲張り。それから自己満足に溺れるなら一番上。謙遜と躊躇いがあるなら二番目から十一番目。若さや承認欲求で選ぶなら末の王女。論理的に考えればこんなところだ」
一番上の王女は、12人の中でも最も権力を持つ女性だ。王に憧れたり、何か大きな野望があるのであれば、その権力を手に入れる意味で一番上の女王。また、一番年かさな女王ならば、彼女を残して先に死ぬ事は無いだろうから、残すよりも残される独りよがりの優しさを選ぶはずだ。
二番目以降はそれほど大差が無く、一番を選んでその重責を背負いたくなかったり、はたまた自分より相応しい別の伴侶が現れた際のためにわざと遠慮する思慮を持っているのならば誰を選んでもそう大差は無い。自分に自信が無かったり、政から縁遠いところで平穏に暮らしたいなら、中でも下の方の王女を選ぶだろう。
一番下は普通に生きて兵士より先に死ぬ事は無い。だから自分が生きた証を彼女に覚えていて欲しいと縋ったり、純粋に生物の本能として若い異性に惹かれると言うのであれば、最も高い可能性だろうか。
「俺個人としては前提条件が少なすぎるから選べないってのが本音だ。せめて兵士の性格か、もしくは12人の王女の詳細があればもう少し悩めるんだがな」
「もしそうするなら他の人たちとも要相談だな。俺の一存でキャラ付けするのは問題が起きる」
いっそのことオリジナルのように割り切れたらもっと自由に依織は脚本を書けるのだろうが……そうすると今度はこの作品に決まった意味が無くなってしまう。だから原作を維持したままオリジナリティを持たせようと彼は苦心しているのだろう。
そんな風に行き詰った話し合いに、心が悩むような音を挟んで新たな風を起こす。
「ん~……誰か一人を選ばないといけないかな?」
「兵士を懸と同じヘタレにってことか?」
「おいっ」
「そうじゃなくて……。いや、そう言う捉え方も出来るかもだけど…………なんて言うか、選ばない終わり方、みたいなので全員に花を持たせられない?」
「……懸の優柔不断ルートか、ラブコメハーレムルートってことか?」
今不名誉な呼ばれ方をした気がする……が、とりあえずはスルー。それよりも、心の案に焦点を移す。
「もし可能なら、それは依織の得意分野だろ?」
「まぁ、好きなジャンルではあるけど……。でも、いいのか?」
「全体の雰囲気にもよるだろうな。ファンタジーよりもギャグやラブコメ色が強くなれば違和感は無くなる。そこは脚本家の腕の見せ所だ」
「またそうやって丸投げする…………。いいよな、未来の主人公は気が楽で」
「逆だろ。依織が良い脚本を書けば書くほど、演じるこっちに期待が上乗せされるんだ。より辛いのは俺の方だからなっ」
言い返せば、隣の心が肩を揺らす。顔を向ければ、彼女は楽しげにニヤニヤと笑っていた。
「…………なんだよ……」
「い~や~? ただ、あれだけ反論してたのに、兵士役はまんざらでも無いんだなぁと思って」
「…………別に、やりたいって言ってるわけじゃない。でも少しだけ、依織の言うように兵士の立場になって考えたら、選べない中から選ぶって言う辛さに同情しただけだ」
「言質いただきましたぁっ!」
「うっせ。あと飯ぐらい静かに食え」
苦し紛れの言い訳と反論をすれば、新しい玩具を見つけた子供のように生暖かい目で見つめてくる心から視線を逸らす。……クソ、これだから分かりすぎる奴ってのは面倒なんだ。
「……どうでもいいが、例えそうだとしたら世界を彩るのはお前の役目だからな?」
「大丈夫だよ! 懸君が主人公なら、私が世界一格好いい王子様に仕立ててあげるからさっ」
やるのは兵士だ。と、反論しようとしたが、言葉にすれば余計に首を絞める気がしてどうにか飲み込んだ。
代わりに小さく鼻を鳴らせば、隣から何処までも嬉しそうな笑い声が零れた。向かいの依織も呆れたように笑う。
その口を開いて犬も食わないとか言ってみろ? その時は何が何でも舞台には立たないからなっ。逆に俺が脚本乗っ取って依織を担ぎ上げてやる!
言葉無い視線で語る親友に無言の圧力を掛ければ、逃げるよう肩を竦める。
「…………よし、分かった。色々案を貰ったからな。今日明日で出来るだけ悩んで書いてみる。楽しみにしとけっ」
「頑張れ坂城せんせー」
どうやら纏まったらしい覚悟に心の冷やかしが重なる。
……いや、そう言うのはどうでもいいから早く食えよ。出られないだろ?
昼食を食べ終えると、依織は早速色々試してみたいと言い残して先に帰ってしまった。引き止める用も無かった為に彼の背中を見送れば、残された幼馴染と共に人の流れを歩く。
「心は何か無いのか? 衣装の参考とか下見とか」
「ん~……強いて言えば手芸屋さんで幾つか候補を見繕うとか、オリジナルを読むとかかな」
「原作読んで無かったのかよ……」
「読めって言われて読むわけないじゃんっ」
「おまえなぁ……」
そんなところで力説されても。……仕方ない、彼女の為にもそっちに付き合うとしよう。
「まぁ生地とかはここではいいかなぁ。よく来てるから大体品揃えは覚えてるし、さっき坂城君の脚本を読んでなんとなく世界観は分かったからある程度の想像も出来上がってるよっ」
「ならその想像をより具体的にするとしようか」
「はぁい……」
諦めたように返事を零す心。とは言え言葉ほどに嫌では無いらしく、いつものやりとりに心地よさを感じている様子。ならばと少しだけ気になった部分を指摘する。
「あと間違いの訂正だ」
「なに?」
「世界観は世界の雰囲気って意味じゃないからな?」
「そなの?」
「誤用が広まったからそっちの意味も定着してるがな。元は価値観の観と同じ……つまり物の感じ方のことだ」
「ぅん~……?」
「……価値観ってのは価値に対するそれぞれの見方だろ?」
「うん」
「それと同じで、世界観ってのはある世界に対してその人物がどう感じ、どう思っているのかって言う捉え方の事なんだよ」
言葉の意味が時代を経るにつれて変化するなんてのは現在進行形で古典を授業で習っている身からすれば別におかしな事ではないのだが。だからと言って流されるままに元の形を忘れてしまうのは何だか悲しいと言うのが懸の持論。
それこそ先ほどの脚本の時にも考えたことだが、原典を蔑ろにしてオリジナルで勝手に脚色すると言うのは余り受け入れられない……と言うのが懸の価値観だ。
もちろん、原作をしっかり理解した上でのオマージュは歓迎するところだ。そこに敬意や賞賛が感じられるなら、読者やファンとしては嬉しい話だろう。
つまるところ、本当の意味を知った上で変化した言葉を使うならば胸の内で個人的な感慨を渦巻かせる事はないと言うことだ。
「だからさっきの心の発言を言い換えるなら、世界の雰囲気、とかだろうな」
「なるほどねー。一つ勉強になったよ!」
「ま、俺も知ってることしか知らないけれどな」
インスパイアとオマージュ、リスペクトの違いとか。卵と玉子の違いとか。……まぁどうでもいいか。
と、身を入れて聴かなければ30分後には既に忘れている様な話をしつつ辿り着いたのは書店。懸もよく本を買いに来る馴染みの店だ。
そう言えばよく来る客は店員に覚えられていたり、あだ名を付けられていたりという話を聞くが、あれは本当なのだろうかと。考えながら殆ど来たことの無い児童向けの区画へと足を向けて目当ての作品を探す。
個人的にだが、本は館内検索よりも自分の足で探すのが懸の好み。確かに色々と便利な今日。検索機能を使えば簡単に目的を達することが出来るだろうが、その間にもしかしたら新たな出会いがあるかもしれないと思うとその可能性を捨てきれないのだ。
現に、童話の棚を見て回っているが、以外と知らない題名が多い。もちろん近年新しく発売されたものもあるのだろうが、グリムやイソップが集まっているところだけを見ても両手の指では足りない数が散見出来る。
全てを知るなんて傲慢な話かもしれないが、叶うことなら永遠の中で世界の全てを知ってみたいと思うのは人の夢だろうか。それとも驕りだろうか?
益体もなく哲学にもなりきれないことを考えていると、目的の本を見つけることが出来ずに児童書の棚の終わりまで来てしまう。反対側は心に頼んだが、そちらにあるのだろうか。
思って本棚から視線を逸らしたところで、偶然見覚えのある人物と視線がぶつかった。
「あ……え、長松君……?」
「こんにちは、藤宮さん」
「うん、こんにちは」
そこに立っていたのは藤宮愛。懸のクラスメイトで学級委員長であるお嬢様。
初めて見る私服姿に、校内ではストレートに流している長い髪はポニーテールに纏めた簡素ながら清楚な姿。そのいつもとの違いが、雑踏の中にいても彼女が彼女だと分かりそうなほどに特別な魅力を纏っている気がする。
思わぬ偶然にしばらく言葉を失って立ち尽くせば、何かを察した様子の愛が小さく肩を揺らして問いかける。
「長松君も本を探しに?」
「……あ、あぁ。も、ってことは藤宮さんも?」
「ふふっ、同じ本かな」
「多分な」
彼女の声に答えれば、どうやら探し物が一緒である事を知る。昨日の今日で原作を買いに来るなんて彼女も大概勉強家だ。その実直さは見習いたい。
「本は見つかった?」
「いや、俺が見た限りだとなさそうだった」
「やっぱりかぁ……。いや、あたしも探したんだけど、見つからなくて。でも長松君もってことだとあたしが見落とした可能性も低いかな」
「先に誰かに買われたかな。昨日の今日だしな」
思いのほか弾む会話。これまで殆ど話をしたことがなかった彼女とは、互いに距離のようなものを感じていたが、今回のことでその遠慮は消えてしまいそうだ。
そもそも話をしなかったのは、顔だけの懸と正真正銘のお嬢様である愛の間に不用意な噂が立たないようにするためのものだ。もし変な話が浮かべば名家のご息女の面子を汚してしまう恐れがあったし、懸個人も滝桜高校で学年を問わず有名な彼女のファンを敵に──はたまた味方に──して不自由な生活はしたくなかった。だからこれまで必要最低限のコミュニケーションしか取ってこなかったのだ。
が、今回の演劇祭で……何より同じ教室で授業を受ける友人だ。流石に今年からは無関係を装うのは難しいだろう。加えて目の前にあるのが今の話題の根幹にもある演劇祭。
想像はきっと現実になり、普通の友人以上に一緒に何かをする時間が勝手に作られてしまう。
そんな光景を、当人は別としても周りがなんて冷やかすかは分かりきったことだ。……もちろん、互いに覚悟と諦めはついているのかも知れないが。
そう言う意味ではよく似ていると言うか、共感できる部分は少し存在する、不思議な関係だ。
「だからちょこっと頑張ってきたところ」
「頑張る?」
「文明の利器と格闘してきましたっ」
どこか誇らしげに笑って愛が見せたのは白い紙切れ。よく見ればそれは、地図の一箇所を黒く染めたレシートのようなもの。
「いやぁ、最近の機械は怖いねー。指先で触るだけで本が丸裸なんだから」
話から察するに、どうやら検索機能を使って調べ、情報を印刷して来たらしい。……が、どうにも彼女の言葉の端々から不穏な空気を感じる。もしや…………。
「……藤宮さんって、もしかして機械が苦手?」
「電気怖いよねー、びりびりーって」
……お嬢様、一体いつの時代からタイムスリップなされたのですか?
そんな彼女に思わず小さな笑い声をもらせば、馬鹿にされたと思ったらしく反論が飛んできた。
「違うよっ。世界が早足過ぎるんだよ。もっとのんびり優しく便利になって行けばいいと思うんだよっ」
「まだ何も言ってないのに。それにそう言うのは人それぞれだと思うから。誰だって初めてはあるんだし、おかしくはないだろ」
「じゃあ問題っ。スマホが出来たのはいつでしょうっ」
話題を煙に巻こうとしてない? 最初の話題は何処に行ったのやら。
「その話は腰を落ち着けてからにしない?」
「……そうだね」
逃げるように本題へと戻ってくれば、遅れて恥ずかしくなったらしい愛が頬を小さく掻いて微笑を零す。
まったく、何をしても絵になると言うのは少し卑怯だ。なんて事を考えた思考を押しやって目的を再設定すれば、本棚の反対側で愛とは対照的に人間の歴史の数々と格闘する心に声を掛ける。
「心」
「あぇ? 懸君……と、えっと……藤宮、さん?」
「こんにちは、萩峰さん」
「うひゃぁ、お姫様に名前呼ばれちゃったよっ。どうしよ懸君っ」
「名前なんだから呼ばれるだろうが」
しかしまぁ、少し以外だった。彼女が心の事を知っているとは。別に中学が一緒だったわけでも、部活やクラスが同じなわけでも無いのに。
「お姫様って、あたしは王族なの……?」
「いや、突っ込みどころそこじゃないから」
「うん。まぁ、その……お互いそれなりに有名人だからね。そうするとほら、自然とその周りのことが耳とか目に入ってきちゃうでしょ?」
「あぁ、そう言う事……」
天然なのかどうなのか。重ねられたボケに思わず突っ込みつつ目に見えない何かを繋げば、彼女は普通に理由を教えてくれた。
どうやら懸経由で心の事を認識していたらしい。
まぁ幼馴染であることを隠しているわけでも無いし、小学校からの付き合いも滝桜には幾人かいる。それこそ噂話で定期的に色々な憶測が飛び交えば懸の風評に心を巻き込んでしまうのも無理は無いか。似たような話は愛にも、それからもう一人の有名人である愛にもついて巡っている。
「だから別に特別なことじゃないと思うし、それに萩峰さんにはこれからお世話になるだろうから仲良くしたいよ」
「お誘いだよ。どうしようっ?」
「そろそろ、落ち着けよ。ほら、吸って…………吸って……」
「吐かせてよっ」
「ぷふっ」
思い付きに付き合ってくれた心が珍しく突っ込めば、重なるように可愛らしい声が漏れた。
どうやら笑ってもらえたらしい。その事実に心を顔を見合わせて笑みを浮かべれば、愛と共に歩き出す。
「それでそれで? 藤宮さんはどうしてここにいるの?」
「本を探してて。でも滝桜の本屋だと見つからなくて、茜ヶ丘まで足を伸ばしてみたの。そしたらちょうど今見つけたところで、長松君と萩峰さんに偶然ね」
「本って?」
「『グリム童話集』。『踊ってすりきれた靴』単体は見つからなかったけど、こっちは置いてるみたいだったから」
「買うの? 高くない?」
「全部買えばそれなりの値段だろうが、目当ての一巻だけなら高くてもハードカバー程度だろ」
心の声に答えつつ、それから懸も納得する。そうか、童話集か。そっちは思い至らなかった。今回はこの偶然の出会いに感謝だ。
それから目的の本棚までやってきて手分けして探せば、直ぐに童話集は見つかった。
「二人も読む?」
「なら少し払うよ。流石にただで見せてもらうのは気が引けるし」
「別に良いのに」
ふむ、困った。どうやら本気で遠慮しているらしい。となると無理強いするのはよく無いだろうし、かと言って何も返す事無くただ見せてもらうだけと言うのはやはり納得がいかない。さて、どうしようか……。
「藤宮さん、この後時間ある?」
「え、うん。あるけど」
「じゃあお茶しよっ。私藤宮さんともっと仲良くなりたい!」
と、そうして悩んでいると心が少しだけ外れた提案を投げかける。その途中でちらりとこちらに視線を送ってきた彼女の提案に感謝する。ここは彼女の案に乗っかるとしよう。
「藤宮さんさえよかったらその時に少し読ませてもらえると嬉しいかな」
「……ん、分かった」
「やったっ」
とりあえずこれでよしとしよう。後は心がうまくやってくれるはず。考えながら一人向かう場所を変える。
「っと、そう言えば見たい本があったんだった。先に外で待っててくれる?」
「はーい。いこ、藤宮さんっ」
「……うん」
少し訝しそうにこちらへ視線を向けてくる愛。どうやら思いのほかあっさりと引き下がった事に何か思うところがあるらしいが、その種明かしはこの後で。
考えつつ、それから昨日依織に教えてもらった漫画、『葉菜の色は』を探し。それからもう一冊、目に付いた専門書を持ってレジに並ぶ。と、どうやら少し混んでいたらしく、直ぐ前に二人が並んでいた。
「あ、おかえり」
「長松君、それ……医学書と、少女漫画?」
振り返った愛に指摘されて小さく笑う。流石に組み合わせが異質すぎるか。説明無しでは彼女の疑問から開放されそうに無い。
「医学書は、まぁ分かるけど……長松君って少女漫画読むの?」
「妹がいるから」
「あぁ、妹さんか……」
……うん、嘘は言っていない。彼女が勝手に誤解しただけだ。
「そっちは……『解離性障害』…………? 長松君の将来の夢ってお医者さん?」
「だったら文理選択は理系じゃない?」
「それもそうだね。……なんで?」
「…………目に付いたから?」
どう返そうか迷って、中でも最も馬鹿らしい答えを零す。
当然納得のいく様子ではなさそうな彼女だったが、心に急かされて空いたレジに引っ張られていく。
こればかりはそう簡単に答えられそうにない。不信感を抱かれても譲れない物はあるからな。
次いで空いたレジで会計を済ませれば、書店の外で落ち合う。直ぐに何かを言いかけた愛だったが、それより先に心が遮って歩き出す。
「藤宮さん、どこか行きたい場所ってある?」
「えっと、特には……」
「じゃああそこにしようよ。駅前のファミレス。いいよね?」
「そうだな」
心の声に答えて目的地を設定すれば少しだけ物申したい様子の愛だったが、やがて何かを察したのか、それとも訊いても話しそうにない懸の雰囲気に疑問を飲み込んだのか、それ以降特別視線を送ってくるような事はなかった。
……もし必要ならば、ちゃんと弁えた上で話をしよう。とは言え、話してどうにか出来ることでもないのだが。
考えながらバスを利用して駅前へ。そこから少しだけ歩いてファミレスへと入る。ドリンクバーと軽食を頼んで飲み物を用意しながら、待つ傍ら本ではなくスマホを弄って時間を潰す。
向かいに座った心が身を乗り出してしてくるゲームの相談に答えながら自分のを操作しつつ、少しだけ買った本を読む愛の様子を窺う。
どうやら集中しているらしく、既に周りの声や音は届いていないらしい。そうして手元に視線を落とす彼女の表情は穏やかで静謐で。思わず奪われた視線は伏せられた長いまつげと少しだけ開いた桜色の唇。
姿勢正しく長い髪をポニーテルに流した目鼻立ちの整ったお嬢様が童話集を読み耽る。窓際に座る所為か、差し込む陽の光に照らされた姿は、まるで物語の中の書架に抱かれて眠る深窓の令嬢のようで。ともすれば彼女の周りに小鳥が囀っていても不思議ではないほどの空気を纏っているように感じる。
細く白い指先がページの角を摘んでゆっくりとめくれば、周りから視線を集める音さえ聞こえた気がした。
「ほへぇ……本当にお嬢様だよぉ」
呟きは心のもの。その言葉に我に返るほどに彼女のことを見つめていたと気が付いて、何かを取り戻すように小さく呼吸を正す。
まったく、話しやすいからと油断していたらこれだ。彼女の根にある名家の血は恐ろしいと。そうして落ち着いて不意に手元に視線を落とせば、進行していたゲームが無操作からゲームオーバーになっていた。
と、ちょうどそこで心の注文していたクレープと、懸のチーズケーキ。そして愛のストロベリーパフェが運ばれてきた。が、愛は気付いていない様子で物語の世界に没入している。とりあえずゆっくり食べつつ彼女が戻ってくるのを待つとしよう。
「んまぁ~」
「昼前にアイス食って昼食にカルボナーラ。それで間食にクレープか」
「……なにかな、懸君? 禁句言ったらスルーしてあげた告白の事掘り返すよ?」
「いや、うまそうだなと思って」
「でしょ? あげないよ」
咄嗟に乙女のタブーから方向転換すれば、どうにか見逃してもらえたらしい。心の広い幼馴染で助かった。
なんて、そんな話をしつつ互いに殆ど食べた終えたところで本を閉じる音が小さく響く。見れば、余韻に浸るように表紙を見つめた愛が顔を上げて、ちょうど視線がぶつかった。
「どうだった?」
「高校生が読んでも面白いんだから童話って偉大だよね。次はどっちが読む?」
「どうする?」
「んじゃ私っ」
問いには最後の欠片を口に放り込んだ心が答える。受け取って目次から探し始める彼女を横に、愛が少し落胆したような音を落とした。
「あぁ、アイス溶けてる……。うぅ、来てたなら教えてくれればよかったのに」
「集中してたみたいだったから」
「ま、いいや。食べちゃえば一緒だしね。いっただきまぁす」
心も大概だが、どうして女の子は寒い時に冷たい物を食べたがるのだろう。おしゃれと同列なのだろうか。……まぁパフェはパフェで芸術的ではあるかも知れないけれど。
年相応の女の子らしい笑顔と共に頬張る愛。先ほどのお嬢様然とした彼女から一転した雰囲気に少しだけ面食らえば、視線に気付いたのかこちらに顔を向ける。
「なに……?」
「いや、どっちが素の藤宮さんなんだろうと思って」
「どゆこと……?」
「なんでもない。気にしないで」
「んー……うん」
何だか次々隠し事が増えてしまっている気がする。別にミステリアスを気取っているわけではないのだが……そのうち何かが爆発して尋問されたりしないだろうか。……それはそれで見てみたいかもしれないが。
そんな風に想像の中の彼女がまた新たな一面を覗かせつつも童話の感想を中心に話をしながら食べて。やがて心が読み終えたそれを貸してもらい目的の童話、『踊ってすりきれた靴』を読む。
童話は編纂された時代や翻訳者によって多少内容が異なる。現代の子供向けのそれに、昔のような残虐性が見られないのもその一つだが、内容が異なれば登場人物や結末だって大きく違う物も存在する。そんな差異を求めて目を通しては見たが、やはり大筋は変わらない様子。
この分だと依織の脚本に足りないのは明確なバックグラウンド……キャラ設定か。
彼に問われて確かな答えが返せなかったのは、あの物語の登場人物の設定が少し薄味に感じたからだ。普段濃い味付けの作品を読んでいる所為か、子供向けの童話となるとやはりそこは曖昧で甘く感じる。だからその自由な不自由さが噛み砕いて納得できる情報を掴ませてくれなくて、あまり感情移入できなかったのだろう。
……それとも童話に合わせてもっとフランクに受け止めるべきなのだろうか。しかしそうすると舞台での映えがいまいちな感じがして…………うん、難しい。
と、そんなことを考えながら物語を読み終えて顔を上げれば、目の前で愛が心にパフェを一口分け与えていた。
……よく分かったね。心は餌付けをすれば基本どうにかなるんだよ。あと無駄におねだり上手なのが厄介なのだが……それは俺にも原因があるだろうからいいとしよう。
「ん~っ! ストロベリシャスっ」
よくもそんなくだらない言葉が思いつくものだ。
「イチゴはちょうど旬だしな」
「あ、読み終えた?」
「あぁ。ありがとう」
「いえいえ」
口を挟めばこちらに気が付いた二人の視線が注がれる。と、心の口元にホイップが付いている事に気が付いて指で示す。
「……懸君のえっち」
「何でだよ」
「そうですよ。何で言うんですか。お陰であたしの芸術がふりだしだよ」
「ふ、藤宮さん? 私の顔で何しようとしてたの……?」
「…………可愛いよ、萩峰さんっ」
「か、懸君。もう付いてないよね、ねっ?」
「俺が読んでる間に随分仲良くなったな」
「答えてよ、ねぇっ」
大丈夫だ。もう付いてない。が、面白いからスルーだ。そんな懸の心の動きに気付いたらしい愛が声を殺すように笑い始める。
まったく、不思議な少女だ。集中するとお嬢様然として。甘い物を目の前にすれば童女のようで。かと思えば友達をキャンバスにして遊ぶ茶目っ気もある。
普段の教室の彼女は友達に囲まれて柔らかく談笑しているのが殆どだった事を思い出せば、本当に彼女の性格が分からなくなりそうだ。
そんな風に思うほど多彩な一面を見られた今日の偶然の出会いには少しばかり感謝。この様子なら、彼女に対して特別意識をすることなく演劇にも望めそうだ。
「むぅぅ……。ちょっとお手洗い行ってくるっ」
「あ、じゃああたしも」
心が席を立てば、愛がそれに続く。と、そうして歩き出す寸前に心が目配せをしてきて、意を汲んだ。
二人を見送って荷物を纏めれば、伝票入れからレシートを取り出してレジへ。全て払い終えて外で待てば、少しして二人が出てきた。
「お待たせー」
「おう」
「ちょっと長松君、どう言う事……?」
「何が?」
「会計っ」
心の声に答えれば、続いたのは愛の声。まぁ想像は出来てたけれどな。
お嬢様の彼女だからこそ、お金には真摯に向きあっているのかもしれない。けれどこれは、彼女の所為でもあるのだ。
「だったら本屋で少しくらい出させてくれてもよかったんじゃないか?」
「それは……」
告げれば、言葉を失った愛。
これは心の提案で、懸の折り合いのつけ方。あの時懸の提案に頷いてくれたなら、こんな方法は取らなかった。けれどそれで納得できるほど懸だって甘えているわけではない。
確かな関係の証として、対等であるならば譲れないものと言うのがあるのだ。
「理由が欲しいならデートでもいいぞ? そうしたら俺が奢るのも別におかしな話じゃない」
「デっ……!?」
「藤宮さん、これは私からのお願いでもあるから。ね?」
「萩峰さんまで……」
少し気取った言葉には、驚いた様子で言葉を詰まらせる。お嬢様だからあまりそう言う事に免疫はなかったのだろうか。だとしたら少し失敗したかもしれない。
などと考えていると心が援護射撃をしてくれた。その音に乗って理解を願う。
「仮に逆の立場だったら藤宮さんは素直に受け入れられた?」
「……………………」
「そういうこと。まぁデートじゃないにしても男は俺だけだし、折角だからここは譲ってくれ」
「…………分かった。あたしもごめんなさい」
どうやら納得か、今は飲み込んでくれたらしい。前者ならありがたいけれど、ここまでのやり取りから察するに彼女は大概義理堅い。またぞろ面倒になる前に先に釘を刺しておくべきだろうか。
そう思案したところで空気を壊してくれたのは心だった。
「いや、謝るべきは私だよっ。だって本もここも全く払ってないからねっ」
「威張るなよ」
「大丈夫っ。その分演劇祭で頑張るから! ね?」
言って愛に向けた視線。その逃げ道に、彼女は諦めたように笑顔を浮かべて頷く。
「うん、そうだね。だから長松君、覚悟しておくといいよっ」
「あぁ。いい舞台にしよう」
少しずれた言葉を返せば、少しだけ恨めしそうに見つめてくれた愛が、それから踵を返した。
「じゃあまた学校で」
「また」
「ばいばーいっ」
そうしてどうにか大きな遺恨なく愛を見送れば、隣の心がこちらを見上げて呟いた。
「……ごめん、失敗しちゃったね」
「なら心の提案に加担した俺も同罪だろ。それに、別に後悔はしてないしな」
「なにー? 藤宮さんの事狙ってるの?」
「そんな風に見えるか?」
「……………………そうだね」
何か大切なものを取り戻すように答えた心。その横顔に、形の違う共感を自分の胸の中に落としながら足を出す。
「大丈夫だよ、きっと。いつか、何とかなるから」
「…………そうだといいな」
心の言葉に励まされながら岐路に着く。
今更特別だとは思わない。ただ少し、心も、俺も、周りと違うだけだ。
その答えがいつになるのかは分からない。けれども彼女の言うように、その時が来たなら俺たちは互いのことを自分の事のように喜べるはずだから。
今はただ、それでいい。これで、いい。