第五輪
愛の誕生日会の翌日からは、覚悟を決めて校内では犯人探しが始まった。生徒会の力を悪用し噂を制限しながらその元を探る。その間にも懸と愛の元にはそれぞれの恋人を中傷するような内容の手紙などが届いたが、全て無視。
その代わりに校内で顔を合わせる度に含みを持たせた会話で辺りへ挑発してわざと敵愾心を煽った。
しばらく心を鬼にしてそんな事を続けていると、やがて客観視出来てきた空気に違和感を感じるようになった。何となく、ではあるのだが……同性からの好意的な接触が増えた気がするのだ。
これまで懸は色々な女子生徒と付き合っては別れると言う事を繰り返してきた。だから必然的に男子生徒……一部の女子生徒も含まれるが、主に同性からの嫉妬や反感を買ってきた。特にそれは直接的な話ではなく、裏で詰り、けれど懸本人には一切危害を加えようとしない、フラストレーションの溜まるような行為が主だった。嫉妬したところで終わった話だから、今更争ったところで外聞が悪くなるだけだからと言う、ある程度理知的と言うか……心を律した結果のものだったように思う。
男心は単純と言うが、中々に複雑で。プライドはあるくせに一歩を踏み出せないからと、それが高じて好きな相手にいいところではなく、悪いところを見せたくないと考える事がよある気がする。消極的……少し古い言い方をすれば草食系と言う事になるのだろうか。
慎重を重ねるが故に確信が持てるまで手を出しはしないという、ある種の防衛本能だ。告白しなければ振られないのだから。
そう言う性格の者達は世間一般の偏った価値観で言うところのリア充に属するような……懸のような人種に特別危害を加えてこない。どちらかと言えば距離を置きたがるのだ。住む世界が違う……ノリに着いていけない……。そうして、どこかで諦めてしまう。
だから目に見える以上に精神的な部分で男の側にもカーストと言う物は存在する。カースト、と言うよりは自己卑下による自信の喪失に伴う言動の消極化、だろうか。この辺りは何でもない風を装ってどこかで打算的に牽制し合う女性とは全く異なる部分だろう。
同じ男として、自己評価の低い者達の事も理解も出来るからこそ、今回の事は不可解なのだ。
これまで避けてきた人物が、おっかなびっくりながら話し掛けにくる。そうでなくとも遠巻きにこちらを観察していて、何かを探っている。
別世界の住人として、ともすれば意識から外れているような存在に興味を持っているのだ。
加えて何より、これは懸に限定する事かもしれないが、女子生徒よりも男子生徒からの圧が強く感じると言う事。
自分で認めるのも変な話だが、顔だけなら懸は随分上位に名前を連ねるだろう。別段何かをしているつもりはないが、生まれ持ったその資質に関しては生き易くて感謝だ。だから普通なら同性よりも異性との付き合いが多い傾向を感じる。
しかしそれが、何らかの土台の上に現状を覆している。だからこそその理由が分からないのだ。と言うかそもそも問題が繋がっているのかが怪しい。
懸と愛の恋人関係の解消を望む声があるのは確かだ。その場合、懸に擦り寄ってくるのは女子生徒で、その逆が愛の身に起きるはずなのだ。それならば女子が女子を、男子が男子を貶して別れさせようとしていると見る事が出来る。
もっと考えるなら、その最中に生まれた疑念に別の異性の存在を売り込もうと言うのが、もはや略奪愛のようななにかだ。事実、過去にそうした考えで、付き合っているにもかかわらずアタックしてきた女子生徒はいる。その心の強さまでは否定しないが、まともな恋愛が出来ないせめてもの誠意にと浮気は断固としてしない事を己に誓っている懸だ。そのときはもちろん断った。
……少し考え事が散乱している気がするが、要するに目的と行動がちぐはぐに思えるのだ。
その証拠、と言うか仮説の情報の一つに、愛に確認をしたのだ。彼女の方に男子生徒からのアピールはあるか、と。答えは想像通りNOだった。そしてそれは、懸にも同じ事なのだ。
恋人関係を解消させてその後に自分達が付き合いたいというのであれば不可解……と言うかやり方が温い。本気なら片方ではなく、両方に働きかけるのが狡猾と言う物だ。けれど、それが感じられない。
ならば恋愛ではない何かが目的なのか……想像するような裏で手を組んでいると言う話が間違いなのかとさえ思えてくるが、それらを否定する理由も思いつかない。だからきっと大筋は当たっているはずなのだが……実態が掴めなくて余計に怪しいのだ。
目的が分からない。
ただの悪戯にしては度が過ぎている。過ぎた度で何かしらの混乱を起こそうとしているなら、一体何の得が向こうにある? 混乱の先にあるものなんて秩序の崩壊だが……それが高校と言う縮尺に当て嵌めるなら生徒会や学校に対してのデモと言う事になるだろうか。
しかしそんな不満は感じない。生徒会だって特別な権力を持っているわけではない。ただ行事で司会進行を任されたりする程度の、生徒の代表と言うだけだ。漫画のような強権など、現実の生徒会にはありはしない。
当然、各々の不満はあるだろうがそれをどうこうしようと言う規模ではないはずだ。
…………分からない。全く以って、理解出来ない。一体何がしたいと言うのだろうか……。
「はぁ…………」
「大変そうだね。悩み事」
「……悩み?」
「だって足組んでるから」
そんな疑問渦巻く日々の中で、今日は久しぶりに心と二人での昼食。亜梨花は用事があるらしく、彼女が懸の元へと転がってきたのだ。大方また校則違反でも咎められているのだろう。
それよりも、だ。心に心配を掛けまいと出来る限り隠してきた悩みが、あっさりと見抜かれた事に疑問を抱く。
「この際だから言うけど、懸君真剣な悩み事があるといつも足を交差させてるよ?」
「……まじか…………」
「顔には出ない分、意外と行動で筒抜けだよね、懸君って」
食べる手を止めて俯く。
よくよく思い返せば、確かにそうだったかもしれない。その証拠に、これまで心や妹の紫に真面目な相談をした時、彼女達は一緒に悩んで答えのヒントをくれていた。逆に、その場限りなどうでもいい疑問にはそれ相応の返答があったように思う。
重要な事にはしっかり答えてくれるいい相談相手に恵まれた片方で、いいようにあしらわれている事に気がついて少しだけ諦めが湧いた。
…………どうやらそう言う仕組みだったらしい。しかし癖……癖か…………。
「因みに他に何かそう言うの俺にあるか?」
「うーんと……うん。これはいっかな……。懸君が誰かとデートをする日は、挨拶がないよ」
「挨拶? おはようとかか?」
「うん。これ多分紫ちゃんも気付いてるんじゃないかなぁ」
「…………。ほか、には…………? 口癖とか」
「これ以上は秘密。直されると私が楽しくないからっ」
さすがは幼馴染だと白旗を振りつつ、ならばと全てを暴こうとする。が、とっても自分本位な理由で拒否られた。
紫との勝負の答えが見つかるチャンスだと思ったのに。あと俺の恋愛を娯楽にするのはやめろっ。
「一つ教えたから逆ね。懸君も私の癖には気付いてるんじゃないかな?」
「…………隠し事をするときに髪を触る」
「え、嘘!?」
「あとは…………」
「待って待ってっ! それ以上言ったら私が言わないといけなくなるじゃんかぁ」
ちっ、気付かれたか。一番大きいネタで揺さぶって済し崩しにしてしまおうと思ったのに。
「けど俺は二つ言われたからな」
「それ許したら最初のはノーカンだって言い張って次を訊き出そうとするでしょ?」
「どうした。何か悪いものでも食ったか?」
「何年懸君の幼馴染やってると思ってるの? 馬鹿にしないで貰いたいよっ」
食い下がっては見たがそれも見抜かれる。幼馴染とは厄介なものだ。
少し拗ねたような、けれどもどこか嬉しそうな声音。だからこそ無関係な彼女を巻き込みたくはないと考えていたのに。
「それで? どしたの? あの手紙の事?」
「いいや」
「うん。で?」
「……………………」
収穫一つ。どうやら俺も嘘を吐く時にも何やら癖があるらしい。油断ならない幼馴染と言葉にしない戦争をしながら、じっとこちらを見つめる彼女に小さく溜息を吐く。
「だとしても、心には関係ない話だ」
「……ん、そっか。分かった。追究してごめんね」
「嫌に素直だな」
「懸君の力にはなりたいけど、困らせたいわけじゃないからね。卑怯にも懸君の優しさに甘えてるだけだよ」
「そうかい」
口ではそう応じつつ、けれども胸の内を見透かされて逃げ道を探すように視線を外す。そんな懸を見て心が肩を揺らした。
「だから、もしも私を頼るような事があれば、その時は全力で協力してあげるよっ」
「男の覚悟はそんなに緩くないっての」
「わー、かっこいー」
心の篭っていない感想に馬鹿らしいと真実をうやむやにして。だからこそその存在感に安心している自分に気がつけば、己のしている事が少しだけ恥ずかしく感じたのだった。
昼食を終えて情報収集がてらの校内散歩に足を出すと、変わらず向けられる視線と空気の中で向こうから歩いて来る葉子と視線がぶつかった。
彼女は懸を認識すると、何かを思い出したように真っ直ぐにこっちにやってくる。
「長松君、テストどうだったかな?」
「ん、あぁ、良かったよ。空木さんのお陰だと思う」
「そっかぁ、それはよかったぁ」
開口一番は一週間ほど前に終わった中間考査の事。既に全ての教科から答案が帰ってきて、順位も知っている。
当然だが、個人の評価と言う観点から順位や点数が貼り出されたりはしない。明確な順位は担任である椿野師……師んだ先生に確認するほかない。
今回は葉子主導の勉強会で一緒に勉強した甲斐があって手応えと共に確かな順位が取れた。流石に目の前の彼女には及ばないだろうが、恐らく自己最高だろう。
「そんなに気にしてたのか?」
「一応教えたのはわたしだからね。どっちかと言うと下がってないかの方が心配だったけど」
「あれで下がるならそもそも最初から勉強は諦めてる部類だろうな」
「いい方に向いたようで安心したよ」
「空木さんは?」
「ブイみっつ」
少し考えて四位だと気付いた。……え、四位ってやばくない? まじうけるー。
「流石だな。比べるのがおこがましく感じる」
「長松君要領いいから本気を出したら同じところまで来そうな気がするけどね」
暗に本気を出していないと貶されたが、事実勉強にそれほど執着があるわけでもない。と言うか将来の夢が漠然とでさえ存在しないから、何を勉強していいのか分からなくて足踏みをしている……と言うのが正しいか。
「どうだろうなぁ……。けどそれとは別に成績が上がるに越した事はないよな」
「だったら期末も一緒にどうですか?」
「俺は別にいいけど、邪魔になったりしない?」
「教えると復習みたいでいい勉強になるんですよっ」
「下がいると安心する?」
「ひねくれてますね……」
冗談にはくすりと笑った葉子。出会い、と言うより面と向かって話し始めた経緯は彼女の勇気の証だったが、今となってはいい友人だ。特に勉強の面では大きく尊敬している。彼女に支持出来るなら互いに利益がある以上断る理由はない。
「じゃあお願いする。またテスト期間中でいいか?」
「わたしはいつでもいいですよ。そこは長松君のやる気にお任せします」
「空木さんこそ卑怯じゃない?」
「何のことですか?」
笑顔で惚ける彼女に呆れて笑みを浮かべつつ、けれど彼女を振り回すわけにもいかないと期間中と言う約束だけ取り付ける。
真面目な委員長。しかし中々どうして固い芯で虎視眈々と懐を狙ってくる強かさに少しだけ楽しくなる。これで恋愛が分かったなら、彼女の魅力に惹かれていたのかも知れないと考えながら。
ある種原動力を見つけつつ、現状降りかかっている火の粉を睨む。曖昧な態度で彼女の誘いに応えるのも失礼だ。期末テストまではもう少しある。それまでに愛との間に積もった問題を片付けなければ。
* * *
「どうだった?」
「距離を置かれました」
「こっちも言質取れたよ」
「なら疑う余地すらないな」
突き合わせた顔と声に確かな音を聞いて共通認識に落としこむ。
それぞれに彼────長松君と接触した結果を報告し合う。
最初に言い出したのは彼の友人である坂城君だった。曰く、どうにも最近長松君がおかしいと。彼とは中学からの付き合いらしいが、傍から見ても随分仲がいいように思う。馬が合うらしい。だから何となく気付いたのだそうだ。隠し事、悩み事……特に今回は随分と重い部類の問題を一人で抱え込もうとしているのだと。
そんな長松君を、仲のいい友人として放っておけないというのが彼の第一衝動。言葉にしない男の友情って何か格好いいね。
坂城君の懸念は、長松君を子供の頃から傍で見てきた幼馴染の萩峰さんも確信していたらしい。が、こちらを巻き込みたくないという彼の優しさを尊重して、深く首を突っ込むつもりはなかったそうだ。けれども日を追う事に沼に嵌っていく様子の彼を見ていてやりきれなさは感じていたらしく、坂城君に言われて重い腰をあげたそうな。
きっと長松君の一番の理解者であるからこそ、酸いも甘いも知った上での決断だ。やっぱり幼馴染って羨ましい。
次いで事に協力してくれる三人目は、爆弾を抱えた女子生徒……空木葉子さん。彼女はその話をしているときに丁度通りかかって、女の勘で察していたらしく長松君のためと手を貸してくれる事になった。
爆弾、と言うのは、前に顔を突き合わせた開口一番で彼の事を好きだと。告白した事があると語ったそれだ。
彼女の事は去年から知っている。学級委員の集まりで数度話をした事もある。だからその時の印象でそんなにアグレッシブな性格だとは思っていなかったのだが、真面目さ故の信念だろうか。その勇気と覚悟は尊敬に値するだろう。あたしはきっと、彼女にみたいにはなれないから。
更にこの場にはもう一人。萩峰さんの親友である桔梗原さんもいる。
彼女は一貫して萩峰さんの為だと言う姿勢を崩しはしないが、どうにもまだ何か理由があるように感じる。とは言え詮索してこれ以上面倒が転がり出ても仕方がない。……多分恋愛絡みだとは思うけど、長松君の事を想っている様には感じない。何だか不思議な感じだ。
まぁ協力してくれるならその手は借りるとしよう。桔梗原さんには桔梗原さんにしか出来ない事もきっとあるだろうから。
そして最後にあたし。長松君とは去年一年距離を置いていたのだが、今年の演劇祭でその壁もなくなって今は良好な付き合い方が出来ている。
彼は恋愛が理解出来ないと前に語っていたが、それが理由なのか人の心の動きに敏感だ。そこに慎重さが相俟って、どこかあたしにも似た俯瞰や客観視から、最大多数の最大幸福を……空気を読んで雰囲気を取り持つ事が出来る人物だと評価している。
集団に対するその身の置き方は確かに一線を引いていて。幼少の頃から社交の場で勝手に培われたあたしの気遣い等とは別の、努力のような何かを感じる。何にせよ、長松君はあたしと同じ、距離を測れる人だ。
だからこそ違和感があった。最初に感じたのはあたしの誕生日の時。サプライズの時間稼ぎにデート紛いの時間潰しをした際に、何となくだが距離感が揺らいでいるように思ったのだ。そしてそれは誕生日会の最中も、そしてその後の校内でも同じようなものを感じていた。
関連して菊川先輩や萩峰さんにも違和感を覚えていたが、それが何なのか探るような事はしなかった。そこは萩峰さんと同じで、隠そうとする長松君の問題に首を突っ込んで迷惑を掛けたくなかったから。そしてあたし自身が面倒に巻き込まれたくなかったから。……けれどもし頼まれたなら協力して問題解決もしたいとも思っていた。
あたしは、待っていたのだ。頼ってくれる事を。理由や動機を。……浅ましくて、卑怯だ。自分が傷つかない事ばかりを考えてる。
そんな均衡を最初に坂城君が破って、萩峰さんが一歩を踏み出し、桔梗原さんが手を貸して、空木さんが覚悟を振りかざした。多分、最後に決心したのはあたしだったのだろう。それくらいには、ずるい女だ。
「で、どうするよ? ここまでってことはあいつも大概腹括ってる訳だ。それを無視してでも首突っ込むか? もし円満に解決したとしても、俺たちには何の得もないぞ?」
坂城君が確かに音にする。彼の言う通りだ。
長松君が抱えている問題。それに今巻き込まれていない事を考えるに、あたし達には関係のない事……迷惑の掛けられない案件と言う事。それでも何かを貫けば、結果彼に迷惑を掛けてしまうかもしれない。得だって、存在しない。
それに賭けるだけの何かが、あるのかと言う話。
「……でも、そんな事言ったら今のこれって何なのかなって。逃げる事は出来たんだよ。見て見ぬ振りも出来たんだよ。懸君は、そうして欲しいって思って、その選択肢を用意してくれてた。けど、それが嫌だったから、こうして皆で集まってるんだよね? だったら、もう答えなんて決まってるんじゃないかな?」
損得勘定で生きてきた。利がある事以外には基本関わらずに、保守的に歩んできた。
それはあたしが藤宮だから。迷惑と言う名の失敗が、許されない場所に生まれたから。それでいつも打算的に、卑怯に……けれどそれをどうにか繕い飾ってここまで来た。
…………でも決して。その全てに満足をしていたわけではない。
だから少しだけ、彼に嫉妬していたのだ。
同じ景色を見ながら、しかし自由に歩き回れる彼に。いつも自分と向き合って正直に生きている誠実な彼に。
そんな長松君が、ある種の希望だったのだ。彼がそうだから、あたしも間違っていないと。
でも、そんな彼が、今は足踏みをしている。見えない茨に縛られて、身動きがとれなくなっている。それが…………うん。それが、多分、嫌なんだ。
彼には、あたしの希望でいて欲しいから。理想でいて欲しいから。今の彼を……彼を取り巻く環境を、許せないのだ。
あたしは、とても自分勝手で醜い女だ。
「わたしは嫌です。力になりたいです。例え迷惑だって言われても、自分に嘘を吐いてまで見過ごす事は出来ないから。だからもしここで引き返すのだとしても、わたしだけは一人でも頑張ります」
その「もし」には、きっとあたししか当て嵌まらない。今迷っているのは、あたしだけだ。
それぞれに覚悟がある。それがあたしにないから、問うているのだ。その上で、分かる事も一つある。
多分、彼女達はあたしが欲しいんだ。藤宮愛と言う名前が持つ、その意味が。それくらいに危険な事を、彼のためにしようとしている。
でも、あたしにはそれが見つからないから。何が正解かなんて、分からないから────
「くっだらない。こんな話し合いしてる暇があったら早く引っ掻き回した方が余程いいわよ。滅茶苦茶にぶっ壊せば、全部立ち行かなくなって粗でも何でも見つかるでしょう。……だから、そうなってまで信じられる自分だけいればいい。その結果があの馬鹿よ。いい気味だわ」
「あーちゃん……」
「…………ごめん、言い過ぎた」
「ううん、違くて。あーちゃんもそこまで真剣になってくれるんだって思って。懸君と仲悪いのかと思ってた」
「そう言うのじゃないし。大体あいつと私の間に一体どんな仲があるって言うの?」
「え、怒った? ごめんっ、ごめんって、あーちゃんっ。謝るから協力してよぉ」
「……しないとは言ってないでしょうが」
「えへへぇ……」
「前睨まれた事もあったし、桔梗原さんってもっと怖いのかと思ってた」
「っ……!」
…………うん。分かってた。ただ怖かっただけだ。卑怯だっただけだ。高校生にもなって、本当に馬鹿だ。
なんだっていい。嫌なら嫌で、嫌な事に本気になればいいだけの事だ。
「それで。そこで一人突っ立ってるお嬢様はどうするの?」
「……うん。やるよ。長松君は友達だからね。クラス委員長として、教室内の問題は面倒見ないとねっ」
「ありがと、藤宮さんっ」
背中を押してもらって。理由を丸投げして。やっぱりあたしはどこまでもずるい女だ。
こんなのには確かにお似合いな道なのかもしれない。
「んじゃあ早速始めるとするかっ。作戦名は何がいい?」
「懸君大同盟っ!」
「作戦名じゃないし、それ……」
「えー、だめぇ?」
「…………駄目とは、言ってないけど」
「決まりですね。盟主、指示をください」
「えっ、あたし?」
空木さんの言葉に思わず素の声が漏れる。
いや、うん。分かってたけど。そう面と向かって言われるとやっぱり少し気が引けるというか……。平穏無事に学校生活を送りたいのに……どうしてこうなっちゃったかな? 長松君の所為かな? ……うん、そうだね。そうしておこうっ。
「んーと……じゃあまずは情報収集。誰が何の為にこんな事を起こしてるのか、全部暴いちゃおうか」
「いえーいっ!」
それは掛け声としては少し違うんじゃないかな? 萩峰さんらしい気もするけどね。
けど……うん。決めたからには頑張ろう。それこそ、自分に嘘を吐いたら何よりの負けだ!
* * *
愛と共謀して生徒会の名前を笠に真実を探る。その結果に集まった情報は随分と断片的で、やっぱりどうにも要領を得無いものばかり。そしてその殆どが、推理した通りのものばかりだった。
だからこそ何かがある事は間違い無いのだが、その何かが霞掛かって分からない。
しかし表立って動くと今以上に相手の姿が見えなくなるだろうし、大事にして別の場所に飛び火でもしたら厄介だ。だから表向きは何でもない風を装いつつ、噂などに耳を傾けて情報収集。加えて変わらず届く脅迫状のような手紙と合わせて証拠を増やしつつ、そろそろ次の一手を打たなければというのが愛との共通認識だ。
「けど、どうしますかね? 何かいい案はありますか?」
「そうねぇ、いっそのこともう一つ演技でも重ねてみる? 例えば、別れた振りとか」
「今からじゃあもう遅いですよ。そもそも付き合ってる振りに別れた振りも何もあったもんじゃないです」
「…………悪いわね。わたしも相当参ってるみたい……」
精神的な攻撃が目的なら十分に効果を発揮しているだろう。でもそれで得られる向こうの利が分からない。だからこれは副産物に過ぎない。……そもそも主目的があるなら副産物ですらない、か。
最早これは手詰まりだ。そんな事を考える今日の放課後は日直だった愛の仕事を待って、これからバイト先である『Jardin de fleurs de le café』で一緒に作戦会議だ。が、この様子だと余り進展は見込めそうに無い。
「会長なら何かいい案ありますかね?」
「余り他人に頼りたくはなかったけれど、仕方無いわね……」
愛と形だけの恋人関係を初めてもう一ヶ月は経つだろうか。ここ二週間ほどは何者かによる目的の不明瞭な攻撃に晒され続けて、そろそろ二人とも限界だ。誰か一人くらいは味方が欲しい。
そこに挙がった名前が、明確に偽者の恋人役の事を知っている会長……柏木蓮だ。
迷惑は掛けたく無いが苦渋の決断。これ以上の停滞は、こちらの精神的にもよろしくない。
「会長は今日は?」
「部活はさぼって家で勉強って言ってたかしらね」
「部活なんでしたっけ?」
「物理部」
そう言えば理系専攻だったか。愛と別クラスになったと言うのは春の時に聞いた話だった気がする。
懸の文芸部、愛の美術部に並び、蓮の物理部は、滝桜高校の三大放埓地帯、などと呼ばれる事がある。
別に校則を破るような事をしているわけではないが、要は幽霊部員が多いと言うか……参加が各自の判断に委ねられているから、そこまで積極的な活動をしているわけではないのだ。
文芸部も美術部も、基本的に個人での活動内容が多い。だからそれぞれのやる気に左右される、意外と楽な部活だ。
物理部も同様だが、この時期だと夏のロボットコンテストに向けて製作を頑張っている頃だろうか。暇な時にでも冷やかしに行ってみるのも面白いかもしれない。
などとどうでもいい事を考えながら昇降口までやってくる。靴箱を開ければ中には最早常設の便箋が一通。今日は一体どんな趣向を凝らしているのだろうか……ある意味楽しみになりつつあるのが末期症状かもしれない。
「いっ……!?」
さて本日最後の嫌がらせは……と、封を開けようとしたところで、少し時間の外れて生徒のいない昇降口に小さな声が響く。それが愛のものだと気付くのと同時、彼女の元へと向かうとそこには失敗したと顔に書いた愛が居た。
「先輩、どうかしましたか?」
「……いえ、何でもないわ」
咄嗟に拳を握った愛。それから彼女の足元に銀色に光るまち針を見つけてその手をとる。
「見せてください」
「……大した事無いわよ。ちょっと油断してただけ」
言い訳は聞き流してじっと睨むように見つめれば、観念したのか彼女の手がゆっくりと開かれる。女の子らしい細く白い指先を見れば、人差し指に小さい珠が浮かんでいた。少し艶かしいほどに、指の腹を赤い筋が彩る。どうやら思い切り針で切り傷をつけたらしい。
「先輩、保健室へ」
「これくらい放っておけば……」
「金属なんて雑菌だらけですよ」
「…………分かったわよ。全く、変なところで頑固なんだから」
言葉で伝えられない物を伝えようとするようにじっと見つめて告げれば、仕方なく折れた愛。もちろんそこまで大きな怪我だとは思わないが、その原因が原因だけに見過ごすわけにはいかないと。
それから次いで回った思考で、自分のところに入っていたそれを覗き込むと、こっちは剃刀の刃だった。……まだ針でよかった。
ふざけた事をしてくれると、直ぐ近くにあったゴミ箱に封筒ごと投げ捨てて保健室に向かう。先生は職員室にでもいるのか部屋を開けていたが、代わりに先客として恋が居た。
「あれ、先輩。どうかしたんですか?」
「ちょっとな。八重梅こそ怪我か?」
「ふくらはぎを攣ってこけたので一応先生に診て貰えって部長が。今先生を呼びに行ってくれてます」
「大丈夫か?」
「自己診断なら問題ないですっ」
部活中の怪我らしい。夏には大会が控えているのだ。安全には十分注意しないと。
「先輩の方は?」
「生徒会の書類を運んでて指を切ってな。絆創膏だけ貰いにきたんだよ」
「絆創膏ならその引き出しの中ですよ」
「詳しいな」
「保健委員なんです」
咄嗟にするりと出た嘘に、傷口を水で洗っていた愛が視線を向けてきたが気付かない振り。
恋の言う場所を探せば直ぐに見つかった絆創膏。流石に一人で貼れると奪い取られたそれに、肩を竦めて恋に向き直り告げる。
「大会いつだっけか?」
「多分八月の頭だと思いますよ」
「応援行ってもいいか?」
「一年生大会ですよ?」
「それでも試合は試合だろ? 出るなら応援させてくれ」
一年生大会とはその名の通り、出場資格が一年生に限られる大会だ。インハイなどの大きな大会ではないが、しっかりとした公式戦。中学の頃より表彰台常連だった彼女にとっては物足りないかもしれないが、後輩の晴れ舞台に期待してしまうのは先輩心だろう。
「本当に嫌なら断ってくれ」
「……そういう言い方は卑怯ですよ…………。分かりました。その代わり先輩の都合がつく時でいいので練習に付き合ってくださいっ」
「そんな事でいいなら幾らでも」
「はいっ、ありがとうございます! わたしも頑張りますっ!」
ショートポニーテールを揺らして拳を握った恋。どうやらいいやる気の補充に繋がったらしい。別に自分が選ばなかった道を後悔して彼女に押し付けているつもりはないが、実力ある後輩の活躍は楽しみなのだ。その手助けが出来るなら願ってもない話だろう。
「それじゃあお先に。頑張るのはいいけどくれぐれも無茶はしないようにね」
「はい。さようなら、先輩方っ」
愛の激励に大きく頷いた恋と別れ保健室を後にする。と、丁度出入り口でバドの部長らしい女子生徒と養護教諭と鉢合わせし、挨拶をしてその場を去る。
「さて。少し予定がずれたけど、このまま来るんでしょう?」
「そう言う約束ですからね」
「約束まではしてないでしょうが」
そうだったかと。他愛ない会話をしながらバイト先へ向けて足を出す。
想定外は想定外。気を取りなおして作戦会議。何かいい方法でも思いつけばいいのだが…………。
結局これと言った解決策が見つからないまま数日が過ぎた。六月も末に近づき、今年は長い梅雨前線の停滞で長雨が続いていて少しだけ憂鬱にもなる。雨は好きだが、こう連日続くと段々と飽きてくる。そろそろ晴れ空が恋しい面持ちだ。
そんな少し沈んだ世界の空気は校内にも蟠って。じめっとしたべたつく湿気が嫌に蒸し暑く教室内を漂う。その影響か少しばかり校内全体の雰囲気も鬱々としていて、大きな運動も出来ずに少しずつ溜まるフラストレーションの捌け口が規模と頻度を増していく。
具体的には、他の生徒に聞こえるほどに噂が広がり始めたのだ。流石にこれはまずい。
もちろん噂は噂止まり。けれどもここ一ヶ月ほど燻っていた話なだけに、既に原型がどこにあったか分からないような荒唐無稽な拡大解釈も幾つかある。懸や愛は何も悪くないのに、そろそろ生徒指導として呼び出しをくらいかねないほどだ。
さて、ならば一体どうするかと問われても明確な答えなど持ち合わせていない。少し大きくなった声に何となくの姿は見えてきたが、確証がない。証拠がなければ問い詰めて決着を見つける事もままならない。
悪循環は遠に過ぎている。数日以内にどうにかしなければ、冤罪を吹っ掛けられかねない。
そんな悪評に巻き込まれない為か、少し前に心達を遠ざけておいたお陰で今はその姿は近くにない。ここ数日一緒の下校もなく、校内での会話も殆どない。あるのは朝の登校で少し話をするくらいだが、それも駅までの事。偶然なのか何なのか、連日朝の登校に亜梨花が同行するようになって、話題は二人の間でばかりだ。
まぁこちらとしてもその方がありがたい話なのだが。
そんな数日を過ごして、さて、今日が一体愛の恋人役を演じ始めてから何日目だろうかと益体もない事を考えながら靴を履いて玄関を出る。
「お兄ちゃん、お弁当」
「ん、あぁ、悪い。ありがと」
「何か悩み事? あたしで良かったから帰って聞くよ?」
「……いや、大丈夫だ」
そう言えば昨日も忘れたのだったか。そろそろ本格的にやばい……。
けれどどうすればいいのだろうかと。悩みながら外に出ると、家の前に真剣な表情の心が立っていた。
「おはよう」
「…………おはよう。どうした?」
「何が?」
思わず問い掛けた声には間髪いれず問い返し。……この心は、知っている。何か企みをしている時の彼女だ。
けれど一体何を? それがよく分からない。でも瞳の色は、覚悟に満ちている。
別に朝一緒に登校する事は構わない。ここ数日も、登校中だけなら一緒だった。けれど今日のような出待ちは距離を置き始めてからは無かった。そもそもこの距離感は、距離を置く前に心との間にあった物だ。
つまりこの一瞬だけ切り取って考えれば、心は俺に対して距離を置く事をやめた、と言う意思表明と言うわけだ。
その理由、原因……。あるとすれば、昨日の事だろうか。昨日心は部活に出ると放課後学校に残った。ならば俺も付き合って文芸部で時間潰しでもしていると言ったのだが、愛が帰るならそれを送って欲しいと半ば無理やり別々の下校を押し付けられた。その時も今のように疑問に疑問で返された。
もし何かあったなら、懸が知らない昨日の放課後だろうか。考えつつ心に並んで雑談の空気で音にする。
「そう言えば昨日久しぶりに部活出てたな。何か差し迫ってあったのか?」
「あーちゃんと約束があっただけだよ。一緒にする事があったからね」
髪は、触っていない。嘘ではない。でも言葉そのままの真実でもない。そこは勘だが、これでも幼馴染だ。やっぱり何かあったか。
相槌を打ちつつそのまま雑談に流れる。続いた語調にいつもの幼馴染の距離感じて、先ほどのやり取りに何かがあると確信する。とは言え心が本気で懸の不利益になるような事をするとは思えない。だから企みも事が悪い方に転がるような物だとは思わない。何より、ここまで真剣に、そして慎重に隠し事をする幼馴染の姿は初めて見る気がする。だから首を突っ込むべきか迷うのだ。
そうこうしていると駅に着いて、珍しく依織と亜梨花が一緒に待っていた。二人が肩を並べてるのはこれもまた初めてかもしれない。
とりあえず何でもない振りで通せば隣の福寿駅で恋と葉子が同じ車両に乗り込んできた。葉子はまだ分かるが、恋は朝練休んだのだろうか。不真面目な事だ。そして更には学校最寄の枝垂駅で愛と合流する事になった。ここまで来て馬鹿になれるほど懸は無神経ではない。だが……。
「……まぁいいや」
「なにが?」
「なんでもないよ」
愛との挨拶代わりの問答を経て、まるで有名人が取材から距離を置くように六人に囲まれるようにして高校に入る。俺は犯罪者か何かか。
思いつつ靴を履き替えようとしたところで気付く。今日は嫌がらせがない。ここ一週間はずっと続いていたのに、入れ忘れたか?
そんな考えは、けれど次いで無意識に向いた意識で自己否定する。……注目が薄い? 何だか空気が軽い気がする。けれど何だかは分からない。その理由は……?
「お、今日はなかったのか」
「ぇ……あぁ。そうだな」
「なら良かったじゃねぇか」
飾らない親友の態度に、それからぐるりと視界を回せば交わった視線は五人。亜梨花とは合わなかった。
…………余り信じられないが、そう言う事なのだろうか?
「心」
「なに?」
「放課後話がある」
「…………ん、分かった」
あぁ、やっぱりか。ならばもう迷う必要はない。その代わり、とことんまで付き合ってもらうとしよう。
一日過ごして見て改めて確信した。嫌がらせが治まったらしい。原因は分かりきっている。
明確な答えにこそ至らなかったが、同じ物は愛も感じたらしく昼休みに呼び出された。とりあえず話だけ合わせて事実確認は懸の方でして、後で連絡するとだけ約束した。
そうして午後の授業も終わり、騒がしく放課後が始まる。直ぐに荷物を纏め心のいる教室に向かうと、丁度で入り口で亜梨花とぶつかりそうになった。
「悪い」
「…………」
会話にもならない擦れ違いの後、自分の席で日誌を書く心を見つける。
「心」
「んー、ちょっと待って。これだけ先に書かせて」
「分かった」
焦っても仕方ない。そう自分に言い聞かせ、心の前の席の椅子を借りて暇潰しに本を読む。が、どうにも本の内容が頭に入ってこなくて、著者にも登場人物にも失礼だと直ぐにやめた。
スマホを弄るのも何か違う気がして、時計の針を追い掛けたり運動場で準備を始める生徒を眺めたりしていると、非公式合図の吹奏楽部の調律の音が響き始めた。それとほぼ同時、心が一つ伸びをする。見れば日誌を書き終わっていた。
「持っていくか?」
「後でいいよ。懸君ももう待てないでしょ?」
「……そうだな」
幼馴染特有の呼吸で同じ問題文を反対側から読み始める。
「それで、約束を破ったのか?」
「それは誤解だよ。あの時追究しようとした事については謝ったよ。でも首を突っ込まない事には頷いてない」
「誰の入れ知恵だ? 依織か?」
「せーかい」
面倒な吹き込みしやがって。
「で、何したんだ?」
「……どこからがいいかな」
「……まず誰だ。心と、依織と、藤宮さんと……」
「あーちゃんと、八重梅さんと、それから葉子ちゃんもだよ」
「空木さんとはそんなに仲良かったのか?」
「今回の事でね」
しかし、亜梨花もか。彼女が協力とは珍しい事もある物だ。
「最初に気付いたのは多分私。それから藤宮さんで、坂城君で、葉子ちゃんで八重梅さん、かな?」
「彼女は?」
「あーちゃんは私に協力してくれただけだよ。協力って言いながら、一番の悪役引き受けてくれたんだけどね」
「悪役?」
「順番に説明するから」
そう断って、ゆっくりと思い出すように語り始める心。聞き慣れた筈の幼馴染の声を、けれど始めて聞く音のような気がしながら耳を傾ける。
「皆それぞれに懸君が心配だったんだよ。だって懸君がなんにも出来なくなるくらいまで悩んでたくらいだからね」
明確に身動きが取れない事に気付いたのは、葉子だろうか。
「最初は私も迷ってたんだけど、坂城君が言い出してくれたお陰で皆が集まったの。それから、まずはどうなってるか確認しようって」
「……昼飯の時か?」
「うん。それから葉子ちゃんもだね」
「…………あぁ、あれか」
心があの昼食を一緒に食べた時なら、その後に試験の話をした時に探りを入れられたのだろう。直接問われた気がしないから、ある程度確信した上の間接的な確認だったと言うわけだ。
「確認が出来たら、見て見ぬ振りは出来なかったからね。直ぐに行動に移したんだ。藤宮さんと八重梅さんが別々に二人に嫌がらせしてる人たちを直ぐに突き止めてくれたんだよ」
「どうやって……」
「藤宮さんは上手く情報収集だって。八重梅さんは、囮捜査」
「囮?」
「わざと嫌がらせしてる人達の中に入って行ったの」
「……危ない事しやがって」
保健室で会った時にはきっとその最中だったのだろう。けれどその兆しを一切見せないまま欺いてくれたらしい。可愛い後輩だと思っていたのに、中々な役者だ。
「犯人が突き止められたら…………うん」
「心、ごまかしは無しだ」
「怒らないって約束して?」
「……いいから話せ」
予防線を張る心。その事に嫌な感じがしながら先を促す。すると彼女は、組んだ手の甲に爪を立てながら苦しそうに零す。
「…………私が、あの子に力を借りて、あーちゃんと一緒に……」
「っ……!!」
あの子。心がそう呼ぶのは────心のことだ。
心は大きな精神的負荷に耐えられない。けれど懸の力になりたかった。だから心に体を委ねてでも、敵陣に突っ込んで勝負を試みた。
「でも違うのっ。結局あーちゃんが全部先に一人でやって、私は、だから、それはやってない……」
「……そう、か…………」
安堵。をした自分に腹が立った。
結果はどうあれ、心にその決断をさせたのは懸だ。その事に親友である亜梨花が先に気付いたのか、心に危ない事をやらせまいと悪役を一人で背負い込んだと言うところだろうか。
「後から終わった事を聞かされて、私、不甲斐なくて。……だからこの役目を引き受けたの」
今朝家の前で見た彼女の覚悟の瞳は、そう言う意味だったらしい。
「……どうやって解決したのかは聞いてないのか?」
「うん、教えてくれなった」
彼女はただ、心を守りたかっただけ。俺を助けたのは、結果的にそれが一番心のためだと思ったから、か。亜梨花らしい理由だ。
「桔梗原は?」
「本返すって言ってたからもう帰ってるかも。ちょっと待って、訊いて────」
「いいっ」
「懸君っ」
「心はここで待ってろ」
そう言い残して生徒の少ない廊下を走り出す。
亜梨花の行動には……何を言うべきなのか分からない。けれども、渦巻いているその一つに、少なくとも感謝はある。だからせめてそれだけでもと考えながら階段を駆け下りて。昇降口に向かうとそこには壁に背中を預けてスマホを弄る亜梨花の姿があった。
「桔梗原っ」
「……………………くっだらない。正義気取って馬鹿みたい」
声に顔を上げた彼女は、感情剥き出しの視線で懸を射抜いて吐き捨てる。
「今その口で何を言おうとしたの? 誰に? 何を? 勘違いもそこまで来れば立派なものね。…………なんであんたが心の幼馴染なのよ。────くっそむかつくっ!! だから心が…………っ!」
硝子戸が震えるほどに反響した亜梨花の叫び声。続いた言葉は、けれども飲み込んで彼女は踵を返した。
亜梨花の怒りは尤もだろう。それだけの迷惑を、懸の優柔不断によってかけたのだ。全ての責任は、俺にある。言い訳はしない。
突き付けられた言葉を逃さず受け止めて、彼女の背中を見送る。しばらくして足音と共に心がやってきた。
「待ってろって言っただろ」
「あーちゃんは? 話出来た?」
「……俺にその気はあったけどな。あっちはその気は無かったとさ」
「そっか……。私から伝えておこうか?」
「…………いい。いつか改めて俺から言う」
「ん、分かった」
全面的な失敗と後悔を胸に刻みながら、それでも最後にするべき事は残っていると呼吸を落とす。それとほぼ同時、ポケットに入れていたスマホが震える。何となく察しながら画面を見れば、通知は愛からのSNSだった。
「誰から?」
「菊川先輩。話があるって」
「……先に帰ってようか?」
「一人で大丈夫か?」
「あーちゃん捕まえるよ」
それがいいかもしれない。懸のいないところで存分に貶してくれれば、その方が少しは救われるというものだ。
「心っ」
「なに?」
「……ありがと」
「幼馴染だからねっ」
気取った答えにもう一度胸の中で感謝をしつつ幼馴染を見送って屋上へと向かう。途中数人の生徒と擦れ違ったが、ちらりと視線を向けてきただけで何も声は掛けてこなかった。何か必要であれば、明日以降何か手を打つとしよう。
考えつつ屋上までの階段に足を掛ける。と、途中の踊り場で降りてくる愛と会った。
「今回のは貸しじゃないからね」
「俺には何も言う権利はないよ」
ただ一言そう告げて擦れ違った愛。感謝もさせてくれないとは酷い話だと、彼女の優しさに自分の弱さを実感しながら階段を昇る。
一応後ろを確認するとかすかに音を立てる蝶番と共に空の下へと出る。
「こっち」
上から。後ろを振り向けば出入り口の縁に腰掛けた愛がスカートの裾を押さえてこちらを見下ろしていた。先輩、そこ好きですね。
掛けられた梯子を登って彼女の隣に腰を下すと、すかさず茶化してくれた。
「今日はお土産はないの?」
「……忘れてました」
「いい奴隷根性ね」
一体誰の所為だと……。そう口にしそうになって、けれども渇いた笑い声を零した彼女に視線を外す。
もう少し余裕があれば飲み物は買ってきたのだが、言葉通りに忘れていたのだ。今回ばかりは許して欲しい。
「藤宮さんから聞いたんですか?」
「えぇ。全く、よくもやってくれたわよね」
全てを俯瞰して見ればあった答えは唯一つ。当人ではない周りが勝手に解決したという、なんとも不甲斐ない今だ。
もちろん動けなかった言い訳や、彼女達の動機も全ての原因は一つで、悪態以外に言葉が見つからないのは仕方のない事だろう。
「でも、お陰で助かった。だからその内、それぞれで何かしらのお礼でもしましょうね」
「そうですね」
例え自己満足と言われても、そうする事でしか自分の中では清算出来ない。だから出来るだけ気付かれないようにお見舞いしてやるとしよう。何がいいだろうか。
「……恋人の演技もこれで終わりでいいですか?」
「そうね。明日からはただの先輩と後輩よ。……大丈夫?」
「そもそも戻るほどの進展がありましたか?」
「あったわよ」
少しだけ予想外の答えに視線を向ける。すると彼女は楽しそうに笑いながら次いだ。
「楽しかったもの」
「……まぁ、そうですね」
恋人ではない。けれどただの友達でもない。友達以上恋人未満……そんな物理的な関係。物語の中でしか知らなかった、この世界にあるのかどうかもよく分からない曖昧なものに、二人で勝手に到達したのだ。だからと言って何か得た訳ではないのだが……愛の言う通り、楽しい出来事は楽しかった。
きっともう、こんな経験は二度と出来ないだろう。そう言う意味では少し寂しいかもしれない。
「それで、先輩はどうでしたか?」
「何が?」
「勘違い、しましたか?」
終わった事に悩んでいても仕方ないと少しだけ前を向いて。僅かにずれた話題は反転した矛先。
懸は恋心が自覚出来ないから恋愛はよくは分からないが、愛は興味がないだけ。だからもしときめきを覚えるような事があったなら、今からでも遅くない新たな道の手助けが出来たのかもしれないと尋ねる。
「……だとしても、今ここで改めて告白なんてしないわよ」
勘は、働かなかった。だからその言葉が本心なのか、何かを隠した物なのかは分からない。せめて彼女には色々言って振り回した礼に、何か得る物を得ていて欲しかったのだが。
「でもまぁ、いい経験だったのは確かだわ。懸君もそうでしょう?」
「だからと言ってこんな面倒事はもうこりごりですけれどね」
「次があればもっと上手くやるわよ」
お願いですからそんな希望は捨て置いてください。
こんな時でさえ向上心の火を潰えさせない愛に尊敬さえ抱きながら、まるで別れを惜しむようにしばらく話し込んで。やがて吹く風に肌寒く感じ始めた事を理由に後ろ髪を惹かれるような思いに決着を手繰り寄せる。
「さて、そろそろ時間ね」
「何か予定でも?」
「バイト。遅れるとは言ってあるけど余り迷惑は掛けられないでしょう? そうでなくとも今回の事で何度もいいように使わせてもらったんだから」
「俺も一緒に手伝いましょうか?」
「教える手間が増えるからお断りよ」
素気無く断られて小さく笑えば、腰掛けた縁から屋上へと跳び降りて愛がこちらを見上げる。
「それじゃあ、また明日」
「はい、また明日」
今日とは違う明日が必ずやって来る。その違いが、些細か、重大かの違い。世界はそれでも平等に巡っている。
彼女にとってはどちらだろうかと少しだけ考えて愛の姿を見送れば、背負っていた何かをおろすように大きな溜息を吐いた。
帰ったらきっとまた紫の娯楽の餌食になるのだろう。偽者の恋人と言う曖昧な関係であれだけ疑ってくれたのだ。今回は一体どんな風に慌てるのか、最早少し楽しみだ。