錬金術:初歩の初歩編
レイの講義は次の日にも続く。今回はついに実践編だというが……
「錬金術は構成、そして分解。この二つに大別される。Aという物体を分解し物体Bを作る。その物体Bを物体Cに再構成する。この繰り返しこそが錬金術の基本中の基本だ」
レイは講義を続けながら物体A、B、Cについて黒板へ図示し、俺はそれを逐一メモに取っていく。
「イヴの身体も元はといえば僕が再構成したものだ。錬金術に0からは始めるということは存在しない。あったものを作り変える、という技術こそが錬金術だ」
「錬金術では無から有は作り出せないってことか?」
「残念ながらね、無から物を作り出すことは錬金術に限らず、あらゆる分野で絶対の法だ」
前世の現代でも無から有を作り出すことは不可能だった。別の世界であってもそれは同じだということだ。
「構成と分解は循環する手順だ。構成するなら何かを分解しなくてはならない。分解するなら何かを構成しなくてはならない。どちらが最初に起こったことであったかということは未だに明らかになっていないし、神々がまだ地上にいた頃でも同じだっただろう。実際に掘り出される特異物からも無から有を作り出すものは見つかっていない」
「なら気になることが1つ。俺の身体はなにから再構成された?ホムンクルスの生成が特異物となるならその元も特異物なのか?」
「良い質問だね。それはこの特異物が関係している」
レイはローブの裾から1つの小さい冊子を取り出す。いつも朝食の時も、書斎で何かを作ってる時も、身から必ず離さず持っている小冊子だ。古びてはいるが丁寧に装丁されており、所有者が大事に扱っていることが分かる。
「アブラハムの書……特級特異物に分類され、私の錬金術の知識は全てこの本が教えてくれた。この中に保存されているのはかつて最盛期を迎えた神代の錬金術。もちろんイヴの身体の製造法もこの中に……」
「神代の錬金術……」
ごくりと喉が鳴る。もしかして俺はとんでもない事実を、今教えられているんじゃないか……?
「この中にある知識はどれもこれも教会法にひっかかるものばかりだ。だからね、イヴ。僕が教えられるのはちょっとだけになってしまう。それでもいいかい?」
「……分からない。俺はまだ錬金術を何も学んでいないからな。レイが教えられる部分が終わったらまたその時に聞いて欲しい。その時はしっかりとした答えを出すから」
「そうだね……。その通りだ。僕は焦りすぎたのかもしれない」
……正直なところ発禁ものの知識とか興味が無いとか言ったらウソになってしまう。けれどまずは基礎だ。そこまで終えれば少しは錬金術のことも分かるようになっているだろうから。
「さて構成と分解が基本なのは教えたね。じゃあ実践してみよう」
レイはそういうと俺の背後に回り、俺の腕を抱きかかえるように持った。案外身体はがっしりとしていて、意外と鍛えていることが分かる。胸板は固く、寄りかかっても倒れそうにない。くそう、俺も男の身体の時はそこそこ鍛えてたのに、今じゃ見る影もなくぷよぷよしている。
「イヴ、ほら呆けてないで指先に集中して」
おっと、思考が脱線していた。いけない、いけない。指先に集中、集中。
「じーっと見つめ続けて、集中すれば見えて来るはずだ」
レイの言葉通りに指先に集中する。穴が開くほど見続ける。
「なあ、何にも起きないぞ?」
「まだ集中だよ、イヴ。もうこれでもかというくらい指先を見続けて」
見る、見続ける、瞬きもしないほどに見続ける。そうして、しばらくすると指先からふわりと長くゆらめく白い靄が見え出した。
「なあ、レイ。この白い靄みたいなのはなんだ……?」
「見えたかい?それが魔力の流れ、マナラインだ。僕の指先にそのまま視線を移して……ほら、白い糸のようになっているだろ?」
レイに従い、ゆっくりと視線を移すと確かに白い糸みたいなものがレイの指先から出ていた。
「こういう風にイヴの指先から出ている白い靄を絞るイメージで糸にしてみて、慎重に、慎重にね」
俺は白い靄を収束するイメージをする。細く、細くなれ……!必死に祈りを捧げるように絞っていくが、ぷつんと靄が切れたと思うと、部屋に漂っていた白い靄は消え去ってしまい、次にがくんと身体が脱力した。
「失敗しちゃったね……。まあこれを続けていくのが当面の課題かな」
「なあ、今のが錬金術の初歩なのか?これがいったい何になるんだ?」
レイに身体をもたらせかけつつ聞いてみる。
「ああ、これは錬金術の初歩というより、魔術の初歩の初歩。魔力を自身でも操作できるようになるための訓練だよ」
「あの白い靄を細い糸にするんだよな?」
「そう、魔力を絞って物体に働きかけるように濃度を上げる必要がある。これはあらゆる魔術に必要な動作だ。最終的にはこれを意図しなくてもできるようにするのが課題だ」
「つまりあの白い糸で分解と構成をすることを錬金術と呼んでいるのか?」
「その通り、緻密な作業ができればできるほど錬金術はうまくなっていく。錬金術はそれこそ何本もの針に同時に糸を通すような作業なんだ。そしてそれが早ければ早いほどいい」
「俺はまず、白い靄を糸にできるようにするところからだな……」
ぱん、と自分の顔を叩く。
「もう一回!」
「ダメだよ、イヴ。今日はもうおしまい」
「えっ、なんで!?」
「集中しすぎて疲れただろう?さっきまで僕に寄りかかってきたじゃないか」
「あれは急に疲れが来て……もう大丈夫!」
レイは微笑みながら首を横に振る。
「魔力を扱うっていうことは脳に多大な負担をかけるんだ。イヴは初めから白い靄まで見えたんだ。あれでさえ難しいことなんだよ、今日はもうお休みだ」
「けち」
意図せずぷくっと頬が膨らむ。本人のやる気があるのだからいいじゃないかと思いつつも、その日の訓練は終わりを告げた。
※※※
「ダメだ―!」
ばたりとベッドに寝転がる。俺はその日の夜もこっそり練習していた。浴槽に浸かっている時もベッドにいる時も指先に意識を集中させていた。レイにはほどほどにしておきなよとは笑いながら言われたが、このままだと何か負けたようで悔しいのだ。
「ああ、こんなところ見られたら絶対レイははしたないよ、とか言ってくるんだろうな……。過保護なのはいいけど俺だってもとはちゃんと大人だぞ、まったく」
深く嘆息する。
「はやく独り立ちしてレイにちゃんと恩返さないとなあ」
本当なら目覚めたときに殺されていてもおかしくはなかったのだ。いや本来ならレイはそうするつもりだったはずだ。俺を廃棄し、自分の罪の証を消してしまえばレイは安全だったはずなのだ。それなのにレイは自分の無罪よりも俺の命を選んでくれた。優しくしてくれた。庇護下にも置いてもらえた。これほどの恩はどうやったら返せるのだろうか。何もせずにいることには耐えがたくなってきたのだ。ただで食事を与えられ、ただでベッドで眠らさせてもらってる。こんなの罪悪感を覚えない方がおかしい。
「よしっ、やるぞ!」
気合いを充填する。はやく独り立ちができるように……。その日は寝落ちするまで訓練を続けたのであった。