メイドと嗜好
ゆさゆさと身体を揺さぶられる。
「あと五分寝させて……」
心地よい眠りを妨げられ、いらっとしたのでシーツを身体に巻き付ける。
「朝食のお時間です、起きてください」
起床を拒んだのに、機械的な声とともにさらに揺さぶられ続ける。
「後5分って言ったじゃないか……もうちょっとだけ……」
精神的に参っているのだ。休眠くらい自由にさせてもらえないだろうか。寝ぼけた頭でそんなことを考える。機械的な声は同じことを反復し続けているようだ。うん?機械的な声?
ガバッとシーツをまくり上げ、声のする方を見ると、そこにはメイドがいた。
「おはようございます、朝食のお時間です。食堂までいらしてください」
目を点にしていると、そのメイドはすぐそこの扉を開け、廊下へ去って行った。
俺は狐につままれたような気持ちになりながらも、おまる(チャンバーポッドというらしい)をベッドの下から取り出し、用を足すとメイドの去った方向へ歩を進めた。
※※※
「ははは、驚いた様子だね。その顔を期待していたよ」
食堂へつくとすでにレイは椅子に座っており、俺を待っていたようだった。その前にはトーストとソーセージ、コーヒーが置いてあり、対面の席にも同じメニューが並べられている。そして俺がきょろきょろと先ほどのメイドを探している様子を見るやいなや大笑し始めた。
「来なさい、ヴィオラ」
ぱんぱんとレイが手を叩きつつ、厨房へと声をかけると、先ほどのメイドが音もなく歩いてきた。灰色の生気のない瞳に高い鼻、きりりと一文字に結ばれた唇、そして170cmはあるだろうという長身、まるで絵画の世界から出てきたのかとすら思わせる姿だが、その冷徹な雰囲気は生命をまるで感じさせない。
そのメイドはレイの隣に立つと、ぺこりと俺の方を向いてお辞儀をしてきたと思うと、
「この屋敷のメイド、ヴィオラでございます」
と挨拶をしてきた。起き掛けの失礼もあり、なんと返せばいいか分からずおろおろとしていると、ヴィオラの隣でレイはくくくと笑っているのが視界に入った。
「イヴ、そんなにかしこまらなくてもいいよ。ヴィオラは機械人形だからね」
とレイが口を開いたと思うと、すっとヴィオラの袖をまくり上げた。その関節に当たる部分には球体が存在している。
「趣味が悪いぞ、レイ。そもそも機械人形ってなんだよ……全く、俺の反応面白がりやがって」
俺はレイの対面の席に座りつつ、そうぼやく。レイは未だに口の端がつり上がっている。
「いや、悪い悪い。あたふたしているイヴも可愛いなと思ってさ」
「可愛いとか言うなよ、中身男だと分かって言っているからマジで趣味悪いぞ。で、機械人形ってなんだよ、ロボットみたいなものか?」
「そのロボット?というのは分からないけど、機械人形は錬金術で作られた人間に奉仕してくれる優れものさ。ヴィオラはその中でも朝起こしてくれたり、料理してくれたり、掃除してくれたりと日常生活を支えてくれる使用人タイプ」
つまりはメイドロボットだと言うことだ。ヴィオラは相変わらずレイの隣に微動だにせず、たたずんでいる。なるほどそう聞くと確かにロボットっぽいかもしれない。
「なんで昨日教えてくれなかったんだよ、朝すごくびっくりしたぞ」
「いや昨日の小水の件で思い出してね、昨日の夜に起動させたばかりなんだ。これから困ったことがあればヴィオラに言ってくれ」
「小水の件を食事どきに持ちだすのはやめろ」
昨日の件を思い出すと恥ずかし過ぎて顔から火が出そうだ。気を逸らすためにコーヒーをすする。この独特な臭いを嗅ぐと前世でデスマーチ時のお供だったななんて感想が……
「ってにがっ!」
「あれ?コーヒーはダメな体質かい?」
「いや飲めたはずだが……身体が変わったせいかな……」
「身体と魂の嗜好の違いか……面白い話だね、後でしっかり調べてみたいものだ」
レイはそう言ってコーヒーを一口飲む。昔は俺もブラックでよく飲んだものだが、今となっては劇物だとしか思えない。悠々と飲むレイに視線を向けていると、にっこりと微笑み返された。
「イヴ、トーストとソーセージも食べてみたはどうだい?前と比べて変わったところがあるかもしれない」
その言葉通りに添えられたマーマレードを乗せトーストをかじる。ほのかな甘みとカリカリとした食感は前となんら変わることはないように思えた。ソーセージもぷりぷりとした食感が変わることはない。味覚自体は正常に働いているようだ。一番大きく変わった点は一口の大きさだろうと、ポロポロとトーストのカスが零れ落ちていくのを見ながら思いつつ、視線を軽く上へ移すと、レイとヴィオラがじっとこちらを見つめているのがわかった。
「なんだよ、あんまり見つめられると食べ辛いだろ、ヴィオラまでこっちを見ているの緊張するぞ」
「ああ、僕は単純に興味があるだけ。ヴィオラは……君の食べ方から好みを把握しょうとしているのだと思う。学習機能を搭載しているからね」
その言葉に驚く。この世界では1911年時点で学習機能を搭載したAIがあるのだ。レイにヴィオラは元の世界でも最先端の技術と遜色ないという旨を語るとレイは少しうれしそうに頷いた。
「僕に、いや錬金術師にとって機械人形はゴーレム技術の発展形にあたるからそこまで珍しいものではないが君の世界だと違うみたいだね。本当に興味深い。後で一度君のいた世界とこの世界の相違点を調べてみようか」
「それは俺もやりたいと思っていた。日本やイギリスが存在しているのに技術体系はこうも違うとなるとなんらかの偶然では片付けられないからな」
「それと……」
レイは何かを言い出そうとするが口ごもってしまう。
「それとなんだ?言いたいことがあるなら言って欲しい。できることなら協力するぞ?」
「それと君の身体と魂だ。僕の今進めている研究の最終目的は魂についての解明だ。魂の実証についてはもちろん君も実証例の1つだし、他にもいくつかの実証例が存在している。しかし!魂とはなんなのか、肉体の死の後にどこへいくのか!それを証明するのが僕の命題なんだ!」
レイのテンションがみるみるうちに上がっていき、どんどん早口で語る。正直ちょっと怖い。
「ああ、すまない。少し興奮をした。つまりだね、イヴさえよければ前のことできるだけ教えて欲しいんだ。辛いことかもしれないが……」
「俺の死の経験について考慮してくれたのか?そんなことなら構わないぞ、俺はレイに養ってもらっている身だ。レイが望むならいくらでも従うぞ」
レイは俺を過剰に心配しすぎているきらいがある。そこをなんとかできるともう少しコミュニケーションも取れやすくなるというものだが。
「その言葉は非常に危険だ。イヴいいかい?君の身体は他の人から見れば可憐な少女に過ぎない。あまり人を信頼しすぎない方が良い。いつかは独り立ちするのだから」
「けどレイならさ、大丈夫だろ?」
「そういうかわいらしい言葉は僕の前でだけでね?」
「わかった、気を付けるよ。といっても他人と関わる機会ってこの先近々あるのか?」
この家に留まる以上レイとヴィオラ以外とはかかわりは無いと思うのだが。
「うーん、一月ほど経てばこの家から僕はしばらく出なくてはならない。そのときに一緒に付いてきて欲しい」
「そうなのか?一月……、うん、こっちでもなんとかなるように努力してみる」
「いい子だ」
そう言うレイの表情は優し気な……けど、ちょっと気持ち悪いような目をしている。
「だからそういう慈愛のまなざしみたいなのはやめろ……」
会話はへんてこな内容だが、誰かと一緒にご飯を食べるということがこんなにも楽しいことだというのはしばらくぶりに思い出した朝食だった。