第12話
どぞ!
「三日月と黒猫、それが私【夜】のシンボルです」
そう言って、ヒスイが見せた左手には黒い三日月にそこに座るような形で一匹の黒猫が描かれていた。
その時のヒスイの表情はまさしく暗殺者のそれのようだった。さっきまで感情があったその顔からは一切の感情が抜け落ち、その目はまるで獲物を狙う猛獣のようだった。その目を見て、セレナは思わず一歩引こうとして――
「ま、【夜】は自分から言い始めたわけではないんですがね」
と、突然明るい口調で話し始めた。
ヒスイの顔に感情が戻っており、目も優しい眼差しに変わっている。
セレナはそんなヒスイの様子に安堵の息を吐く。
「そうなの? そういうのって、誰が決めているの?」
「そうですねぇ…冒険者なら冒険者ギルドが決めるときもあれば、自然と冒険者の間で言われるようになってそれが二つ名になることもあります。騎士などは基本的には国王が与えますが、それは上流階級だけですかね。暗殺者の場合は目立ちたがり屋もいないこともないので、自分で決めて名乗るケースもあるんですけど、基本的には同業者、あるいはターゲットにされるであろうことをしている闇の者、暗殺者から運よく逃げられたもの、もしくはたまたまその場に居合わせた目撃者…などが言い出したりしますね」
「それじゃあ、ヒスイも?」
「そうですねぇ……私は少しばかり特殊ですかね」
「特殊?」
「ええ。もともと私には、いくつかの呼び名があったんですよ。例えば悪徳貴族に…表現を柔らかくして捕まっていた人たちからは主に救世主だとか言われてました。【黒き救世主】なんて何だか恥ずかしくなるようなものもあったんですよ? それで貴族の悪事の証拠を送り付けた騎士団からは【義賊】とか【貴族の裁きて】とか【殺さない暗殺者】とか言われてます。いつの間にか広まっていた噂を聞いた平民からは【平民の味方】とか【正者】とかもう数えきれないほどいろいろ言われてました」
そう苦笑するヒスイに、セレナは驚愕を隠せない。何故ならセレナも知っていたからだ。【義賊】と【正者】、そして【黒木救世主】という名を。そしてその名がすべて、たった一人に人物をさしていたこと、そしてその人物がヒスイであることに、驚きを隠せない。
「そ、それってあなただったの!? 私はてっきりどこかの組織の人達で複数人いると思ってたんだけど!!?」
「ああ、その誤解はよくありましたね。もうね、庶民の間ではその架空の人物が全員いることになってますからね」
数えたらいったい何人いるんでしょうね、とヒスイは笑う。
「でも、そんな中である騎士が言ったそうです。『月に猫…まるで夜を現しているかのようだ』ってね」
「それが…きっかけ?」
「はい。それ以来騎士たちの間で【夜】と正式に決められまして。騎士の家族から流れたんでしょうね、庶民の間でも広がったんです。しかもご丁寧に今まであった呼び名は全て【夜】という人物と同じであると騎士たちが口々に言いだして…何やかんやで【夜】になったんです。実はこれ、結構最近の話なんですよ?」
「そう…なんだ。ねぇヒスイ」
話を聞いていて、セレナは一つ聞いてみたいことがあった。
「何です?」
「………自分で言ってて、恥ずかしくないの?」
……………沈黙。
「恥ずかしいに決まってるじゃないですかぁ!!!?」
顔を羞恥で真っ赤に染めて叫ぶヒスイ。
「何ですか【黒き救世主】って! 黒いのに救世主っておかしいですよね!? もうそれだったら【救世主】だけでもいいでしょうに! それに【義賊】とかまんまだし! もう少し捻れよ! 【正者】とか意味不明! あれですかね、字的に【正しい者】って意味ですか!? できるだけしないようにしてると言っても暗殺してるのに『正しい者』って頭大丈夫ですか!? こっちの身にもなってくださいよどんだけ恥ずかしい――」
「わぁ~待った待った! ごめんヒスイ! 今のは忘れて~!!!」
怒涛の勢いで語りだすヒスイを、何とか宥める。
「し、失礼しました。お恥ずかしい所をお見せして…」
「う、ううん。私が悪かったわ。今のはお互い忘れましょう」
「そ、そうですね。お互い忘れましょう……それで、何の話をしていたんでしたっけ?」
そのヒスイの問いに、固まるセレナ。
「何だっけ?」
「さぁ……」
「ヒスイ…思い出せない?」
「……取り敢えず、迷宮都市パルミドへ行きましょうって話だったような………」
「ああ、何だかそんな気がするわ」
「ですね……」
……………。
「準備、しますか」
「うん」
そうして、二人はいそいそと洞窟を出る支度を始めた。
◇
支度と言ってもセレナは何も持たず追い出されたため手荷物はなく、ヒスイも自分の刀を腰に挿して右手のグローブを裏返しにして左手に着け刺青を隠してしまえば準備完了である。
「それじゃあ、行きましょうか」
ヒスイが洞窟を出たところで待っていたセレナに声をかける。
「ええ、行きましょう。……この魔方陣、このままでもいいの?」
「まぁ、別にいいと思いますが……いえ、追われている身なので一応破壊しておきましょうか。少し離れていてください」
そう言うと、ヒスイは魔法陣の中央に立ち、チラッとセレナが離れたことを確認すると、右手を小さく右に振った。
するとパリィイイイインとまるで窓ガラスが割れるような音がして、魔法陣が砕け散りその残滓がヒスイの周りに舞う。
キラキラと輝く魔法陣の残滓の中に、一人立つヒスイ。
セレナにはその光景が酷く美しいものに見えた。
洞窟を少し入ったところ。
太陽の光が僅かにヒスイを照らす。
ヒスイの周りを舞う魔法陣の残滓が太陽の光を反射しキラキラと輝いている。
それは、まるで一枚の絵のようだった。
神秘的なその光景に、セレナは目が離せない。
やがて光は地に落ちて、景色が戻る。
しかしどうしたことか。魔法陣の残滓が地に落ち、その光をなくしてなお、その場に立っているヒスイは絵になっていた。
セレナが目を離せないでいると、ヒスイがセレナん元まで戻ってくる。
「お待たせしましたセレナ様」
「………」
「……セレナ様?」
「あ、ううん! 何でもない」
(見とれていたなんて、絶対に言えない!)
「そうですか? それならいいのですが……。それではセレナ様。行きましょうか」
「ええ、行きましょう」
そう言って、ヒスイがセレナに手を差し出そうとして――
「あ、そう言えば忘れていました」
「ヒスイ?」
突然、ヒスイはそんなことを言い出すや何やら服の下にしまっていたペンダントを首から外す。
そのペンダント――綺麗なサファイアがはめ込まれた、シンプルなそのペンダントを見て、セレナが思わずといったふうに口を開く。
「その、ペンダントは……」
「覚えておいででしたか。そうですこのペンダントはセレナ様の物です。私が屋敷を出る前、その話をしたセレナ様が私にくれたものです。『絶対に、返しに来てね』と言って。セレナ様、このペンダント、お返ししますね」
そう言って、ヒスイはペンダントをセレナに渡す。
セレナはそのペンダントをじっと見つめ――
「これは、ヒスイが持っていて」
「……え? ですがこれはお母様の形見の――」
「うん。でも、ヒスイが持っていて」
「……いいのですか?」
「ええ。ヒスイに持っていてほしいの」
「………分かりました。それでは、このペンダントは私が持っていますね」
有無を言わせぬセレナの物言いに、ヒスイは素直にうなずいて再びペンダントを首にかける。ヒスイの胸の辺りで、太陽な光を反射したサファイアがきらりと輝いた。
「うん。似合ってる!」
「……セレナ様の方が似合うと思いますが」
「あぅ……ヒスイってさらっととんでもないこと口にするよね」
「そうですか?」
「ええ。あ、そのついでにヒスイ。あなたもっと砕けて話さないの?」
「…砕けて、とは?」
「敬語じゃなくて、普通に話さないの? ってこと」
「…ダメですか?」
「う~ん、できれば止めて欲しいかな。昔は普通に話してたじゃない」
「あれは…二人きりの時だけです」
「今2人よね?」
そうだった。
「それに、明らかに年上のヒスイが私に敬語を使っていたら、私の素性を詮索してくる人とか出てくるんじゃない?」
「それは! ……そうですが、セレナ様は公爵家のお嬢様です」
「今は違うわ」
「違わなくありません。セレナ様の家は、エインズリー家です」
手紙と同じことを言うヒスイに、セレナは小さく笑みを漏らす。
「ええそうね。でも、それでも私は今エインズリー家の者ではなく、ただのセレナとしてここにいるのよ」
「ですが………」
「もう! 私がいいと言ってるんだから別にいいじゃない。昔みたいに「セレナ」って言ってよ。…ヒスイが止めないなら、私も敬語で話しますよ?」
そう言いながら、可愛らしく首を小さく傾げるセレナに。
「…別に、構いませんが」
「え!?」
「いえ、何かそういうセレナ様も新鮮で感じがして……寧ろいいですね。そのままで行きません?」
「な、ななな何言ってるのよ! いいから、普通に話してよー!」
たくらみと違う結果になったセレナはその顔をわずかに赤くしてヒスイに詰め寄るとぽかぽかとヒスイに胸を叩く。
ヒスイはそれに苦笑しつつ。
「分かった分かった。それじゃあ普通に話すよ。これで言い? セレナ」
「ええ!」
「そっか。じゃあ行こうかセレナ。いざ迷宮都市パルミドへ!」
そういい、ヒスイが差し出した手をセレナが満面の笑顔で取る。
二人は仲良く手を繫ぎ、洞窟に背を向け歩き出した。
さて、これから待ち受けるものは絶望か希望か。
全く分からないけれども、それでも今の二人の胸に恐怖や絶望はまるでなく、その一歩はまるで希望への第一歩のようであった。
セレナとヒスイはふと顔を見合わせると、二人して同時に笑顔を浮かべる。
それはそれは幸せそうな笑顔。
しかしヒスイは内心焦っていた。
何故なら森の中を進む以上、ヒスイが前、セレナが後ろという形を取り、ヒスイが道なき道を歩きセレナが通れやすいように枝を折ったりなんなりして道を作らなければならないのだが、こうして手を繫いでいればその作業ができないからだ。
もう一度言う。ヒスイは焦っていた。
自分から手を差し出してこうして今手を繫いでいる訳だが、どうセレナにこの手を放してもらえるよう頼むのか。
こんな幸せそうに笑うセレナの顔を見ていると、何とも言いだしにくい!
うっそうと茂る草木は、もう目の前に迫りつつあった。
ヒスイの背中に、冷たい汗が流れた。
ありがとうございました!
やっと、やっと洞窟から出発したー!
長かった。長かったよぉ……。
因みに、ペンダント一度でも出てきたか? という方は第2話のラストの方をご覧ください。ふふふ、実はちょびっとあるんですよ。
さて、お知らせです。
25日と26日、28日は少しばかりリアルが忙しくなるので更新をお休みさせていただきます。
こちらの都合で、楽しみにしていただいている皆様には申し訳ありませんが、どうかご了承ください。
因みに、明日も更新できるか分かりません。申し訳ありません。