第1話
どぞ。
カタリア学園は貴族の子息・子女が通う誉れ高き学校だ。
学園とは、貴族の子息・子女が通うところ…というのが一般的に知られている。しかしこの学園は、他の学園とは違い、試験さえ合格すれば特待生として庶民に門を開く。ただ、その試験はとても難しく、受かるのはほんの一握りの人だけで、特待生の入学など、近年では例がないほどだった。
そんな中、何年か振りかの特待生の入学が決まり、学園中の話題となった。
そして、今まさに王城に開かれた王子主催のパーティーにて、特待生であるの庶民の少女、マナリアはその目に涙を浮かべ、小さな嗚咽を漏らしている。そんな彼女を抱きしめ、背中を優しく撫でるのはこの国の第1皇子であるルイス・ラドフォードその人。彼が睨め付けるその視線の先には、彼の婚約者である少女、エインズリー公爵家の長女セレナ・エインズリーがいた。
セレナはそれはそれは美しい少女だった。彼女はその綺麗な銀髪をいつもサイドテールに纏め、そのルビーのように綺麗な瞳は、常に優しく、確かな温もりを持っていた。学園での成績も優秀で立ち振る舞いも優雅で完璧。普段はふんわりと優しい印象を与えるが、いざというときには凛とするその様から、彼女に憧れを抱く子息子女は後を絶たない。
セレナ・エインズリーとルイス・ラドフォード。誰がどう見ても文句の言えない、まさしく次代のこの国を継いでいく王と王妃だと思われていた。
……そう。思われていた、だ。彼女、マナリアが現れるまでは。
セレナはまるで意味が分からないとばかりに、その整った顔を不安と困惑に歪め、マナリアを抱きしめる自身の婚約者であるルイスに声をかけた。
「ルイス様? これは……一体何事でしょうか」
こと事の始まりは、セレナが一人飲み物を片手に壁際によっていた時である。
本来ならセレナは婚約者であるルイスと共に会場に現れ、今頃は軽快に流れる音楽と共にダンスを踊っている子息子女に混ざってダンスをしているはずであった。しかしながら、いくら待ってもルイスはこず、しかたがなしに来た会場にもルイスはおらず、首を傾げていた。婚約者がいる身で他の子息と踊るわけにもいかず、しかたがなしに壁際によって、ルイスが現れるのを静かに待っていたのだ。
そうして待つこと数十分。ついにルイスは現れた。……特待生で庶民である、マナリアと腕を組んで。しかもその後ろには他の有力貴族の子息に、セレナの兄であるイヴァン・エインズリーの姿もあった。
驚きに身動きができないセレナ。
ルイスはざわめく会場の中、誰かを探すように周囲を見渡し、そしてセレナと目が合った。するとルイスはその整った顔立ちを般若のように歪め、そのサファイアの瞳をスッと細めると、セレナに向かって歩いてきた。
ルイスとマナリア、そしてイヴァンを含む数名の有力貴族たちは、セレナを睨みながら近づき、そしてセレナの前まで来ると立ち止まる。
セレナはなぜ自分が睨まれているのか意味が分からず、ついその団体の中で唯一の女性、マナリアに視線を向ける。すると何故か、マナリアは小さく「ひっ!?」と声をあげると泣きだしてしまったのだった。
「一体、何事でしょう…だと!? よくもそんなことを口にできたものだなぁ!」
突然のルイスの一喝に、会場は一瞬で静まり返る。セレナは今まで、ルイスに怒鳴られたこともなければこんなに怒ったルイスを見るのも初めてであるため、驚きと恐怖にその身をすくめた。
「貴様がここにいるマナリアに対して陰湿で悪劣なイジメをしていたことは調べがついている! 中には命に関わるようなことまでしたそうじゃないか! 公爵家としての恥はないのか!!」
ルイスの言葉に、会場は瞬く間に喧騒に包まれた。
「あのセレナ様が、いじめを!?」「それは本当ですの? わたくし、そのような光景は一度も見たこともなければ、聞いたこともありませんわよ」「しかし、殿下がそのように仰っている。調べがついているそうだし、もしかしなくても、本当のことなのでは?」「確かに、最近不仲である、という噂があったが…」「それは、殿下がマナリア様に惚けられていただけでは……」「しっ! 声が大きい。殿下のお耳に入ったらどうする気だ…」
そんなざわつきの中、慌てたのはセレナだ。もちろん、本当にいじめをしていて、それが明るみになったことで慌てた…と言うわけではない。寧ろその逆で、全く身に覚えのないイジメをしたという言葉に、ただただ困惑したのだった。
「な、ルイス様、イジメとはいったい何のことですか!?」
「しらばっくれる気かセレナ! だがもう何をしても無駄だ! しっかりと調査し、証拠もあるんだ! 貴様がマナリアに対してイジメをしていたことは自明の理! 潔く罪を認めるんだな!」
「そ、そんな。まるで意味が分かりませんし、私はいじめなど誓ってしておりません! そもそも、なぜ私がマナリア様をイジメる必要があるのですか! まるで納得できません! 証拠というのもどこにあるのです!?」
「フン。どうせ私を取られたくないとでも思ったのではないのか!? イジメをした動機など、どうでもよいわ! それに証拠か。証拠ならあるぞ。貴様がマナリアをイジメている現場を見たというものがな! イヴァン!」
「はっ」
ルイスに呼ばれたイヴァンは、小さく一つ返事をすると後ろにいた一人の令嬢を連れて来る。
その令嬢を見たセレナは。
「ア、アマンダ……?」
アマンダ・シール。セレナと同じシール公爵家のご令嬢で、セレナの親友に当たる令嬢だった。セレナはまるで幽霊でも見たかのように顔を蒼白にさせ、その目も驚きに見開かれていた。
ルイスがアマンダに語り掛ける。
「アマンダ・シール。そなたが見聞きしたことを話せ」
「はい殿下。…これはほんの数日前の話ですわ。その日の放課後、私は委員会の仕事があり、帰りが遅くなってしまったのですが、その時、見たのです」
アマンダはそこで一度息を吸い込み、脅える目でセレナを見るとセレナを指さすと、言った。
「セレナ様が、誰もいない放課後の教室にマナリア様を呼び出し、持っていたナイフで服を破き、手に傷を負わせているところを!」
「そんな事実はありませ「まだあるのです!」」
「まだあるのです。また別の日、私がたまたま誰もいない教室の前を通った時、中からセレナ様の『あの女、まだ懲りていないようね。今度は暴漢でも雇おうかしら』っと仰っているのを確かに聞いたのです!」
「う、嘘です! そんな事実はありません!」
「ではこれはどう説明する!」
ルイスは次々と後ろにいた貴族の子息から受け取ったものを、皆に見せびらかすようにその場に放り投げていく。それはナイフで引き裂かれたであろう女性ものの制服やら鞄。そしてマナリアの袖をまくり、そこにある刃物で切られたであろう傷跡を見せた。
それを見て、周囲にどよめきが増す。
周囲に対して、ルイスが言った。
「さらに、アマンダ嬢が暴漢の話を聞いた数日後、実際にマナリアは街で暴漢に襲われている! その時は私が傍にいたため、マナリアに怪我はなかった。しかし、捕えた暴漢を尋問したところ、セレナの指示を受けていたことが判明した!」
その一言で、会場は一気に盛り上がった。
「最低だ!」「セレナに罰を!」「貴族としての誇りはないのか!」「そんな人とは思っていなかったよ、がっかりだ」「今すぐその犯罪者をとらえろ!」
セレナに対する罵倒で、会場が埋め尽くされる。
中には、「それは本当なの? とても信じられませんわ」「でも、セレナ様の親友であるアマンダ様も言っておりますし、暴漢の証言もあるのでしたら、事実とみてもいいのでは?」と言った、疑う声をあげる者も少なからずいた。しかし状況が状況なだけに、今の話を事実ではないかと考えるものが多いようだ。
「ち、違います! 私はそのようなことはしておりません! ルイス様、信じてください!」
「うるさい! 貴様の声など誰が聞く耳を持つか! 今この場にて宣言する。このわたし、ラドフォード王国第1皇子ルイス・ラドフォードは、今この瞬間セレナ・エインズリーとの婚約を破棄することを宣言する! そして、庶民ではあるが賢く、優しい心を持つマナリアを、私の婚約者にする!」
ワァア~っと会場が一気に熱を持つ。ルイスはどこか誇らしげに、マナリアは嬉し涙を流しルシスに抱き着く。イヴァンとアマンダ、セレナを糾弾した貴族の子息たちは優しげにマナリアを見つめ、周囲もそれを祝福する。そんな会場の中で、セレナとマナリアのことをよく知る貴族の令嬢たちは、その顔を歪めているが、それも今この場では意味をなさない。
セレナは余りにも突然なことに、ついぞその場に立っていることができずその場に崩れ落ちるように座り込む。その顔は絶望に染まっていた。
セレナは親友に裏切られ、婚約者に捨てられ、周りから罵倒を受け、絶望の中にあった。それでも、どこかに救いがあるはずだ、そう考え、僅かな希望を胸に顔を上げた。だって、私はそんなことなどしていないのだから!
「お兄様……」
セレナはこの場にいる唯一の肉親、エインズリー家の長男でありセレナの兄であるイヴァンに、助けを求める。
しかし、返って来たのは兄のツンドラのように冷たい目。その目を見て、とうとうセレナの涙腺は崩壊した。絶望感がセレナを覆い尽くす。今までために溜めた涙が、洪水のように流れ出てきた。
セレナは兄に何か言われる前に、一心不乱に会場から逃げ出した。
「セレナが逃げた! すぐに捕まえろ!」
「いや、放っておけ」
「しかし!」
「よい。後でゆるりと捉えるなり追放するなりすればよい。それよりも、今は私とマナリアの婚約を祝ってくれ」
「おお、そうですな。これは失礼しました。殿下、この度の婚約、誠におめでとうございます!」
その様子を、一人の黒づくめの男が静かに見守っていた。誰にも気づかれることなく、その会場を静かに見守っていた男は、小さく呟く。
「……予想通りになったな。だが、この先は好き放題にはさせない。俺が、守る」
そう呟やく男の表情は、目深くフードを被っているため窺い知れない。男は夜の闇に溶けるようにその場から姿を消した。
ありがとうございました!