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ブック・エンド・ワールド

作者: 黒幕横丁

 穏やかな九月の昼下がり。僕、壬笠美甘じんりゅうみかもは公園のベンチにて噴水の水の流れを眺めながらぼうっとしていた。

 大学は絶賛夏期休暇中。よくつるむ友人達は皆、各々の実家へと帰省していまい暇なことこの上ない。しかし家に居てもゲームや読書以外で特にすることがないので、こうして気分転換として外出したわけなのだが、別段行きたい所も思い当たらないので、公園で黄昏ているわけなのである。

「それにしてもヒマだなぁ。何か面白いことでもないかなぁ……」

 僕はベンチの背もたれにもたれ掛ってそのまま首を後方に倒すと、そこには金髪、単眼眼鏡の英国紳士風の男が僕のことを見ていた。

「OH! ラッキーボゥイ! 面白いこと探しているんデスカ? 私、トテモ面白いこと知っているんでご紹介いたしましょうか?」

 男は外国人特有のカタコトな日本語とハイテンションで僕の顔を覗き込む。テンション高く話すものだから僕に男の唾液が飛んできて汚い。

 普通の人ならこんな男が現れたら真っ先に警察に通報するか逃げるだろう。しかし、僕はとりあえず暇だったし、通報するのも面倒だったのでこの男と話しことにした。


 そもそも、これが間違いの始まりだったのかもしれない。

 僕は体の体勢を元に戻して袖で顔を拭い、男のほうへと振り向く。

「とりあえず唾液が飛ぶので落ち着いてください」

 少なくとも、こんなにテンションの高くて光悦した表情で迫ってくる男は知り合いにはいない。断じて居ない。だから、男に名前を聞いてみた。

「すみませんが、貴方一体、何者ですか?」

「OH……、名も名乗らず失礼致しました。ワタクシこういう者です」

 男はそういうと、自らの胸ポケットから本革の名刺入れを取り出し、僕に名刺を差し出す。僕が受け取った名刺に視線を落とすとそこには、【幸運お届け人 フリートヘルム・ニクラス・エマヌエル・ヒエロニュムス・ブシュケッター】とびっしりと書き連ねられていた。

「名前長っ!」

 僕は名刺をみて思った率直な感想を男にぶつける。

「名前長いってよく言われますよ。長くて呼びづらいようでしたら“ジョーカー”とでも読んでください。所謂、ニックネームっていう奴です」

 ジョーカーと名乗った男が僕に向けて深々とお辞儀をする。

「そのジョーカーさんが紹介したい面白いことって一体なんですか?」

 僕は名刺をジーンズのポケットにしまい、ジョーカーに訊ねる。

「ソウデイタ! 違った、そうでした! 私、オモシロイ物を持っているんですよ。ラッキーボーイはこんな都市伝説知ってマスカ? ゼッタイに存在してはイケナイ本のことを」

 ジョーカーの言った話には覚えがあった。確か、興味本位で都市伝説サイトを読み漁ったときに見た話だ。僕は携帯端末からその話を検索して表示させる。

「その本は触ると持ち主のあらゆる願望を叶えてくれる魔法みたいな本だが、絶対その本の中身を見てはいけない。見たら最後。見た者は本の内容の恐ろしさに、自ら命を絶ってしまう恐ろしい本」

 僕がページを読み上げると、ジョーカーは『そう、それです』と言いながらゴソゴソと自らの体を探り出す。

「ワタシ、不思議な力を持っていましてね。都市伝説などの架空の事象を現実にすることが出来るのですよ。そしてコレが、ワタシが具現化させた都市伝説の禁じられた本です」

 そう言ってジョーカーが出してきた本は文庫本サイズのかなり古びた本。しかし、少々汚れたり傷んだりしてはいるが、本皮できっちりと装丁されていてかなり高そうな雰囲気が漂っている。男が出したとは到底思えない代物だった。

「これ、本当に貴方が具現化させたんですか? どうみても古本屋で古書として高値で取引されてそうな本で、今さっき貴方が作ったとは思えない古さが漂っていますけど?」

 僕はそう言いながら、ジョーカーから手渡された本に手をかけページを開こうとすると、凄い形相でジョーカーが僕を止める。

「待ってくださいボーイ! ワタシのさっきの話聞いていましたか? ページ開いて読むと死んじゃいマスよ!」

 急いで僕から本を取り上げるジョーカー。

「はぁ。コレはワタシが作り出した本に間違いありません。そんなに疑うのなら証拠をお見せシマショウカ?」

 一息深呼吸したジョーカーは、すうっと僕の前で手のひらを広げ、ジョーカーは瞼を閉じる。ジョーカーが何かボソボソと呟くと手のひらに淡い光の粒が集合したかと思っていると、あっという間に今さっき僕が開こうとした本の二冊目が出現していた。

「ドウデス? これで信用していただけマシタカ?」

 僕が頷くと、ジョーカーは自慢げに胸を張る。そして、僕に本を再び手渡した。

「但し、最初に言ったとおりこの本を決シテ開いてはいけません」

 よろしいですか? というジョーカーの問いに僕は軽く頷く。

「では、面白くそして滑稽こっけいで素晴らしい人生を! また会いましょう美甘君!」

 僕の方は自己紹介もしていないのに、ジョーカーはナント、僕の名前を呼んだのだ。

「え? ちょ、なんで僕の名前を……」

 僕の質問には答えず、ジョーカーは煙幕弾を地面に投げつける。周囲に煙幕が充満し、煙幕が消えたことにはジョーカーの姿は無かった。

 彼は忍者か何かか、と密かに思ってしまったのは内緒である。



「それにしても、恐ろしいモノを受け取ってしまったなぁ」

 ジョーカーが消えた後、僕は自宅に戻り、自室のベッドの上で本の表紙をまじまじと眺めていた。もちろん中身は覗いていない。

 まじまじと見て気づいたことは、本のタイトルも擦れて読めないということだけ。

 僕はジョーカーが本を作ったのは認めたけど、本当にこの本が願いを叶えてくれるかというのは信じていない。だからこれからそれを検証しようと思った。さて、何をお願いしようか?

「いきなり大きな願い事をして、もしコレが偽物だと恥ずかしいからなぁ」

 しばし考えていると、お腹の虫の声が部屋中に響き渡る。そういえば、でかけて以後何も腹にいれていない。

「そうだ。食べ物が欲しいとかなら、外しても自分で食べ物取りに行けばいいんだし、叶っても美味しいもの食べられるから、これにしよう!」

 僕は本にそっと手を当て、『何かおやつが食べたいな』と念じる。すると、ものの数秒でノック音がした。

「美甘ちょっといいかしら?」

 母親の声だ。僕は座っていたベッドから降りて、部屋のドアを開ける。

「母さん、何か用?」

 ドアを開けた先の母親の手にはお茶の入った湯飲みと僕の大好物である芋羊羹を三切れ乗せたトレイが握られていた。

「さっき、お隣の奥さんがお土産だって下さったの。美甘の好きな芋羊羹だったから持ってきたのよ」

 そう言って母親は僕にトレイを手渡す。トレイを渡した後、母親は少し疑問の表情を浮かべる。

「それしても、不思議よね。お隣に“奥さん”なんていたかしら?」

 そういえば、家のお隣は未婚のサラリーマンが住んでいる。婚約している人は居ないと聞いたことがあるので、奥さんなんていないのである。

「まぁ、一応毒見してみたけど、美味しい羊羹だったし貰い物は有難く貰うことにしましょう」

 母親はのん気に居間へと戻っていった。

 ドアを閉めて、僕は自室にあるテーブルで芋羊羹を味わう。口の中にほのかなサツマイモの甘さが広がっていき、僕の幸福度はマックスに達した。

「本当に効果があるとは思わなかったなぁ。偶然だとしても美味しいことこの上ない」

 芋羊羹を完食し、お茶で喉を潤して僕は床に寝転がり、携帯電話を開く。

 すると、新着メールが一件入っていた。友達の秋定あきさだからだ。

【件名:美甘元気にしてる?

 本文:こっちは今、中学の頃のダチと一緒にカラオケ満喫中。また後期始まったら美甘もカラオケ行こうぜ!】

 本文の下をスクロールすると、大勢でドンちゃん騒ぎをしている写真が添付されていた。見ているこちらも楽しい気分になる。

「はぁ、後期からと言わず休み中の遊べたらいいのにな」

 僕がボソッと呟いたその時、右手は偶然例の本に添えられていた。

「あっ」

 僕が咄嗟に本に手を離したと同時に携帯の着信が鳴る。さっきメールが来た秋定からだ。

「もしもし?」

 僕は心臓をバクバク言わせながら電話に出る。

『秋定だけど。どうしたんだよ、美甘? 声が震えているぞ?』

 僕の挙動不審な声に気づいて秋定が心配そうに聞いてくる。

「え? いきなり電話がなってビックリしただけだよ。それにしても、中学の同級生とカラオケ中なんだろ? いきなり電話なんてしてどうしたんだよ?」

 僕は、秋定の質問をはぐらかして質問を投げ返す。

「それが明日いきなりそっちに戻ることになったから、カラオケ抜けてきたんだよ。いきなり親が旅行に出かけるから戻れとか言い出してさ。そんなこと一言も言ってなかったのに可笑しいとか思わないか?」

 僕はその言葉にドキッとしてしまう。僕が偶然に本に触ったままで“遊べたらいいのに”と独り言を呟いてしまったことで、秋定の両親は急に旅行に行く羽目になり、その結果、秋定が追い出される結果になってしまったと思うと心苦しくなった。

「旅行先ヨーロッパだってよ、のんきなもんだよな。そういうことだから、明日暇だから一緒にどっか行こうぜ」

 僕の暗い気分を吹き飛ばすかの様に、秋定が僕を遊びに誘ってきたので僕は快く誘いに乗った。

「じゃあ、明日の朝九時にいつもの【サトイモの像】の前でな!」

 そういって、秋定との電話は終わった。

 それにしても、この“本”は本当に凄い力があるんだなと思った。怖いくらいに。少しでも間違った使い方をしたら、とんでもないことになると考えるとゾッとした。



 次の日、僕は秋定との約束のため家を出た。もちろん例の本もメッセンジャーバックの中にちゃんと入れている。

 待ち合わせ場所であるサトイモの像の前に行くと、既に秋定は到着していて携帯をいじっていた。

「おう、美甘。おっひさー」

 秋定が僕に気づき駆け寄ってきた。二人でハイタッチをする。

「さて、ゲーセン行こうぜ。俺の好きな音楽ゲームの新作が稼動しているハズなんだけどさ、アッチは田舎過ぎて全然稼動しているゲーセンなかったから、これからやりに行こうぜ。

 久々に美甘ともゲームで対戦してみたいしな」

 今日は負けないぜ。と秋定が腕まくりをしてみせる。

「じゃあ、負けた奴はいつも通り霧生庵きりゅうあんでご飯を奢るってのはどうだ? まぁ、僕が勝つことは決定しているも当然だけどね」

 秋定と僕、そしてまだ帰省中の夏加なつか、志郎の四人はよくご飯を賭けてゲームで対戦をしていた。今のところ僕が四人の中で全戦無敗。ご飯も有難く頂戴していたわけだ。

「言うねぇ……。ゲーセンは通えなかったが、実家では家庭用で鍛えてきたから覚悟しろよな」

 二人は火花を散らしながら行き着けのゲーセンへと向かった。

 ゲーセン内は人でごった返していた。特に秋定が言っていた新作音楽ゲームの筺体の前では十人そこらが待っていた。僕と秋定もその列に加わるが、列がいつまで経っても動く気配がまったく無い。

 不思議に思った、僕と秋定が列の先頭でゲームをしている奴を見に行くと、そこには得意げにゲームをしている男の姿とお金を入れる投入口には山のように詰まれた百円玉があった。いわゆる“連コイン”という奴だ。

 誰も居ないのならまだしも、男の後ろはゲームをやりたい人が列を成している。決して許される行為ではなかった。

「美甘、こうなったら店員に言おうぜ。あんな反則だろ」

 秋定が怒り心頭でそう言うと、ちょうど店員が通りかかったので、連コイン野郎のことを店員に知らせると、店員は少し困り顔で、

「あのお客様は、ちょっと……」

 と一言だけ言ってそそくさと逃げるように去って行った。

「なんだよ、あの態度は。アイツだけ贔屓だって言うのか。こうなったら直接言ってやる」

「待った!」

 連コイン野郎の方へ歩みを進める秋定を僕は止める。

「今行ったって喧嘩になるだけだ。僕にいい考えがあるんだ。この本を使って奴を追い払う」

 そう言って僕はあの本を取り出す。

「そのボロっちい本で何するんだよ? 奴の頭でも殴るのか?」

 秋定は訝しげに本を睨みつける。

「まぁ、見てろよ」

 僕は本を持って「あの連コイン野郎に制裁を!」と念じた。すると、僕と秋定の背後に凄まじい殺気を感じた。

「満! お前またこんなところで他人様に迷惑をかけておるのか! 全くなっとらん!」

 凄い勢いで怒鳴るので恐る恐る僕と秋定の二人で振り向くとそこにはキッチリとスーツを実に包んだ中年男性の姿があった。連コイン野郎もその姿をみると先ほどの得意げな顔から見る見るうちに血の気が引いていたのが分かった。

「お、親父! 昨日からオーストラリアへ出張だったんじゃ……」

 状況がつかめない男は目を泳がせながら大量の冷や汗をかいていた。

「そんなことどうだっていい! 家に帰ってミッチリと鍛えなおしてやる!」

 そう言って中年男性は男の首根っこをぐいっと掴みゲーセンを後にしていった。男の悲鳴を残して。

「すげぇな、美甘。その本でアイツ本当に追い払っちまった。トリックとかあるのか?」

 秋定が眼を輝かせながら本を見てくる。

「まぁ、僕にかかればコレくらい朝飯前さ。さて、そろそろ筺体に並んでいる人も空いてきた事だし、対戦しますかな」

「おう。ただし、その本を使ってのセコ技は無しだからな!」

 分かっていますって、と僕は本を鞄の中へしまう。

「ソレでいいんだ。さて、今日こそは負けないぜ」

 そうして熱い二人の戦いは始まった。

 まぁ、結果は僕の圧勝だったわけですが。


「くっそー。なんであんな所でミスするかな俺」

 霧生庵のテーブル席。秋定は僕に負けたことをまだ引きずっているらしく、カツ定食を妬け食いしながら自己嫌悪をしていた。

 一方僕は、秋定の奢りでうどんセットのゴマ塩おにぎりを頬張る。

「あー、もう自己嫌悪止めた! こんなのうじうじ考えたってしかたが無い。そういえば美甘が持っていた本、どうやって手に入れたんだ?」

 秋定の質問に僕は、昨日起きた出来事を事細かく話す。もちろん、僕の不注意(?)で秋定が家に追い出されることも正直に話した。

「へぇ。変な男がその本をくれたって訳だな。っていうか昨日の、お前の挙動不審の理由がようやくわかってスッキリした。親が旅行に行ったのは美甘の不注意のせいって訳だな。

 もう少し家でゴロゴロしたかったけど、ゲーセンのあの一件で許してやろうとしよう」

 そう言って秋定はお冷を一気に飲み干した。秋定が例の件を怒っていないことが分かって僕は安心した。

「許す代わりと言っちゃなんだが、その本、俺に貸してくんない?」

 秋定の一言に僕は食べていたうどんを喉に詰まらせかけた。

「え、でも……」

 僕は貸すことを躊躇する。そりゃそうだ、この本の怖さは身を持って実感したし、それにもしこの本を開いてしまったなら秋定は……

「大丈夫だって。ようは本を開かなきゃいいんだろ? それに、そんなに怖いお願いを叶えようとは思ってないさ。一日だけだから、なっ? 頼む!」

 秋定があまりにも必死に頼み込むので仕方なく本を貸すことにした僕は、鞄から本を取り出して、秋定に手渡す。秋定は本を両手に持つと興味津々の様子で、本の表紙を様々な角度から眺める。

「いいか、本当に開けちゃいけないんだからな!」

 僕は再度秋定に念を押す。

「分かっているって。さて、早速お願いしちゃおっかなぁ?」

 僕の注意にも空返事で、秋定は早速お願いを叶えるつもりだ。秋定が本を手に取り、眉をひそ顰めつつ何やらブツブツ呟いていた。

「これで完了っと。さてどうかな?」

 秋定が満足そうに言うと、僕の携帯が鳴った。夏加と志郎から同時にメールが来た。

【夏加:いきなりそっちに戻ることになったんだけど、明日開いている? 暇だったらメール頂戴】

【志郎:親から寮へ帰れって言われたから帰ることにしたんだが、もし遊べるのだったら遊ぼうぜ!】

 二人のメールをそれぞれ見て、僕は気づいた。

「まさか、今さっきお願いしたのってコレか」

 僕が訊ねると、秋定は満面の笑みを浮かべて、その通りと答える。

「だって俺だけ犠牲っていうのは何か悲しいじゃん? だから二人にも犠牲になってもらったってわけ。ということで、明日は四人で遊ぼうぜ! 今日は美甘に奢ったから、明日は二人のうちどちらかに絶対に奢らせる!」

 秋定の目には闘志がたぎっていた。闘志をたぎらせたまま店を出る。

「じゃあ、美甘また明日な! 明日には必ず本を返すから」

 秋定は本を持ったままブンブンと手を振った。僕は彼の危なっかしさに冷や汗を書きながら秋定と別れた。


 家までの帰路をとぼとぼと歩いていると、ジョーカーと出会った公園の入り口で突っ立っている人影が見える。

 人影は僕の顔を見るなりこっちへと駆け寄ってくる。良く見ると僕を同じくらいのゴシックロリータ姿の少女だった。もしかして僕に愛の告白かな、と少し冗談なんかを考えていると、少女の表情は険しく、駆け寄るスピードがドンドン上がってきて、

「死ねぇぇぇぇぇぇええええええ!」

 と叫びながら僕の腹部に思いっきり飛び蹴りをかましてきたのだ。僕はあまりの衝撃と痛さで数メートル吹っ飛びその場でうずくまる。

 少女は飛び蹴りの後華麗に着地し僕が倒れこんでいる近くまで歩み寄ると、うつ伏せになっている僕の頭を片足で踏む。

「さぁ、証拠は挙がっているのよ! さっさと本を私に寄越しなさい。その本はアンタのような人間が持ってはいけないものなのよ」

 少女はそう言って僕の頭をガンガンと蹴る。あまりの痛さに僕は起き上がろうとした。

 すると、見えたのだ。少女の純白のドロワーズが。

「何、人のまじまじとみているんだよ、この変態が!」

 少女の右手拳の鉄拳が僕の頬に炸裂し、僕はまた数メートル飛ばされる結果になった。

「本ってなんのことだよ」

 僕がホッペを擦りながら少女に訊ねる。

「アンタが持っている願いが叶う本よ。あんな詐欺師に貰った本なんか頼る意味もないのよ、だからとっとと寄越しなさい。

 あの本は私がこの手で抹消しないといけないものなの。あの詐欺師もいつかは抹殺してあげるわ」

 なにやら物騒なことを言いながら少女は右手を出して、本を出せと要求してくる。

「君がジョーカーにどんな恨みがあるか僕は知ったこったないけど、とりあえず言えることは、今僕はあの本を持っていない」

「はぁ! なんですって!」

 僕の発言に少女は驚いて、僕に周り蹴りをかましてきた。いちいち暴力をしないとスッキリしないのかこの小娘は。

「なんでないのよ。まさか誰かに貸したんじゃないでしょうね? アンタあの本の恐ろしさを分かっていない訳では無いでしょ」

「そのまさかだったりするんだけど。いや、でもちゃんと釘を刺したし、アイツは言ったことを守る奴だからなんとかなると思っているけど……だから痛い。痛いって」

 僕の言葉を最後まで聞かずに性悪ゴスロリ小娘は脛を執拗に蹴ってくる。

「アンタのその甘い考えがこれから残酷な結果を生んでも私は知らないわよ。せいぜい怯えながら待つことね。じゃあ、またアンタの元に本が返ってきた時に来るから」

 最後にトドメの回し蹴りを男の最大の弱点に食らわせて少女は去っていった。

 俺はあまりの痛さにその場で座り込んでしまった。


 家に帰って自室で性悪小娘によって与えられた傷を消毒液で消毒する。冷たい消毒液が擦り傷に沁みた。

 それにしてもあの小娘、どうして本を抹消しようとしているんだろう。ジョーカーも抹殺するとか物騒なことを言っていたし、よほどの恨みか何かがあるのかなぁ。そう思いながら擦り傷の酷いところに絆創膏を貼っていく。

 全て貼り終ったところで、ふと小娘の言っていた一言が気になった。

「残酷な結果を生む、か……」

 この言葉が脳内でぐるぐるとはんすう反芻する。反芻しているうちに秋定のことが心配になってきた。すぐ、秋定に電話をかける。

『ふぁい。どうしたんだ、美甘?』

 気の抜けたような返事で秋定が出る。

「いや、ちょっと心配になって電話を掛けただけだよ。あれから何かお願いしたのか?」

 秋定はいつも通りだったので、僕は考えすぎだと思って少し安心する。

『聞いてくれよ。俺が前々から狙っていた文学部の志穂李しほりさんをようやく食事に誘えたんだよ。これもこの本さまさまだよ』

 志穂李さんとは僕たちの通っている大学のミスキャンパスで狙っている男子は多い。しかし、食事やデートに誘っても彼女にはお稽古事がたんまりとあり、なかなか時間が取れないらしく、断っている姿を良く見かけていた。

「あー、なるほどね。愛しのミスキャンをゲットするべく、その本を使ってわけだな。秋定も考えたな。デートの感想を僕にも聞かせろよ」

『これも美甘のおかげだしな。いっぱいノロケてやるからな。楽しみにしろよな』

 僕らはそれから少し世間話をして電話を切った。

 なんだ、彼女の言ったことはただの杞憂に過ぎなかったじゃないか。心配して損したというか安心したというか。

「さて、風呂に入って寝るかな」

 僕はすがすがしい気分で入浴し、布団に潜り込む。しかし、彼女の言っていた言葉が胸の何処かに魚の小骨のように引っかかり続けていた。


 朝四時。携帯のけたたましい着信音で飛び起きる。こんな時間に誰だ、と思いながら音の発生源を寝ぼけ眼で探し当て、薄目で画面を見ると秋定からだった。

「もしもし、朝早くに何のようだ?」

 低血圧の僕は半分キレかけで電話に出ると、秋定はうめき声しか聞こえない。

「秋定どうしたんだよ?」

 僕の応答にも答えず、何かブツブツ呟いているだけだ。

「おいっ! しっかりしろって!」

 僕が朝に出せる最大限の声で呼ぶと、秋定はハッという声を漏らす。

『あ、ゴメン。早朝なんかに電話かけて悪い、寝ているところ起こしちまって』

 秋定の声は何処か余所余所しく、上ずっていた。その反応に、僕は秋定に何かあったと確信した。

「秋定、何があったんだな!」

 完全に目を覚ました僕の質問に秋定は肯定の声を出す。

『本が呼んでいるんだ。開けって俺のことを呼んでいるんだ……うわぁぁぁぁぁぁぁぁああああ』

 秋定はヒステリーに陥る。

「今からそっちに向かうから。絶対そこから動くなよ。あと本も開くんじゃないぞ!」

 そう言って僕は電話を切り、急いで身支度を整え、家を出る。

 息を切らしながら走る。嫌な予感が全身を駆け巡っていた。頼む、間に合ってくれ、脳内で必死に念じながら秋定が住んでいるアパートへと走る。


 僕の家から走って十五分。秋定の住んでいるアパートへと辿り着く。秋定の部屋のインターホンを鳴らす。しかし、扉の先の住人からアクションが何もないので、僕は勢い良く部屋に入ると、敷き布団の上で掛け布団に包まり、何かに怯えた様子の秋定を見つけた。

「秋定、もう大丈夫だ!」

 僕が駆け寄ろうとしたとき、僕はあるものを目撃して凍りつく。

 そう、本は開かれ、秋定はソレを見てしまったのだ。

「ゴメン。俺見ちゃった。どうしよう、俺はこの本に書かれている内容はとてもとても耐えられない。俺、死ぬしかないじゃん」

 涙と鼻水を流しながら秋定はそっと本を閉じ、包まっている布団から普段一般人が手にしないようなものを取り出した。拳銃だ。

 それを何の戸惑いもなくこめかみに当てる秋定。

「やめろっ! 秋定!」

 僕が必死に止めようと駆け寄りたいのだが、足が上手く動かない。

「さよなら、美甘。本はお前に返すよ」

 秋定は引き攣った笑いで拳銃の引き金を引く。


 パンッ。


 乾いた音が部屋中に響き、硝煙と火薬独特の匂いが辺りに立ちこめる。

 秋定はこめかみを拳銃で撃ち抜いて自殺をしてしまった。

 “秋定だった”それは、頭から大量の血とのうしょう脳漿を溢れ出て、布団へと倒れこむ。布団は秋定の血を吸い取って、赤黒く変色していった。

 表情は絶望や苦しみに満ちたような顔ではなく、やっと解放されたという安堵の顔で涙を一筋流していた。

 僕は動かなくなった足の呪縛がようやく解けて倒れて息絶えている秋定に駆け寄った。

「あ……、あ、秋定、ゴメン。僕が本を貸してしまったばかりに」

 僕は彼の亡骸を強く出しきめ、必死に謝る。目からは止め処なく涙が溢れ出していた。

 性悪小娘の言ったことは杞憂なんかじゃなかった。現実にこうして残酷な結果が起こってしまったから。


 僕はとりあえず警察を呼ぼうと外へ出て電話をかける。

「もしもし、事件ですか」

「すいません。僕の友達が自殺を謀ったんです。場所は……」

 僕は秋定の住んでいるアパートの住所、彼の号室を知らせる。しかし、受話器の先からとんでもない一言が返ってきた。

「すいませんが、貴方の仰っている場所には住人は住んでいませんが?」

 電話越しの警察はそう言ってきたのだ。

「え? でも、友達が今も現にすんでいる場所なんです」

 僕は懸命に説明するが、警察は応じてくれない。最後には簡単にあしらわれて切られてしまった。

「なんだよ、人が住んでいないって意味不明なことを言って……」

 怒り心頭の僕は次に志郎へと電話を掛けた。

『美甘? なんだよ、朝早くに。遊びに行く時間はまだ早いだろ?』

 志郎は眠そうな声で電話に出てきた。

「そんなことより大変なんだよ。秋定が自殺しちゃったんだ。どうしよう!」

 僕は事の重大さに声を荒げてしまう。

『美甘朝から何言ってるんだよ? そもそも秋定って誰だよ』

「え?」

 志郎からのとんでもない一言に僕は戸惑ってしまう。僕らはあんなに仲の良いグループだったのに、志郎が秋定のことを忘れてしまうなんてありえないからだ。

「何かの冗談だよな? あの秋定だぞ? よくレポートの提出枚数勘違いして教授に怒られていた、秋定のことだぞ? 忘れたのか?」

『忘れたも何も、そんな奴なんて居なかっただろ? 俺と夏加とお前の三人がよくつるむ仲なんだから、秋定なんて奴知らないし、見たことも無い。お前寝ぼけ……』

 志郎の一言があまりにもショックで志郎がまだ話している最中に電話を切ってしまった。

 そんな、みんなの記憶から秋定のことが消えてしまっただなんて。ちゃんと僕は覚えている。朝には電話で話したのに、と携帯の着信履歴を見ると……


 秋定の名前が消えていた。


 何かの見間違いだと思って電話帳で検索してみたがやはり無い。

「嘘だろ? なんでないんだよ!」

 僕は携帯の写真フォルダから秋定と一緒に撮った写真を探す。しかし、秋定と写っていた写真は志郎か夏加のどちらかに摩り替わって保存されていた。

 秋定が最初からこの世界に存在していないかのようだった。でも、僕は秋定がこの世界で生きていたことを覚えている。僕だけが覚えていた。

 だって、アパートには彼の亡骸が今もある。ソレが証拠である。

 再び僕は秋定の部屋に入る。

 すると、そこは例の本を残して何も無かった。存在していなかった。部屋には生活感はまるで感じられず、“誰もそこには住んでいなかった。”そんな感じを醸し出していた。

「さっきまで秋定は其処に居たのに。生きていたのに。何で何も残っていないんだよ!」

 僕はその場で泣き崩れる。

「それがあの本の中身を見てしまった者の末路よ。本の中身を見てしまったものは世界から消されてしまう、跡形も残らずね。アンタもゆっくりと彼のことを忘れてしまうわ。

 分かったでしょ? 私が言った意味を」

 声がして振り向くと、性悪小娘が玄関で仁王立ちをしていた。

「さぁ、そこに転がっている本を渡しなさい。アンタが持っていてもしょうがない物なの。今なら間に合うわ」

 彼女は再び右手を差し出し、本を渡すよう催促する。今の僕にはその差し出した手が要求している手ではなく、救済の手に見えた。

 僕は俯いたまま床に転がっている本を手に取りしばし考える。

「これでどんな願いが叶うのなら、秋定を生き返られることは出来ないのか?」

「無理よ。私も一度試してみたけど、世界から消された人間は一生戻って来られないわ。生まれ変わることさえ許されない」

 彼女は吐き捨てるように僕の質問に答える。そのときの彼女の表情は曇っているように見えた。

「最後に一つだけ。君はどうしてこの本について詳しくて、本を消し去りたいと思っているんだい?」

 僕の言葉に彼女は目線をそらす。

「アンタには関係のないことよ。私はあの詐欺師が振り撒いた災厄の種を芽吹かないようにしている。ただそれだけのことよ」

「そう、分かったよ。これは君に託すよ」

 僕は彼女に本を差し出すと、彼女は道具を使わずに手のひらで本を燃やしてしまう。本は燃えて灰になり消え去る。

「コレで本は消えたわ。もうアンタとは会うことはないでしょうけど、一応名前を名乗っておくわ。私の名前は岩松美咲いわまつみさきよ。くれぐれもあの詐欺師には気をつけなさい。また本を受け取らないようにするのね。じゃあ、私は帰るわ。さよなら」

 そう言って美咲は出て行った。

「ああ、分かったよ」

 僕はそう返事をして同じように部屋を出て行った。


 自宅へ帰る途中、例の公園を横切ろうとした時、入り口に明らかに場の雰囲気にはそぐわない大きな箱が置かれているのを発見する。

 誰だ、一体こんなものをこんなところへ置いたのはと疑問に思いながらも通り過ぎようとしたその時、

「ばあっ!」

 いきなり箱が開いたかと僕が身構えると、その中からジョーカーが飛び出してきたのだ。

「やぁ、美甘君。ご機嫌如何かな?」

 ジョーカーは箱から華麗に飛び降りると被っていたシルクハットを脱ぎ、胸に当てて深々と一礼する。

「一昨日会ったときに比べて明らかに日本語上手くなっていますね」

 僕は、率直に思ったことを言う。数日でそんなに日本語が上手くなるとは到底考えられない。ジョーカーは少し“しまった”というような表情を見せた。

「おっと、失礼。片言の方が商売するのには打って付けなものでね。騙してしまったのなら謝ります。

 それはともかく、本を手に入れてからの生活は充実していますか?」

 ジョーカーはニコニコと微笑みながら僕に訊ねる。

「本なら、美咲に渡して燃やしてもらいました」

 僕の答えにジョーカーはニコニコとした表情を少し歪ませる。

「ほう、あの小娘に会って本を燃やされてしまいましたか。それならば本なら私の手にかかればいくらでも作り出してあげますよ。さぁ、再び楽しいひと時を楽しみましょう」

 ジョーカーは手のひらを開いて、本を練成する。

「いりません。あの本を見たせいで大事な友人は居なくなってしまったんだ。僕には必要のないものです」

 僕は、はっきりとジョーカーの誘いを断る。美咲と約束した事だし、それにまた残酷な運命にならない為にも僕が鎖を断ち切らないといけない。

「へぇ、貴方のお友達は本の中身を見てしまいましたか。貴方はその光景を見て本は入らないと仰っている。でも、本当に欲しくないのですか? あの小娘にそう言わされているだけなんじゃないのですか?」

 いらないと断ってからのジョーカーは微笑みの表情から真顔に変わり、僕に問いただしてくる。

「ど、どういう意味ですか?」

 雰囲気も全く変わってしまったジョーカーに僕はたじろいでしまう。

「貴方の本心はどう考えているかということです。表面上は“本をいらない。願いなんて叶わなくたっていい”と言っていても、心の深いところ、深層心理内で貴方は本が欲しくて欲しくてたまらないはずだ。どうしようもないって程にね。

 私の作り上げた本達には特別な仕掛けが施されていましてね。所有者本人が“本”を心の奥底から欲した時、いくら燃やしたり捨てたりしても所有者に戻ってくるのですよ」

 ジョーカーは真顔から異質な笑みを浮かべて僕に語りかける。

「つまり、君がいくらあの本を嫌っていても、深層心理内で欲していれば本は還ってくる。心の奥底で欲すれば欲するほど、貴方は逃げられないのだよ永遠にね。ハッハッハッハ、さぁ君の最大限足掻く姿を私に見せておくれ」

 そう言って高笑いするジョーカー。遂に彼の化けの皮が剥がれた。

「あー、足掻いて見せるさ。お前の企みには負けない」

「そうですか、では期待していますよ」

 そう言ってジョーカーは公園の奥へと消えていった。


 僕は、ジョーカーとの一件で胸糞悪い気分を抱えたまま帰宅した。

「ただいま」

 僕の声に母親は玄関へとやってくる。

「どうしたのよ、朝早く飛び出すように出て行って。朝ご飯出来ているわよ?」

「ちょっとね。あと朝ご飯はいいよ。今そんな気分じゃないから」

 僕は心配する母親をよそに、自室へと向かった。

「はぁ、どうしてこうなっちゃったかなぁ?」

 朝の出来事を思い返してみる。美咲が言った、本によって死んだ人は存在すらも消されるという話。

 ふと、僕は秋定のことを思い出してみる。すると、昨日まで一緒に遊んでいた友人の顔が、だんだん僕の脳内から風化していくのが手に取るように分かった。

「存在すらも消されるってこういうことか」

 そうため息を付きながら自室のドアを開けると、勉強机の上にある物に驚愕する。

 そう、“本”があったのだ。

「なんで……、美咲が燃やしたはずなのに」

 僕自身もちゃんとその現場を見た。だから、本が自分の部屋にあるわけがない。

 もしかして、ジョーカーがわざわざ僕の家を調べて部屋に置いたのか。そういうことなら、ない本が此処にある理由が証明できる。

 僕は、アルミ製の皿とライターを持って本を燃やす。本はゴウという音を立てて燃えて灰になった。

「これでよし。もう本は無くなった」

 そう思ったのも束の間。また勉強机を見ると本が置かれているのだ。

「なんで、なんでなんだ!」

 いくら本を燃やしても、本は還ってきた。何度も何度も。

 十回くらい燃やした頃だろうか、僕はジョーカーの言葉を思い出す。

『君がいくらあの本を嫌っていても、深層心理内で欲していれば本は還ってくる。心の奥底で欲すれば欲するほど、貴方は逃げられないのだよ永遠にね』

 つまりは、僕は心の奥底では本を欲している。だから本は還ってくるのだ。

 信じたくない。そんなこと、信じたくない。

 僕は本を直視しないように、ベッドに潜り込む。

 心情は、僕自身が本当はあの本を欲していることが信じられなくて仕方が無かった。でもジョーカーの言うことが真実ならば、欲しているということに間違いないだろう。

 それもそうだ。あの本は何でも叶う道具なのだ。誰だって本心は欲しくてたまらないだろう。手放しても、再び欲しくなるのは当たり前だ。

 ジョーカーはその心情に付けこむ小細工をしたのだ。

「美咲がジョーカーを詐欺師呼ばわりした理由がなんとなく理解できたな」

 人の心に付けこんで騙し、奈落の底へお堕とす。詐欺師その物だ。

 そんなことを考えていると、遠くから微かな声がする。

『……ケ』

 その声は次第に大きくなるような気がする。

『……ラケ』

『……ヒラケ』

『我をヒラケ』

 その声は次第に僕に向けて近づく。

『我をヒラクノダ』

 声の主は、低音で僕に囁きかけてくるような喋り方をしている。

 僕は潜っていた布団から出ると、目の前に本が仄かに光っていた。

『解放サレタイノダロ? サァ我ヲ開クノダ』

 声はこの本から発せられていた。

 秋定が言っていた“声”というのはコレのことだったのか。

「お前は誰だ?」

 僕は本から発せられる声に訊ねる。

『我ハ、“世界”。コノ世界ノアラユル物。コノ本ヲ開ケバ真実ヲ手ニシ、オ前ハ世界ノ全テヲ手ニ入レルコトガ出来ル』

 本は淡々と語る。

「本当に開くと解放されるんだな? この呪縛から」

『オ前ガ本ヲ開キ、願エバ現実ノモノトナル。開カナケレバ永遠ニ苦シム事ニナルダロウ。ソノ呪縛カラ』

 そうか、本を開けば僕は楽になれるのか、この本の呪縛から逃れられるのか。そう思って僕は、本を手にとってしまう。

『サァ開クンダ。ソウスレバ全テ解放サレルノダ』

 本の声に僕は完全に洗脳され、本を開けてしまった。

 そこに書かれている文章に目をやる。其処には一文しか書かれていなかった。


『                                      

                   』


 僕はその一文に涙を流す。

 これが世界の真実だというのならあまりにも残酷だ。

「そうか、僕は……」

 僕はそう呟くと、いつの間にか僕の目の前に転がっていた拳銃に手を伸ばす。その拳銃を心臓に当たるように胸に向けて構える。

「この世界に管理され、そして……」

 バァン!

 全て言い切らないうちに僕は拳銃の引き金を引き、世界と決別した。

『死コソガコノ世カラノ解放。オメデトウ、オ前ハ解放サレタノダ』

 主が消えた部屋で本はそう言い放ち、砂となって消えた。



 僕が自殺した日の朝九時。サトイモの像の前では夏加が志郎を待っていた。

「おう、夏加はいつも早いなぁ。そして久しぶり」

 志郎がやってきて、夏加とハイタッチを交わす。

「さて、何処行きます? 僕、ゲームショップに行きたいんですよね。新作のゲーム買いたいんで。では、行きますか」

 キャスケットを目深に被った夏加がショップに向けて歩みを進めると、志郎が止める。

「待てよ。あと誰か忘れてないか?」

 志郎は夏加との二人っきりに違和感を覚えていた。

「誰って誰ですか? 今日は志郎さんと二人で戻ってきて暇だし遊ぼうぜ。という約束だったじゃないですか」

 夏加は心当たりがないらしく、志郎に訊ねる。

「誰ってそりゃ……」

 志郎は思考を巡らせる。

「あれ? 誰だったっけ?」

「もう、まだボケるには早いですよ志郎さん。さぁ、ショップ行きますよ」

 夏加は志郎の背中をぐいぐい押しながらゲームショップへと姿を消した。


 一方公園では、ジョーカーがジャングルジムの頂上に座っていた。

「また私の勝ちですね。貴方のような小娘が勝つ資格なんて一生来ません」

 ジョーカーは背中合わせで座っていた美咲を嘲笑する。

「アンタがあんな小細工使わなければ、私は彼を救えていた。やはり詐欺師のやることは違うわね」

「負け犬の遠吠えならいくらでも吼えるがいいさ。でも、小細工抜きにしたところで彼は同じ道を辿っていたことだろう。あの本を手にした限りはね」

 ジョーカーは歪んだ笑みを見せる。

「だって、あの本は必ず人を殺すのだから。人間が必死に抗いながらも結局敗北する姿をみるのが、私は大好きだよ!

 さぁ、もっと私を楽しませてくれ、人間どもよ。キャッヒャッヒャ」

「その本に勝った人間が此処にいるんですけど?」

 美咲はジョーカーをそう言って反論する。

「そうでした。貴方は特別でしたね。『本を開いても自我を失わず自殺しなかった』唯一の人間」

 ジョーカーは面白くなさそうな顔しながら言う。

「私は世界を手にした。その代わり、失くしたものは多いけどね。だから、アンタに復讐しようと思った。アンタの計画の邪魔をするっていう復讐をね!」

「調子に乗るなよ、小娘。私の正体を知らない癖によくもそんな口が叩ける」

 嘲笑うかのようにジョーカーは美咲を脅す。美咲は遊具から降りて、ジョーカーを見上げてこう叫ぶ。

「私だってただ単に邪魔しているわけではないわ。貴方の正体くらい把握している。

 “世界の管理者”、ヴィルジール・サミュッシュ」

 美咲が名乗った名前にジョーカーは驚きの表情を見せる。

「ほう、そこまで調べてあるとは。ただの小娘と侮ってはいけないものですね。

 そう、私は世界を管理する者。だから貴方を消すことなんて容易いのですよ」

 そう言ってジョーカーも遊具から降り、美咲の方へ近づき、持っていたステッキの先を美咲の顎に押し当てる。その時、


 パンッ。


 公園に乾いた銃声が響く。

「なっ……」

 ジョーカーの左わき腹に赤いシミが浮かび上がった。

「なら、消される前に消すまでよ」

 美咲の手には自動小銃が握られていた。拳銃からは硝煙が出ている。

 さらに、美咲はジョーカーの心臓に向けて二、三発ほど発砲する。ジョーカーは成す術もなく、地面へと崩れ落ちる。

 公園に血の池を形成して、ジョーカーはピクリとも動かなくなった。

 美咲はその光景をただじっと見ている。

「こんな玩具でアンタが死ぬ訳ないでしょ? 起きなさいよ」

 美咲の一言でジョーカーの指がピクリと動く。そして、ムクリと起き上がるジョーカー。先ほどまで流していた血の痕跡は全くなかった。

「なかなか良い演出だとは思ったのですが、残念です」

 ジョーカーは本当に残念そうな表情をする。

「そうだ、ここで一つ提案です。貴方と私で勝負をしましょう? この世界を賭けた壮大なゲームを。貴方を私の正体が分かった記念として特別に“プレイヤー”にしてあげよう。好きなだけ私の邪魔をしてくれたまえ」

 ジョーカーはニヤリと笑う。何かを企むような笑みだった。

「ふざけんじゃないわよ! 人の命を何だと思っているよ。それをゲームだなんて」

 ジョーカーのあまりの傍若無人っぷりに美咲がキレる。

「私にとってこの世界は“ゲーム盤”でしかない。そのゲーム盤で生きるものは全てゲーム駒だよ」

「あー分かったわよ。アンタのゲームに付き合ってあげようじゃないの。ただし、完膚なきまでに叩きのめしてあげるから覚悟しなさい!」

 美咲はそう吐き捨て、公園から立ち去る。

「手加減お願いしますね。さぁ、次のゲームを始めようか!」

 ジョーカーも遊具から降りる。

「さぁて、次の駒はどれにしようかな? アーハッハッハッハッハ!」

 公園にはジョーカーの笑い声が響いていた。



《終わり》

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