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第三話『魔法使いの過去』  作者: 由条仁史
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第7章 Alice-Maria

ついに明かされる、アリスの動機。アリスの真実。それは残酷だとも言える過去。そして、最も純粋な魔法戦線が繰り広げられる。

 第7章 Alice-Maria



 『魔法行』には『賢者』と呼ばれる魔法使いがいる。彼らは魔法に関する勉強を積み、およそ最強と呼ばれるまでになっている。

 しかしそれはあくまでも呼称にすぎない。

 現在『賢者』として登録されている者の誰一人として――空間移動なんてできないのだ。時間移動なんてもってのほか。というよりも『魔界』の存在すら知らない。つまり濾過は彼ら『賢者』よりも優れた魔法使いであり、時空移動のできるアリスらはもっと優れた魔法使いというわけだ。

 もちろん濾過は時空移動の魔法を知ったのだから、それが出来るように努力して、いずれそれを達成するだろう。

 これは、今よりも昔の方が魔法が発達していた――という話ではない。これは、『魔法行』においての情報統制の話だ。『魔法行』はあえて魔法使いを強くしていないのだ。

 理由は単純。『魔法行』内部からの反乱を恐れるからだ。

 『魔法行』は魔法使いを管理するこの世界で唯一無二の機関である。魔法使いを外の世界に出し、すべてがめちゃくちゃになってしまうのを恐れる。結果として、その内部はどうしても魔法をどんどんなくしていく傾向にある……魔法というものを認めた上でだ。簡単かつ弱い魔法で十分だという風潮が、『魔法行』内にあったというだけのことだ。

 ではこの不思議の国というのはいったいなんだというのか。




「さて、白ウサギを手に入れた、時空移動を手に入れた――そしてその上で、アリスは俺たちを呼んだ。さて、ここからが最も重要なんだが……ここからはもうある種の疑念をただ解消させるだけのことだ。どうってことはねえ。誰でも思いつく簡単なことだ」

 濾過の解説が終了し、轆轤はそう言った。

「アリスの狙いは、最初から鞠ただ一人のみであった――そういうことだ」

 厳密には、『平等家』の内部に白ウサギを閉じ込めるという目的もあったが――それはただ単に、轆轤と濾過を不思議の国に足止めするためだけのものだ。

「そこでさっきの世界征服の理由、環境づくり。その環境のなかに、鞠を入れる。つまり――」


「鞠を、不思議の国へ連れてくる――セレモニーだったわけさ」




 平等鞠。

 彼女の経歴を語るのはたやすい。『魔法行』に拾われて『戦う部隊』に入隊した。

 しかしそれまでが存在しない。拾われたのは生まれて間もないころのことだった。つまり――どこで生まれたのかはわからない。時空移動が存在するとなれば――なおさらだ。

 彼女には両親がいない。

 彼女には親戚がいない。

 彼女の周りには他人しかいない。

 そんな彼女は――





「もう、いいわ。もう隠しもしない。ちゃんと話すわ――マリア」

 マリア? あの聖母の名前がどうして今出てくる? そう思ったのは濾過だけであった。

「あんた――どうして、私の名前を……!」

 鞠は突然――怒り出した。顔を真っ赤にして、いきなり大きな声で。

「あの名前はもう捨てた! 私の名前は平等鞠! マリアなんかじゃない!」

「お、落ち着いて、鞠ちゃん」

 濾過が止めに入る。突然、鞠が騒ぎ出したのだ。

「……ごめんなさい、ちょっと感情的になりました」

「でもどうして鞠ちゃんの昔の名前を知ってるの?」

「知ってるのは当然よ。それにしても……名前を捨てた?」

 アリスの拳が握られる。

「なんて事をしたのよ! どんな思いで名付けたか、知ってるっていうの!?」

 その言葉を聞き、濾過についさっき言われたことさえ忘れて――

「知るもんか! 捨て子だぞ捨て子! ダンボールから拾われた私のこの気持ちがわかるもんか! ああ、確かに私の名前はマリアだよ! でもなぁ、これは私の親がつけたんだよ! 私のことを捨てた親がなあ! ふざけるな……私にこの名前を思い出させるな!」

「鞠、落ち着け」

「あ……ごめんなさい、轆轤さん」

 その鞠の言葉を聞いたアリスは――うろたえた。

「あ……私、私は……!」

(何だ……? この奇妙な感覚は)

 濾過は何か、おかしな食い違い、変な心地がしていた。

(魔法の感覚とかそういうのじゃなくて……)

(この会話に流れる空気が……変?)

「話すより、見せたほうが早くないか?」

「え? 見せるって……何を?」

 轆轤は、アリスに近づく。手首を思いっきりつかむ。おおよそ紳士的ではないつかみ方だ。

「嫌、離して……っ!」

「ちょっと轆轤さん!?」

 何をしている? そんな変態的行為に何の意味がある? アリスに無理矢理何をさせようとしているんだ?

 轆轤はアリスの服に手をかけ――アリスの腹部がむき出しにされる。


「これ……は……」


 その言葉は、おそらく無意識に発せられたものだろう。濾過の声か、鞠の声か……。

 見ただけでわかる。わかってしまう。これまでの会話の流れと、そして事前に持ってしまった予備知識。それを――モラルが見るなと言う。

 しかし見えてしまう。理解してしまう。轆轤が早くわかると言った方法は、あまりにもわかりやすすぎた。

 腹部に綺麗な赤い縦線。縫ってからまだそれほど経っていないということだ。そう。それは赤ん坊が入りやすそうな切れ目となり――入れるということは、出れるということ。

「ま……まさか――て、帝王切開」

 史上、6歳で子供を産んだ女性――いや、少女と呼んだほうが良いだろう――がいる。これはつまり、人間には6歳のときにすでに生殖能力を持っているということっである。

 だから、たとえどんなに聖なる存在としてのアリスであろうとも――10歳であろうとも――過ちを犯せば、子を孕むことができる。

 身篭り、そして生むことが――!

「聞け、鞠。こいつは――お前の母親だ」

「え、あ、う……う。えっ」

 突然の事実と感情の渦。その渦中で鞠は意味を持った言葉を紡げない。言葉に意味を、持たせられない。

 すべてに納得し始めているのだ。

 最初自分に向かってアリスがやってきたこと。

 子供の様子をじっくりと見たいというのは、親にとっては当然の感情。

 アリスが何のためらいもなくキスしてきたこと。

 キスをしない親子なんて、この世界に存在するのだろうか?

 鏡の国で、鹿が言っていたこと。

 ×××は×××を生み出した――本当に、そのままの意味で。

 そして――世界征服、環境整備の意味。

 震える両足を伸ばしたままでは自らを保てなくなり、鞠はしゃがみこんでしまう。

「う、ううぅ……!」

 もちろんそんな幼さ。生殖器は未成熟である。普通に――『自然の道理に合わせて産む』ことはできないだろう。だからこその帝王切開。もちろん、ここに至るまでに命を落とす可能性は無視できるほど低いものではない。どんなときでも死と隣り合わせ。常に危機的な状況だったということ。

「……もういいでしょ。離して」

「ああ」

 服を直す。

「そう……だからもう一度ちゃんと言わせて――マリア・ラーヴァー」

「マリア・ラーヴァー……」

 なんて名前だ。濾過は思う。愛人聖母なんて――。

 となると、アリスの名前は――アリス・ラーヴァー。……やはり何から何までおかしなことだらけだ。

「……もう、なんだっていいわ」

 しゃがみこんだまま、鞠はぶっきらぼうに言う。

「全部話してよ。あんたの気の済むまで」

「鞠ちゃん……それは少し……乱暴じゃない?」

「私を捨てた理由……そして私をもう一度拾った理由、でしょ? あんたに対しての怒りは収まらないけど。私がちゃんと納得するように、話してよ」

「私は、ある魔法使いと恋に落ちた。あなたの父親よ。名前は確か、水に関する名前だったはずよ。彼と会ったのはほんの三日間だけど……その彼が、この不思議の国。そして鏡の国を作り上げた」

「国を作ったぁ?」

 どんな魔法使いだよ。

「彼は、その後どこかへいなくなった……私と不思議の国が残った。厳密には、おなかの中にいたあなたもね」

「……あんたも、捨てられたってこと?」

「……そうね。この不思議の国で、泣き叫んだわ。ここには誰もいないし友達もいない。代わりにこの広い空間が残された」

「寂しかった……ってことか。この不思議の国には誰もいないわけだし」

「ああ……それは違うわ。不思議の国にいたみんな鏡の国に行っている……というか送ったの。クサレ帽子屋とか、13月ウサギとか。この国の無人は私によるものなの。だから彼がいなくなってもこの国はにぎやかだった。そして私は気づいたの。自分のおなかの中に、あなたがいることに」

 鞠は何も言わない。

「産んだのは一ヶ月くらい前……本当に死ぬかと思った。今こうして立っているのも、本当はつらいの。走るだなんてとんでもなかった……さっきここにくるまでで何度も力尽きたわ。時計を使うことすらできなかった」

「お前が俺の行動に気づいたのは……結構早かったのか」

「あのクソ猫はしてやったりと自慢するのが好きだからね……でも、早めに行動してよかったわ。でないと、間に合わなかったかもしれないし」

「にしても……相当な精神力ね。相当身体的にガタがきてるのに……気丈に振る舞うなんて。普通の人ならまず無理……じゃないかしら。私は子供を産んだことないから分からないけど」

「……別に、分かってもらおうなんて考えてないよ。ただ、これが理由だって知ってもらいたかっただけ。マリア……鞠ちゃんをこの国に引き入れるための、大仕掛け。私の子供を取り返すためのね」

 アリスはしゃがみこんだままの鞠をじっと見る。そして虚空を見上げ、目をつぶる。


「でも、もうおしまいね。」


 アリスは目を閉じ、悲しそうな顔をする。

 いや、それは悲しいというより――絶望。

「だって、あなたが私を必要としていないことが分かったからね。もちろんこれが私の間違いでも正すことなんかできっこない――もう手遅れだからね」

 アリスは懐から――真っ黒な、手のひらより少し大きい――それは、まるで、というよりも。

 拳銃を取り出した。

「嘘っ!」

「本当は寂しかったのかもね……魔法で作られたNPCとしての人間なんて、とても人間とは思えなかったのかもね。この世界に人間はいないと思ってしまったのかもね。」

「……何をする気? アリス……」

 撃鉄が引き起こされ、アリスのこめかみに先が当たる。もちろんその銃鉄を下げたのはアリスであって、こめかみに銃口を当てたのだってアリスである。

 そして、アリスは言う。

「山奥にある石ころなんて……あってもなくても同じじゃない?」

「待てっ!」

 引き金に指がかかる。もちろんこの指も、嘲笑的な表情を浮かべた、アリスの――


「うぉおおおおおりゃぁぁぁああああ!」


 どん、とアリスの体に体当たりした。

 ――鞠は、無我夢中で駆けていたのだ。

 その拍子で銃口は上を向いた――よく見れば緑色の糸が付いている。それは間違いなく、鞠の魔法石。

 鞠はアリスに覆いかぶさる形で、床に転げた。

「マリア……鞠。どうして……」

 胸に顔をうずめていた――意図的かどうかは定かではないが――鞠は顔を上げて、アリスを見据えて、言う。

「あんたへの怒りは消えない。多分……ずっと収まらない。ずっと燃え続けると思う。あんたみたいな人間さっさと死ねばいいとも思っている」

「なら!」

「でも!」

 鞠の目には涙があった。

「死んじゃだめでしょ……お母さん」

「鞠……」

「マリアでいいわ。あんたにとってそっちが言いやすいでしょ。……私、ずっと実の親を探してたの。当然ね、捨て子としては当然の行動よ」

「それは……私に怒りをぶつけるためじゃないの? 今みたいに――私に、死ねと! ありのたけをぶつけるためじゃないの!?」

 アリスの目にも涙が浮かぶ。

「それもある。でもね。いちばん言いたかったことは……生んでくれてありがとうってこと」

 キョトンとするアリス。感謝? 感謝だって? ――今更。

「なんだかな。もちろん私を捨てたってことについての怒りもあるんだけど、やっぱり自分が何者かっていうのに結論が出なくて――というか出るような問いじゃないのかもしれないけど。でも私には親がいなかった……誰が私をこの世界に生んだのか? かなり悩んだわ。本当に……自分とは何なのか。自分はただの動く人形なのか? ただ意思を持ち、魔法を使える、戦うだけの人形だって!? ……怖くて眠れなかった日もあった。だから……安心したかった。ちゃんと、私が人間だってことを、知りたかった……。ちゃんと……は生まれてないかもしれないけど、誰かからの血を受け継いだ、ちゃんとした人間だって……そういう証明を、ずっと、ずっと、求めていたの」

「鞠ちゃん……」

「人間はただのタンパク質の塊だって、習ったとき、自分はなんてくだらないんだろうって思ったわ。誰からも愛情をもらえなくても、生きていける……生きているという現象は生まれるんだって。科学に愛なんてのは必要ない。でもね、人間には愛が必要なのよ。昔、『魔法行』内で事件があって、私がいた部隊が借り出されたことがあって……そこで、私の友達が、一人……死んだ。事故のようなものだったんだけど……そのときにね。人間って心があるんだって、思ったのよ。何で泣いてるのかわかんなかった。ただのタンパク質の変質に、どうして涙がこぼれるかなんて……心。感情。愛。人間にはそういうものがあるのよ。でもまた思ったのよ。親から受ける愛情って、どんなものなのかって。そして、親から愛情を受けなかった自分は、果たして人間なのか、って……! 心細かったの……。その子の親が、一番悲しいことがわかったとき、私は私の分も含めて泣いた。私ってなんなの? 何で親がいないの? 何で愛してもらえないの? でも、でも……」

「…………」

 アリスは黙っている。

「親を探した。毎日、何らかの形で。『魔法行』から脱走した濾過さんの監視役だって、そのためにやったようなものなの。でも見つからなかった! 魔法使いは大きな行動ができない! もう、あきらめようかと思ったわ。でも、ようやく……ようやく……っ!」

 生まれたときから親がいない。それは鞠を根源から歪ませていた。『戦う部隊』にいたからこそ崩壊はしなかったが、彼女は一時期、自分は神の子だと本気で信じていたときがあった。

 やっと見つけたのだ。たとえまともじゃなくても、ちゃんとしていなくても。

「だから……アリス。あなたは私が……殺す」

 涙ぐんだ声で鞠……マリアは言う。怒り、嬉しさ、清々しさ。一体どの感情を抱いているのか分からなくなる。そんな鞠の呂律が、回っているわけがない。

「安らかに、私に、み、見守ら、れて……死んで、しまえ……っ!」

 その言葉は、銃弾より強くアリスの頭を揺さぶった。

「うん……ありがと」

 それからしばらくの間親子は抱き合った。轆轤と濾過は笑顔でその光景を見ていた。濾過も泣いてはいたのだけど。




「……見方を変えれば、アリスはただのクズ野郎になるが、まあ、仕方のない部分もあったのかな」

「クズ野郎? え? 仕方が無いって?」

 アリスが鞠と抱き合ったあと、轆轤は濾過の手を引き、城の外へと向かった。ことが済んだら呼んでくれ、城の前にいる――と言い残して。

「感動の再会――再会って言うにはお互いの体感時間が空きすぎだけどな。アリスはマリア――鞠を産んで数十日。方や鞠――マリアは十年もの歳月を過ごした。この差はかなりでかい。そのことを理解したからこその、アリスの涙だろ」

「十年……」

「子育ての最初の十年なんて、苦難の連続――ってことは想像するに難くねぇ。それをアリスは――他人任せにした。拾ったのが魔法行で、『戦う部隊』に最初から入れられたのは災難か偶然か幸運か必然か……しかし、アリスの手元から離れたからこそ、鞠は――マリアは、滅茶苦茶な人生を送ることになった」

「……育児放棄ってこと?」

「どっちかというと委託だな。幼稚園や保育園に預けるようなもんさ」

「それを十年間……あいや十年間分。自分はその苦難の時期の子育てを避けて――他人に押し付けて、ある程度成長してからこの世界に連れてきた。聞き分けの良い時期まで――」

「十歳で聞き分けの良い子なんて、そうそういねぇけどな、この現代。まあ、鞠は実際聞き分け良いけどな。というより、滅茶苦茶な人生を送ることになった代償だな。聞き分けの良い人間でなければならなかった。」

 『魔法行』の『戦う部隊』。鞠はそこに所属しているが――自分で望んだものではない。もともとそう育てられたのだ。『魔法行』には捨て子を預かる機関が存在する。親のいない子供たちが集まる――名目上、そこからどのような将来を築いていくのは各人の自由となっている。しかし、基本的には『戦う部隊』へと編入していく。自分の価値を戦闘で見出せる――そう考えてしまうのだ。その機関も、そのつもりで子供達と向き合う――戦闘訓練。

 そして鞠には、その価値があった。

「果たしてそれが良かったのか悪かったのか――違う人生なんて分かんねえけどな。まして他人ならなおさらだ。幸せ一辺倒で生きているやつなんかいねえし、その逆もねえ。鞠だって、自分の幸せは自分でつかめるさ――それが生きるってことじゃねーのか?」

「でも何で、アリスは鞠ちゃんを現代に送ったの? 自分の手元から自分の子供を手放すなんて――親心としては無理なはずだよ。自分の子供――側にいるだけで幸せになるもの、じゃないの?」

「……そこも、仕方ねえところさ」

 轆轤はふぅ、とため息をつく。

「育児放棄――ネグレクトが起こる原因。子供ができたはいいものの――育てられない状況さ。ま、それ以前にアリスがどうやって生きているのかってのが肝心だがな。この不思議の国には生活感ってのがまるでねえ。アリス以外は人間ではないから食事の必要がないとすると……答は自ら出て来る。何だか分かるか? 濾過」

「んー? 不思議の国では人間は生活できない、ってこと? じゃあ……えーっ……ああ。対偶論法ね。人間が生活できる所は、不思議の国ではない」

「そう。おそらくアリスは――不思議の国の外で生活している。ただし、まともにじゃあないだろうな。家を追い出されたか、そもそもホームレスか……いや、ストリートチルドレンの方か。そうでなきゃ、子供を捨てやしねえだろ」

 濾過は、今までのアリスのイメージが崩れていくのを感じた。原作では、なかなかの豊かさを持った家の子だったはずだ。

「アリスの魔法は『大きさを変える』だ。とてもじゃねえが、子供ひとりを食わせてやるに足る魔法じゃねえ。大道芸でもやってろって話だ。そして実際、そうやって生きてきたんだろうよ……」

 魔法を使った大道芸――というより、ちょっとだけ金属の体積を増やしたり、僅かの食事をなんとか足りるようにしてたんだろう。食べ物を、食べたそこから大きくして――

「はっ、キリストとでも言うつもりかよ」

 ご存知だろうか。かの神の子がパンを信心のみで生み出した――増大させたことを。

「でもまあ、そうやってなんとか食べ物が確保できれば生きていけたわけだが……どうしたところで、食べ物は腐るからな……永久に食べ物は作れない。魔法使いなんて言っても、結局自分の食べるものは他者に依存するってわけだ」

「『魔法行』では農業の魔法とか、逆に何も食べないでいい魔法とか研究されてるけどね……まあどちらも一筋縄じゃいかないことは確かね。生命に直結する魔法は、やっぱり難しいのよ。魔法の勉強なんて言ったら治癒とか医学になるしね……そのくらいでしか魔法って役に立たないし。あとは浮遊くらいかな……『魔法行』の皆が使える魔法って。……まあ、治癒が蘇生になるくらいには、『魔法行』の内外で差はあるんだけどさ……」

「だとしても、アリスには使えないだろうよ、ここは『魔法行』じゃあねえんだから……さ」

 



「ルールの解説をするわね。使うカードはハートとスペードの6からK。合計で16枚。アリスが奇数のカード、マリアが偶数のカードを持つ。お互いが自分にしか分からないようにカードをデッキに……いえ、自分の前、一枚ずつ横に並べましょう。もちろん裏向きでね。私が、マリアのほうから、各自左から一枚ずつカードをめくる。……ハートスペードじゃ面倒くさいわね。赤が出たらアリスに1点、黒が出たらマリアに1点。ハートのQは終了を意味し、それは赤ではない」

 そこにはハートの女王がディーラーとなり、テーブルに向かって立っている。丁寧に奇数と偶数のカードを並べながら。

 ハートの女王の右側にはアリス。もうその瞳に涙はない。マリアを見つめて座っている。

 ハートの女王の左側にはマリア。今は鞠という名ではない。ハートの女王を見つめている。

「禁止事項を言っておくわね。両者の配置後、カードには一切触れてはならない。意識的にも、無意識的にも、間接的にもね。まあこれに関しては、カードに触れて何かをしようとしたとき、ってことにしましょうか。そして、これに反しなければ――」

 二人の前にカードの束を置く。二人はそのカードの束を手に取る。


「このゲームには――魔法を使っても良いとする」



 アリスとマリアはお互いを見て、にやりと笑う。


「さあ、始めましょうか……魔術師がいた時代から行われているゲームを――『Devil's War』を」


「ま、単純なゲームよね……魔法なんか使わなければね」

 アリスが丁寧に一枚ずつ、カードを置いていく。深く考えはしていない……のか?

「……勝利条件、確認するわね」

 マリアは考える……。

 このゲームに魔法がなかったら、インチキ、イカサマでしか勝ち目はない。しかしこれは魔法のゲーム……魔法使いと魔法使いが、己の魔法のほうが勝っていると、相手に思い知らせるためのゲーム。魔法使いの要である――『知性』! 賢さを競うゲーム。

 つまり、このカードを並べる手間なんてのは――はっきり言って無駄!

「私が勝ったら私は不思議の国から出て行く。退散させてもらうわ――お母さん」

 アリスは手に持っていた最後の一枚を一番右側に置く。

「そう、そして私が勝ったら、マリア。あなたは不思議の国で私と一緒にいる。引き分けはあなたの勝ちで良いわ」

「……了解よ」

 マリアもまたカードを並べ終える。

「二人とも準備は良い?」

「大丈夫よ、始めて」

「いいですよ」

「それでは……初手、マリア」

 ハートの女王はマリアが一番左に置いたカードをめくる。

「黒、6……マリア、1ポイント」

「ふん、まあ普通ね」

 ああ、普通だ――考えるまでもない。黒を先に固めて、次にQ。そして最後に赤3枚。このゲームにおいては、その戦い方で問題はあるまい。

「次、アリス。赤7……アリス、1ポイント」

 もちろん、アリスもそうしてくる。赤を固めてくる。

「ねえ、マリア……あなた、本当に出る気あるの? この国から」

「え?」

「出る気があるなら、もっと本気で来なさい。初手からこんな体たらくなんて……ね」

「次――マリア。赤6……アリス2ポイント」

 ハートの女王はそうコールする――

「私は――勝つ気よ」

「…………っ!」

 なぜ? どうして――最初の4枚は黒のはずなのに。この私が置いたのだ。間違いがあるはずない。あるはずのないことが、起きている。

 ……と、なると。やはり魔法か――おそらく、空間移動!

「そう、空間移動――この時計よ」

 そう言ってアリスは懐から時計を取り出す。

「あのウサギは時間移動しか使っていなかったけど……それはあの子の役割というだけであって、不可能ではないのよ」

「……あんたはキャラクターじゃないから、役割には縛られない、ってことね」

「そういうこと。さて、どうするのかしら?」

「次――アリス。赤9……アリス3ポイント」

 そうこうしているうちに、ハートの女王が次のカードをコールする。

「くっ……!」

 なんてこった。一枚とられるだけでこんなに差が出るなんて。1-3。どうにかしなければ。

 どうする? どうできる? どうすればこの状況を打破できる? 次のカードは……順番どおりならば黒10だ。しかしアリスは空間移動を使ってくるだろう。どうする?! もし次にQをセットされてしまったら――!

「次――マリア」

 ハートの女王の声。冷や汗が流れる――これが、魔法使いのゲーム! 悪魔の戦争!

「黒Q……マリア2ポイント」

「……あら、不発ね。運が良かったわね――マリア」

 一瞬クイーンという声が聞こえ、びくっとしたマリアであったが、どうやらここで負けずに済んだようだ……と安堵の表情を浮かべる。

 しかし問題はここからだ。どうにか、どうにかして、ここで――アリスに黒を出させるには――!

 ……魔法を、使うしかない!

 そう、これは魔法使いのゲーム。魔法を使わずに勝てるわけがない。

 マリアにしか使えない、マリアの最も得意とする魔法で――!

「次――アリスぅぉ!?」

 そのとき、急に、つむじ風が吹いた。局地的な風。その風によって――アリスの一番左のカードと、一番右のカードが、入れ替わってしまった。

「ちょ――マリア!?」

「さあ」

 と、とぼけてみせる。

「窓を閉め切った部屋でつむじ風が起こるわけないわよ。幻覚でも……見たんじゃないのぉ? お母さん?」

「くっ――」

「アリス、黒K……マリア3ポイント」

「ありがとう、お母さん」

 幻覚などではない。『14C』と対峙したときと同じ要領だ。『魔法石』を気化――厳密に言えば今回は液体を経由させていないから昇華だが――させて、風を起こした。

「直接触れてはいけない、間接的にも、なんて言っても……さすがに空気に触れるな、なんて言わない。そうですよね――ハートの女王?」

「ええ……そうね、マリア。今の一手、有効よ」

 よし。引き分けに持ち込めた。そしてアリスの弱点の分析もできた――アリスはカードを自由に移動させることはできるが、どこにどのカードがあるかまでは知ることができない! つまりこの状況――迂闊にQを出させたら、引き分けでマリアの勝ちとなる!

 そうでなくても、マリアの手札は今5枚、そのうち赤は2枚! Qで勝利、そうでなくとも残り2枚は黒! 半分以上の確率……!

「有効……? はははっ、馬鹿らしい。ねぇ、ねぇマリア」

「……何よ、お母さん」

 何かもったいぶったような、何か含みのある言い方。引き分けという状態に持ち込んだにもかかわらず、どうして――上から俯瞰するような言動が取れる!?

「インクって、知ってる!?」

「あ……っ! まさか!」

「次――マリア、赤10……アリス4ポイント」

 これはまずい! まずいというよりやばい!

「カードのインクの一部……ほんの一部よ? そこだけ私の元へ、私だけが見えるところへ――空間移動! そうすればほら……どれが赤か、どれが黒かなんて簡単に分かっちゃうのよ」

 赤――もといハートのカードはマリアの手元に3枚あった。そのうち1枚のみQ。それらのうちどれかを出させれば、3分の2の確率で……赤!

「3分の2じゃないわ――ほら、Qには……絵柄がついているでしょう?」

「ぐっ……って、ことは――」

 Qの中央付近のインクを取れば、絵柄に使われている――赤以外のインクが取れる!

 つまり――アリスは、私の手を好きに改変できる――冗談じゃない!

「引き分けが勝ちでいいなんて、ハンデにすらなってなかったのね……!」

 考えろ。

 次もまたつむじ風を使うか? いや、それが成功するのはさっきの一回だけだ。次やってしまったら、その直後に戻されてしまう! 空間移動に、予備動作は必要ない!


「ふ……ふふ」


 しかし、鞠は笑ってしまう。

 逆境、ピンチの状態であるにもかかわらず――笑みがこぼれる。勝負というのはこうでなくては! 命がかかっている勝負では内気だが――こういう知能的な勝負なら! 全力を以って相手できる!

「インク、ねぇ……なら、私も――!」

 せっかく教えてもらったヒント、無駄にはしない。集中しろ! 集中こそが物を産む! そして――勝利をつかむ!

「次――アリス……黒Kぇぇっ!?」

 尋常じゃないほど驚くハートの女王。一体、何を見たのか?

「ふふふふ……何とかなったわ」

「待って! 黒Kはさっきめくられたはず……!」

「ええ、黒だけど――スペードじゃあないの! ハート……ハートのカードが、黒塗りされているの!」

 ハートの女王の言葉通り――そのカードはハートのカードだったが、黒いハートだった。

「くくくく……ハートの女王、あんた、黒が出たら私に1ポイントって言ったよね。ハートかスペードか? そんなの関係ない――でしょ!?」

 にひひ、とまた笑う。

「さあ! ハートの女王! ポイントのコールを!」

「……マリア、4ポイント!」

 黒いインクを物質製造――インクなんて大層なものではなく、鉛筆で塗り潰したようなものだが、赤を黒に見せられるほどの色を生み出した。もちろんそれには並々ならない集中力が必要で――そして、マリアの物質製造能力は、着実に成長している!

「4対4。これで引き分け――いいえ、むしろ私に有利ね。だって――いかなる赤のカードも、黒く染め――」


「させないわよおおおおお!」


 と、アリスは身を乗り出す。そして――

「……にっ!?」

 バチン、という音とともにマリアの思考が一瞬止まる。そして一瞬遅れて頬への痛みを感じる。

 まさか……まさか、ビンタされた!? じりじりと左頬に痺れを感じる。

「マリア、あなたの物質製造――インクの捏造をするとき、すごく集中してたわよね……そうはさせないわよ」

「くっ……!」

 集中しなければ、物質など作れない。インクだって、簡単に取れるようなものでは話にならない。それを丈夫にするには、それだけ集中力と、時間が必要――!

 それを絶つ! ビンタという行為は、物理的に、暴力的に、思考の妨害をすることが出来る。やれることは、出来ること――!

「だとしても、まだ黒は――」

「甘ぁああああああい!」

 アリスは、テーブルの上のカードに手をかざす。そして、マリアはその先――カードを見る。

 カードが8枚から、7枚、6枚に……減っている!? 減るだって!?

「『大きさを変える』! 空間移動でも時間移動でもない、私にだけ使える魔法! ねえハートの女王、あなたは出来る? 見えもしないカードをめくることが!」

「ア、アリスぅぅぅぅううう!」

 最終的に、カードは3枚になった。アリスの一番右のカード、そしてマリアが5,8枚目に置いたカード。

「黒のカードはすべて消滅した! そしてマリア! あんたのその左のカードは赤! エンドマークのQじゃない! 物質製造で黒に変えることも出来ない! もうどうしようもない!」

「うぅぅううううう!」

 どうにもならない。頬が痛い。痛みとピンチで思考が回らない。なんとか、なんとかして打破しなければ!

 黒のカードがなくなった。すなわち赤しか、このテーブル上には存在しない。

 ならばどうにかして黒を……いや、どうやっても無理だ。どうしても、勝てない!

 ……しかし、問題はそこではない。勝ちは狙えない。とすると……勝ちではなく、引き分けを狙う! ギリギリまで、考える――!

「……お母さん、最初、勝つ気があるのか、って言ったわよね」

「……ええ」

「別に私は、ここから出ようが出まいが、どっちでもいいのよ。極論」

「……別にあなたを箱入りにするつもりはないわ。でも、私は――あなたと暮らしたい。だから……負けてくれる?」

「それは無理」

 アリスの言葉に、はっきりと答える。

「結果はどっちでもいい――ただ、私は……勝ちたい! お母さんに、勝ちたい! この状況から――あんたの盲点を、突いてやりたい!」

「次――マリア! いい? めくるわよ?」

「めくれるものなら――ね?」

 ハートの女王が、マリアの中央付近にある札に触れ――

「……へっ!?」

 ハートの女王の手に、カードが触れることはなかった。

「ちょ、て、テーブルぅぅぅううう!?」

 バン、とアリスは立ち上がり、そして彼女が言ったとおり――テーブルを見つめる。

「あんた、私のものをいくつ壊せば気が済むのよ……!」

 驚愕して目を見開くアリス。そしてハートの女王――言葉の上では怒っているが、その目は『よくやった』と言っている! 

「私の一番左のカード……でも、テーブルの下を、含んだりするの? まあ、空気抵抗にあおられて、もう一枚のカードの右側にもう行っちゃったけど」

「ぐぐうぅぅ……!」

「禁止事項――カードに意識的無意識的、直接的間接的に触れてはならない。触れてないわよ? ただ消しただけ。物質製造が出来るなら、その逆も出来る! 物質消滅! テーブルの一部を消した……さあハートの女王! 次のカードを!」

「ええマリア! よくやったわ! 引き分けはあなたの勝ち――欲を張らないあなたの勝利よ! 次――マリア、Q! よってゲーム終了! 4-4。引き分け! でも実質として――マリアの勝ち!」

「よしっ!」

 ガッツポーズをとるマリア。

 マリアの勝利が――確定した。

 ぱちぱちぱち、とアリスは手を軽やかに叩く。

「……ま、いいわ、マリア。おめでとう。寂しいけど、これであなたは独り立ちよ。轆轤くんと、濾過ちゃんだっけ? あの子達と仲良く、ね。あーでも、すっっっごく悔しい!」

「というか、ビンタってなによビンタって。知的ゲームだと思っていたのにトンデモ暴力ゲームじゃない。……ま、たまに遊びに来るとは、思うけどね」

 ふ、とマリアはやわらかく笑った。




「でもマリア、私たち同い年なんだよね。だからどっちが先に死ぬか分からないよね。もしかしたらマリアの方が先に死ぬかもしれないし」

 城から鞠、アリス、そしてハートの女王が出て来て、轆轤と濾過も合流した。濾過は鞠の様子が心配でならなかったが、精神的に不安定になっている様子もなく、鞠自身大丈夫だと言っていたので、一応安心することにした。轆轤は何も言わずただ見ただけで、何があったのかを察した様で――いや、彼に言わせるならば、結論が大事なのでろうか。鞠が無事。それが一番大事だということか。

「ああ、そっか」

 一応だが鞠は軍人である。『魔法行』の『戦う部隊』。この穏やかな不思議の国とは比べ物にならないほどの戦場が鞠を待っているのだ――

「だから……これ」

 アリスは鞠に何かを手渡す。

「これは……時計?」

 どこかで見た事もあるような……

「白ウサギの時計よ。困ったときには使いなさい」

 よく見ると、鞠の魔法石と同じ形になっている。……変形前の、イヤリングの形。

「……あなたたちも、ありがとうね。気が向いたらでいいから、私の子を見守ってて。私は多分ずっと……不思議の国にいるから」

「おう。お前も気を付けておけよ。何が起こるかなんて分からねえからな。まあ、そんときゃ助けに行くさ、そうだろ、鞠」

「うん、ありがとうお母さん」

「……なんかくすぐったいわね。お母さん、なんて……あーあ、やっぱり……慣れないわ」

 頭を掻きながら、アリスは顔を赤らめ――微笑していた。やはり、どうであろうと、なんであろうと――嬉しいのだろう。

「だけどどうやって帰るんだ? これで鞠のその時計で時間移動できるけど空間移動できないだろ。白ウサギの魔法じゃないと……」

「その点も心配いらないわ。その時計の本当の魔法は、時空移動。空間移動するだけの力は白ウサギに扱えなかったのよ。バカだから。これで帰れるでしょう?」

「ってかアリス」

「何?」

 珍しくじーっと様子を見て行た濾過がアリスに言う。

「何気に優しいのね」

「……失敬な。最初から私は平和的よ。鏡の国でマリア――鞠を試しただけ。魔法は夢を叶えるためにあるの。戦争なんてとんでもない……」

 その言葉に反して――現実、『魔法行』では着々と戦闘のための準備がなされている。これまでにないほどに、大掛かりなもの。守るための戦いとはいえ、それで命を落とす人もいる。どうか起こらないように願うばかりだ。

「そろそろ帰るね」

「考え直してこちらで暮らさない?」

「今更ね。ちゃんと看取るから」

 肩をすくめて、鞠は言う。

 いや――マリアが言っているのか。

「ふふ。それじゃ、そちらのお二方もお元気で」

「もちろん」

「さようなら」

「また来てね」



                   第7章・終

                   第8章へ続く

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