第6章 Magic's Evidence
ハートの女王とのゲームに勝った轆轤。そこに彼女が現れる。時間移動と空間移動の魔法の原理は何なのか。
第6章 Magic's Evidence
「その必要はない」
突然扉が開き、その声が聞こえた。反射的に、その方を向く。
「ったく……どうしてこんな事になっちゃったのか……ま、あんたのせいってのは明白よね」
黒い短髪に鋭い眼。ゴスロリ。うさ耳のついた帽子をかぶり直す。
「おいおい、何でもかんでも俺のせいにすんなよ。もともと発端はお前じゃねえか、アリス」
「そうね。発端は私かもしれない。でも原因はあなたに……いいえ、この話はやめておきましょう」
悪いのはあの猫野郎だものね、と聞こえた。
あのチェシャ猫ねぇ……まあ、本来こいつの目的は鞠ただ一人を鏡の国に送ることだったからな。濾過が向こうに行ったのはこいつの計算違いってことか。
「それよりもあなたよあなた。私の秘密を握ろうとしてるって? 見過ごせるわけないわよ。ふざけんじゃないわ」
「でもねー。ゲームに勝っちゃったしー彼」
「そんなこと関係ないわよっ! ってかあんたもあんたよハートの女王! なに勝手にそんな約束しちゃってんのよ私の許可もなしに!」
「あら? 不思議の国ってあなたの許可がないと約束ひとつ出来ないのかしら?」
「違う! 私の秘密を言いふらしてんじゃないってこと!」
イライラしたように言うアリス。ふむ。誰にでも秘密はあるわけだからな。そこは人権ってもんだな。でもこの不思議の国にそんなものあるのかねぇ。人権が保証されてない国だってあるんだし。
「へぇ、秘密ねえ。でもそこまでひた隠しにされちゃあ気になってしょうがねえんだけど。よかったらアリス、その秘密の内容――教えてくれないか?」
「馴れ馴れしい! 教えるわけないじゃない!」
「そうか。つまり――お前に親しい人間になら教えられるってことだよな」
「何? 揚げ足? 親しくなれるとは思わないけど。あんたはただ黙って待っているだけでよかったのに、勝手に行動してくれやがって……私にとって、あなたはとんだ誤算。目の敵なのよ」
「ふっ、敵か」
ここまで予想通りの展開になると本当に楽しくなってくるな。まあ――いつもどおりか。
「じゃあ勝負だ。あんた、魔法使いなんだろ? このウサギから聞いてるぜ」
テーブルの上にいる白ウサギを指さす。指されたウサギはぎょっと目を見開く。
「勝負……? 何? バトろうってんの?」
「敵が出てきたら殺す。戦争の基本的な考え方だぜ。勝負するしかねぇだろ」
「……あんたを殺したところで、私に利はないんだけど。私の方としては、秘密がバレなければいいくらいだし。私が勝って、何がどうなるってわけでも……」
「はぁん? ナメきったこと言ってんなぁ。いいかオコサマ」
「おこ……っ!?」
アリスに向けて歩を進め、真正面に立つ。
「自分は戦うつもりがない、平和を望んでいる、戦争なんて真っ平だ――なんて言うことそれ自体に意味はねぇ。言いたいなら好きなだけほざくがいい。死ぬ直前まで叫んでろ。だがな。世の中はそんなに甘くはねぇんだ。目的のために躊躇なく、人を殺す人間だっているんだよ――例えば、俺みたいにな」
ひっ、と青ざめたことにアリス自身、気づいているだろうか? こんな子供にそんなことを言うのは酷というものだろうか。でもまあこうでもしないと、アリスの心を掌握することは出来まい。
「自己防衛のために戦力を持つこともあるよなぁ。その場合、本気を出さないと死ぬってことくらいは把握してるよな。当然か。さて、お前が勝った場合、そうだなぁ……」
「……いや、いい。いいわよ。私の秘密をかけて戦ってやろうじゃない。で? あんたはどんな魔法を使うのかしら。ま、どうせ教えてはくれないんだろうけど。そりゃそうね。私だって教えるつもりはないし」
やる気になってくれたようだ。血の気が戻っている。戦意に溢れている。
「俺は、魔法使いじゃないぜ」
「……は? あんた、なんて?」
「魔法使いじゃない、と言ったんだ。これで負けたら恥ずかしいよなぁ?」
「……ふん。馬鹿にして。やってやるわよ。凡人」
挑発も完了。さて――
「ちょっとちょっと、何おっぱじめようとしてくれてんのよ」
と、お互い気力十分かというときに、ハートの女王はそう言った。
「あんたたちねぇ。少しは場所ってものを考えなさいよ。ここは私の部屋よ? こんな場所で始めないでくれる?」
「うっさい黙れ!」
アリスの一声とともに、何か大きなものが自分に向けて振り下ろされる――
「おおっと!」
後ろに体を転がし、その攻撃をかわす。
「いきなりきたなぁ……はっ! いい感じじゃあねえか!」
その攻撃は――帽子によるものだった。
しかし目を疑った。その帽子には見覚えがなかったとも、またあったとも言える。うさ耳がついているその帽子は出会ったときも、そしてさっきも見た。しかしそんな――
「へぇー……よーくかわしたね。でも、もう無駄ね。くらえっ!」
大きかったか?
二発目が繰り出される。巨大な帽子を振り回すようにアリスは足と体幹を軸にして回転する。しかし、その大きさ――その半径では、こちらに届きはしない。
――なんて、そういうことじゃないんだ。
帽子が迫ってくる間――一瞬――にそう考えた。届かない物を振り回すことに意味はない。逆に言えば、届けば意味のある物になる。そして、届かせることが出来れば振り回す物すべてに意味が生じる――
「ふんっ!」
と、帽子が迫ってきた方向とは逆方向に――回し蹴りを喰らわせた。その衝撃でアリスは帽子を手放した。
「へぇー……あんたの魔法、面白いな」
体勢を整えながら言う。アリスは一瞬帽子を取りにいこうとしたが、その行動はとらなかった。
「でもまあ、あんたがアリスってことを考えれば、これは当然の魔法か。あんたのその魔法――『大きさを変える魔法』はな」
アリスは少し驚いたようだ。そりゃあそうか。たったの二撃で魔法を見破られるなんて、これまで無かっただろうからな。だが、俺が推理を外すことはない。
大きいかもしれない、と思ったその帽子は、実際に大きくなっていたのだから。
世界を構成するもの――と言って、どのようなものが思いつくだろうか。私の世界は私で出来ているなんて世迷い言じゃなくて、人間だという心理的でもなく、お金だという概念的な意味でもない。物理的に、この世界は何で出来ているのか。
中学校で、物質の最小は原子だと教わり、高校でそれより小さいものが存在すると学ぶだろう。
しかし、もう少し大雑把に考えてみよう。小学校レベルではどう学ぶ? どう感じるか? そんなことを考えると仮定して――
単純な話だ。
世界を構成する要素二つ――時間と、空間。常に変化していく時間と、変化を受け入れる空間。
時間については、現代の物理学でもわかっていないことばかりだ。重力の効果で時間が変わる、という現象も起こりうる。思えば、常に流れているというのも不思議な話だ――我々が時間の流れの中でしか生きられないということの裏返し、つまり時間が流れているようにしか我々が感じ取れていないだけ――なのかもしれない。
では一方で空間とは何だろう。これもまた――わかっていないことだ。宇宙がビッグバンによって生まれる前、空間というものは無く、そして宇宙が膨張を続けるとともに、空間もまた広くなっていく――スペースという名の通り。しかしどうしてビッグバンによって空間が生まれるのかは分かっていない、というか定かではない。時間と同じように、空間だって不安定――
時間を伸び縮みさせることができるなら――空間を伸び縮みさせることだって可能では無いだろうか。
アリスの魔法。
体が大きくなり、また小さくなった彼女にはぴったりの魔法と言える。
物質製造に近いだろうか――プランクの長さである超ひもを魔法で『伸ばす』と考えられる。本来超ひもには伸び縮みなんてないのだが。
だから、これは時間移動、また空間移動と同様に――単純にエネルギーを放出しているだけとは言えない。何か別の――本当にスケールが違う、もう一つの何か。もうワンランク上の魔法。
平等濾過さえ――知らない魔法。
轟音。
轆轤とアリスの戦いが終わろうとして――つまりアリスが轆轤に対しマウントポジションをとったところで――突然土煙が上がった。壁にぽっかりと大きな穴が空き、その破片――瓦礫が積もっている。
「あ、いたっ! 轆轤くんいたよ!鞠ちゃん!」
と、瓦礫の中から真っ先に飛び出してきたのは濾過だった。
「う、うぅ……濾過さん、いきなり突っ込んでいきますか普通。いたた……」
体の節々をおさえ、瓦礫から這い上がってくる鞠。目を開けて、その状況を確認する。
「って――アリス……」
「あ、ほんとだ。って轆轤くんに跨がってんじゃないわよアリス! どきなさい!」
「ちょっ! 城が! 私の城の壁をよくも! よくもやってくれたわねあんた達――打ち首ッ! 打ち首よ!」
結局原作通りだった。いや、錯乱しているというのもあるだろうが。
「ふん、ざまあみなさい」
と、アリスは言った。マウントポジションをとったままだ。
「勝手に私の秘密を賭けたゲームをしやがって、罰が当たったのよ」
「罰ですって! そんなの知らないわよ。どうしてくれるのよこの壁!」
騒がしくなったこの場で、鞠は静かに考えていた。
(轆轤さんが……アリスに負けている?)
(魔法を使えないから仕方が無いことなのか? いや、そんなに轆轤さんを過大評価するわけじゃないけと――)
(轆轤さんが負けるなんて、少し意外)
(どんなゲームをしても、轆轤さんには勝てなかったのに――)
当の轆轤とは言えば――いつものように、無表情だった。
「ってかアリス! さっさと轆轤くんから離れて! 轆轤くんを渡しなさい!」
「……ええ、分かったわ」
そう言ってアリスは轆轤の上から立ち上がり、遠ざかった。
騒音の中、アリスもまた思っていたのだ――どうやったらこの状況で目的を達成できるか。そして濾過の一言から、それがとても難しくなっただろうとも、思ったのだ。
正攻法しかとれなくなったとも――!
「轆轤くんこっちに来て! アリスの味方には――絶対なっちゃだめ!」
濾過のその一言で場に張り詰めた空気が流れる。戦場においての、駆け引きの空気だ。
「ふむ――」
と、轆轤は考えるポーズをとる。
アリスは思った――やはり正攻法しかない。と。鞠はおろか、轆轤さえ味方につけられなかったのだから――自分の力だけでなんとかするしかない。
「いや、それは無理だな。なぁアリス」
「……えっ?」
「勝者はお前だ。勝者が敗者を奴隷として使う――何かおかしなところはあるか?」
「ちょっ――轆轤さん!?」
鞠は驚く。轆轤が負けたということが未だ信じられず、またアリスの目的に轆轤が加担することで――恐ろしいことが起きるのではないかと思ったからだ。
すなわち――
「世界征服に――協力するの……!?」
「世界征服……へぇ、それがアリスの目的なのか」
にやにやと轆轤は笑う。アリスはその様子を見てくっ、と悔しそうな表情をした。アリスが秘密を直接教えなくとも――それを探っていた(轆轤の視点からでは「そうだろうなあ」というほどで、確信できないことだが)濾過と鞠に聞くことはできると。轆轤の狙いは初めからそれだったのか――?
「しかし、勝負は勝負。ルールはルールだ。俺はアリスに従わなければならない。たとい鞠を殺せと言われてもな」
「なっ……!」
アリスは驚きの声を発した。協力してくれるならば是非もないが――人を殺すことも厭わない、と?
それがたとえ、鞠であっても――!?
「世界征服かぁ。壮大なことを考えるこった。しかし現実味のない話だなぁ――アリス?」
「現実味……」
「いや、逆にあるのか。そりゃそうだよなぁ、だって、魔法だもんなぁ……なんでもありだったな。世界征服しようとな」
「轆轤くん……」
魔法はそんなにたやすく扱えるものではない――と言おうとして、濾過はそれを言うのをやめた。魔法使いの意志が、魔法を生み出す――魔法が使用者の精神力に依存している。ならば、世界征服するためには、それだけの精神力――頑なで、揺るぎのない精神力が必要だ。ただの人間にできるだろうか――
しかし、轆轤ならできる。
濾過はそう感じたのだ。
轆轤なら――世界征服するだけの魔法を使える。
魔法を使おうという意志さえあれば。
「だからこう思う。世界征服――の世界ってなんだ?」
「へ?」
鞠が不意にそんな疑問符を発する。
「地球を制圧して――どうする? 宇宙を支配して――どうする? できたところでそこに快楽が待つとは限らない。そこには独裁者の病がつきものだ。だからこう思う――」
轆轤は、アリスに近づく。
「お前、遊んでんだろ」
ぽかん、とアリスは一瞬反応に遅れ、紅潮した。
「……世界って言っても、不思議の国と鏡の国だけらしいわよ。聞いた話」
濾過が言う。轆轤の強い語調が支配する中で。
「そりゃなんとも。それだって遊びだ。世界征服をするメリット……というより目的は、大きく分けて二つだ。一つは遊び。快楽主義ってわけだ」
「あんた、さっきから聞いていれば――!」
「おお? 何かあるのかアリスサン? 反論があるなら言ってみなよ」
「私は最初から――っ!」
とアリスはそこで言葉を止めた。轆轤のペースに呑まれていたことに気づいたのだ。ここで目的を具体的に言ってしまうことは――自分の秘密を明かしてしまうことになる、と。
「……あんた。さっき二つあるって言ったわよね。……もう一つは――環境の整備。違うかしら?」
「曖昧に言いやがったな。まあ、そんなところだろう。では何に対する環境なのか? それはまだ置いておこうか……では、先に順番を確認しようか」
「順番?」
「アリスの世界征服の手順だよ。まあ、そんなに難しい事じゃあない……この世界で、つまり不思議の国と鏡の国の中で最強の魔法使いを味方につければいいわけだ。つまり、時間移動と、空間移動だ」
「時間移動――」
「ああ、このウサギ――厳密にはこのウサギが持っていた時計だ」
「なるほど……なんかおかしいと思ったら、そういう事なのね」
濾過が納得した口調で言う。
「アリスはウサギを追いかけるし、おしゃべりなチェシャ猫は喋らない。鏡の国の玉子は言葉づかいが下手だったし、女王二人は理論的だった……」
「え、鏡の国の女王って意味不明なの?」
「意味不明ってよりも、ナンセンスだったって言った方が正しいかしらね」
トゥイードル兄弟は少年ではなく青年だった。名無しの鹿は人間をみても怖がらなかった。ハートの女王は赤が嫌いだった。
すべてがあべこべな世界――原作があることを意識したような世界。
「この世界は、二次創作だ。オリジナルの不思議の国じゃない。だから、誰か特定の個人がこの世界を――この国を作ったと言える。そりゃそうだ。ロクに自治なんてされてなかったことはもはや言うまでもないことだ……つまり、話し合いが意味をなさない」
「……特定の個人、って誰?」
濾過が聞く。それはつまり、この国を、この世界を誰が作ったのかという話だ。
「その人に直接言ってしまえば……そうなるように世界を作り変えられるんじゃないかしら?」
「まあ、そうだが――しかしアリスが世界征服を目的としているなら、とっくにそうしているはずだ。ましてや――アリスがこの国を作った本人であるならばなおさらだ。考えられる可能性ただ一つ。作者の失踪――だ」
「…………」
一同がアリスの方に目線を向ける。アリスは何も言わずに、轆轤を睨みつけている。
「となると支配の方向性も決まってくる。一番単純かつ野生的な方法、そう、力で従える方法だ。この場合魔法だな。だからこそ、一番この世界で強い魔法――時間移動と空間移動を手に入れようとした。違うか? アリス?」
「…………ふん」
アリスは不機嫌そうに轆轤から視線を離す。
「まずはこの二つの魔法の入手――だがもちろん問題はある。アリスはまずウサギに協力を要請した。しかし、そんな滅茶苦茶に乗るわけが無い。というわけでウサギは逃げた。時間移動は時計によって起こる。時計を持って、アリスから逃げ出したわけだ――時間移動をしながらな」
「時間移動――そうね。アリスのいる時間軸以外であれば何処でも良いものね。逃げるのにはうってつけ……」
「だと、思うだろ? だが過去に戻るのには意味が無い。ずっと同じ時間を繰り返すわけだからな。そんなことしない……では逆。未来なら? しかしこれも意味は無い。なぜなら不思議の国が崩壊している可能性があるからだ」
「不思議の国の……崩壊!?」
アリスが驚いた。無理もない。作られたこの世界が崩壊するだなんて考えもしなかったから。
「ああ。いつ地球に巨大隕石が降るか知れない。もしくは内部から何らかの影響で爆発するかもしれない……と、まあこれはほとんどありえない想像だがな。アリスが全力を挙げて白ウサギを追いかける。それがずっと続いた世界だったら? 見知らぬ人のいる世界なんて怖すぎるし……そうでなくても怖い。同じ人しかいない世界だとしても、同じことなんだ。過去や現在が変えられない恐ろしさはここにある……」
「過去は変えられなくても……未来なら変えられるんじゃないですか? ほら、濾過さんが読んでた本にあったんですけど……『運命を変える』ってやつです。起こしたことが未来に影響する……」
「そ……れは……無理、なんです」
白ウサギが喋った。
濾過と鞠は一瞬耳を疑い、次の一瞬で肺に息を吸い込み――
「「し……喋ったあああああああああああああああああ!!」」
綺麗なハーモニーでコーラスしたそれは、白ウサギを驚かせるに至った。
二人が来てから一言も話してなかったからな……と、轆轤、アリスとハートの女王は静かに思った。
「ちょっ、ええっ!? 轆轤くん、ウサギが、喋った!?」
「そりゃ喋るさ濾過……チェシャ猫だって喋ってただろ」
「……そ、そういえばそうだったね。ああ、鞠ちゃん、この世界では動物は喋るのよ」
「そりゃ……知ってる、けど。鏡の国で鹿と会ってね。あと虫とか……羊も居たっけ。……ウサギも喋るんだ」
「なぜ喋らないと思ったのか……ま、喋らないロボットは喋れないと思い込むか……うん、そうね白ウサギ。あんたこれ終わったら引きこもりなさい」
「そ、そんなぁ……」
ハートの女王の容赦ない要求に頭を抱え始める白ウサギ。その体勢は見る人が見れば可愛かった。
「で……うさちゃん、未来を……変えられない、って?」
うさちゃんとはまたかわいらしい愛称だ。濾過は小さいものをかわいがる傾向がある。
「はい……未来は……運命は、変えられないんです。何回タイムリープしたって、どれだけ努力したって、運命はそれすらも計算尽くだった……んです」
「パラレルワールドなんか存在しない、って話か」
「え? 時間移動のパラドックスってあるよね。親殺しのパラドックス……あれをどうやって回避するの?」
「だから運命だよ。決まっている運命の中で、時間移動をすることも組み込まれている運命の中で動く。どうあがいたところで――親は殺せない。そういうことになってるんだよ」
「え? え? ちょっと待って」
右手を顎にあてがって、鞠は言う。
「時間移動のパラドックス――それ以前に、さ」
この場にいる全員に向かって、鞠は質問する。
「時間移動って、どうするの?」
「現代科学でも、示唆さてれいることなんだけどね」
濾過は言う。
「ほら、現実世界の……えと、アイン……アインシュタインさん? だっけ?」
「ああ、アインシュタインの――相対性理論だろ? それを使えば、時空移動は可能だ――と?」
「ええ。時間の進む速さが違ったっていいじゃない。空間が占める大きさが変わったっていいじゃない。それを表す式がこいつだ。時空移動などやってみろ――という理論ね」
「現実世界で――時空移動を!?」
驚いたのは鞠であった。無理もない。時空移動なんて、『魔法行』内でできたと言う話は聞かない。ましてや現実世界でなんて……。
魔法は科学をたやすく越える。科学をの力の及ばない、いわゆる『コスト面』という問題。しかし魔法にコストはない。そう、言葉通りの意味でコストがない。使うものは、思う力。しかしそれは反応物というよりどちらかというと触媒にあたる。想像は減らないからだ。無限の力、想像力を糧にしている以上、魔法の力は無限大であることは当然である。
「『魔法行』でなら――魔法なら、時空移動はできるのよ。いえ、もしくはその『コスト面』さえクリアできれば、現実世界でもできたかもしれない。というより……できるのよ」
「確か時空移動に必要なものは光の速さだったか……それなら、科学力をすべてつぎ込めば近づけることが可能だ。タキオンなんか使えば、さらに簡単だろうなぁ?」
……タキオンは仮想上の粒子であり、まだ発見には至っていないのだが、ともかくそういうことである。科学でも、できないことはない。それはつまり、『魔法行』ならなおのこと――
「じゃあどうして――『魔法行』でできないの?」
単純な疑問であった。素朴かつ、当然の疑問。魔法が使えればどうにでもなるのに、それでもできない理由。
この場にいるハートの女王、白ウサギ、そしてアリスには、ぴんと来ない話であった。時空移動を現実起こすには、魔法の力が必要不可欠であると思っていたからだ。何故か? だってそれは、魔法だから――
彼女らの思考は、そこで終わっていた。魔法が万能な力であるのは理解していたが、どうして万能なのかは全く気にしなかった。それも当然かもしれない――魔法で生まれた人形は、そんな疑問を持つことはない。
「単純な問題よ……空間は有限だし、時間も有限だってこと。つまり、時間移動のために光速を超えたとしても――それを受け入れるだけの場所は存在しない。少なくとも、『魔法行』には。人間ができるサイズではね」
「瞬間移動の方はどうなんだ?できそうじゃあないか」
「高速移動は、所詮高速移動よ。瞬間移動にはなり得ない……泥男だって、もはや別人じゃない。テセウスの船は別物よ。だから……時空移動は出来ないの」
濾過は宣言した――時空移動は、不可能だと。
では、どうやってアリスたちは時空移動をなし得たのだろうか。そのアリスたちは濾過の言っていることのほとんどは理解できず――パラドックスが分からないという意味で――そして濾過の出した結論に対して、首を傾げるだけだった。
濾過も、それで言葉は終わってしまった。
「はん、その程度かぁ濾過? もう少し考えろ。思考停止は不必要だ。その程度で無理だなんて――断言してんじゃねえよ。出来るから在るんじゃねえ。在るものは出来るんだ」
轆轤の言葉――濾過は思考を続ける。原理上できるというだけで存在するとは限らない。できることとやれることは違う、とはそういうことだ。逆に言えば、やれることは必ずできることなのだ、ということ。
原理上不可能なことが存在するときはどうするのか。その存在を否定する者もいるだろう。しかし物理学者は――魔法使いは、その存在を内包する新しい原理を生み出す。
「……『魔界』」
「『魔界』? なんですかそれ?」
「そうよ……『魔界』よ! 『魔界』を通じれば時空移動が……可能だわ!」
拳を握り、目をキラキラさせて熱くなる濾過。
「だから濾過さん、『魔界』って何ですか」
「魔法の世界――ってこと? あんたらの言う『魔法行』ってやつとは違うみたいだけど……」
「そうよアリス。魔法の世界――厳密には魔力が変換されるのを待つ世界。魔力の源泉と言った方がいいかしらね。そしてその世界とこの世界はゲートで結びついている」
「なるほどね。つまり『魔界』に行ってからあんたらの科学的方法を用いればいいわけね」
「待って待って、そもそも『魔界』って何よ。私は行ったことないから……とてもじゃないけど信用できないわ。その理屈」
「ハートの女王……そういえば、あなたの魔法は、何なの?」
「不思議の国と鏡の国の、外界からの断絶――まあ、監視役ってとこね。というより、私自身が不思議の国? ええと、どう説明したものか……」
「不思議の国の魔法の管理、でしょ、ハートの女王。外界からの出入り口を作らせない。空を映す。鏡の国への通行魔法も」
アリスがハートの女王の魔法能力についての補足説明をする。
「そりゃあまた……すげえ魔法だな」
「私はその修理の魔法よ……私がすごいわけじゃないの。それはそうと、『魔界』なんて存在するの?」
「私は行ったことあるよ。……私の原理で言えば鏡の国の女王二人、そして――白ウサギも行ったはずだよ」
「でもそんな……『魔界』なんて」
「認識はできないかもしれないね。感覚を認識する世界じゃなくて、認識を感覚にする世界だから。光速度で飛んでればそりゃあ見えるものは変に映るけど、そもそも認識を待つだけなら何も見えない……その場合の色は何色なのかしらね」
「ビデオカメラでも突っ込んでみるか?」
「だとしてもその実体を保っていられるのか……」
かつて濾過が『ELSE』という少年と対峙したときのことだ。そのとき彼女は『魔界』に彼を引きずり込み――そして消滅させた。終焉させた――。
「でも、その実体すらも、意思によって生まれる。つまり『魔界』であっても、体をとどめようとする意思さえあれば、消滅はしないってこと」
「……で? その『魔界』だったらどうして時空移動ができるの?」
ハートの女王はその『魔界』を想像するしかない。アリスや白ウサギは見たことがあるはずだ。時空の狭間――もとい『魔界』を。
「『魔界』には定常的な力が存在しない――つまり距離が存在しない。あいや、存在しないって言うより、決まっていない。意思の力でどうとでもなってしまう。そこで空間をねじ曲げることなんて、造作も無いことだったのよ――その意思があればね」
『魔界』において空間を曲げる。そして現実世界に戻ってくる。そうすることで現実世界ではあたかも、空間を何も通らずに移動したように見える――と濾過は言った。現実世界と『魔界』を結び付けているのは『ゲート』のみ……現実世界のゲートが空間に依存しており、『魔界』の空間が意思に依存しているならば、『魔界』を経由した空間移動は可能であるのだ。
「じゃあ濾過さん、時間移動は? 今の説明じゃ、空間移動しか説明してないよね?」
「空間移動ができたなら、時間移動だってできるわよ。相対性理論……光速を超えた運動をすれば、時間を移動することも可能――まあ、過去に関してはそうね。未来に関してはもはや言うまでもないわよね。『魔界』で少し待っていれば、自然と現実世界のほうで時間は流れる」
――もっとも、現実世界と『魔界』とで時間の進み方が同じだとは思えないんだけどね、とは濾過は言わなかった。時間すら意志によるものならば、もはや世界として存在していいのかさえ怪しいと思ってしまうからだ。論理的にではなく、感覚的に。
「そう……つまり『魔界』という概念を持ち出せば、時空移動が可能だということ。……あれっ、これってすごい発見じゃない?」
現代の『魔法行』ではもはや使われていなかった時空移動が、この不思議の国においてほとんどの人が使えていたというのは、ある意味皮肉な話だろう。
第6章・終
第7章へ続く