第3章 She plays a game
不思議の国に残った濾過と轆轤。アリスに反逆するべく、濾過は行動を起こす。濾過はどこまで行けるのか。
第3章 She plays a game
トウィードル兄弟と名無しの森の魔法について考えてみよう。
濾過の考案した、研究し終わった魔法についての考察。【魔界からの魔力を物理力に変換する方法】。それから見て、鏡の国の魔法はどのようなものなのだろうか。
一見、説明が出来ないように思えるが、そんなことは無い。まあ、滅茶苦茶な理論では、あるのだけれど。
まずトウィードル兄弟の魔法は、『二人が同時に思ったことが現実に現れる』といったものなのだ。鞠は二人が別々の魔法を使っていると判断したが、それは実は違う。
整理してみよう。
2人が同じことを思う。これは魔法使いが想起する段階と見て良いだろう。つまり、魔法回路の構築と考えられる。
そして、現実に生み出す。これも物質製造の一種だと思えばよい。
つまり、二人が一つの、魔法使い。
それも、巨大な物体を製造できる、優れた、しかしただそれだけの魔法使いだ。
次に、名無しの森について考えてみよう。
固有名詞を失うということは、つまり脳に作用する魔法だ。濾過もかつて、『MWM』にやったことがある。
しかし、固有名詞だけをなくすことは出来るのだろうか。限定的に消去することは出来るのだろうか。
だが――可能かもしれない。マクスウェルの悪魔は、どこにでも現れるし、生物学もまた途上であるから――
魔法において、不可能なことはない。そう断言することは出来る。
しかし、そう断言できないことが――
「ねーろくろくーん。コーカスレースって知ってる?」
不思議の国。白ウサギを探せとアリスから言われた後、平等轆轤と平等濾過はただそのあたりをぼんやりと歩いていた。一刻も早くこの不思議の国について詳しく知る必要がある。意図的にはそういう意味での練り歩きだったが、しかし轆轤の腕に濾過はしっかりと抱きついているというこの状況を見て、それがそうだと判断することの出来る人間はあまりいないだろう。いちゃついているカップルにしか見えない。
「不思議の国のアリスに出てくるゲーム――レースだよ。適当に走り出して、適当にゴールイン! 知ってる?」
「知ってた」
ばっさりと私の説明を切り捨てる轆轤くん。
言う人は冷たいというだろう。
しかし私は言わせてもらおう。クールだ。
クールで、かっこいい。
「でもあれってどうやって着順決めてたんだろうね。レースって言うんだから1着2着って決めるべきでしょう?」
「濾過、おまえコーカスって意味知ってるか?」
「えっ、し、知らない」
コーカス? 確か鉄鉱石を精錬するときに混ぜるものが――それはコークスか。
サーカスに語感は似ているが何も関係ないだろうし。
ん? しかし不思議の国で行われていたのは動物たちによるものだったか? ならばサーカスの変化と見ても問題はなさそうだ。
「動物たちの!」
「……はぁ」
ため息をつく轆轤。
サーカスとは関係ないのだ。
「……それよりも、鞠は大丈夫なのか?」
シリアスなムードに、入る。
「……大丈夫だとは、思うよ。アリスって子は、鞠ちゃんを何かに使おうとした――無事じゃないと、道具は使えないからね」
人を道具のように扱う。人を道具としか見ていない。アリスというあの子の目はそう見えた。
少なくとも、濾過には。
「あの子、嫌い」
「嫌いなのか」
「嫌いっていうか、苦手」
「苦手、なぁ……」
あごに手を当て、思案する轆轤くん。
「というか、俺たちはもっと――あいつに敵意を持ったほうがいいんじゃないか?」
「敵意?」
「ああ。アリス本人が言っていたじゃないか。俺たちをここに連れてきたのは自分だ、って。つまりあいつは、俺たちをここに連れてきた。強制的にだ。俺たちはそれに抗う必要がある。違うか?」
アリスは――敵。
そうだ。あんな見た目で、あんな性格だが、それらすべては、敵意を向けない理由にはならない。
流石に殺意までは向けたくないが――
幼女だし。
鞠ちゃんと同じように。
「まあ――そうね」
もう少し警戒しないと、と言った。
しかし――何に警戒すればよいのだろうか?
「あの子の魔法……って、何?」
そこである。
敵の魔法を知ることで、こちらから何か得られるかもしれない。
「ここにつれてきたって、言ってたよな」
「ってことはやっぱりテレポーテーションかな? だけどやっぱり奇妙なんだよね……」
奇妙な点。
それは、彼女が魔法使いであるということを仮定したときの話――
「『魔法行』にそんなことが出来る魔法使いは、いないんだよ」
少なくとも、私が『魔法行』にいた間は。
「いない……? どういうことだ?」
「だから、『賢者』クラスの魔法使いしかテレポートの魔法は使えない。そして、『賢者』クラスの魔法使いは今は6人しかいない。その中に――アリスなんて名前はないの」
「『魔法行』の内部だから――魔法名でしか公表されてないとか、あるんじゃないか? 本名を、知らないとか」
「それもありえない。本名も公開されているし、名前詐称もありえない。だって、顔も公表されてる――」
アリス。彼女の目つきは、非常に鋭かった。濾過の記憶に、そんな目つきの鋭い『賢者』はいない。
言っちゃあ悪いが、ひどい目つきだ。あれは。
「つまり考えられる可能性はたった一つ」
轆轤くんをしっかり見据えて、言う。
「突発的な魔法才能の開花。それしか説明がつかない」
「魔法の……才能か」
「結局はセンスだからね。センスをつかむことが出来たら、そりゃ強大な魔法を使える。そういうことだよ」
「……うん。まあ……そうならそうなんだろうね」
「!?」
突然耳元にかけられた言葉に、驚く。
けだるそうな声。そして姿は――
「!?!?」
その姿に2回驚く。まず、それは猫だった。猫がしゃべったのだ。驚くに決まっている。
そしてもう一つ驚いたことが――
「こいつ……足が、ない……!」
空中に浮遊する、足の無い猫だった。
「……亡霊……か?」
「…………ああ」
三点リーダ4つ分の間の後に、そいつはそう言った。
「きみはそう思うのかもしれないけど……自分はそういうんじゃない。そうだね……チェシャ猫……とでも呼んでくれればいいよ」
「チェシャ……猫?」
知っている。不思議の国のアリスに出てきたキャラクターだ。『魔法行』育ちだとはいえ、そのくらいは知っている。
にやにやした猫で、どこからともなく現れて、笑わない猫でなく、猫のない笑いとなって消え去る。そんな猫。
しかし、それにしては……
「だるそう……じゃないの」
こんなけだるそうな話し方をするキャラではなかったはずだが……。
「……そうだね。昔はもっと……おしゃべりばかりしていたよ……まったく、ね」
「おい、チェシャ猫」
と、轆轤くんが言った。
「俺たちに何をさせたいんだ? 何かさせるために、このタイミングで、俺たちの前に現れたんだろう?」
「…………いいね。その未来向きの姿勢。とても……自分には真似できないよ……」
ふぁぁあ。とチェシャ猫はあくびをした。
「結論から言おう……君たちの仲間である……鞠、そう。鞠は、鏡の国へ行った」
「鏡の……国?」
聞いたことがある。確か――不思議の国のアリスの、続いていない続編!
「どうして行ったのかは説明いらないだろう……? お察しの通り、アリスだよ……」
「アリスが……? 何のために?」
私は訊く。
鞠を鏡の国に連れて行く理由は何だろうか。
「アリスも一緒に行ったの?」
「……いや。……そんなことは……うん、ないよ……」
「つまり、アリスは不思議の国にいて、鞠は鏡の国に飛ばされたってことか?」
「……二度、説明しなきゃいけない?」
「説明するのは一度でいい。だが俺たちは何度でも聞く。俺たちに、何をさせたい?」
「鏡の国へ行って欲しい」
――その言葉だけは、はっきり聞き取れた、ような気がした。
「……自分は……アリスのやっていることを、止めたいと思う……。アリスの本当の目的を知っているからこそ……そう思うんだ。……『彼女』は自由であるべきなんだよ。アリスであろうと……縛られてはいけないんだよ……」
「……?」
何を言いたいんだろうか?
ただ、アリスに味方するつもりは無い、と言っていることは分かる。
「で? どうすれば鏡の国に行ける?」
先を、常に求める轆轤くん。
その姿勢には、どこか怖いものを感じる。
「……簡単さ。鏡の国は現実の裏返しなんだ。裏返れば……鏡の国に行けるってことさ……」
「は?」
おっと。
思わず声が出てしまった。
「だから、鏡なんてのは考え方なんだよ……どんなものでも、光を反射していることには変わらないから……」
現実的には、ただ踵を返して何かに入ればいいんだよ、とチェシャ猫は言った。
鏡ではないものだとしても鏡であることはある。ということか……?
意味不明だが、そうならばそうなのだ。
そう考えないと、ついていくことは出来ない。
意味不明なものは、そのまま飲み込むしかないのだ。
「……どうする、轆轤くん?」
「どうもこうもねえだろ」
と、頭をかく轆轤くん。
「鞠が心配で心配でたまらないのに変わりはねぇ。あいつが今どんな様子なのか……確かめられるなら確かめよう。俺たちに重要なのは『無事で帰る』それだけだ」
「……うん。そうだね」
やべえ。
かっこいい。
心臓がどくどく鳴っている。
「二人とも……行くのかい? いや、止めは……しないよ」
「いいや。行くのは濾過一人だけだ」
「ええっ!?」
嘘。
3人で無事に帰るのならば、3人まとまっているべきだ。
轆轤くんは、残るのか……?
「安心しろ、濾過」
はっとする。
しまった、顔が冷たい。血の気が引いていたのか。
「いざとなったらそっちに行く。俺は……少し、確かめたいことが出来た」
確かめたいこと?
……この世界のことなのか、轆轤くんには何か考えがあるのだろう。
ならば、私は。
「分かった。行くわ。チェシャ猫!」
自分のできることだけを、精一杯やる!
「……決まった、かい? ま、いいさ……結局現実なんて、どうにでもなるんだからな」
「おい、濾過」
轆轤くんが呼ぶ。
「気をつけろよ。どうやらこの世界は……魔法とは違う何かがあるのかもしれない」
「……え?」
魔法とは違う、何か?
「だが、お前の魔法は最強だ。自信を、持てよ」
「……うん」
近くの家まで歩く。人はいない。
その家の窓に手を触れる。ひんやりとした感触。
そして――向こう側の感触。
行ける。と確信する。
魔法とは違う何か、か――
「行って来ます!」
「行って来い!」
轆轤くんの言葉を背中で聞きながら、窓ガラスの向こうに体を傾ける。
魔法じゃなくても――かかってこい!
鏡の国に存在する、奇妙なもの。
読んだことのある者ならば、ご存知のことだろう。
チェス盤――である。
アリスが白のポーンとして参加した、鏡の国そのものをチェス盤として考えられたチェス・ゲーム。
しかしそこにはおかしいものが存在する。
チェスの駒が白と、赤なのだ。黒の駒は――存在しない。
つまり赤の駒が普通の黒、と考えて――それであっても、おかしいものがあるのだ。
白の手番が――異様に多いのだ。
まだおかしいことがある。チェックに気づかない、というチェスゲーマーにとって致命的なミスを犯しているのだ。
もはやチェスゲームではない。駒遊びだ。一体何がしたいのだろう?
女王をとって勝ちになるということも意味不明だ。キングはどうしたのだろう? もう、本当に何がどうなっているのかわからない。
しかし、あることを考えた時、それはちゃんとゲームとして成立するのでは、ないだろうか――
「うぅおあぁぁぁぁあああ!」
浮遊感!
紐無しバンジー!
人間の危険な夢!
濾過、それを達成!
「ひゃっほうぶあっ!」
と、濾過のそんな着水音が水しぶきと共に上がったところで、状況説明しよう。
鏡の中に飛び込んだ濾過は、鏡の国の上空に出てきて、そのまま自由落下によって降下していった。その降下した先は――なんと湖だった。
着水とはそう言う意味だ。
もちろんそれなりの高度があったから水面から受ける衝撃も半端が無い。
まあ、濾過の皮膚細胞の『S1』を突き破れるはずも無いが……。
「いいダイブだ!」
と、大きな声が聞こえた。
濡れてびしょびしょな濾過は、髪をかきあげ、その声の主を見る。
その声の、主を――
「ぷっ……」
その声の主を見て、濾過は……
「ぷはははははははっ!」
噴き出した。
「あっはははははははははは!」
爆笑である。
「あははははははははははははは!」
と、そう、そうとしか見えない――玉子としか見えないそいつも、笑い出した
二人とも、しばらくの間爆笑して――。
で、だ。
「あんた何?」
あんた誰? なんて言えない。
だって玉子にしか見えないもん。玉子を人と同じように扱うわけがない。
……落とせば潰れるって点では同じだけど。
「わたしはハンプティ・ダンプティ。それだけだ。いや、しかしだよ。いやいや」
いやいや、何だ。
と、玉子を締めているタイなのかベルトなのかわからない帯を見ながら思う。いや、あれチョーカーだろ。
「このわたしのこれまでのなかで、まさか組裸から比都が拭って玖るなんてなぁ!」
「……は?」
いまこいつ、なんて言った?
組裸から比都?
拭って玖る?
……ああ、空から人が、降って来る。か。瞬時には判断できないが、少し考えれば理解できる。
「何? そのしゃべり方。面白いとは思うけどどうして?」
「いやはや……」
頭を抱えるハンプティ・ダンプティ。もっとも頭と体の境界はわからないが。
「凡兎卯に胡増ったものだよ。差易庶から吐名させてもらっていいかな?」
……まてまて、一つずつ解読して行こう。ほんとうに、こまった、さいしょから、はなさせて……ああなるほど。この玉子がどうしてこんな話し方になったのか、その経緯についての話か。
「気になるから、お願いする」
「わかったよ。うまく派無せるかわからないけどね」
もう既にちゃんと話せてませんがな。
まあまだ出会って数秒しか経っていないとは言っても、どうやらこの玉子は敵というわけではなさそうだ。そう予想できる。
身の上話から入る敵はそういない。
敵意も感じられない。
油断させてからの不意打ちなのか?
着地――着水狩りをしてこなかったところを見ると不意を打つ理由も見当たらないが……
皮膚細胞にかけてある『S1』を確認する。当面はこれで凌げるとは思うけど……心理的ガードもしておこう。脳に精神防衛魔法『2K』をかける。
「まあなんだ。このわたしことハンプティ・ダンプティにはある乃羽緑があったんだよ。なに、そんな雌からビームとかそんなものじゃない。フィジカルじゃなくてメンタルなものだ。わたしはね、古戸薔に衣未を津伊香することができたんだ」
と、そこでハンプティ・ダンプティは黙り込む。
……ああ、意味を理解するのを待ってるのか。慣れてきたから理解しやすいぞ。ことばにいみをついかする。
言葉に意味を追加する……?
「それこそ、どういう意味?」
と、そう聞かずにはいられなかった。
「古戸薔はそれぞれに衣未をもっている。ひとつの古戸薔にはひとつの衣未。これがノーマルだ。きみもそうだろう?」
「そうだろう? って……そうじゃないの? 掛詞とかだとまた違ってくると思うけど……」
……ああ、そこで『追加』するのか。
「わたしはひとつの古戸薔にふたつ委蒸の衣未をもたせることができる。あいや、そうすることができた。といったほうが成果句かな」
「へぇ……」
いや、でもさ。
それって現実的にどうするのよ。
聞こえてくる言葉は変わりないだろうに。
「で、わたしは古戸薔に衣未を津伊香するとき、その衣未に――丘呂羽を亞田えてる。いや、亞田えていた。いまはそれどころじゃない」
「きゅうりょう……給料? 言葉の意味に? やっぱり現実的にどうするのそれ。えっと……ってことはつまり今の状況は、『ストライキ』ってところ、なのかしら」
「ご眼胃殺」
おどろおどろしい言葉が聞こえた気がしたが、ご明察と言ったようだ。
「もともとあった衣未もストをしててね……それでこんなことになっちゃってるのさ」
「…………」
そうなのかと納得してその時点でハッと気づく。ちょっと待て、別に私はこの変な玉子の身の上話を聞きにきたわけじゃない。
鞠ちゃんの無事を確認するために鏡の国に来たんだった。
あの子が生きているかどうか、早く確認しないと――強力な魔法を使うであろうアリスに、鞠ちゃんの魔法石が敵うとは、到底思えない。
いくら大きなものを生み出しても、テレポートされてしまえば意味はない。
「ねぇ、ハンプティ・ダンプティ。聞いてもいいかしら」
まるでアリスみたいな口調になったが、まあ気にするまい。
「なんだい? なんだって孤他えるよ。孤他えられるものならね」
「この鏡の国に、誰か、私以外の人が、入ってきた? いや、入って来たのは確かなの。どこにいるかとか、知らない?」
「うーむ? やけに各芯滴だね。まあいいか。うん。いいかい、よく機くように」
よく……聞くように?
「どういうこと?」
訊かずにはいられなかった。
「垢の助応からのお古戸薔だ。そういうふうに都われたときはこう子多えろとね――『城にいる』と」
城?
「城って……?」
辺りを見回す。真後ろに城らしきものが小さく見えた。おそらく目的の建物はアレなのだろう。そこに――
「鞠ちゃんが、いる……」
「マリ? まあ、どうでもいいか。ただ、どうなんだろうね。垢の助応の古戸薔だから、どのくらい臣要できるものかね」
……赤の女王、ねえ。
アリスの仲間だと考えるのが、自然だろう。
「……行くしかないよね。そうなったら」
ん? ちょっと待て、じゃあ私を『誘導』したチェシャ猫は……?」
「ねえ……チェシャ猫」
と、不思議の国の道を歩きながら、アリスはそう言う。
「なんだい……? なにか、用かい?」
何も無い空間から猫――頭だけだが――が現れて、そう言った。
「用? 何言ってんの? あんた、さぁ……」
目の奥のおどろおどろしくぎらぎらしたものを、アリスはチェシャ猫に向ける。
「余計なこと、しやがって……!」
アリスは駆け出した。
第3章・終
第4章へ続く