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第三話『魔法使いの過去』  作者: 由条仁史
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第1章 Magicians in Wonderland

平等家が『テレポート』されてしまい、状況を判断しようとする轆轤たち。しかしアリスという少女が、鞠を連れ去ってしまう。

 第1章 Magicians in Wonderland



 虚魔法戦線も前半戦が終わり、登場人物整理をここらでしておくべきだろう。

 まずはこの三人。平等轆轤、平等濾過、平等鞠。平等家のこの三人は絶対におさえていなければならない。

 平等轆轤。平等濾過と平等鞠の、実質的保護者である。というより濾過と鞠が平等家に乗り込み、居座っているのが現状である。同居ではなく、あくまでも居候としての関係だ。

 彼の人間性といては、その二人を家に置いておくだけの胸の広さはあり、というよりもまるでそのことを気にしていない様子である。それでいてほったらかしにもしていない。構うときは思いっきり構う。というより二人とも轆轤にデレデレなのだ。轆轤のクールさ、そして力強い優しさが惚れポイントだ。

 では次に平等濾過。彼女は魔法使いだ。魔法使いを保護する秘密結社『魔法行』からの逃亡に成功し、現在は『魔法行』から監視を受けている形ではある。ただし彼女は自由奔放で、そんな監視なんてものともせず、日々好き勝手に生きている。ある日は日本を一周したり、またある日はパソコンを自作したりしていた。

 彼女の人間性は、そんな自由さとは、実はかけ離れている。というのも、轆轤の家に居候を始めた日から濾過はずっと轆轤にべったりなのである。デレもこれ極まりだ。轆轤のことを絶対視しているほどに。本人にそれが危険だという自覚はなく、周りの人もそのことをあまり気にしていないからまあ今のところ大丈夫なのだけれど。

 魔法の強さとしては最高ランク、『賢者』に相当する。『魔法行』からの逃亡が成功したのもそれのおかげだ。彼女は最強である。魔法使いの天敵とも呼ばれる存在に打ち勝ったという戦歴を持つ。魔法の通用しない相手を、跡形も残らず倒したのだ。それ自体とてつもなく凄いことである。凄すぎて――もう『魔法行』では手がつけられないのだ。それほどまでに濾過の魔力は増大している。それを制御できるのは濾過自身だけというわけだ。

 では3人目、平等鞠だ。

 彼女の経歴を語るのはたやすい。『魔法行』に拾われて『戦う部隊』に入隊した。そして濾過の監視役として、よく平等家にやってくる。ただ最近はもう実質平等家に住み着いていて、定期的に『魔法行』に濾過の様子を報告している。

 人間性としては、常識人といえるのではないだろうか。この3人の中では一番の常識人である。理性的に判断し、感情的に人を見る。濾過を敬愛し、轆轤がほんのり好きな、嫌な人間を嫌と感じる人間である。自分の哲学、主義主張と相手の意見を理性と感情の両方で吟味する。まあこの人間性が何に起因しているのかといえば、それは『魔法行』の教育なのだろう。もしくは『戦う部隊』での方針か。それはそうだろう。軍隊には統一した、冷静な判断が必要なのだ。

 魔法としては、魔法石の魔法を使う。緑色の、宝石のようなものを自在に操る魔法だ。しかし、最近はまた新しい魔法を手に入れたそうだ。それは、物質製造。魔法石に接している部分でしかまだ物質の製造はできないらしいが、それでも相当凄いことである。濾過とはまた違って、これは鞠の特有の能力だ。濾過の魔法が努力であるならば、鞠の魔法は才能によるものが大きい。

 さて、この3人のことを紹介し終えたところで、第三話をはじめよう。この3人全員が、この物語の主人公だ。




「第2回家族会議を開始する」

 厳格な轆轤の言葉で、その場は開催された。黒髪の短髪だが男子であることを考えれば長いのだろう。彼はカジュアルな薄い茶色のジャケットを着こなし、青い長ジーンズを履いている。夏ならばどうしようもなく暑い姿だが問題はない。季節は冬だ。

 一応、冬ということで、感覚的にもそうなのだけれど……。

 正方形のコタツテーブルの各辺に一人ずつが足を突っ込み座っている。轆轤の右隣は薄い青髪の少女。年は轆轤と同じくらいだろうか? 身長差があるから正確には計り知れないのだがそう断じても問題はない。彼女の名前は濾過という。ふんわりした群青のブレザーと、ロングの青スカート。黒いタイツを履いているのだがコタツの中からでは見ることが出来ない。

「じゃあ現状整理するね」

「はい紙」

「ありがと、鞠ちゃん」

 鞠と呼ばれた少女は、濾過よりも背が低い。それもそのはず。鞠は濾過の半分も生きていない、10歳の少女なのだから。もっとも、この会議がある一週間後には11歳になるのだが。服装にこだわりはないらしく、薄緑色のチェック柄のパジャマを着て、その上に青色の半纏を着ている。なんとも暖かそうな服装だ。

 ただ余所行きの服にはならない。

「昨日、私たち3人は、このマンションのこの部屋。つまり轆轤くんの家にいた。それは間違いないよね?」

「ああ」

「うん」

 平等轆轤の家は都市部マンションの一室だ。一軒家を買える財力はあるのだが、一軒家にする意味が見当たらないと轆轤は言う。

「そして昨夜、みんなは向こうの部屋で川の字になって寝た。そうだよね?」

「ああ」

「……うん」

 3人は仲が良い。とても。というより同じ家に住んでいることもあり、家族のような関係だ。川の字になって寝ることだってある。

 ……さらに言うと轆轤はその行為の社会的ヤバさを微塵も気にしていない。ちなみに昨夜の寝方は轆轤→鞠→濾過だ。鞠はこの状況がヤバいものだと――貞操観念ゼロと変態に挟まれて――分かっていた。三点リーダの沈黙はそれだ。

「そして今朝。轆轤くん、鞠ちゃん、わたしの順番で目を覚ました」

「轆轤さん起こすの得意だよね……濾過さん全然起きないのに」

 濾過は、はっきり言ってズボラである。19歳で学校にも通っていない。フリーターですらないのだからつまりニートである。平等濾過の、朝は遅い。

 ついでに夜も遅い。

「というより、起こしてくれた理由が――」

「ああ」

 と、轆轤は頷き――

「外が――ロンドンの町並みになってたからだ」

 3人は、窓の外を見る。日本の都会というものはコンクリートとガラスでできたビルが立ち並んでいるものだが、現在の轆轤たちの状況はそうではない。レンガ造りの背の低い建物ばかり――まるで中世の町並みだ。

「うん。現状把握しているのはそれだけだよね?」

「ああ、まだ外にも出ていないしな」

 まだ3人は家の外に出ていないから、詳しいことはまだ分かっていない。この状況についての情報が欲しいのに、どうして外に出ていないのか。理由は単純である。

「やっぱり……魔法ですよね。濾過さん」

「多分ね。それも、超強力な魔法使いによるもの。テレポートなんてできる魔法使いなんて――『賢者』ならできるとは聞いたことあるけど」

「『賢者』クラスしか、テレポートはできないのか?」

「ええ。魔法使いだなんて威厳の高いような言葉だけど、実際ほとんどの魔法使いはロクな魔法使えないのよ。過度な魔法を使うと『魔法行』の存続に関わると思うしね」

「うんうん。ほとんどの人ができる魔法と言ったら――自己治癒の魔法とか、小さな炎を生み出す魔法とかがあったかな。自己治癒は極めてもいいことしかないけど、炎を生み出すのは危険だからこっちでは法的に制限されてるんですよ。『戦う部隊』以外は」

 『魔法行』はただの機関というわけではなく、魔法使いが住むところでもある。言い換えれば、魔法使いが飲み、食い、寝る。生活する場所でもあるわけだ。人が住むところには、ルールが生まれる。当然のことだ。

 『魔法行』から脱走したら、殺されるというのもルールである。

「つまり、これが本当にテレポートによるものだった場合、『魔法行』の上層部の仕業ってことか。濾過、今度は何したんだ?」

「何も悪いことしてなくないからな……うーん」

「悪いことしてるんですか……」

 悪いことというか、変なこと。

「だが、そう判断するのは早計だ。濾過が何かしたかもしれないけれど、『魔法行』が俺たちに何か仕掛けてきたとは限らないだろ。魔法現象が引き起こされたという考え方もある」

「引き起こされた?」

「昔読んだことがあるんだよ。家具の配置とかなんだかで、魔法が発動されるってことがあるってな」

「ふーん……それはないと思うけどなぁ。まだ良くわからないけど、テレポートしてるのってこの部屋ってか家っていうか、それだけでしょ? この家全体に影響を及ぼすようなアイテムはなかったと思うし」

「もしくは――本当に偶発的に、何故か、ピンポイントにこの家だけが、魔法も何も知らない人の手によってテレポートしてしまったとか……」

「『賢者』クラスにしかできないようなことが、何も知らない一般人にできるもんかね……偶発的に」

「うーん……じゃあやっぱ『魔法行』からの嫌がらせ?」

 いままでの議論を紙に速記していく濾過。

「もしくはご褒美かもよ! ほら、こないだ私が任務遂行したじゃん! バカンスしてこいって意味かもしれないよ!」

 鞠、平等鞠はつい一ヶ月ほど前『魔法行』から脱走した4人の魔法使いを『魔法行』に連れて戻ってくることに成功した。もちろん『魔法行』にとってはすばらしい功績である。

 この状況は、それの褒美なのだろうか?

「ふむ……じゃあ濾過。まとめてくれ」

「おっけー。この家がどうやらテレポートされた模様。その原因は、不明。目的も、不明。――やっぱり、外に出てもう少し状況を詳しく調べてみたら?」

「まぁ、そうなるか……危険かも知れないが、それしか道はないようだな。この家の中だけで一生を過ごすことはできない」

「じゃあちょっと待ってて、着替えてくる。3人一緒に行動したほうがいいでしょ? 『賢者』クラスの濾過さんがいるとはいえ、私や轆轤さんはそんなに魔法が強いわけじゃないからさ。私、物質製造できるから多分、役に立つよ」

 と言って、鞠はコタツから出て、鞠の箪笥のある部屋に向かった。ドアはもちろん閉めた。二人ももちろん待った。




 外に出た――玄関から、その順番は轆轤→濾過→鞠だ。3人がとにかく思ったことは第一に何よりも。

「寒っ……」

 濾過がつぶやいた。

「冬だからな……テレポートしてたとしても季節はかわらねえよ。北半球である限りはな」

「イギリスっぽいしね。しかし寒いっ!」

 鞠の服装は、学校の冬服のような、紺色のブレザーに、同じ色のスカート、その下にはタイツ。革靴。その上に黒色のトレンチコートを羽織っている。ちなみのこのコートは濾過と色違いである。濾過は青。

「……どうやら、テレポートしてるのはこの部屋だけで、ほかの部屋は関係ないみたいだな」

 同じ階のドアを見れば一目で分かる。鞠が後ろ手に閉めた轆轤の家のドアは黒にシルバーのドアノブだが、ほかのドアは木製なのだ。もちろん轆轤の特注だから違うということではない。

「ふーん……ほかの人にも話を聞いてみたほうがよさそうだね。こんな寒さの中外に出てる人はいないかしら?」

「いるわ」

 ――と、廊下の向こう側から声が聞こえた。曲がり角――その向こうに階段があるのだろうか――からその声の主が現れた。

「そして全部、教えてあげるわ」

 その声の主は、黒髪の短髪だが横だけが妙にふわっとしている一昔前の髪型で、その上に深く帽子を被っている――うさ耳がついている! 服装はブーツに、ゴシックがところどころに散りばめられたロリータファッション。身長は低い。そしてその顔は――鋭い目つき。釣り目である。

「全部って?」

 轆轤が聞く。

「ええ、全部」

 と、彼女は答える。

「ああ、まず名前を教えましょう――それで大体分かるでしょうから」

 にやりと微笑み、目を少し閉じる――鋭い目がさらに鋭くなった。

「私の名前は――」


   アリス


 ――以後よろしく」

「アリス……か」

「不思議の国、ってこと? この場所は――」

 濾過はそう聞く。

「この場所はつまり不思議の国で、そしてあなたが私たちをこの状況に導いた元凶。そういうこと?」

「そうよ。物分かりが良くて助かるわね」

「じゃあもうひとつ教えてくれ」

 轆轤が一歩出て、アリスに尋ねる。

「どうすれば俺たちは元に戻る?」

「あっはっはっはっはっ! 物分かりが本当にいいわねぇ! 楽で楽で助かるわぁっ! そうねぇ。まあただでは帰さないわよ」

「じゃあ、何をすればいいんだ?」

「あら、さっき『もうひとつ』って言ったじゃない。質問はもうだめよ?」

「俺たちに何かして欲しいならはっきりと言え――ってことだよ。機会を作っただけだ。アリス、お前は俺たちに説明する義務があるんだよ」

「義務だなんて難しい言葉を使うのね。まあ、そうよね……単刀直入に、言っていいのよね? 返事は聞かないけどね。はっきり言わなきゃいけないんだから」

 と言って、アリスは手のひらを轆轤たちに向ける。そしてその手で指を鳴らす――そのとき、ガチャンという音がした。

「これであなたたちは戻れなくなった」

 鞠の肩と同じ高さにあるドアノブがその音源だ――つまり鍵がかけられたということ。

「魔法……使い……!」

 鞠がそう呟いた。

「あなたも、魔法使いみたいね……そうでしょ?」

「その質問には答える必要があるのかしら? むしろあなたたちには私の言葉を素直に聞き入れるほか、ないんじゃなくって?」

「く……っ!」

「落ち着け、鞠」

 鞠の頭をぽふっ、と撫でる轆轤。

「オーケー。じゃあこれから俺たちはどうすればいい? ちなみにこれは質問じゃない」

「やって欲しいことはいろいろあるわよ。とりあえず簡潔にまとめると、あなたとあなた、背の高い2人には――ウサギを探してきて欲しいの。ウサギよ。カモメじゃないわ」

 背の高い2人――轆轤と濾過である。ウサギ? 不思議の国のアリスに出てくるような、時計を持ったウサギだろうか? そもそも、ここはどこなのか? イギリスなのか?

「で、白髪のあなた」

 鞠のことである。

 アリスは鞠を指差し、鞠にずかずかと近づいていく――目と鼻の先まで。――そういえば、鞠と同じくらいの身長のようだ。そして、鞠の手をつかむ。

「あなた――ちょっと一緒に来てくれない?」

 そして、鞠を連れて駆け出した。鞠は前のめりになりながらアリスについていく。最初の数歩はつまずきそうになったが曲がり角を曲がるあたりからはペースをあわせることに成功したようだ。

「ウサギのこと、お願いねー!」

 と言う声が遠くなっていくのを聞きながら。

「……」

「……あ」

 轆轤と濾過は呆然としていた。

 さて、戦力分断である。




 アリス。

 数学者であるルイス・キャロルが、実在する人物、アリス・リデルに向けて書いた物語『不思議の国のアリス』を題材にした話は多い。それはもうたくさんある。指を折れば、ものの数秒で片手が埋まる。もう少し考えれば両手が埋まる。その理由としては言うまでもなく、アリスの物語が広く知れ渡っていることだろう。特に日本ではそうだ。

 それらの物語は『アリス』という存在をまるで割れ物のように扱う。繊細なガラス細工のように、慎重に扱う。

 その差は、何だろうか。

 不思議の国で起こった奇妙な出来事から生き残ったという雄姿が評価されたからなのか。ルイス・キャロルに愛された者の映し身だからだろうか。または先ほども言ったとおり多くの人が知っているから――その姿が洗練されているからだろうか。

 アリスは聖女である――という共通認識が、私たちのどこかにあるのだろうか。

 アリスが聖女だとして、では不思議の国とはどういう所なのだろうか。聖なる者が住まう所だろうか。聖なる? 気に入らないものを処刑しようとする女王や、にやにや笑うチェシャ猫が聖なる者と、言いえるだろうか? 悪逆非道や、不気味な存在は、聖なる存在となり得るのだろうか?

 聖なるアリスならば――不思議の国というのはどこまでも不気味な場所であるはずなのだ。そう、言わば――

 アリスにとって、不思議の国は敵なのだ。と、言うことも出来る。




「一つ100円の玉子と、二つで50円の玉子、あなたならどっちを買う?」

 手を握られながら、ロンドンじみた町の中を歩いていると、突然そう聞かれた。

 石畳でタイルされていて、家の材質はレンガを始め石や木材……さまざまである。しかしこの街には人っ子一人もいないのか、誰も見かけていない。家と思しきものから明かりは見えているのだが、人のいる気配がしない。話し声がまったく聞こえないのだ。だからこそ、アリスのその質問は自分に向けられたものだと、すぐに分かった。

「……それって、高すぎじゃない?」

「あら、そういうつもりで出題したんじゃないんだけど。で、どっちをあなたは買うの?」

 一歩半後ろにいる私を、アリスは振り向いて見る。綺麗な瞳だ、と思った。

「……何で二つ買ったほうが安くなるの?」

「二つ買ったら、二つとも食べなきゃいけないからよ。ふふふ……その玉子、不味いかもしれないわよ?」

「なら問題ないわ、もちろん――二つで50円のほうを選ぶわ」

「へぇ……」

 アリスは一瞬目を細めて――かなり鋭い目だ――また前を見る。

「どうして?」

「玉子は食べるものだからよ。遊びに使うものじゃないわ」

「あっはっはっはっはっはっ!」

 爆笑。

 高らかに彼女、アリスは笑った。

「なるほどなるほどね。面白い答えを聞かせてもらったわ」

 そっかぁ……玉子は食べるものか。でも卵だったらまた話も別よね――と呟きながら。

「…………」

 鞠がアリスに連れ去られて――轆轤たちの側から言えば誘拐されて――既に30分が経過しようとしている。それまでずっとこの体勢だ。アリスに引かれて鞠が歩く。同じ位の身長なので身体的な苦痛はないものの、やはり不安がある。どこに連れて行かれるのか。そして何をさせられるのか。

 考えずにはいられなかったが、

「で、私をどこに連れて行く気なの? そろそろ教えてくれていいんじゃないの?」

 と、ここまでそれを質問しなかったのは流石鞠の忍耐力である。

「ああ、もうすぐよ。ほら、あそこ」

 アリスが指差したのは――洋服屋だ。

「ちょっとやってきて欲しいことがあるのよ」

「へぇ、何をすればいいの? もしかして私にゴスロリファッションを着せるとか?」

「違うわよ。ほら、入るわよ」

 洋服屋――と、看板ではそう分かったのだが店の中はまるでそうと判断できなかった。洋服を入れるであろう棚やハンガーといったものはあるのだが、肝心な服がなかった。ついでに店員もいなかった。鞠はもちろんこういう店に入るのは初めてで、呆気にとられた――というか、本当にこの不思議の国には、人がいないのだろうか?

 アリスは鞠から手を離し、小さな部屋――試着室だろう――へ向かって駆ける。

「うんうん。おっけーおっけー」

 試着室のドアを開けてそう呟いて。

「ちょっと来てー」

 と鞠を呼んだ。

 鞠は無言でアリスが向かった試着室に歩いていく。板張りの床を踏みしめるように。

 鞠が近づいてくるのを見てアリスは試着室に入った。ドアは開けっ放しだ。鞠はその部屋の中を覗く。

 ほんの一平方メートルしかないような部屋だ。ドアと対面側の壁には鏡がある。ほかの壁は白色に塗装されている。頭上には数個のハンガーが棒にかかっていた。

「入って入って」

 ――流石に気が引けるが、そういう様子を表に出さずに、鞠は素直にそれに従った。130数センチしかない二人とはいえ、この部屋は狭かった。アリスは鞠が入室したのを確認して、ドアを閉めた。






 閉めた。

「……何をするつもり?」

「だからさ、やって欲しいことがあるっていったでしょ?」

 アリスの顔が、鞠の顔に近づく。鼻と鼻が触れ合うほどに。体に手を回され、ある種の恐怖を鞠は感じる。

「はっきり言って」

「怖いわねー。それとも……怖いのかしら?」

 ふふふ。とアリスは言った。そして鞠の後頭部へと手を回した。

 ……体が強張る。

「いいこと? 赤の女王にこう伝えなさい――『諦めろ』って」

 赤の女王? なんだそれは。不思議の国にも女王はいるが、それは『ハートの女王』だ。確かに赤色が好きだという描写はあったが、それを理由に赤の女王と呼ばれることはないだろう。

「それは――」

「じゃあ、行って来てね」

 鞠が反論しようとした瞬間。アリスの唇が鞠の唇に触れた。柔らかくて、温かい感触――

「……!」

 突然の出来事にどう対応すればよいのかわからなくなった鞠を、アリスは押し倒す。と言っても、床に押し倒すのではない。壁に押し倒すような形。それも――

 鏡の中に押し込むような。

 そして実際、鞠は鏡の中に――吸い込まれるように落ちていった。

「!?」

 咄嗟に声も出ない。

 自分が落ちているのだと気づくのには数秒の時間がかかった。

「くっ――アリス……!」

 落ちてきた鏡であろう場所を見ると、アリスがにやにやと笑いながら手を振っていた。

「あの野郎……!」

 さまざまな感情が渦巻く。理不尽に連れてこられたりそして突き落とされたり。

 ファーストキスを奪われたり……。

 光が反射している不思議な空間を、鞠は落ちていった。




「さて」

 と、誰もいなくなった試着室のなかでアリスは呟く。

「あの子のことはこれで大丈夫ね。じゃあ次は……」

 独り言を言いながら試着室を出る。店員のいないカウンターを横目で見ながら、その洋服屋を出る。

「次はあの男の子がいいわよね。そうしましょう……あら?」

 洋服屋を出て鞠と来た道を戻ろうと3歩目を踏み出したところ、洋服屋と、その隣の建物の間に。

 白い――ウサギがいた。

 ウサギとしては大柄で、チョッキを着て、懐中時計を肩に下げている。

 そのウサギはアリスを見て――怯えた。

「あら、お久しぶりね。そして、その時計――」

 にっこりとアリスは笑って、ポケットから時計を取り出す。そしてその時計を、白いウサギに見せる。


「おそろいね」


 白いウサギは消えた。



                   第1章・終

                   第2章へ続く

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