第34話 生きている人と
テレポートに入った船内で、ぼくたちは操舵席に沈み込んだ。周りすべて、どこをみてもいつもの操舵室だ。
あの状況、おそらく20隻を超える敵船の包囲攻撃をかいくぐって、できるかどうかも分からないテレポートを成功させて――そしていつもどおりの操舵室が、ちゃんとここに形を残している。
テレポートの瞬間、転移クリスタルの上半分が崩れるのが見えた。ああなっては、もう使えないはずだ。敵船は、この船を追うことができない。
「ナナ……」
リリィに呼ばれて振り向く。彼女もまた、その姿を残したままそこにいる。
「おつかれさま、ナナ。かっこよかったよ」
そんなわけない。自分から包囲の中へ飛び込んで、舵を切る先を完全に予測され必ず敵が待っているという情けない有様だった。それより――
「――いや、きみのおかげで、命がつながったよ。ありがとう、リリィ」
ふたりで視線を交わらせて、互いが生きていることを確かめあう。いのちとは、こうももろくてやわらかなものか。
「はぁ――」
「はぁ――」
ふたり同時に大きなため息をつき、また顔を見合わせて笑った。
ふたり並んで、ぼくたちはいま、生きている――
仮設営倉の9名のことを思い出すのには、多少の時間を要した。
・・・・・・
「総員へ伝達する。本船はすでに敵船の追撃を振り切り、ただ今テレポート中である。戦闘は終了し、船体に異常はない。これ以降は警戒を解いてよい。なお、本船が使用した転移クリスタルに問題があったため、ただ今の本船の行き先は不明である。テレポート終了後に、位置を確認してから新たな航路を設定する。次の放送を待て」
船内放送の送信ボタンを放した。
もう8人乗っていることを、完全に忘れていた。リリィがいることしか考えていなかった。
急転舵による船体の軋みや至近弾の衝撃音は、さぞ恐ろしかったろう。ぼくたちふたりはモニターやレーダーで外が見えていたからまだよかったが、仮設営倉にそんなものはない。いま室内はどうなっているか。
まあ、これは彼らが自ら招いた災いだ。本船の乗っ取りなど企てなければ、少なくとも戦闘中は操舵室に居させてやったはずだから。営倉のなかで、たっぷり後悔したことだろう。
「あーあ……」
リリィがなんだか抜けたような声を出した。
「ナナ、わたしシャワーあびてきたい」
――?
急にどうして。このテレポート、いつ終わるか分からないのに。向こう側に出てから位置を確認して、それから周囲の安全を確かめてからでないと――
「何度もいやな汗かいたし――服だって、まえの船で緊急着陸してからずっと着替えてない。さすがにちょっと気持ちよくない」
そう言いながらリリィは服の襟元をいじる。
そうだった、ずっとその服のまま、何度も命がけの綱渡りをしてきたんだ。汗をながすとか、そんな余裕は全くなかった。
もし彼女が入浴中にテレポートが完了しても、ぼくひとりで位置確認くらいはできる。むしろそのあと、新航路の算定のときに協力してくれると助かる。今のうちにちょっと汗をながして――服も着替えたほうが気分もいいだろう。
「……」
――あ。
「ナナはいいよねー、非常時なのにシャワーあびて服も着替えれて。その服用意したの誰だったかなあ」
すねたように文句をいうリリィだが、シャワーはともかく――
「あの、リリィ……」
「なーに?」
はじめて聞く間延びした声にこころをくすぐられたが、いまはそうじゃない。
「服は?」
「……へ?」
彼女は首をかしげ、それから自分の服を手でさわる。
「いや、そうじゃなくて――あの、着替えって、あるの?」
彼女はしばらく考えてから、固まった。
「――ない」
そうだよね……あの緊急時に、私物の持ち出しなんてできなかったよね。自分の服、いま着ているやつしかないよね。
どうしよう。いちばん近い港まで何日かかるか……都合よく有人星系の目の前に出られればいいが、そうでなければ数日、あるいは1週間以上。着替えず過ごせ、とは絶対に言えない。でも、その着替えがない。
「ナナ――」
リリィが前を向いたまま言う。
「――貸して」
……は?
貸すって、何を。
「あなたの服、貸して」
「え、いや、おれの服って、サイズあわないよ。絶対きみのほうが小柄だし――」
「わたしの服はシャワーあびてる間に洗濯するから。乾燥がおわるまで着られればいい」
入浴と洗濯、同時か……まあ、それがいちばんいいんだろうな。入浴の後、まさか服を着させず放ったらかすわけにもいかないし、洗濯と乾燥がおわるまで着込んでいるだけなら。
「うん……わかった」
ぼくの言葉に、リリィはこちらをみずにうなづく。
「じゃあ、一緒に行こう」
「え、おれも? 一緒に行かなくても、あとからおれが着るものだけ持っていくから……」
「洗濯室で脱いじゃったら、浴室までなにも着るものがない」
そうだった……
・・・・・・
ワイシャツと、上着と、おそらく履けないだろうけどズボンも持って――ふたりで通路を歩いていく。リリィはこの船の細部の構造までは知らないので、ぼくが斜め前で先導していく。
会話がない……どうするこの空気。いま手にしている服にリリィがくるまるのを想像すると……いけない、考えちゃだめだ。
洗濯室は居住区にあるので、すぐ着いた。中には乾燥まで自動で行える洗濯機がある。ぼくの靴下かなにかの取り残しが入っていなければ、問題なく使える。
ただ――ここは要するに、ただの洗濯機置き場。普通は洗濯物を持ってきて放り込んで、あとで取りにくるだけの場所。だからここには――扉がない。
単純な話だ。船に余分な部品は付いていない。扉だってそう。開閉を続ければいつか壊れて修理が必要になるのだから、必要ない場所には扉をつけない。
そして洗濯室は、扉で区切っておく必要がない。乗員居室とはすこし離れているから、騒音を考慮する必要もない。
この扉なしの空間で、リリィに服を脱がせるのか。いや確かに、いまそこを覗けるのはぼくだけで、他に人が来ることはないから、ぼくが見なければいい話なんだけど……
「うん、ここの洗濯機の操作方法は分かる。すぐ済ませるから、それちょうだい」
意外に冷静なリリィに、ぼくの服を手渡す。
「そ、それじゃ、終わったら言って」
対して挙動不審なぼく。
「ありがと、ちょっと待っててね」
そう言うと、彼女はすぐ服のボタンを外しはじめたので、ぼくはあわてて外へ逃げた。
するり、と布の擦れる音がするたび、こころがどきりとする。何度も、何度も。このひと、この前もこうしてぼくのこころを弄んでたな。いやぼくが勝手に弄ばれてただけなんだろうけど。
このなかにはいま、あのひとが――うぅ、身が持たない。
でも――
でも、ひとりで船に乗っていたら、こうもこころを揺らされることはなかった。今こうしてこころを弄ばれるのは、悪くはない。
さっきの、服のボタンを外しはじめた姿を思い出す。またどきりとするが――
あんな姿も、彼女を救助しなければ見られなかった。ぼくが行かなければ今ごろは、船ごと無残に溶け去っていただろう。それがいま、その音が聞こえるくらい近くで生きていて、ぼくのこころをくすぐっている。
――これが、生きているひとと、一緒にいること。
ここ何年か、そんなことは一度もなかった。
・・・・・・
「はい、終わったよ」
急にリリィがでてきて、思わず一歩さがった。
ぶかぶかでしわの寄ったワイシャツに、肩の部分が大きく余った上着。袖からは指先しか出ていない。
「ズボンはやっぱりだめ。まあ浴室まで行くだけだし、わたしたちしかいないからいいよね」
よくない、ぼくがいる。
上着の裾がすこし長いのと、服そのものが大きいせいで、とりあえずなんとか着れてはいる。
よし、もういいな。急ぎ撤収しよう。
「じゃあおれは操舵室に戻ってるから、シャワーあびたら食堂かどこかで休んでて。服が乾いたら――」
「――連れてって」
はい?
「何回か角を曲がったから、戻る通路がわからない。このまま連れてって」
えと、「このまま」行くのか。
長い道のりになりそうだ。
・・・・・・
浴室前についた。
ぼくのぶかぶかの服をまとった彼女を、変に意識したまま――
ここはぼくがこのひとに入らされた浴室だ。あのときとは、立場が逆になってしまった。
「それじゃ、入ってくるね。ナナは先に操舵室に戻ってて」
彼女はそう言うと、すこし微笑んでから、ふりふりと手を振って脱衣所のなかへ入っていった。
・・・・・・
浴室でひとり――
こんなのはいつ以来だろう。すっかり気を抜いてシャワーを浴びている。
ここは、前の星にまだ着陸していたとき、わたしが彼を閉じ込めて身体を洗わせた場所。
シャワーを浴びたいなんて言ったのは、ほんの出来心みたいなものだった。
生き延びたんだなと自覚して、わたしは自分が思った以上に気が抜けてしまったらしい。
今までは緊急事態の連続だったから、彼と――ナナとゆっくり接することができる時間はなかった。
急にそういう時間ができて、わたしは気分にまかせて少しすねたことを言った。
着替える服がないことは、頭から抜け落ちていた。
「――貸して」
ちょっと混乱したまま言ったのが、それ。
着ていた服を洗濯機に入れて、貸してもらった服を着るあいだ、彼は一度も壁の向こうから出てこなかった。
「男の子」め。ドキドキしてても、顔を出す勇気は全然なかったんだろう。
わたしは「何回か角を曲がったから、戻る通路がわからない」って言って、彼にここまで案内させた。
そのあと浴室の前で「先に操舵室に戻ってて」って言って、そのまま行かせた。
その矛盾にも、気付いてない。
通路がわからないふりをしたけれど、この船は特高速であること以外は特に変わった船じゃない。居住区の構造は、だいたいわかる。だから彼の案内がなくても、わたしは後からひとりで操舵室に戻れる。
わたしは彼をわざとここまで一緒に歩かせて、それからシャワーを浴びるのは時間がかかってしまうから先に操舵室に戻らせた。
それに気付かない勘の悪さ――さっきの戦いのときとは、真逆。
かっこいいのに、かっこよくない。
そういうところが、かえって愛おしく思える。
彼、きっと疲れているだろうな。思えば前の星を離陸してから、ずっと休んでない。
こうしてわたしばかり休んでいてはダメだろう。なによりわたし自身が、それを許さない。
シャワーを浴び終えて、服の洗濯と乾燥が終わったら、食堂か船長室に行ってみよう。なにかいいもの、見つかると思う。
・・・・・・
テレポートの時間は、意外と長かった。
何の変化もないままの航行に飽きて、なにか飲みに行こうかと思った頃合いで、ようやくテレポートアウトの兆候が探知された。
テレポート終了時刻までのカウントダウンが自動で開始される。衝突防止装置の警報は鳴らない。どうやら安全に通常空間に出られそうだ。
カウントがゼロになり、黒一色だった外部モニターに色彩が戻ってくる。推力レバーが自動で「STOP」位置に戻り、テレポートモードだった主機関は通常の推力モードに切り替わった。
「テレポートアウトよし。両舷停止、推力モード切り替えよし、機関回転数よし」
所定の確認動作を行う。各パラメータに普段と違う点はない。
自動操縦はここから先を設定していないので、警告音を鳴らしながら待機モードに切り替わった。すぐ操縦桿をにぎり、急な外力の作用に備える。
「……」
ずいぶん静かな空間だ。近くに大きな天体はなし、空間の乱れや強い電磁波、大きな熱入力もない。他船もいないようで、レーダー波も識別信号も入ってこない。
後方向きのカメラ映像を出すと、そこにはほぼ無色透明の転移クリスタルが見えている。宇宙の星々が映りこみ、よく見ないと見逃しそうだ。
転移クリスタルはふつう何かしらの色で発光するもの。ここにある色を失ったクリスタルは、完全に機能を失っているのだろう。本船のアンテナにも、何の魔力も入ってきていない。
転移クリスタルは入口と出口で対をなしている。どちらかが欠ければ両方とも機能を失って、魔力の輻射と発光を停止するそうだ。
ここの転移クリスタルの状態からみて、向こう側のものは完全に破壊されたようだ。突入寸前、上半分が崩れたようにみえたが、やはりそれが決定的なダメージになったのだろう。本船の突入があと何秒か遅かったら、テレポートできずにクリスタルに衝突して、船ごと砕け散っていたかもしれない。
そしてこれは、何百年か前に作られたあの転移クリスタルの、さいごのひと仕事だった。
いま考えてみれば、敵は対応を誤ったのだ。
死んでいると思っていたクリスタルが生きていた。それで、本船に知らない場所へ転移される可能性あることが急に分かった。
周囲の星系にまで戦力を配置して包囲網を形成していたのに、このクリスタルのせいで、その網にちいさな穴が開いてしまった。どこか分からない転移先には戦力など配置しようがないから、テレポートされたら本船の頭をおさえられない。
敵はそれを極度に恐れ、包囲網の唯一の穴である転移クリスタルを破壊しようと砲撃した。
だが敵は、あくまで本船を砲撃すべきだったのだ。当たれば致命傷、もし当てられなくても、まだ先がある。そして、そのためにこそ転移クリスタルに当ててはならなかった。
もしクリスタルが生きたままだったなら、敵船たちは本船と同じようにテレポートし、ここへ出てこられたはずだ。包囲網は崩れても、圧倒的多数による追撃戦はできたはずだし、ここの位置を打電して味方を呼び集めることもできた。
しかし転移クリスタルが本当に機能しなくなったいま、敵はもうこちらを追ってこれない。本船がどこへ転移していったかも分からない。利益を受けたのは本船であり、敵は自ら追撃ルートを破壊してしまった。
結果、敵の作戦は失敗し、本船はからくも敵の手からのがれた。
はあ――運がよかった。今日はとにかく、運がよかった。つらいこともたくさんあったけど、もういい。あとでジュースがぶ飲みしよう。
でも、そのまえにもうひと働き。現在位置の割り出しだ。リリィには航路算定に付き合ってもらいたいから、彼女が戻ってくるまえにこの作業をしておこう。
測定装置の感度を上げて、この星系の主星の特徴と惑星の数をしらべて、それを海図と突き合わせて――
急に入口ドアが開く音がして振り向くと、もとの服を身にまとったリリィが入ってきた。もう服の乾燥は済んでいたらしい。やっぱり彼女の、その凛とした雰囲気は素敵だと思う。
ただ、貸したはずのぼくの服を持っていない。たぶん船長室に直接「返却」したな。鍵をまだかけてないぼくが悪いんだけど。
「テレポート、終わったんだね。位置の確認はまだ?」
彼女はそう言いながらすたすた歩いてきて、ぼくの席の後ろから計器盤をのぞきこんだ。ふわり、と彼女のにおいがぼくを包んでくる。黒い髪がぼくの肩にかかって、思わずびくっとした。
「うん、安定した場所みたいだね。よかった、ひとやすみくらいできそう。はい、これ」
そのまま彼女は、ぼくに紙コップを手渡してきた。
「あなた、たぶんこれ好きなんでしょ。冷蔵庫の中こればっかりだったよ」
渡された紙コップの中をみると、黒い色の液体がしゅわしゅわと気泡をはじけさせている。そう、これ昔から好きなんだ。特に夜に目が覚めたとき、なんとなく食堂へ行ってこれのボトルあけて、半分くらいごくごく飲むのが最高にいい。
でも、これからまだ作業がある。しばらくは――
「ほら、すこし休もう。前の星を離陸してから、あなたずっと休んでない」
すぐそばに立ってそう言う彼女を見上げると、彼女はぼくを見おろしながらやさしく笑っていた。こうして見ると、ぼくがこのひとに包まれているような気がして、この上ない安心感がこころを落ち着かせてくれる。この空間から出たくなくなるくらいに。
そのまま彼女は、副操舵席についた。
「ん、んん……やっぱこれ、刺激つよいかも。あなた、よく普通に飲めるね」
リリィは紙コップを傾けて、ちょっと険しい顔をしている。ぼくと同じものを持ってきたらしい。そいつの炭酸はけっこう強いぞ。
ぼくも紙コップに口をつける。癖になる刺激、甘くて冷たい液体――ああ、やっぱり好きだ、これ。つかれた身体にしみわたる――
あ……そうだ。
これはぼくがさっき飲みたいと思ってた……
確かに冷蔵庫はこれでいっぱいだから分かりやすかっただろうけど、このひとはぼくが疲れているだろうと思って、わざわざ好きそうな飲み物を探して……
「――リリィ」
呼びかけると、彼女は紙コップに口をつけたまま、何気ない瞳をこちらに向けた。
「ありがと」
それ以外気の利いた言葉のでないぼくだったが、彼女は花のような笑顔をみせてくれた。




