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選ばれなかった令嬢 〜婚約破棄され、誰にも選ばれずに港町で生きることにした〜  作者: 青木奈々


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2/4

選ばれなかった令嬢 ――ライアン・カーターの記憶

最初に気づいたのは、

刺繍だった。


店に並ぶ品の中で、

それだけ空気が違った。


派手じゃない。

流行を追ってもいない。


なのに、

なぜか目が離れなかった。


——ああ、これを作った人は、

誠実だ。


それが、最初の印象だった。



二階から降りてきた彼女は、

思っていたより、ずっと静かな人だった。


背筋は自然に伸び、

視線は控えめに落とされている。


派手さはない。

けれど、立ち止まる位置や、

手の置き方ひとつに、

妙な落ち着きがあった。


育ちがいい、という言葉では

片づけきれない何か。


それを隠そうとしている――

そんな気配だけが、

なぜか、はっきり伝わってきた。


「この刺繍、いいな」


そう言ったとき、

彼女は一瞬だけ、驚いた顔をした。


褒め言葉に慣れていない人の顔だ。


それが、なぜか胸に残った。



打ち合わせは、

いつも予定より長くなった。


俺が話を脱線させていたのもある。


刺繍の話だけで終わらせるのが、

もったいなく感じたからだ。


彼女は、

自分の話をあまりしない。


聞けば答える。

でも、語ろうとはしない。


まるで、

「ここまで」と線を引いているみたいだった。


それが悪いとは思わなかった。


むしろ、

その距離感が、心地よかった。


——近づきすぎると、

壊れてしまいそうで。



彼女は、

俺の疲れに気づいていた。


「ちゃんと休めていますか?」


そう聞かれたとき、

少し驚いた。


俺はいつも、

大丈夫なふりをする側だから。


「休み方、忘れたかもな」


そう笑ったら、

彼女も、少し困ったように笑った。


——ああ、この人も、

ずっと一人で立ってきたんだ。


なぜか、そう思った。



誕生日の話をしたのは、

深い意味はなかった。


……と言えば、嘘になる。


少しだけ、

期待していた。


物じゃなくていい。

覚えていてくれたら、それで。


でも、

彼女は大きなことはしなかった。


小さな袋。

控えめな言葉。


「お誕生日おめでとうございます」


それだけ。


手が触れたとき、

彼女が一瞬、息を止めたのが分かった。


——ああ。


この人は、

分かっていて、距離を保っている。


優しさで。


そのことが、

少しだけ、苦しかった。



俺には、

戻る場所がある。


他の街で、

一緒に暮らしている女性。


「友達だよ」


そう言ったのは、

嘘じゃない。


でも、

全部を話したわけでもなかった。


俺には、

やりたいことがあった。


守りたいものがあった。


そこに、

彼女を巻き込む資格はない。


それくらいは、

分かっていた。



最後の日。


港へ向かう途中、

刺繍を光にかざした。


本当は、

理由なんて何でもよかった。


ただ、

もう少し一緒に歩きたかっただけだ。


「エリザベス」


名前を呼んだ。


この名前を、

もう呼べなくなる気がして。


「あなたと話してる時間、嫌いじゃなかった」


本当は、

もっと言いたかった。


——あなたは、

自分が思っているより、ずっと価値がある。


——誰かに選ばれなくても、

あなたは、最初から“ある”。


でも、

それを言う立場じゃない。


だから、

言わなかった。


彼女も、言わなかった。


それが、

正しかったのだと思う。



彼女が去ったあと、

俺はしばらく港に立っていた。


潮の匂い。

太陽の光。


胸の奥に、

小さな痛みが残っている。


でも、後悔はなかった。


彼女は、

誰かの所有物になる人じゃない。


選ばれなかったんじゃない。


——自分で、

自分の道を選び始めただけだ。


いつか、

彼女が自分の時間を、

心から愛せるようになるなら。


俺は、

その少し前に立ち会えただけで、

十分だと思う。


刺繍の糸は、

今日もどこかで、光を受けている。


静かに、

確かに。


彼女が、

ここにいる証として。


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