タイトル未定2025/07/30 17:37
「みなさん、当たり前や明日について考えたことはありますか?」
僕がこの言葉を最初に聞いて明日って何だろう。そんなことを思った。
明日が来るなんて保証はないのに明日を信じる。
当たり前が当たり前であることを信じる。
自分が死んでしまえば明日は来ない。
友達が死んでしまえば当たり前は来ない。
それでも、僕たちは明日や当たり前を信じて生きている。
これは僕が小学校6年生の後半のころ。受験も終わっていて僕はその時は友達に恵まれ、とても満足した日々を過ごせていた。
毎日のように遊びその都度「また明日!」そんな言葉で友達と別れる。
僕はその時は明日について考えたこともなかった。明日を信用していた。
しばらく経ったある日の3月24日。小学校の卒業式が終わりその後も遊んだ。
僕は「中学生になっても毎日遊べる!」そんな馬鹿げたことを考えていた。
中学生になった。僕は中学校の友達なんて作らず小学校の友達と遊ぶつもりだった。
でもそんな信じていた明日は来なかった。
遊ぶ場所に行っても誰も来なかった。
友達は高校受験の勉強を始めていて遊べなかった。
友達と遊ぶのが当たり前。友達と明日会うのが当たり前。
そんな些細なことだけど僕の中の当たり前は無くなった。
その時僕は心にぽっかり穴が開いた。そんな気がした。
些細な当たり前でも当たり前は存在しないということが分かった。
中学生の僕には考えたくもなかった。
友達とのラインも6回見直した。でも何もなかった。
ラインも送った。返信は来なかった。
瞼を閉じても逃げられなかった。
体は動いてるのに心だけ置いてけぼりになった。まるで夢遊病者だ。
まるで、自分自身が消えかけの灯だった。
誰にも気づかれず、誰にも縋れず、ただ微かに光っていた。