表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

9/18

第9話 病との戦い、そして温かな光

第9話 病との戦い、そして温かな光


建安6年。官渡の戦いから一年近くが経過し、曹操軍は袁紹の残党を掃討しつつ、河北の広大な土地の平定を着実に進めていた。かつて袁紹が支配した豊穣な土地は、戦乱と混乱から少しずつ立ち直りを見せ始めていた。占領地の統治は容易ではないが、荀彧をはじめとする有能な文官たちの尽力と、郭嘉が提案する内政アイデアが、着実に成果を上げ始めていた。


この時期も、郭嘉は病と闘っていた。官渡での無理が祟り、彼の体調は依然として不安定だった。激しい咳、全身の倦怠感、そして時折襲う悪寒や微熱。やせ細った体は、見る影もない。史実の郭嘉が病に倒れたのは建安12年。まだ時間はあったが、彼の体調は史実を追いかけるかのように悪化していた。しかし、第8話で導入された現代知識に基づいた体調管理と、精神的な安定が功を奏し始めているのか、病状の悪化は以前ほど急ではなくなり、わずかながら小康状態を保つこともあった。


(毎日、清潔な水で手や顔を洗い、沸かした湯を飲む…これだけで、随分と違う気がする。病の根本は治せなくとも、感染症の予防や体の負担を減らすことはできる。食事も、薬草だけでなく、この時代で手に入る限りの食材で栄養バランスを考えたものを摂るようにした。粥だけでなく、野菜や豆、魚なども意識的に取り入れる。少しずつだが、体が慣れてきているのだろうか。完全に克服できるかは分からない。だけど、何もしないよりは…)


郭嘉は、自室の窓から差し込む陽の光を浴びながら、わずかな体調の改善に希望を見出していた。病死回避。それは、もはや彼一人の問題ではなかった。曹操の覇業のため、そして彼が創ろうとする「より良い時代」のため、彼自身が生き延びる必要があった。


最近、郭嘉の部屋には、ある人物が頻繁に訪れるようになっていた。曹操の娘、曹玲だ。彼女は侍女を伴って、郭嘉の体調を気遣い、世間話をしたり、時には彼が取り組んでいる内政の話にも耳を傾けたりした。彼女の訪問は、郭嘉にとって何よりの癒やしだった。戦場の冷徹な論理や、政争の駆け引きから離れ、彼女と話していると、心が穏やかになれた。彼女の存在は、荒廃した乱世の中に咲く一輪の花のように、清らかで、希望を感じさせた。


「郭軍師、今日の体調はいかがですか?」


曹玲はいつも優しく声をかける。その声には、純粋な心配と彼に対する尊敬の念が込められていた。


「…お陰様で、玲殿のお顔を見れば、少しばかり元気になります。体は正直なもので、相変わらずですが」


郭嘉は、無理のない範囲で微笑んだ。彼女は、郭嘉の病弱さを憐れむのではなく、一人の人間として彼の内面に寄り添おうとしてくれているのが分かった。彼女は聡明で、彼の言葉の端々から、戦乱の悲惨さや彼が抱える理想を感じ取っていた。


ある日、郭嘉は曹玲に、彼が提唱している内政改革について語った。彼は病身ゆえに前線で直接指揮を執ることは少ないが、曹操の信頼を得て、占領地の統治や民政についても多くの提言を行っていた。


「…戦で土地を獲っても、民が飢え、病に苦しんでいては意味がありません。天下統一は、あくまで民が安らかに暮らせる世を創るための手段なのです。荒廃した土地を回復させ、民が安心して農業に励めるようにする。衛生を改善し、疫病の蔓延を防ぐ。公正な法を敷き、身分に関わらず才ある者が用いられるようにする。貧しい者や孤児を救済する…」


郭嘉は、新しい農法のアイデア(輪作による地力維持、簡単な堆肥の利用法)、衛生的な施設の整備(井戸や水路の定期的な清掃・管理、簡易的な公衆便所の設置指導)、そして商業を奨励するための政策(通行税の軽減、治安維持)などについて語った。これらは、現代の知識をこの時代の技術レベルで「発想/改良」したものであり、劇的な変化をもたらすものではないが、着実に地域の復興に貢献していた。実際に、彼の提案に基づいた施策が実行された地域では、以前より収穫量が増え、疫病の発生が減り、民の表情に僅かながらの明るさが戻ってきているという報告が届いていた。


「郭軍師の考えは、父上も他の軍師の方々とも違いますね…でも、民のためを思うお気持ち、よく分かります。私も、視察で民の苦しむ姿を見て、心を痛めておりましたから」


曹玲は真剣な表情で郭嘉の話を聞いていた。彼女自身、各地を視察する父に同行し、戦乱で疲弊した民の姿を目の当たりにして心を痛めていたからだ。彼女の瞳には、民への深い共感が宿っていた。


「…兵糧が増えれば、戦も有利に進められますし、飢え死にする民も減らせます。衛生が改善されれば、疫病の蔓延も抑えられます。これらの改革は、地味に見えても、多くの民の命を救うことに繋がるのです。戦で失われた命を、一つでも多く救うために…」


郭嘉はそう語り、微かに咳き込んだ。彼の目には、理想とする「より良い時代」の光が宿っていた。それは単なる幻想ではなく、彼が一つ一つ積み重ねる努力によって、少しずつ現実のものとなりつつある未来だった。曹玲は、その瞳の光に心を奪われた。病弱な体で、これほど大きな志を抱き、実行しようとしている男。彼女は、郭嘉という人間の深淵を垣間見た気がした。


(…郭軍師は、戦の天才であると同時に、誰よりも民の痛みを理解し、平和な世を心から願っている方なのだ…)


曹玲の存在は、郭嘉が孤独に抱えていた未来知識と歴史改変の重圧を、僅かではあるが和らげてくれた。彼女のような純粋な優しさと聡明さを持つ存在を守りたい。そして、彼女が安心して暮らせる、笑顔でいられる世を創りたい。その思いが、病に負けそうな彼を支える強い力となった。それは、彼自身の病死回避という目標を、単なる延命ではなく、より大きな目的と結びつける力だった。


しかし、歴史改変の波は、新たな問題も引き起こしていた。袁紹の早期討滅は、史実とは異なる形で北方の勢力図を変化させた。袁氏の残党は各地に散り、その一部が北方の遊牧民族である烏桓と結びつき、反抗勢力を形成し始めているという情報が入ってきた。特に遼東の公孫康が、史実よりも早く独自の動きを見せ始め、袁氏の残党を匿っている可能性が出てきたのだ。また、史実ではこの時期に勢力を拡大しなかった、あるいは異なる動きをした人物が、混乱に乗じて新たな勢力として台頭し始めているという報告も入ってきている。官渡の勝利は圧倒的だったが、天下平定への道は史実通りには進まない。


軍議では、これらの新たな脅威について議論が交わされた。


「遼東の公孫康め…袁家の残党を匿っておるらしい。このままでは、北方の新たな火種となりましょう。早いうちに叩くべきでは?」


夏侯惇が進言する。彼の顔には、新たな戦の予感に対する武人の血が騒ぐ色が見えた。


「しかし、遼東は遠征となります。兵站の確保が困難となりましょう。また、新たな勢力の台頭についても、その動向を注視する必要があります」


荀彧が慎重な意見を述べた。彼は、安定した統治と新たな脅威への対処とのバランスを考えていた。


郭嘉は、体調が優れないながらも、その議論に耳を傾けていた。烏桓討伐は、史実では建安12年、彼の病死の直前に行われた。その必要性は理解できる。袁氏の残党が烏桓と結びつけば、北方に強固な抵抗勢力が生まれる。しかし、病状がこのままでは遠征に耐えられるか分からない。そして、史実とは異なる新たな脅威にも対処しなければならない。歴史は、彼が変えたことに反応し、不確定要素を生み出している。未来知識は、もはや絶対的な指針ではない。


(歴史は静止しない。俺が大きな石を投げ込めば、波紋が広がるのは当然のことだ。この新たな問題に、どう対処するか…未来知識に頼るだけでなく、この時代の情報と、そして俺自身の頭で考え抜く必要がある)


病魔との戦い、曹玲という光、内政改革という希望、そして歴史改変の副作用という新たな脅威。郭嘉の戦いは続いていた。病身の軍師は、来るべき烏桓討伐と、さらにその先に待つ歴史の大きなうねり、そして自分が創ろうとする「より良い時代」を見据えていた。彼の目は、病弱な体とは裏腹に、確かな決意の光を宿していた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ