11 平民の少女
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平民の少女の名前はユリア。
スカーレットの一周目の人生が地獄と化したきっかけを作った人物でもある。
そして、三周目の人生の時には第二王子を自害に追いやった。
彼女にとって同い年で同級生の第二王子は接触しやすく、王太子に近づくための歯車のひとつにすぎなかったのだろう。
一周目の時も、三周目の時も、スカーレットは特にこの少女に対して興味は湧かなかった。
しかし、人生一周目の出会いから久しく見なかった彼女に、九周目にして興味を持った。
正確には、少女自身ではなく、彼女の首にかかっている魔導具に興味を惹かれた。
あれこそが、自分が地獄を歩み出した原因だったのだろう。
ユリアという平民の少女に好感を抱いている人々は実のところ彼女を見ていない。
その胸元にある魅了の魔法と同じ効果のある魔導具に惹かれているのだ。
(なんだ)と、スカーレットは自嘲した。
タネがわかれば本当に些細なことだったのだ。
「大丈夫ですか?」
スカーレットは真っ白な手を、だらしなく床にへたり込んでいるユリアへと差し出した。
ユリアはスカーレットの骸骨の姿に一瞬だけその顔を引き攣らせたが、スカーレットが魅了の魔法を強めに使えば、すぐにその緊張を緩めた。
「ありがとう」
自分の手に手を置いたユリアの手を掴んで、スカーレットはユリアの体を引き寄せるようにして、もう片方の手の人差し指でネックレスをつついた。
たったそれだけで、ネックレスの魔石にはひびが入り、粉々に砕けた。
その瞬間、ユリアにかけた魅了の魔法を解けば、ユリアは悲鳴をあげてスカーレットを突き飛ばした。
「化け物! 近づかないでよ!!」
ユリアは割れて床に散らばった魔法石を両手で集めようと躍起になった。
「どうしよう……これがないと魅了の魔法は使えないのに……」
魔法学園とはいえど、人の精神に影響を与える魔法を教えることはないし、教えたところで王宮魔法師の中でも使える者の少ない高度な魔法だ。
王太子や他の男子生徒の庇護欲をそそるためにバカな子を演じてきたユリアはすっかりおバカキャラが定着したようで、自ら魔導具の効果を自白していた。
「魅了の魔法だって?」
「それで、王太子様も……」
「他の男子生徒もあの子にデレデレしていたけど、そういうことだったの?」
「あの子のせいで、婚約破棄になった令嬢だっているのに……」
周囲の生徒たちがざわめく声を聞いて、ユリアはやっと事態の深刻さに気づいたようだった。
拾った魔法石の欠片を握りしめて会場から逃げようとしたユリアに、スカーレットはその細く白い骨の人差し指を向けて「《籠》」と唱えた。
すると、まるで鳥籠のような形の檻が少女の体を囲むように出現した。
「な、なにするのよ!? 出しなさいよ!!」
籠の中で暴れる少女にはもう目を向けずに、スカーレットは後ろを振り向いた。
「お祖父様、これでよろしいでしょうか?」
いつの間にか生徒たちの中に紛れていた祖父にそう聞いた。
王太子の犯した愚かな事件を一部始終見ていた野次馬の生徒たちの間から出てきたバンロットは満足げに頷く。
「ああ。いつもながら見事であった。高等魔法である魅了の魔法の解呪は私であってもできないからな」
バンロットも魅了の魔法を使うことはできるが、どんな魔法でもかける時よりも解呪の方が難しいのである。
それも、自分がかけたものよりも他者がかけた魔法の解呪はさらに難しくなる。
高等魔法の解呪は魔法をかけた者を圧倒的に凌駕する魔力が必要だった。
真正面から戦って少女を殺してしまえば解呪はできたが、その際には王太子の魂を傷つけずに解呪することはさらに難しくなるだろう。
場合によっては少女を殺した瞬間に王太子の精神は壊れてしまったかもしれない。
スカーレットという最高峰の魔法使いが孫にいるのにそんな危険を犯す必要はないとバンロットは考えた。
「それでは、わたくしはこれで失礼いたします」
祖父にそう挨拶をしたスカーレットは隣に立つエールシャルルを見上げた。
「エールシャルル様はどうされますか? よろしければわたくしの馬車でお屋敷までお送りいたしますよ」
悪目立ちしている状態で、同じ王族の婚約者という立場の彼女をこの場に置き去りにするのはすこし気が引けたスカーレットはエールシャルルにそう尋ねた。
そもそも、エールシャルルが王太子の婚約者になり、卒業パーティーで断罪されていること自体、スカーレットの所為とも言える。
そんな人物をこの場に置き去りにするほどスカーレットは無情ではない。
「よろしいのですか?」
「ええ、もちろん」
スカーレットがエスコートをするようにエールシャルルに手を差し伸べると、エールシャルルはスカーレットの手に手を添えた。
「スカーレット! 君をエスコートするのは僕の役目だよ!!」
ルーファはスカーレットの手を取った。
スカーレットは右手でエールシャルルをエスコートし、左手でルーファにエスコートされるという奇妙な姿で大ホールの出口へと歩き出す。
三人並んだ背中に「待ってくれ!」と必死な声がかけられる。
視線をやれば王太子のレアルが縋り付くような眼差しをエールシャルルに向けていた。
「エールシャルル嬢、此度のこと、すまなかった! 魅了の魔法をかけられていたとは言えど、婚約破棄などと言ってしまい……あのような発言は全て取り消す!! だから……」
「お気になさらないでください。王太子殿下」
エールシャルルの慈愛に満ちた微笑みにレアルはほっと息を吐いた。
しかし、エールシャルルはこれまでレアルが見たこともない芯のある眼差しで言った。
「わたくし、運命の出会いをしたのです。わたくしは婚約破棄を受け入れ、従姉妹のマーサのようにスカーレット様の侍女になります」
「え……」と、レアルはまたしても意味を持たない声を漏らした。
「それでは殿下、ごきげんよう」
エールシャルルは見事に美しい淑女の礼をした。
スカーレットの侍女になっても恥ずかしくないように、指先にまで細心の注意を向けて。