96 光陰の魔女・命の価値、魂の重さ②
1979年 1月
バージニア州アーリントン郡ペンタゴン 国防総省
国防高等研究計画局 局長
エドワード・マリス
魔導装甲歩兵。魔力と魔導科学により駆動する画期的な動力機構。そして戦争の在り方を一変させる新たなる陸戦の王者。
先にソ連に実用化されてしまったのは痛恨の極みだが、その現物を合衆国が奪い取ることに成功したのは僥倖だった。聞くところによれば、一人の魔法使いにより、協同する戦車大隊ごと壊滅させられ、鹵獲されたという。
1機を残してすべてが破壊されたというが、鹵獲された機体を見る限りでは人間の魔法や魔術でどうにかなるような構造ではなかった。
おそらく実際には、駐機しているところを対地攻撃ヘリや支援射撃と呼応して急襲したのだろう。それに、残骸の一部から化学兵器の成分が検出されたところを見ると、工兵隊による毒ガス散布まで行ったのかもしれない。
最近の軍人は、戦場伝説を流布するような風潮が多くて困る。魔女だか何だか知らんが、国家も戦争も一人の魔法使いがどうにかできるものではない。
特に、陸軍と空軍に我ら合衆国の力を殊更に卑下する勢力が多いのが気に入らない。
その勢力を淘汰するためにも、合衆国の威信にかけてこの研究は完成させなければならない。
鹵獲された兵器のおかげで何とか軌道に乗りそうな魔導装甲歩兵の開発に思いをはせていると、無粋にも始業早々に内線電話が鳴り響く。
「マリス局長。国防捜査局のウイリアムズ局長からお電話です。長官のオフィスでお待ちだそうです。」
「なんだ、朝っぱらから。ウイリアムズ局長にブラウン長官か・・・。陰謀屋と軍縮派が何の用だ。まあいい。ちょっと行ってくる。」
◇ ◇ ◇
せわしなく廊下を歩く他部局の職員を避けながら長官のオフィスにたどり着く。
何かあったのだろうか。職員の数が多い。まるで戦争前夜のようだ。
そこには黒縁の眼鏡をかけた長官と、妙にさっぱりした表情のウイリアムズ局長、そして金髪で左右の瞳の色が異なる少女が会議用のテーブルに座っていた。
「何のご用です?・・・国防捜査局のウイリアムズ局長、君がいるということは国防高等研究計画局の職員に産業安全保障上の問題でも生じたのかね?」
国防捜査局には、特別技術研究室が開発していた暴走魔導兵器の計画を潰されたことがある。
どんな手段を使ったのかは知らないが、大統領から直接計画の中止を宣告されたときには、めまいがした。今回は何の用だ?
「そうではない。特別技術研究室が主導している魔導装甲歩兵の件だ。重大な問題が発覚したのでな。長官同席の上で注意喚起をと思ってな。」
「注意喚起か。余計なお世話だ。そんなことよりも、そこにいるガキはなんだ?部外者がなぜここにいる。ここは国防機密の最前線だぞ。」
15歳前後の少女は、我々の不仲を知ってか知らずか、私の言葉を無視したまま涼しい顔をしてコーヒーを飲んでいる。
・・・ずいぶん図太い神経だ。まるで合衆国の威厳を小ばかにするような態度だ。
思わず睨み付け、退室するように言おうとすると、長官から思いもよらない言葉が飛び出した。
「彼女がジェーンだ。君は初めてだったな。幼く見えるが、この場にいる誰よりも年長者だ。それと君が研究している魔導装甲歩兵を鹵獲してくれた人間だ。たった一人でな。」
そういえば、去年の7月の終わりだったか。
空軍のネバダ州ネリス試験訓練場で試験飛行を行っていたHB1002の電波吸収塗料の上に、無断で箒に跨った金髪少女のノーズアートが描かれたことがあった。
その結果、描いたテストパイロットたちとロッキードの連中が殴り合いになったらしいが、確かその絵柄は魔女を模したものだったというが・・・。
「ん?まさかこのガキ・・・魔女か!戦場伝説の!」
少女は瞳の色が違う左右の目でこちらを一瞥すると、無表情なまま不機嫌そうにつぶやいた。
「ねえハロルド。彼、私のことが気に入らないみたいね。不愉快だから殺してもいいわよね?闇よ。暗きより這い寄りて・・・」
少女がこちらに向かって左手をかざし何かを唱えはじめると、その掌に一切の光を通さない黒い霧のようなものが現れる。
「ちょ、ちょっと待て!おま、おまえ、いきなり何やってんだ!」
ウイリアムズ局長が慌ててその手をつかもうとすると、少女は慌てて手をひっこめた。
「っ!危ないわね!起動中の空間浸食魔法に手を突っ込んだらケガじゃすまないわよ!」
少女の手から離れた黒い霧が会議用の椅子に触れた瞬間、音もなく椅子がズタズタになり、崩れ落ちる。
「ちょ、おまえ、こんなもん人に向けて撃つか?当たったら死ぬぞ!」
ウイリアムズ局長は少女に後ろから抱き着いて羽交い絞めにしている。
「当たっても死なない魔法は攻撃魔法って言わないわよ!それよりどこ触ってんのよ!」
・・・今、このガキ、私のことを殺そうとしたのか!?
慌てて近くにある内線電話に飛びつき、ペンタゴン警察本部の番号をかける。指が震えているせいで、スピーカーフォンのスイッチが入ってしまう。
「国防高等研究計画局のマリスだ!長官室に警備を!警護班をフル装備だ!」
応答した職員が間延びした声で答える。
「マリス局長?どうしたんですか?長官室は今なら地球上で一番安全ですよ?なんなら最悪、首だけになっても大丈夫らしいですよ。」
「何を言ってる!敵襲だ!魔女が侵入している!保安部の入館管理課は何をしていた!」
「あ?誰が侵入したって?・・・まさか、マリス局長、ジェーンのことをご存じない?おかしいな、11月の事務連絡で申し送りしておいたはずなんだけどな。」
「くそ、話にならない!私は魔女に殺されかけたんだぞ!上を出せ!」
「はあ?ジェーンを怒らせたぁ?国防総省に天使の軍勢でも呼べっていうのかよ?いや、それでも無理じゃね?・・・さて、次の局長への引継ぎ文書、作らなきゃな。ったく、余計な仕事増やしやがって・・・。」
電話を切られてしまった。・・・どういうことだ。後ろではウイリアムズ局長が少女を羽交い絞めにしているし、ブラウン長官にいたっては腹を抱えて笑っている。
「ふははは、ひひ、笑いすぎて腹が攣る。ふひゃはは、マリス君、そういうことだ。ジェーンを殺したければ、主の軍勢でも引き連れてこい。」
「あら、私だって智天使以下の天使なら召喚できるわよ?主天使以下なら一気に10体くらい行けるわ。まあ、座天使以上になると喚んだだけで辺り一面焼け野原になるからおすすめしないけど。」
少女はいつの間にか椅子に座ってコーヒーを飲んでいた。
その隣に座るウイリアムズ局長の頬には、赤い手形がついている。
「いてて、思い切りたたきやがった。ジェーン、後で魔法で治してくれよな。」
「知らないわよ。ハンターといい、あなたといい、いきなり女の胸を鷲掴みにするなんて、どういう神経をしてるのよ。結構痛いんだから!」
ふざけている。合衆国の国防の要たる国防総省の職員が、なんという体たらく。だが、魔女の実力はどうやら確かなようだ。少なくとも、国防総省に詰めている戦力では勝てないようだ。
「・・・長官。ウイリアムズ局長。取り乱して済まない。話を進めてもらってもいいか?」
「ああ、そうしよう。ジェーンもかまわないか?」
「ええ、ハロルドがそう言うなら。マリスだっけ?二人に感謝することね。次はないわよ。」
くそ、覚えていろよ。この悪魔め。いつか弱点を見つけてやる。
◇ ◇ ◇
ジェーン・ドゥ
ハロルド・ブラウン長官立会いの下、国防高等研究計画局が実験中の魔導装甲歩兵について、国防捜査局が入手した情報という形で警告を発した。
人工魔力結晶の非人道性や危険性については、まだ報告することはできない。可能であるなら、すべての人工魔力結晶をこの世から消し去った上で、その製法を知っている者を皆殺しにしてやりたいところだが、たとえそうしたところで、人類は再びその技術に到達するだろう。
ただでさえ原子力関連技術で無理を通しているのに、これ以上となればさすがに手が回らない。
それに、原子爆弾の製造については、地球上のどこでその開発を行ったとしても濃縮された放射性物質から漏れ出す放射線を検知するための術式があるが、人工魔力結晶についてはそうはいかない。
基本的に安定している魔力結晶から漏れ出す魔力は、近づかないと検知できないのだ。
とにかく、直ちに実験を取りやめないとテストパイロットの命にかかわる旨を警告しておいた。
歯ぎしりをしながら、国防高等研究計画局のマリス局長が実験の一時停止に同意したところで、メモを片手に職員が飛び込んできた。
「打合せ中、申し訳ありません!マリス局長、外線2番にアバディーン性能試験場から緊急です。試験中の1号機のパイロットが死亡。2号機パイロットは意識不明とのことです。ですが1号機は動力を完全にカットしたにもかかわらず、再起動し、アバティーンの町へ向けて逃走。現在、メリーランド州ハーフォード郡をサスケハナ川に沿って北西に移動中です!」
「なんだと!無人で起動しただと!そんな術式、魔導装甲歩兵のどこにも組まれてなかったぞ!?」
・・・マリスの奴は気に入らないが、術式についての知識はそれなりにあるようで、報告書を読んだ限りではあの人型兵器を正しく分析し、理解しているように思える。
応用力や独創性は皆無のようだが。
また、隠れ家でボリスと人型兵器を隅々まで調べたが、そんな術式は組まれていなかった。見落としてはいない・・・はずだ。
解析術式や鑑定魔法を何度も使って調べたのだから間違いない。
・・・ではなぜ?誰かが後から術式を書き換えた?
いや、人型兵器の術式は複雑すぎて、私でも術式を書き換えるには2週間以上かかってしまうだろう。
となると、魔法で操作系を乗っ取った?
それとも人工魔力結晶に何か理由があるのか?
「マリス。私が調べた機体にもそんな術式はなかったわ。アバディーン性能試験場で勤務している人間の中で、魔法使いはいるかしら?」
「む?誰かが後から細工したと言いたいのかね?その可能性は低いだろう。例の、国防捜査局からもらった魔力保持者調査用の術札だったか。ソレを使ってスタッフの中に魔力持ちがいないことは確認済みだ。」
むぅ。私の術札を使って調べたんなら、文句の言いようがないな。
魔法使いが近くにいないとなると、やはり人工魔力結晶に問題があるのか。
「とにかく、民間人に死傷者が出ると厄介だ。デイビッド。直ちにアンドルーズ空軍基地に連絡を。航空機による対地攻撃で無力化しろ。機密保持が第一だ。撃破してもかまわん。」
ブラウン長官がメモを持った職員に素早く命令を下す。
「アイ・サー!おととし配備されたばかりで少数ですが、フェアチャイルドA10が出撃可能です!」
「よし、出撃させろ!」
マリスがもたもたしているのを尻目にハロルドが素早く命令を下す。
この場に国防長官がいてよかったな。
さて、原因はわからないままだが、どうするか。
「ハロルド。私も現場に向かっていいかしら?術式なし、魔法使いなしで暴走・・・ちょっと気になるのよね。あ、もちろん手に入れた情報は全部共有するわよ。」
「そうか!君も行ってくれるか。すまないな、我々の尻拭いをさせてしまって。この礼は必ずしよう。デイビッド、ジェーンを現場に連れて行ってくれ。」
「そうね。じゃあ、ミックソーリーズ・オールドエールホームに連れてってくれるかしら。120年位前にイーストヴィレッジで開店してから、一度も入店できないのよね。こんな外見だから。」
いつもは飲食店ではアルコールは飲まないが、ジェイソンのホームパーティーではよく飲んでいるし、国防捜査局の面々も知っていることだ。
大人と一緒なら問題はないだろう。
「ずいぶんと安上がりだな。よし、国防総省で一晩中貸し切りにしよう。職員の慰安目的であれば予算も通るだろうしな。当然、飲み放題だ。」
そうと決まれば話は早い。
長官のオフィスにいる3人に手を振り、メモを持ってきた職員、デイビッドと共にサウスパーキングに駐機したヘリに向かうことにした。
◇ ◇ ◇
メリーランド州 アバディーン性能試験場 北西
暴走した人型兵器、いや魔導装甲歩兵は早々にアバディーンの街を通り過ぎ、サスケハナ川の東側約2マイルを北西に向かって移動しており、間もなくメリーランド州とペンシルベニア州の州境に差し掛かろうとしていた。
(なんで僕たち私たちはこんなところにいるの嫌いや昨日は水泳の大会で違う小テストが何を言ってるのママの誕生日いや早くホテルに戻らないとお母さんが心配する違うそうじゃないおふくろは5年前に死んだそんなばかな昨日はパパと一緒に・・・)
暴走状態にある魔導装甲歩兵のコクピットは無人であるにもかかわらず、CPの通信担当者は夥しい数の子供たちの声をその無線機から聞いていた。
「子供の声?それも複数?2号機、だれが乗っている!?応答しろ!くそっ、コクピット内のモニターは無人です!」
テストパイロットの専属管理オペレーターが叫ぶ。
コクピットは完全に無人であり、2号機によって外部のキルスイッチを押された以上、動力炉である魔力結晶に機体制御の信号は届いているはずはない。
「実験管理コンピュータが異常発熱!強制シャットダウンされます!」
「手動で緊急停止信号を送れ!」
「だめです、制御信号を受け付けません!」
テスト機であるため標準武装の機銃弾を含めた一切の武装は降ろされているが、セラミックやアルミニウム、そして鋼鉄などで製造されたそのボディの重量は10トン近くに達する。
何よりも他の陸戦兵器と異なって、鋼鉄製の拳による格闘戦が可能なのだ。
北西に向かって直線的に移動しているだけであり、積極的に破壊活動を行っているものではないが、すでに何台もの車両や家屋が粉砕されている。それも、合衆国の識別マークを付けた鹵獲兵器がだ。
この国は言論の自由が保障されている。報道規制をかけたとしても、共和党支持の報道機関によって周知のものとなるだろう。
共和党内で勢いをつけているロナルド・レーガンが次の大統領になろうが知ったことではないが、自分たちの秘密兵器を鹵獲されたソ連は勢いづいて合衆国を非難してくるだろう。
「構わん!今すぐ自爆装置を起動しろ!」
責任者らしき男が叫ぶ。
「アイ・サー!カウント3で起動します!3、2、1爆発を確認!・・・なっ!テスト機、無傷です!」
「なぜだ!機体内にセットしてなかったのか!」
「セットしたのは動力炉真下の貨物スペースです!無傷でいるはずがない!」
「・・・司令。国防高等研究計画局のマリス局長からお電話です。」
「ぐっ。代わってくれ。・・・武器科長のジェンナーです。え、A10が?わかりました、撃破はお願いします。はい、ではそのように。」
武器科長と名乗った男は、苦虫を噛み潰したような顔で受話器を置き、実験管理センターの職員に告げた。
「アンドルーズ空軍基地から最新鋭の対地攻撃機が出撃したそうだ。以降の我々の任務は、攻撃機に対する誘導となる。諸君、残念だが、のろまの道案内を頼む。」
アバディーン性能試験場の担当士官や技術者たちは一様に項垂れながら自分たちの席に戻り、コンソールパネルに向き合う。
画期的な鹵獲兵器の性能試験を行うだけと聞いていたのに、今や戦争の引き金を引いてしまったかのような重圧が彼らの肩に重くのしかかっていた。