95 光陰の魔女・命の価値、魂の重さ①
1979年 1月
バージニア州アーリントン郡ペンタゴン 国防総省
ジェーン・ドゥ
最悪の場合まで考えてジェイソンのところに顔を出したが、別の意味で最悪の状況になっているのか、ジェイソンと一緒にアンデッドのような顔色をした職員がオフィスの外にまで行列を作っている。
「・・・ジェイソン。戦争でも始まったの?」
そうだ。ソ連と戦争でも始まってしまえば、どさくさに紛れて人工魔力結晶の製造に関わる人間を皆殺しにしても目立たない。
よし、宣戦布告と同時に殺しに行こう。そうしよう。
「ジェーン。残念ながらそれに近い状態だ。俺を含め、ここにいる連中はここしばらく家に帰れていない。すまないが回復治癒魔法を頼む。疲労と寝不足で死にそうだ。」
土のような顔色をしたジェイソンがソファーに沈み込むような姿勢で縋るような目を向けてきた。
横にいるアリサに至っては、立ったまま眠っている。
カクッカクッと膝が崩れるたびに目を覚まし、すぐまた眠っている。
「別に構わないわ。でも、回復治癒呪で疲労と眠気は飛ばせるけど、精神的な疲労までは取れないわよ?短時間でも寝たら?」
「そうしたいのは山々なんだが、どうせ寝るんだったら10時間くらい寝たい。一応シャワーは浴びてるし着替えもあるんだが、寝る時間だけは確保できない。これは魔女といえども何ともならんよな・・・。」
ジェイソンのやつ、話してる最中にも寝そうだ。これから話す内容はかなり重要だから、出来たらシャッキリした状態で聞いてほしいんだが。
まあ、仕方がないか。加速空間魔法を使って、固有時間を加速した状態で睡眠をとらせてやろう。
「仕方ないわね。魔法であなたたちだけの時間を少し早めてあげるわ。そうね・・・寝たいのは10時間だっけ?10分で10時間分寝かせてあげるわよ?どうする?」
「なに!?そんなことまでできるのか!?」
死にかけていたジェイソンがソファーから跳ね上がる。
続けて、その話を聞いていた連中から我も我もという声が上がる。
びっくりしたアリサがズッコケている。
収拾がつかなくなる前にとっととやってしまうか。っと。その前に。
「これからかける魔法は、かけられた対象の固有時間を加速する魔法よ。例えば、あなたたちだけの時間を60倍速にしたら、世界にとっての10分があなたたちにとっての10時間になる。つまり10分で10時間眠れるってわけ。」
「すごいな。休日がものすごく長くなりそうな魔法だ。早くかけてくれ。ゆっくり寝たい。」
「当然、デメリットもあるわよ。固有時間が加速されるってことは、その分早く歳をとるってこと。たとえ10分で魔法を解除しても、しっかりと10時間分歳をとるわ。つまり、ほかの人間より9時間50分、早く老化するのよ。それでもかまわないかしら?」
何人かの女性職員は「早く老化する」という言葉に少し反応したが、やめようとする声は全く聞こえない。
「なんだそんなことか。たった10時間老化するだけなら、その分眠れたほうがずっといい。早くその魔法をかけてくれ。」
ジェイソンに説明をしていると、いつの間にかその後ろに職員が行列を作り始める。
こいつら、そんなに眠いのか。眠すぎて今の話を理解していないなんてことはないだろうな?
「仕方ないわね。じゃあ、私を仮眠室に連れて行きなさい。ベッドに横になった状態で魔法をかけてあげるから。トイレは今のうちに済ませておいてね。」
「ベッドに横になった状態でないと魔法はかけられないのか?」
ソファーから立ち上がりかけたジェイソンが不思議そうに聞いてきた。
「できないことはないけど、単純に危険なのよ。時速2マイルで歩いたつもりでも、実際には時速120マイルよ?下手にパニックになって走り出そうものなら、生身で音速を超える羽目になるわ。衝撃波でここを瓦礫の山にしたいなら構わないけど?」
「う、急いでベッドに行こうか。」
おい。女をベッドに誘うような言い方をするなよ。・・・歩きながら寝てるし。
私を連れたジェイソンを先頭に、ぞろぞろと国防捜査局の職員が仮眠室に向かって歩いているのを見て、ほかの部局の職員が驚いて道を譲る。
というか、ほとんどゾンビの行列だ。
全員がベッドに横になったのを確認すると、効果時間10分、60倍速で加速空間魔法を行使する。
「ここね。ほら、とっととベッドに入って。・・・永劫を流れる金色の砂時計よ。我は奇跡の御手を持ちてそのオリフィスを押し広げんとする者なり。」
数秒の間、ベッドの中でカクカクと動いていたかと思うと、60倍速になった寝息とイビキが仮眠室を覆い始めた。
「ふふっ。日本人のことをエコノミックアニマルとか言うくせに、自分たちだって似たようなものじゃない。たった10分だけどゆっくりお休みなさい。さて、コーヒーでも買ってこようかしら。」
結構な轟音だったので、弱めに消音術式をかけておく。何か問題が起きた時に対応できないと困るので、最低限だ。
鼻歌を歌いながら廊下を南に向かって歩いていく。
さすがにこんな時間だ。他の部局はほとんど人がいない。
国防総省は数万人の職員を抱える要塞のような施設だ。仮眠室が立派なだけではない。
地下鉄からエスカレーターで上がってきたところにいきなりチョコレートショップがあり、南東2階にはショッピングモールがあるくらいで、買い物をするのにはまったく困らない。
ありがたいことに、いくつかのショップは営業を続けている。
花屋、マニュキュアショップ、画廊?絵なんか買うやつがいるのか。・・・お、マクドナルドだ。しかも24時間営業だ。久しぶりにジャンクフードを食べたくなったし、もうここでいいか。
国防捜査局のオフィスに戻るころには10分くらいは経っているだろうから、ジェイソンの分も買って行ってやろう。そういえばアリサもいたな。
朝食にはちょっと早いが、2人とも10時間も寝てれば腹が減るに違いない。
3人分のコーヒーとハンバーガー、ポテトを購入し、途中で同じく24時間営業のサーティワンアイスクリームに寄り道する。
10分ちょっと経ってから国防捜査局のオフィスに戻ると、熟睡できたかのようにすっきりとした顔のジェイソンがオフィスのソファーに座って待っていた。
デスクではアリサが化粧を直している。
「おはよう、ジェーン。やっぱりよく眠れるって最高だな。これでベッドがもう少し上等だと文句ないんだがね。」
「おはよう、ジェイソン。ベッドの硬さまでは責任持てないわ。でもよく眠れたみたいね。はい、アリサとあなたの朝食よ。ファストフードでごめんなさいね。」
ローテーブルに3人分のハンバーガーなどを並べると、二人とも無言でハンバーガーにかじりついた。
そんなに空腹だったのだろうか。
さて、食べながらでいいから本題に入ってしまうか。
「私が来た理由なんだけど、例の暴走魔導兵器の魔力源のこと、覚えてるかしら?」
「ああ、覚えているぞ。魔力結晶だったっけ?確か、非大気依存動力の潜水艦のエンジン開発でお前が術式を組むって協力してなかったっけ?」
「それよ。魔力結晶が極めて希少性の高いものだから、爆薬代わりにするような暴走魔導兵器の開発はやめようって大統領閣下とも電話会談した話よ。」
「それがどうかしたのか?確認埋蔵量が地上で11kgしかないってお前も言ってだろ。それとも埋蔵量に間違いでもあったか?ははっ。まさか人工的につくる方法があったとか?」
「そのまさかよ。地上での確認埋蔵量は11kgなのは間違いないんだけど、もし非人道的な方法で、それなりの量の魔力結晶を人工的に作り出す方法が存在するとしたら、合衆国はどうするかしら?」
「・・・まじかよ。非人道的な方法とは、どの程度非人道的な方法なんだ?」
ジェイソンは探るような顔で私の顔を覗いてくる。
「・・・これよ。数百人の子供の命と魂。それと引き換えに10gってところかしらね。」
人型兵器の動力部から取り出した、ビー玉サイズの魔力結晶をコーヒーの横に置く。
「マジか・・・?ええと、今日は1月4日だよな。4月1日じゃないよな。・・・お前の顔色が珍しく悪かったのはそのせいか。」
ジェイソンとアリサは言葉に詰まり、食べかけのハンバーガーを持ったままテーブルの上の魔力結晶から目が離せないでいる。
アリサが恐る恐る口を開く。
「局長。これが存在するってことは、誰かが実際にやったってことですよね。まさか、ジェーン、これってもしかして魔導装甲歩兵の動力源ですか?」
「そうよ。例の人型兵器よ。子供の命や魂だけでなく、操縦者の命まで吸い取って動くわ。パイロットはもって48時間、ってところかしら。」
合衆国は魔導装甲歩兵と呼んでいるのか。・・・ソ連と似たような名前の付け方になっているな。あっちは装甲機動歩兵だったか。
「ソ連の連中、人間の命を何だと思ってるんでしょうか。」
アリサが顔が赤くなるほど憤慨している。
そういえば、彼女は大戦後生まれだったっけな。かつて合衆国が日本を空襲するときに焼夷弾で女子供でも構わず焼いたことは知らないのかもな。
「なるほどな。KGBの連中、秘密兵器やスパイの存在が明らかになるのも構わず大慌てするわけだ。国民を守るべき兵器の動力源が子供の命やら魂で動いてるってことが他の国にバレたら、大義もクソもないからな。」
「そうね。でも、合衆国が同じことを考えない保証はないわ。性能だけ見れば陸戦兵器としてはピカイチよ。鹵獲するために手加減したとはいえ、たった16機で私相手に30秒近くも戦えたんだから。」
「30秒も持ったというべきか、30秒しか持たなかったというべきか・・・。あ、そうだ。アリサ、例のテストっていつだっけ?」
「ちょっとお待ちください。ええと、どこだっけ?あ、ありました。」
アリサはハッとした顔をすると、デスクに戻ってファイルをあさり、一枚の紙を持ってきた。
「分解状態だった魔導装甲歩兵の組み立てが終わったのが年末でしたから、一昨日あたりからテストパイロットが乗って動かしていると思いますが・・・。」
なんだって?一昨日からテストパイロットが乗っているって?
なんというか、正月くらい休めよ!いや、軍事に関わることだから仕方ないのは分かるけどさ。
さすがにテストパイロットの累計操縦時が48時間を超えてしまっていることはないと思うが、そろそろ体調に変化が現れるころだ。
それに、私としては顔も知らないような兵士が何人死のうが知ったことではないが、人工魔力結晶にされた子供の命や魂を浪費されるのは腹が立つ。
「ジェイソン。稼働実験を行っているのはどこの実験場かしら。今すぐ止めないと、優秀なテストパイロットが死ぬわよ。」
これは脅しでも何でもない。いや、いっそ死んでくれたほうが危険性が分かるというものか。だが、警告はしておかないと信用にかかわる。
「アリサ。とりあえず稼働実験を止めよう。今すぐ国防高等研究計画局のマリス局長を呼び出せ。」
「アイ・サー。でしたらブラウン長官にも知らせましょう。人工魔力結晶の存在はまだ伏せておくべきと思いますが。」
「ああ。そうだな。人間ってやつは作れると分かった時点で、その手段を総当たりで試さずはいられない生き物だ。それを国家に知られてみろ。一年としないうちに同じ穴の狢になるぞ。」
「では魔導装甲歩兵の危険性だけ知らせておきましょう。」
ジェイソンとアリサは二人そろってこちらを向き、ニヤリと笑う。
「・・・ジェイソン。アリサ。これは一つ借りになるかしらね?」
どれほど非人道的な兵器だろうと、敵がそれを保有していて自国が保有していない状況を許すということは国防総省の職員としては失格だろう。
だがこの酸鼻を極める兵器の存在を許す者がいたら、それは人間失格だ。
・・・殺されていい人間はそれを覚悟して戦いに身を投じた者だけだ。
私のように。
◇ ◇ ◇
メリーランド州 アバディーン性能試験場
チャーチビル試験区域 軍用車両試験施設
冬の寒い空気を裂いて2機の人型兵器が荒れ野を駆けていく。
全高6メートルを超えるソレは、その巨体に似合わない速度で地響きを立てながら軽快に、かつ力強く走っていた。
時速にして100マイルは超えているだろうか。フットペダルを軽く踏み込むだけで7メートルほどの段差を飛び越え、30メートルほどの堀を飛び越える。
火器管制装置については、合衆国の車両装備とそれほど性能に差はないが、さすが二足歩行だけあって運動性能とフレームの強度は段違いだった。
難点を言えば、操縦席が小さすぎて身長が5フィート4インチ以下(165センチ)以下でないと乗れないことと、電探や聴音が陳腐であることか。
ソ連地上軍から魔女によって鹵獲された機体のうち、合衆国に引き渡された2機は組み立てられた上でトリコロールに塗装され、魔導装甲歩兵と名付けられて一昨日から稼働実験が行われていた。
機体に追加された無線機からノイズ交じりの音声が入る。
「CPよりキース。異常はないか。」
キースと呼ばれた黒人のテストパイロットは機体の各所のコンディションを示す表示器を確認し、すべてがグリーンであることを確認すると無線に応答した。
「1号機キースよりCP。機体には一切異常はない。このまま走行試験を続行する。」
「CPよりリュウヘイ。異常はないか。」
「2号機リュウヘイよりCP。異常はない。・・・キースは『機体には』と言ったな。機体以外で問題でもあるのか?」
「CPよりキース。機体以外には問題ないか。」
「・・・。」
リュウヘイと呼ばれたアジア系のテストパイロットの言葉にCPに確認を行うが、返事がない。
CP側の無線の表示器に異常はないようだ。
「CPよりキース。どうした。応答しろ。」
走行試験を始めてから、累計操縦時間がそろそろ20時間になる。
あまりにも運動性能がよく、今までになく画期的な機体であったため、二人のテストパイロットは疲労も忘れて各種の試験を行っていた。
キースは疲労でもたまってボーっとしているのだろうか。
「キース?・・・おい!?」
リュウヘイがキースの乗る1号機に目をやった瞬間、ソレは今まさに飛び越えようとしていた土嚢の山に時速100マイル近くで頭から突っ込んだ。
轟音とともに土煙が上がり、土嚢が宙に舞う。
格闘戦も目的としているためか、魔導装甲歩兵の外装はアンテナやセンサーが露出した構造ではないおかげで1号機に目立った損傷はないようだ。
2号機が転倒した1号機に近づき、五本の指を備えたマニピュレーターで背面の増設されたキルスイッチを押し、ハッチを開放する。
「おい、キース。大丈夫か?・・・おい。なんだこりゃ?おい!」
2号機のコクピットには、鼻や耳、口、目など、すべての穴から血を流し、動かなくなったキースが苦悶の表情を浮かべて座っていた。
「リュウヘイよりCP!緊急事態発生!1号機パイロットが意識不明!鼻や耳、目から出血を確認、頭部外傷の恐れあり!至急救援を請う!」
リュウヘイは直ちに2号機を停止し、キースの応急処置を行うため降機する。
1号機のコクピットから引きずり出したキースの呼吸と脈を確認するが、両方とも停止しており、慌てて蘇生措置を行うものの、一向に目を覚ます気配がない。
「くそ、なんでだ!外傷がない?じゃあ病気か?そんなはずはない、テスト開始前に健康診断を受けたときは二人とも異常なしだったろうが!」
叫びながら心臓マッサージと人工呼吸を繰り返しているうちに、リュウヘイは妙なことに気が付いた。
「なんだ?視界が歪む。頭が割れるように痛い・・・。」
リュウヘイは何かの視線を感じ、そちらを向くと、すべての動力とセンサーの電源を切ったはずの魔導装甲歩兵のカメラアイのフォーカスリングが微かな音を立て、自分を見つめるように鈍く光っているのに気付いた。
いつのまにか背面のハッチも閉鎖されており、キルスイッチで切ったはずの動力音が低く唸り声をあげている。
「おまえ、まさか意思が・・・?」
その言葉を最後まで言う前に、リュウヘイの視界は暗転し、その場にうずくまるように崩れ落ちた。