93 光陰の魔女・新しい仲間(家族)
1978年 年末
ジェーン・ドゥ
イマーム・サーヒブ村の北、パンジ川を渡った先で手に入れた鹵獲兵器の引き渡しの手続きが、書類上も含めて昨日やっと終わった。
っていうか、書類仕事はシェイプシフターに丸投げしてしまった。
すまない、シェイプシフター。
今度いい肉を取り寄せるからさ。
鹵獲した兵器については事前の取り決めのとおり、私が不要と判断したシロモノはすべて米軍が引き取ることになったのでバグラム空軍基地に放置してきた。
・・・持ち帰ったがらくたの量が多すぎて、滑走路脇だけで納まらず、西4番滑走路にまではみ出してしまったよ。
なんというか、申し訳ない。今考えてみたら、全部持って帰る必要はなかったな。
まあ、基地司令は、最初は苦虫を嚙み潰したような顔をしていたが、がらくたの中にほぼ無傷のT-72が複数含まれていたため、途中からニヤニヤとしていた。
なお人型兵器については、分解状態のものを2機、撃破したものを5機分だけ引き渡した。
合衆国は稼働状態から無傷で鹵獲した機体を欲しがっていたが、事前の取り決めが「私が不要と判断したものを引き渡す」だったため、担当者はあまり強く出られなかったみたいだ。
そんなわけで鹵獲した人型兵器のうち、完全稼働状態を1機、分解状態を2機、撃破済みのうち、比較的状態が良いものを10機ほど分捕って、久しぶりに玉山の隠れ家に戻ってきた。
ボリス君がこれも持ってけと言うんで、人型兵器の積載車も2台分捕ることにした。
今年はよく働いた。分解して調べるのは正月の三が日が終わってからにしよう。
餅つきは大広間で吉備津彦をはじめとした眷属たちがやってくれているし、おせち料理はさっき作り終わったところだし、来年はいい年になりそうだ。
あ、そういえば、今回の私の戦闘を米軍が関与していると認めることはできないらしく、捕虜についてはいないものとして処理する流れとなったらしい。
そんなわけで、ボリス君は私が引き取ることになってしまった。
うん。困った。捕虜の扱いなんて知らないぞ。
まあ、最初の長距離跳躍魔法で気絶したところで強制自白魔法で頭の中をのぞかせてもらったが、諜報機関に所属している様子もないし、悪意らしいものもないようだ。
危険性は全くないだろう。まだ子供だし。
だが、味方を皆殺しにされてもなんとも思わないとは、ソ連軍なんてそんなものだろうか。頭の中を見る限りでは、上官の名前すらどうでもいいみたいだったしな。
それとも無理やり徴兵でもされたか?
当の本人はボケ~とした顔で隠れ家で、まるで我が家のようにくつろいでいる。
なんというか、投降した時の緊張感がまるでない。
ここに連れてくるまでは妙な悲壮感と変な覚悟を決めたような顔をしていたし、あまりにも汚れがひどいから風呂に入れたときには全身ひどく硬直していたのだが、食事をとらせてから雰囲気が変わった。
やはり、魚料理とパンは合わなかったか。アクアパッツァはパンに合うはずなんだが。
作ったのは私じゃないから不味くはないはずなんだが。
パジャマに半纏を羽織り、両足をコタツに突っ込んでミカンを食べながら日露辞書片手に漫画を読んでいる。
ソ連では漫画は珍しいんだろうか?
「なあ、あんた、ホントに人間だったんだな。」
ボリス君は緊張感がまるでない顔で、ミカンの皮を丸めてコタツ横のゴミ箱に放り込んだ。
「他の何だと思ったのよ?はい、お茶と大福・・・日本のお菓子よ。」
二人分の湯呑みに急須でお茶を入れ、片方をボリスの前に置く。
「お、日本茶だ。うわ、これすげえ美味いな。ありがと。いや、悪魔か天使の類いだと思ったよ。だって、普通は戦車大隊相手に素手で挑んだ挙句、無傷で勝てる人間なんていないぜ?」
「ここにいるじゃない。」
「・・・あんた、どれだけ自分が異常かわかってないんだな。まあ、話してみる限りでは普通の女の子なんだけどな。」
「ありがと。誉め言葉と受け取っておくわ。」
ボリスの話を聞きながら、部屋の隅にあるテレビのスイッチをつける。
お、もうすぐ紅白歌合戦の時間だ。今年からステレオ放送になったんだよな。
紅組の司会は森〇子か。白組の司会は・・・山川〇夫だな。うん。無理してでも受信できるように術式を組んでよかった。
まあ、受信料は払ってるんだし、電波法にも触れてない。とりあえず問題はないだろ。
「へえ、日本の番組かい?っていうか、この部屋、日本の漫画だらけだし、あんた日本人なのか?」
「いいえ?かつては日本人だったこともあるけど、今は無国籍よ。漫画は趣味ね。」
「ふ~ん。まあいいや。ところで俺はいつまでここにいられるんだい?」
「いられるって・・・ふつうは帰りたがるもんじゃないの?」
「帰る家なんてないさ。それにあの国には戻りたくない。なあ、何でもするからさ。ここにいさせてくれよ。」
うーん、私としてはそんなことより榊原〇恵の歌に集中していたいんだが・・・・
「私としては、あなたがいつまでここにいたってかまわないけどね。でもここ、不便よ?標高4000メートル近くの山の中腹だし、普通の方法では外に出ることもできないし。食料も娯楽もあるけど、眷属以外、誰もいないわ。それでもいいの?」
「ああ、かまわない。国営農場で見渡す限りの小麦が実ってるのに、俺たちの口に入るのはほんの少しの質の悪い麦粥だけだ。党の偉い連中は上質なパンを食えているらしいのに、平等だの革命だのと騒ぎやがる。そんなのもうごめんだ。」
「仕方ないわね。じゃあ、好きなだけここにいなさい。衣食住は用意してあげるわ。その代わり、私の手伝いをしてもらうわよ。あと娯楽の相手もね。でも今は紅白歌合戦に集中したいから、雇用条件は後で決めましょう。」
よく分からんが面白いやつだ。
給料はまあ、ジェイソンと同じくらいでいいだろう。
「よっしゃあぁ!」
よく分からんがそんなにうれしいか。こっちまでうれしくなってくるな。
あ、郷ひ〇みのバイブレーションが始まる。っていうか、テレビの音が聞こえないから黙っててくれないかな。
キッチンでクー・フーリンが年越しそばの準備を始めたところで、マンハッタンのメネフネから念話があったよ。
誰か忘れていませんか、って。
そういえば、ダンバース精神病院で保護した子供たちのうち、幻想種の少女については、彼女を叩き売った両親のもとに返すわけにもいかないし、かといって里親を探すわけにもいかないので、吉備津彦と話し合って引き取ることにしたのを忘れていた。
慌てて除夜の鐘が鳴っている最中にマンハッタンまで往復することになったよ。
うわ、吉備津彦、そんなに怒らないで。
◇ ◇ ◇
バージニア州アーリントン郡ペンタゴン 国防総省
国防捜査局 ジェイソン・ウイリアムズ局長
新年まであと24時間を切ったというのに、国防捜査局のオフィスは職員でごった返していた。
ことの発端は、アフガニスタン北東部、ソ連との国境付近で巨大な人型の兵器が確認されたことだった。
当然、そんなものが既存の科学技術で動くはずもなく、魔法か魔術で動いているんだろうと判断してジェーンに助言を求めたのだが、ジェーンは二つ返事でソレの確認を引き受けてくれた。
バグラム空軍基地にジェーンが到着した後、わずか1日もたたないうちにソ連地上軍の戦車大隊をまるごと一つ壊滅させるだけでなく、最新型の戦車を含めた複数の車両、さらには問題の人型兵器までをも鹵獲してくるとは思わなかったが。
問題はここからだ。
バグラム空軍基地に問題の人型兵器が運び込まれたことについて、早速ソ連から国務省に猛烈な抗議と返還要求、実行者の引き渡し要求がなされたのだ。
それも、例の事件から1週間もたたないうちに。
実行者の引き渡しね・・・。正気か?国ごと自殺するつもりか?
今回の件は合衆国の全軍をあげて秘匿したはずだ。にもかかわらず、鹵獲した兵器類がバグラム空軍基地から合衆国本土に運び込まれたこと、さらには作戦を魔女が行ったことまで知られている。
ソ連の連中、魔女のことを舐めているのか?それとも無知なだけか?
まあいい。
バグラム空軍基地司令部か国防総省、いや国防捜査局内にソ連のスパイがいる可能性がある。もしかしたらほかの諜報機関かもしれない。まさか、中央情報局か?いや、それはさすがにないか。
だが、このままだと国防上の機密が筒抜けだ。早く何とかしなくてはならない。
「局長。外線4番にお電話です。ジェーンの眷属と名乗っています。つないでもよろしいでしょうか。」
「ジェーンの眷属か。つないでくれ。・・・ハロー、ジェイソンだ。何かわかったことはあるかね?」
「マンハッタンのシェイプシフターデス。ソチラからマスターに協力を依頼された例の件デス。このまま話してよろしいデスカ?」
シェイプシフター君か。メネフネ君と並んでジェーンが好んで使う眷属だと聞いている。
彼とはよく電話で話すのだが、時々声が変わることがある。独特なイントネーションでしゃべるからすぐに気付くんだが、ボイスチェンジャーでも通しているんだろうか。
まあいい。ジェーンから渡された術式を通しているから偽物の可能性はないだろう。
「ああ、秘匿回線だ。例の暗号・復号術式も作動している。」
「デハ。バージニア州ラングレーからワシントンDCノースウェストに向けて微弱な魔力反応が移動した形跡を発見しマシタ。おそらく、小型の召喚獣カト思われマス。」
「なんだって?じゃあ中央情報局内にスパイがいるということか?行先はソビエト連邦大使館だな。なんとも大胆な話だ。で、その召喚獣とやらを使ったのは誰かわかるか?」
「残念ながらそこまでは不明デス。デスガ、召喚獣の出力からすると、かなり強力な魔法使いカト思われマス。魔力保持者調査用の術札をもってそちらに伺いマスノデ、受け取りをお願いシマス。」
「ん?直接来るのか。・・・ちょっと待て。君たち眷属の顔なんて、ウチの職員は誰も分からんぞ?」
「イエ、ボクはマスターと全く同じ顔をしてイマス。すぐに分かると思いマスヨ。」
同じ顔?なるほど、シェイプシフターは姿形を変えられる魔物の名前だったっけな。
「わかった。いつもどおりアリサがエントランスで待っているから、そちらから声をかけてくれ。」
「エエェ。アリサさんの顔、ボク知りませんヨ?出来たら、そちらから声をかけて欲しいんデスケド・・・。」
・・・ジェーンはシェイプシフターを国防総省に潜り込ませたことはないようだ。いや、彼がカマかけに気付いただけか?
まあいい。ジェーンが何かしようとしたら、俺たちができることなんてないだろうしな。
「すまない、いつもの癖でな。アリサから声をかけるように言っておくよ。」
「デハのちほど。」
そういえばジェーンのやつ、年末年始は日本の歌謡番組と時代劇を見るから邪魔をするなって言ってたっけな。
おこらせると怖いし、しばらく放っておこうか。
◇ ◇ ◇
ボリス・ヴォルコフ
今年の夏まで俺が暮らしていた孤児院は、党上層部の意向により紙切れ一枚で潰された。理由なんて知らない。
もともと孤児院にいた子供はみな骨と皮だけで、冬の朝、目が覚めると同じ毛布にくるまっていたはずの年下の子供が冷たくなっていたなんてことは一度や二度じゃなかった。
死んだ母さんが言っていた。この国で少しでも長く生きたいなら勉強をしなさいって。
だから必死で勉強した。町のゴミ箱から新聞を拾ってきて、院長先生に読んでもらって読み書きを覚えたり、富農と言われて党の連中に殺された農家の物置から盗んだ帳簿で計算を覚えた。
必死になって覚えた言葉の中に、敵性言語があったのは偶然だった。
また、少ない資材を有効に使うため、機械モノをよく修理していたことが幸いした。
孤児院が取り潰された後、配給所の列に並んでいたら、党中央のお偉いさんの車が故障したらしく、配給所の列の横で止まったんだ。
エンストした後、セルモーターが動かなくなったんだって。
何より腹が減っていたし、早く退いてくれないと配給が中止になるかもしれないしで、ついボンネットを開けてる兵隊に口を出しちまったんだ。「セルモータをたたいてみろ」って。
ブロワモーターのブラシが短くなると接触不良が起こり、通電せずセルモーターが回らないなんてことは、いつ作られたかもわからないような車を使ってるこの国としては常識だと思っていた。
セルモーターを叩けば、一時的に通電する可能性があるなんてことも。
俺の言う通り兵士の一人がセルモーターを叩いてみたところ、エンジンが動き出したのを見て、俺は馬鹿みたいに配給が再開するって喜んでいたんだ。
そしたら、車の後部座席に座ったパブロフスキーとかいうオッサンが、俺のことが気になるとかで連れて行くように言ったんだ。
そのせいで配給の麦粥を食い損ねたのは忘れていない。
あとで聞いたら、ソ連地上軍の一番偉い人だってさ。
だったら、せめて配給所の列に並んでる俺が腹を空かせていることくらい分かるだろうに、国家のために働く喜びだか何だかを延々と半日も聞かされた挙句、飯をもらえずに整備兵として兵舎に放り込まれたよ。
装甲機動歩兵とかいう、誉れある新兵器研究だってさ。
連日連日、訓練訓練。
ろくなものも食ってなかったのに、「たるんどる、愛国心が足らん」だってさ。
敵性言語が分かるってんで、他の連中が寝ている時間に西側の文書の翻訳もやらされたよ。
まず、働いた分だけ食わせてくれよ。ちょっとでいいから寝かせてくれよ。
新兵器なんてどうでもいいからさ。
で、例の装甲機動歩兵とかいう、でかい人形を動かすための術式とかいうのを勉強させられた挙句、連日訓練と整備で疲れてんのに、積載車が足りないとかいう理由で操縦までさせられて、何キロも行軍していたら、小さな女の子の姿をした化け物に襲われて、俺以外全滅、ってわけ。
死ぬかと思ったよ。いきなり戦車は切り刻まれるし、直撃したはずのライフル弾どころか重機関銃の弾丸、いや、戦車砲まではじき返してたし。
歌うような透き通った声がしたかと思えば、雷のようなものを落とすし、竜巻は起こすし、光の筋とか黒い刃みたいなので新兵器のはずの装甲機動歩兵をズタズタにするし・・・。
慌てて投降したけど、マジで死ぬかと思ったよ。合衆国の兵隊がこんな化け物だとは思わなかったからな。
まあ、合衆国の兵隊じゃないのは後で分かったけど。
名前はジェーンだっけ?ロシア人みたいな顔してるけどな。
・・・で、捕虜になってどんな拷問をされるのか、せめて二日に一回は飯を食わせてもらえるか心配になっていたんだが、なんか覚悟していたのと違うのに拍子抜けしている。
最初、合衆国が捕虜はいらないと言ったときはマジで慌てた。要するに殺して初めからいなかったことにするってことだと思ったからな。
その後なぜか、ジェーンが俺を引き取ることになって、どこか分からない山の洞窟に連れてかれたときは、もうだめだ、どんな人体実験に使われるのか、悪魔の生贄にされるのかって、さらに絶望していたんだよ。
だって俺、童貞だしさ。
そしたら地下宮殿みたいなところに連れてこられて、いきなり風呂に連れてかれた。
ソ連地上軍の兵舎にぶち込まれたときみたいに、冷水をかけられてモップかブラシで乱暴に擦られるんだと思ったら、ジェーンが温かいお湯とタオルやら石鹸やらでやさしく洗ってくれた。
混乱に混乱を重ねていたら、風呂の入り方がわからないのかと勘違いしたらしく、一緒に入ってやさしく教えてくれたよ。
・・・っていうか、男と一緒に風呂に入るならせめて前を隠せ。
そりゃ、あんだけ強ければ誰も襲わないだろうけどさ。
とにかく、風呂から上がってパジャマとかいう上質な服を着せられて、形のある白いパンに、味のついた魚料理、色のついたスープを目の前に並べられたときに初めて実感したよ。
生きててよかったって。
なんというか、これほど気を抜いたのは何年ぶりだろうか。
コタツとかいう、ベッドとテーブルの中間みたいな家具に足を突っ込みながら、オレンジみたいな果物を食っていると、昨日までのことが悪い悪夢だったような気までしてくる。
綿の入ったキモノとクッションの中間みたいなショートコートも着せてくれた。ハンテンとか言うらしいが、柔らかくて着心地がいい。
「なあ、あんた、ホントに人間だったんだな。」
隣のキッチンみたいな部屋で、取っ手のないコップを二つ用意し、ハンドルが直角についたポットに薬缶からお湯を注いでいるジェーンに声をかける。
なんとも、最初にあった時に比べて、我ながら緊張感がまるでない。
「ほかの何だと思ったのよ?はい、お茶と大福・・・日本のお菓子よ。」
ジェーンは、深い緑色の液体の入ったゴツいコップと、白い粉がついた蒸しパンのようなものを俺の前に置いた。
これ、たぶん党の偉い連中が言ってた、日本茶とかいうやつだ。
つい数時間前にあんなに美味い飯を食ったばかりだというのに、もう食っていいのか。
「お、ありがと。日本茶だ。うわ、これすげえ美味いな。いや、悪魔か天使の類いだと思ったよ。だって、普通は戦車大隊相手に素手で挑んだ挙句、無傷で勝てる人間なんていないぜ?」
ああ、本当に初めて遭遇した時は悪魔の類いだと思ったさ。今は天使だと思ってるけど。
「ここにいるじゃない。」
ジェーンは事もなげに言うが、生まれてからずっと無力感に苛まれていた俺にしてみれば、奇跡の使い手にしか見えない。
「・・・あんた、どれだけ自分が異常かわかってないんだな。まあ、話してみる限りでは普通の女の子なんだけどな。」
「ありがと。誉め言葉と受け取っておくわ。」
ジェーンの横顔が、柔らかな照明に照らされて幻想的に見える。
うん、これほど美しいと思う相手に会ったのは生まれて初めてだ。
これほど安心できると思った相手に会ったのは、母さんが死んでから初めてだ。
かなうのならば、彼女のそばにいたい。下僕でも奴隷でもいい。
漫画ごしにチラチラと美しい横顔を眺めていたら、彼女は部屋の隅にある機械のスイッチを入れた。
個人でテレビを持っているなんて、その実力に見合った財力も持っているんだな。
映し出されたのは黒目黒髪の男女たちだ。聞いたこともない言葉で楽しそうに歌を歌っている。
・・・ん?あの文字、この漫画と同じだ。っていうことは日本語か?
「へえ、日本の番組かい?っていうか、この部屋、日本の漫画だらけだし、あんた日本人なのか?」
ジェーンなんて名前だから合衆国の人間だと思ったけど、その同盟国である日本の人間だったのか。
「いいえ?かつては日本人だったこともあるけど、今は無国籍よ。漫画は趣味ね。」
・・・無国籍?あれだけの力がありながら日本は手放したのか?合衆国は自国の国民として迎え入れないのか?
だが、どこの人間であろうとも俺がやるべきことは変わらない。
それよりも、もっと大事なことがある。
「ふ~ん。まあいいや。ところで俺はいつまでここにいられるんだい?」
それとなく聞けただろうか。気分を害してはいないだろうか。
「いられるって・・・ふつうは帰りたがるもんじゃないの?」
「帰る家なんてないさ。それにあの国には戻りたくない。なあ、何でもするからさ。ここにいさせてくれよ。」
帰ってたまるか。ここにいられるなら何でもする。どんな勉強だってするし、危険なことだって厭わない。何なら人間だって殺す覚悟がある。
そんな俺の覚悟に対して、ジェーンの言葉は軽いものだった。
「私としては、あなたがいつまでここにいたってかまわないけどね。でもここ、不便よ?標高4000メートル近くの山の中腹だし、普通の方法では外に出ることもできないし。食料も娯楽もあるけど、眷属以外、誰もいないわ。それでもいいの?」
不便?これほど恵まれているところが?生まれてこの方、これほどの場所は見たことがない。
「ああ、かまわない。国営農場で見渡す限りの小麦が実ってるのに、俺たちの口に入るのはほんの少しの質の悪い麦粥だけだ。党の偉い連中は上質なパンを食えているらしいのに、平等だの革命だのと騒ぎやがる。そんなのもうごめんだ。」
ジェーンは「いつまでここにいたってかまわない」と言った。ならば、俺は彼女と生きたい。
もしかしたらあの場で殺されていたかもしれないが、会話ができない相手ではない。何より、人知を超えた力で、あの地獄から俺を連れ出してくれたことに変わりはない。
「仕方ないわね。じゃあ、好きなだけここにいなさい。衣食住は用意してあげるわ。その代わり、私の手伝いをしてもらうわよ。あと娯楽の相手もね。でも今は紅白歌合戦に集中したいから、雇用条件は後で決めましょう。」
「よっしゃあぁ!」
思わず拳を握り、天を仰いでしまう。
ふわふわと浮かぶ不思議な、それでいて暖かな光を放つ照明に、涙で視界が歪んで見えた。
◇ ◇ ◇
後日、ジェーンから雇用条件に付いて相談された。
普通、労働者側に雇用条件を相談するかね?
いつまでも二人で顔を突き合わせていても仕方がないから、前にいた国営農場やソ連地上軍の雇用条件をそのまま提示したら、なぜか呆れられた後、怒られた。
死ぬ気かって。いや、その条件で働いていたんだけどさ。
あ、そういえばもう一人同居人がいるんだそうだ。
名前はグローリエル・ルィンヘン。青眼の一族の金色の子という意味だってさ。
見た目は10歳ちょっとのかわいい女の子だった。耳の形が変だけど。
俺と同い年くらいの鎧武者姿の日本人と、黙々と五目並べをやっていたよ。
勝負が終わったところで話しかけたら、両方から子ども扱いされた。
・・・うん。どうやらここには俺以外に普通の人間はいないんだそうな。