88 午後 呪物/人魚の毒
12月12日(木)
南雲 千弦
長距離跳躍魔法で遥香の家の前に降り立つと、ちょうどストレッチャーに乗せられた遥香が救急車に運び込まれたところだった。
「遥香!・・・遙一郎さん、遥香の容態は!?」
救急車の近くにいた遙一郎さんに駆け寄る。
「あ!君は・・・千弦さんか?」
「そうです!仄香・・・魔女から遥香の様子を聞いて・・・。」
魔女という言葉を聞いたからだろうか、それまで曇っていた遙一郎さんの顔色が一瞬で変わる。
「ジェーンは!ジェーン・ドゥは一緒か!彼女はどこにいる!」
魔女の旧い名前を、私たちが知るはずがない名前を口にしているところを見ると、彼も気が気でなかったのだろう。
・・・いや、幻灯術式で見たから私たちも知ってるけどさ。
「お、落ち着いて、彼女なら後から来ます。そんなことより、どこの病院に行くんですか!?遥香は普通の病院じゃ診てもらえませんよ!」
そもそも、肉体の損傷や病原体による問題ではないのだから、普通の医者が診たところで分かるはずもないし、姑息的治療法に終始するのが関の山だ。
「そ、それは・・・。」
「今から救急車の行先をこの病院にするように言ってください。私の大叔母が外科部長をやっている大学病院です。おそらく、日本で唯一、魔術と医学を併用している病院です。」
そう言って、スマホの画面に表示された、和香大叔母様が働いている病院の場所を示す。
「向陵大学病院・・・日本最高峰の大学病院じゃないか!そこなら!・・・ぜひ、願いしたい。信濃町か。救急隊の人に言ってくるよ!」
遙一郎さんが救急車に向かって走っていくのを確認し、スマホから和香大叔母様の番号に電話をかける。
「・・・もしもし、琴音かい?どうした?」
「すみません、千弦です。助けてください。」
「すまん、千弦だったか。珍しいな。琴音に何かあったか。それとも・・・友人の遥香さんだったか?何があった?」
大叔母様はおそろしく勘が鋭い。察しの良さも半端ないが、こういった緊急事態には非常に助かる。
「遥香が倒れました。外傷なし、バイタルは脈拍40、血圧は上が70、下が50。サチュレーションは87。呼吸数は10を下回っています。意識レベルは・・・300。体温37.5℃。原因はCD、MTが必要と琴音から確認しています。」
「そうか。なら早く連れておいで。・・・よし、第三処置室をおさえた。すぐに救急外来で受け入れるようにしておく。何分で来れる?」
「ちょっと待ってください。・・・30分ちょっとだそうです!」
救急隊員に信濃町の向陵大学病院までの時間を確認し、時間を告げる。
「少しかかるな。琴音はどうした。一緒じゃないのか?」
この状況で琴音がいないのはおかしい。それに、和香大叔母様の弟子は琴音の方だ。
なんて説明しようか。
悩んでいると、遥香の家の前に長距離跳躍魔法で誰かが降り立った。
エル・・・グローリエルと吉備津彦さんだ。
「エル!吉備津彦さんも。来てくれたんですか。」
「マスターが行けといった。私は魔力タンク。魔法使い1000人分くらいはある。」
エルはそういうと、右手でVサインを作った。
そうか、エルフならば魔力総量は人間の比じゃない。術式の維持がかなり楽になる。
「千弦?どうした?」
電話の向こうで和香大叔母様の声が聞こえる。
説明している時間が惜しい。
「大叔母様。琴音は後からそちらに向かいます。詳細はのちほどで。」
「そうか。では到着するまでの間に必要事項だけメールしておいてくれ。そうそう、保険適用外だからかなり高くなるぞ。じゃあな。」
電話が終わり、遥香と香織さんを乗せた救急車が走り出したのを確認すると、遙一郎さんがその後を追うように車を出してくれた。
まあ、自由診療で多少高くても、遙一郎さんが出してくれるだろう。きっと。
素早く助手席に飛び乗ると、エルと吉備津彦さんの二人も後部座席に滑り込む。
「え?エルフ?・・・千弦さん、この二人は?」
エルの耳を見て遙一郎さんが驚いている。
「治療で使う魔力のタンク役とその護衛です。二人とも私の友人です。出してください!」
慌ててアクセルを踏み、救急車の後を追う車の後部座席で、エルが妙にニヤニヤしているのがドアミラー越しに映っていた。
◇ ◇ ◇
南雲 琴音
仄香が私の身体を使って完全に無詠唱で飛翔魔法を行使し、さらに複数の術式を併用して北北東に向かって飛翔を続けていると、いつのまにか眼下には町がなくなり、山ばかりとなっていった。
《仄香、どこに向かっているの?》
「分かりませんが、北北西、郡山か福島か・・・。あ、止まった。これは・・・那須塩原?またなんでそんなところに・・・。」
《知ってる場所?》
「・・・私が祀られている神社があるところの近くです。」
仄香が祀られている場所って・・・。え?神様だったの?
「何を考えているかわかりますけど、お参りしてもご利益はありませんよ。本人が言うんだから間違いありません。」
いや、そんなに大それたことをお願いするつもりはないけどさ。
《泥棒、どこへ行ったんだろうね。》
「・・・あそこの建物かしら。ん?っとぉ!?」
《うひゃあぁ!》
コンクリート製の低いビルのような、灰色の建物の上空に近づいた時、地上からいくつもの光の玉が恐ろしい勢いでこちらに迫り、仄香は間一髪で回避する。
「これは・・・!まさか光弾魔法!?」
《え?光撃魔法って、魔女専用の魔法じゃなかったっけ?》
びっくりしている暇もなく、次から次へと光の玉が飛んでくる。
それは近くを通るだけでかなりの熱を感じ、また回避した先にある分厚い雲を打ち抜いていく。
弾速はかなり速く、通過するだけで衝撃波を纏い、轟音がこだまする。
《うわ、なんつー威力!殺す気まんまんじゃん!》
それに対し、仄香は軽く左手を振ると瞬時に光の膜のようなものが何重にも展開し、それらすべてを弾き返す。
《うわ、あの光の玉、かなりの威力のはずなのに。これまたすごい防御力だね。》
「防御障壁術式に光膜防御魔法をそれぞれ二重に展開しました。戦車砲の直撃でも抜けませんよ。」
仄香はそう言うと、光の玉の雨の中を構わず進んでいく。
灰色の建物の駐車場らしきところに降り立つと、そこには数人の魔法使いらしき男女が駐車場を囲むように立っていた。
うち一人は、学ランを着た中学生くらいの少年だ。派手なデザインの長杖を持ち、こちらに向けて構えている。
こいつら、待ち伏せていたのか。
《仄香・・・。こいつら、教会とかいう連中なんじゃない?》
「・・・教会ではなさそうですね。その襟の徽章、魔法協会ね。真理の探究者が他人の物を盗むとは、どういうつもりかしら?」
仄香が黒い杖を腰だめに構え、先端の赤い宝玉を魔法使いたちに向けると、彼らは一斉に驚きの声を上げた。
「あの杖、魔力結晶だと!それもなんて大きさだ!」
「くそ、この女、魔術結社の人間だったのか!だが倒せばあの結晶は我らの物だ!」
魔法使いたちは長杖やら魔導書、扇のようなモノを構え、仄香に向かって一斉に詠唱を開始した。
詠唱が始まるとほぼ同時に、学ランの少年が長杖を構え、光の玉を撃ちだす。
「術式なしで無詠唱ですって!?その杖、呪物ね!」
仄香が驚いている。
ということは、あの杖は魔術ではなく、魔法を無詠唱で撃ちだせるのか。遺物ではなく呪物?そんなもの、どうやって作るんだ?後で聞いてみようか。
「魔砲杖よ!もっと力を!」
学ランの少年が叫ぶと、少年の杖が白く輝き、柄のいたるところにあしらわれた円盤が回り始める。
文字のような模様が刻まれた円盤は、長杖を軸に互い違いに回り始め、色とりどりの光を放ち始めた。
学ラン少年が撃ちだす光の玉の威力が跳ね上がる。
先ほどとは威力が段違いだ。まるで、一発一発が光撃魔法のようだ。
「あの魔力、あの術式・・・!まさか、よりによって何であんなものが!」
仄香が珍しく慌てている。
《え?あれ、そんなにやばいものなの?》
「あのバカ、魔砲杖なんて呼んでるけど、アレは『業魔の杖』といって私の死体、それも背骨から作った呪いの杖です!!改造されてるから気付きませんでした!」
魔女の死体?背骨?うわ、キモっ。
《なんでそんなモノがあるのよ。ってか、仄香の背骨?え?じゃあ、これまで使ってきた身体の分だけあんなシロモノがあるってわけ?》
「くっ!ここ千年以上の間はっ!ちゃんとっ!乗り換えるたびにっ!消滅させてますよっ!」
学ランの少年が撃ちだす光の玉を障壁と光の膜で減殺し、その他の魔法使いに向かって衝撃波のようなものを撃ちだしていく。
・・・あれは千年以上前に作られた杖なのか。それにしては新品のように磨き抜かれている。
光の膜に絡めとられた光の玉が次々と力を失い消滅している中、ふと頭上に影が落ちる。
《仄香!上!》
私の声に仄香が上を向くと、そこには派手な魔法の箒に乗った女が、輪のような紐を両手に持ち、それを複雑に絡ませた手をこちらに向かって構えていた。
「えい!」
どう聞いても魔法の詠唱に聞こえないような声がすると、女の周囲に槍のような形をした雷がいくつも現れる。
無詠唱?学ラン少年だけじゃなくてこの女まで?
「縄?呪縄印か!」
叫びながら仄香は身体をひねると、雷の槍が身体をかすめるように飛んで行った。
・・・あ、あやとりで詠唱の代わりにしているの!?
仄香は瞬時に右手に狐火のようなモノ、左手に水の玉のようなモノを発生させ、狐火を学ラン少年に、水の玉を箒の女に向かって撃ちだしていく。
箒に跨った女が撃ちだした雷の槍は次々と水の玉に撃ち落されていく。
その女は、仄香の頭上を回りながら学ランの少年に向かって叫んだ。
「・・・剣崎さん、この子、すごい魔法使いです!」
学ラン少年は飛び交う狐火を躱しながら光弾魔法を撃ち続ける。
「空木。もしかしたら、うわさに聞く魔女かもな。畳みかけるぞ!」
学ラン少年改め剣崎とやらは、仄香の左に回り込むように駆け、「業魔の杖」を振り回しながら光の玉を乱射してくる。それに、先ほどから頭の上をブンブンと飛びながら、雷の槍を振らせてくる空木とかいう女がうざったいことこの上ない。
だが、防御障壁と光の膜に守られた仄香に対しては、その他の魔法使いも含めてほとんど決定打にならないようだ。
だが、いつぞやの工場の地下室の時に比べると、仄香の動きに精彩がないようにも思える。
《仄香、大丈夫?苦戦してない?》
「苦戦というか・・!手加減するのが難しくて!それに稲荷大神は近接戦闘に向いてないんです!」
《え?なんで手加減するのさ。》
「手加減しなければこの周囲が吹き飛びます。人魚の肉まで灰になる可能性がありますよ!」
・・・姉さんの体を使っているときは完全に切れていたと思ったけど、今回は結構冷静なんだな。
でも、そんなことを気にしていては遥香が手遅れになるかもしれない。
「さっきからお前、何を独り言を言っているんだ?通信でもしてるのか?」
剣崎が喋りながらも光弾魔法だけではなく、光撃魔法そっくりな魔法まで杖から撃ち出している。
手加減している間に、人魚の肉をどこかに持っていかれたり、使われたりしたらどうしよう。
仄香に身体を預けている以上は、私は何もできないのか。自分から役立たずといったものの、何とも歯がゆい。
私の考えていることにまるで反応するかのように、仄香が振るっている杖の赤い宝石が妖しく光る。
これはもしかすると・・・。
《・・・万物が秘めし赫灼たる力よ。我は凍える御手を以て汝を奪う者なり!》
念話で氷結魔法の詠唱を、仄香の杖に向かって唱える。
「えっ!琴音さん?今何を!」
次の瞬間、杖の先端に備えられた色とりどりの宝玉が一斉に輝き、あたり一面を霜で覆いつくした。
止まることなく気温は下がり続け、ダイヤモンドダストのような輝きが周囲を覆いつくす。
剣崎、空木の二人を除く魔法使いたちが強く咳き込み、のたうち回っている。
もろに冷気を吸い込んだのか、
「くそ、この女、同時に何個の魔法を起動しているんだ!」
「剣崎さん!やっぱり無理だったんですよ!」
無事だった二人が驚きの声を上げている・
やはりそうか。仄香は驚いているけれど、この杖、多分、霊的なものを持っている。
それに、詠唱を行ったにもかかわらず、まったく魔力の消費を感じられない。相手の杖より多分、かなり高性能のようだ。
いや、それは神格を降ろしているからか?よくわからん。
とにかく、これなら仄香のバックアップが容易にできる!
《猛き風よ!我が身に集いて敵を討つ力となれ!堅き磐よ!此の身を纏いて砦となれ!》
そうと分かれば話は早い!身体強化と防御魔法をさらに重ね掛けする。
「・・・琴音さん。ナイス!」
身体強化で脚力を大幅に強化された仄香は、頭上を飛び回る空木に向かって大きく跳躍し、慌ててそれを躱した彼女に向かって右手を素早く振り下ろす。
不可視の力場が生まれ、その箒の穂先をバラバラに吹き飛ばした。
「きゃあぁぁぁ!」
空木は一瞬で飛ぶ力を失い、駐車場のアスファルトの上に墜落する。
《万物が秘めし赫灼たる力よ。我は凍える御手を以て汝を奪う者なり!》
少し使い慣れてきた氷結魔法を、空木に向かって叩き込む。
彼女は一瞬で氷の彫像のように凍り付き、そのまま動かなくなった。
「空木!・・・き、きさまぁっ!」
剣崎が凍り付いた空木の前に踊り出し、「業魔の杖」を腰だめに構え、大きく息を吸い込む。
「防御障壁全力展開!」
仄香が叫ぶと同時に、「業魔の杖」から轟音とともに光の奔流があふれ出す。
周囲のアスファルト、車両、そして後ろにあるビルが蒸発していく。
《なんて威力なの!》
その威力に、思わずあっけにとられてしまう。
魔女以外の人間でもこれだけの威力が出せるのか。それとも、呪物のなせる業なのか。
光の奔流が終わり、明らかとなったその周囲の惨状に言葉が出ない。
仄香の後方が、数キロメートルにわたってがれきの山となっている。それなりの大きさのあったビルに至っては跡形もない。
地面に至っては、ところどころ沸騰しているようだ。・・・溶岩みたいに。
「・・・防御障壁が7枚持っていかれました。まさか、戦艦の主砲以上の威力を出すとは・・・。」
戦艦の主砲以上の威力にも耐えるとか、どんな防御力を持っているのよ。仄香は「ナイス」とか言ってたけど、筋力を上げたり、肉体の強度を上げるだけの私の魔法なんて意味なかったんじゃないの?
息も絶え絶えになっている剣崎に警戒しながら近づくが、もはや指一本動かすことは出来ないようだ。
「コレも効かないのか、化け物め・・・。」
剣崎が短くつぶやく。
「・・・他人の力をあてにするからあなたはその程度なんですよ。それより・・・人魚の肉はどこですか。」
仄香は右手に持った杖の石突を剣崎の首筋に充てる。
「しゃべると・・・思う・・・のか。」
この期に及んで大した肝っ玉だよ。この学ラン少年。
「ええ。こうすれば。」
仄香が剣崎の額に杖を押し付けると、石突の先端についた透明な石が青く輝き、その光が剣崎の頭を撃ち抜いた。
《え?殺しちゃダメじゃん!》
「いえ、今のは強制自白魔法です。・・・ほら、生きてる。」
仄香の言葉に剣崎を見ると、恐ろしい速さで何かしゃべり続けている。
同時に、その情報が頭の中に流れ込んでくる。
「こいつ、こんな形して45歳ですって。若作りにもほどがありますね。・・・いや、コレは『業魔の杖』の呪いかしら。いずれにせよ、これは回収しておきましょうか。」
魔砲杖、正しくは業魔の杖を剣崎の手から奪い取ると、それまでそれに灯っていた各部の光が順番に消えていった。
《強くなれていつまでも若いままでいられるのって、呪いというより祝福なんじゃない?》
デメリットはあまりないように聞こえるけど・・・。
「いいえ。体の方は余命5年といったところでしょう。男性機能も喪失しているようですし。回復治癒魔法で頑張ってはいたみたいですけどね。・・・それより、人魚の肉の行方です。あっちの空木とか言う女が知っているみたいですね。」
仄香はそういって、凍り付いた空木を溶かすと、回復治癒魔法らしきもので回復させ、強制自白魔法をもう一度使った。
「こっちは高校生?琴音さん。あなたより年下ですって。最近の子供は発育がいいですね。ん?人魚の肉は・・・あそこですね。」
駐車場から少し離れた路上に止まっていた車に目が留まる。
そのトランクを、強制開錠魔法で開けると、どこかで見たデザインの旅行カバンが入っていた。
開けてみると、中にはラッピングされた人魚の肉が入っていた。
《やった!これで千弦と合流すれば!》
身体はないのに、ついガッツポーズをしそうになる。
「・・・やられた。」
突然、仄香がその場で両ひざをつき、その場に蹲る。
《えっ?どうしたの、まさかニセモノ?》
この短時間の間にニセモノなんて用意できたのか。
「・・・琴音さん。少しの間、主観を切ります。眠っていてください。」
仄香の言葉を最後に、まるで主電源を切ったみたいに、そこで私の記憶は途切れた。
◇ ◇ ◇
仄香(魔女)
なんということだ。こいつら、盗み出すときに停滞空間魔法を解呪しやがった。
おかげで肉の鮮度が下がり、傷み始めてしまっている。
人間程度の魔力で解呪できるはずがないと高をくくっていたが、「業魔の杖」を使って解呪しやがったのか。
「遥香・・・琴音、千弦。すまん。これは、完全に私のミスだ。この肉は、もう使えん。」
人魚の肉をラッピングしたビニールを破り、肉の内側の状態を調べるがやはり傷み始めている。
今から人魚を漁獲しに行って間に合うか?
敦賀港の近くにまだ魚群はいるだろうか。
日本海をすべて浚うのにかかる時間は何週間だ?
いや、何ヶ月だ?
焦りと怒りが身を焦がしていく。
ふと振り返ると、剣崎が空木を抱え、足を引き摺りながら逃げようとしているのが目に留まった。
・・・気が変わった。人魚の肉がそれほど欲しいのであればくれてやろう。
人魚の肉の中から傷み始めた部分を、念動裂断呪で一口サイズのものをいくつか切り出す。
それを両手で抱えたまま、剣崎と空木に後ろから近付いた。
琴音に比べて、やや低めの身長の剣崎を背中から蹴り飛ばす。
「うわぁっ!くそ、まいった、降参だ!もう勘弁してくれ!」
剣崎が両手を前にかざし、身を守るように身体をすくめるがそんなものはどうでもいい。
許しを請うその口に、右手で無理やり人魚の肉を押し込んだ。
「おまえ。これが欲しかったんだろう。ほれ。食え。遠慮するな。」
琴音がかけてくれた身体強化と防御の魔法が効いているおかげか、剣崎がどれだけ暴れようとしてもその右手はびくともしない。
というか、神格を降ろしている状態からさらに強化できるって、凄い魔法だな。
琴音の奴、とんでもない才能だ。
琴音に感謝しつつ、人差し指と中指で肉を喉まで押し込む。
「う、ぐえぇぇ!がっ!」
ひとかけら飲み込んだのを確認すると、さらに次のひとかけらを口に押し込む。
「やめて!や、やめてください・・・。許してあげてください!」
意識が戻ったのか、空木が縋り付いてくる。
泡を吹きながら倒れこんだ剣崎が人魚の肉を吐き出していないことを確認すると、空木に向き直り、吐き捨てるように告げる。
「許してあげてください、だと?勘違いするな。お前も同罪だろう。次はお前の番だ。」
空木に一歩近づくと、すぐ後ろで獣のような咆哮があがった。
それまで少年の姿をしていたモノは、その肌の色を草色に変え、四肢の節々に瘤のようなものが血膿とともに吹き出し、顔は崩れ、耳は腐り落ち、目は白濁して飛び出している。
体中をかきむしり、のたうち回っているが、コイツは首を落とさない限り死ぬことはない。
「ふん。さすが人魚の肉。大した即効性だ。剣崎とか言ったか。これで二度と人間には戻れんな。」
処置をせず、食品としてこれを口にすればほとんどの人間がこうなる。傷み始めていればなおさらだ。
だから停滞空間魔法で時間を止め、さらには万が一に備えて冷凍庫まで用意してもらったのだ。
今ごろ、千弦は正規の手順で停滞空間魔法を解除し、処置をしているだろう。
残りの肉を持って近寄ると、空木は腰を抜かしたような体勢で後退りする。
「ひぃっ!い、いや、こ、来ないで!化け物なんかになりたくない!」
・・・お前の意思など知ったことか。
「あはは・・・もしかしたら人魚の肉に適合して八百比丘尼みたいに長生きできるかもしれないぞ。」
まあ。ここ500年の間に、何度か本人と会ったことあるけどな。
どちらのパターンでも、遥香を失う遙一郎と香織の気持ち、琴音や千弦が味わう無力感。少しは味わうといい。
「いやぁぁぁ!むがっ!?んんん!」
強化された握力で空木のあごを掴み、口を広げさせて無理やり人魚の肉を押し込む。
一つ、二つ。
飲み干したのを確認次第、さらに押し込む。
暴れていたその手は、はじめは私を押し返そうとしていたが、いつしかそれをやめ自分の腹をまさぐるような仕草に変わった。
ドン!という鈍い音が響き渡り、空木の胸を一条の雷の槍が貫いている。
その手元を見ると、呪縄印が組まれたあやとりのひもを、五芒星のような形にして自分の胸に当てていた。
「ふん。人魚の肉を舐めるな。その程度で自殺できると思うなよ。」
その場に崩れ落ちた空木は、しばらく死んだようになっていたがすぐに起き上がり、あたりをきょろきょろと見まわす。
「た、助かった?・・・げふっ。ぐ、があぁぁぁ!」
胸の穴が塞がったように見えたのも束の間、肌の色が草色に染まり、顔が崩れていく。
「ははっ。そうだよな。そんな簡単に適応するはず、ないよな。・・・くそ。全然気が晴れない。」
こいつらはこの場に放置だ。他の雑魚魔法使いどもは、この二匹の餌にでもなればいいさ。
ほら。剣崎だったモノはもう食い始めてるよ。
無詠唱で作り出した水流で手を洗い、残りの人魚の肉に向かって轟炎魔法を叩き込む。
琴音には悪いが、敦賀、いや、日本海全域に眷属を召喚しなくてはならない。
大至急、新しい人魚を漁獲しなくては。
琴音。少なくとも今日一日は身体を使わせてくれ。
千弦、すまないがもうしばらく、遥香の魂を持たせてくれ。
神格を降ろし、身体強化魔法と防御魔法まで使っているにもかかわらず、信じられないほど重い身体を引き摺り、二本の杖を握りしめ、長距離跳躍魔法で日本海側の港に向け、曇天の空に舞い上がった。