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87 恋慕/絶望と諦観

 12月12日(木)


 久神 遥香


 ここは・・・ああ、夢の中か。

 昔、かよっていた中学の制服を着た私は、ちょっと年上の彼と公園のベンチに座っている。


 ・・・そうだ、パパがしばらくの間アメリカに赴任することになって、会社のほうで大きめの家を用意してくれるから家族そろって行ったんだっけ。


 パパはアメリカに思い出の人がいるらしくて乗り気だったし、ママは私を留学させたかったということもあって、私が中学を卒業すると同時にアメリカ行きが決まったんだった。


「遥香ちゃん、いつ日本に帰ってこれるんだ?」

 ベンチの隣で彼が寂しそうに聞いてくる。


「予定では一年ということになっているから、来年の2月には戻ってこれると思う。心配しないで。浮気なんかしないから。」

 彼の手を握り、安心させるように言った。


 そうだ、中学2年の冬休みから彼・・・剛久さんと付き合いだしたんだ。

 なんで今まで忘れていたんだろう。あんなに大好きだったのに。

 なんで今まで連絡が来なかったんだろう。私が帰ってきたことは知っているはずなのに。


 夢の中で私はベンチから立ち上がり、彼に手作りのチョコレートを渡す。


「去年より上手に作れたよ。・・・来年の今日、またここで会おうね。それまで私のこと、忘れたらだめだよ。」

 そういって彼のマフラーを引き寄せ、そっと彼の頬にキスをした。


 剛久さんは顔を真っ赤にしながら、私の顔をまっすぐ見て少し上ずった声で答えた。

「絶対忘れない!俺も今年の夏までにバイトして金貯めて、パスポート取って会いに行くから!」


 剛久さんは今、高校生2年生だ。来年は受験勉強の本番だったはず。ご両親がそれを許可するだろうか。

 来年からは、趣味の登山もできないって言ってたのに。


「受験、大変だったら無理しないでね。・・・でも楽しみにしてる。もしアメリカに来れたら、一緒にユニバーサルスタジオとか行きたいな。チケット代はパパに強請(ねだ)っておくから。」


 ・・・無理だったらお年玉から出しておこう。小さいころからほとんど使わずにとっておいたお年玉が三十万くらいあるし。


「チケット代は自分で出すよ。それはともかく、約束だ。必ず会いに行く。」


 そうだ。このあと、彼は約束通りパスポートを取ってお金を貯めてロサンゼルスまで来てくれたんだ。

 新型コロナの大流行のせいでユニバーサルスタジオは休業だったけどね。

 どこにも出かけられない夏休みだったけど、彼が来てくれて幸せだった。


 通うことになった学校は日本人学校だったから、授業内容は日本と変わらなかったし、クラスメイトも日本人ばかりだったけど、やっぱり友達はできなかった。


 昔から女子には嫌われ、男子にはいじめられるんだよね。小さな子供と大人や年寄りには好かれるんだけど・・・。

 性格のせいなのか、容姿のせいなのかはわからない。どちらも一生懸命直そうとしたけど効果はなくて、あきらめかけていた時に剛久さんだけは優しくしてくれたんだっけ。


 ◇  ◇  ◇


 ・・・いつの間にかシュシュが外れ、緩くまとめておいた髪が(ほど)けたのか、首に絡まって寝苦しいことに気付き、目が覚める。


 何気なく部屋の時計を見ると、時計の短針は5時と6時の間を指しており、家の中は静まり返っていた。


 重い身体を無理やり起こし、ベッドサイドのポカリスエットのキャップを開け、乾いたのどを潤す。


 そうだ。剛久さんと最後に会ったのは今年の2月14日だ。集中治療室のガラス越しだったけど。

 たしか、大学の入試はそのころだったはず。合否の通知についてメールをしてくれるって共通テストが終わったころに約束していたっけ。

 思い出して近くにあったスマホを手に取る。


 ・・・ああ、よかった。合格したという連絡があった。

 今年の3月10日。第一志望の大学に合格したというメールが届いていた。

 私が意識がほとんどない頃だったからか、一ヶ月に数回しかメールが届いていないけど、重要なことはちゃんとメールをくれていたみたいだ。


 でも、あれ?

 それ以降、一切メールが届いていない。

 そういえば、仄香(ほのか)さんが言っていたっけ。私の命日は3月14日だって。


 ということは、彼は合格発表の後、私が死んだと思っている?

 いや、それだったらせめて葬式くらい出てくれるはず。

 ちょっと待って?仄香(ほのか)さんが身体を維持してくれたんだから葬式はやってないよね?


 もしかして知らないうちにフッた?それともフラれた?

 モヤモヤとしながら部屋の中をウロウロしていたら、だんだんとまた気分が悪くなってきた。

 こんな時間だ、メールをすることも、電話をすることもできない。


 重い身体をベッドに戻し、左の薬指のリングシールドを右薬指に嵌めなおしながら、もぞもぞと動いていたら、いつの間にか眠りに落ちていった。


 ・・・時計の短針が14時に近づいたころ、ドアからノックの音が聞こえた。


「遥香ちゃん、起きてる?お腹空かない?・・・入るわよ?」

 部屋の入口のほうを見ると、ママが洗面器とタオルを持って入ってきた。


 あ、そういえば途中で起きておかゆ、食べたっけ。

 意識が朦朧としていたからか、朝ごはんを食べたことを覚えていなかった。


 そういえば、剛久さんの夢のあとに、何か別の気持ち悪い夢を見たような気がする。

 なんと言ったらいいのか、大きな蜘蛛が身体を這いずり回るような・・・。

 

 思い出すだけで背筋が凍りつくような何かを振り払い、ママの声に答える。


「うん・・・。起きてる。」


 体を起こそうとするが、重くてなかなか起こせない。


「具合はどう?熱は下がったかしら?」

 ママはそう言いながら体温計を差し出した。


 体温計を受け取り脇に挟む。

 すぐにブザー音が鳴り、手に取ると37.8℃と表示されていた。


「あら、あまり下がってないわね。・・・ちょっと遅いけどお昼ごはん、またおかゆでいいかしら?食べたら車で病院に行きましょ。玄関まで歩けそう?」


 ママはタオルをお湯で濡らして、私の寝汗を拭きながら近所の病院の診察時間を調べている。


 ・・・そうだ、剛久さんのことを聞いてみよう。

 ママなら知ってるかもしれない。


「ねえ、ママ。剛久さんって覚えてる?彼、今どうしてるかな。」


 私の言葉にママは目を丸くして驚いている。何か変なこと聞いたのかな。やっぱりヒドいフラれ方でもしたかな。


「剛久さんって・・・藤原剛久君?・・・遥香ちゃん、まだ熱で朦朧としているのかしら。7月にお葬式に行ったじゃない。大丈夫?」


「お葬式・・・。え?誰の?」


「今年の3月の終わりくらいだったかしら。山岳部の友達と谷川岳に登山して行方不明、7月に発見された、って。私に教えてくれたの、遥香ちゃんだったじゃない。」


 突然、頭の中で火花が散ったかのように記憶がよみがえる。

 私が退院する直前・・・仄香(ほのか)さんが私の身体を修復して使い始めたころ、ベッド脇に立つ彼・・・。


 なぜかずっと無表情の私の顔。

 申し訳なさそうに笑う彼。


 私の代わりに仄香(ほのか)さんが大学合格のお祝いを言って何かプレゼントを渡している。無表情な顔だけど、一生懸命言葉を選んでいるのがわかる。


 ・・・合格祝いに取り寄せた、彼が欲しがっていたプロトレックの腕時計。

 私の口座から5万円近く引き出されていたのはこれを買ったためか。

 そのあと、よくわからないところから同額振り込まれていたけど。


 彼はその後、合格祝いと卒業旅行を兼ねて谷川岳に登り、帰らぬ人となった。

 一緒に登った友人を助けようとして、揃って転落したらしい。

 即死だったそうだ。


 仄香(ほのか)さんも心配だったみたいだけど、両親の手前もあって病み上がりの身体を押してまで助けに行けなかったみたいだ。


 そうか、そうだった。

 彼、もうこの世にいないんだ。

 じゃあ、もう私、いなくてもいいじゃん。


 記憶が戻ると同時に、強烈な痛みが襲ってくる。

 全身から何かが引きはがされるような、強酸か熱湯を全身に浴びたような痛みが。


「・・・ぁあっ!う、あぁ・・・!」

 一瞬だけ胸を押さえてのたうち回ったけど、どんどん力が抜けていく。

 身体の端から何かが抜けていく。

 たぶん、これは私の命だ。


「遥香ちゃん!あなた!救急車、救急車ぁ!」

 

 ちがう、そうじゃない。まだ私には大事な家族がいる。友達もいる。

 私なんかいなくてもいいやって思ったけど、一瞬絶望しかけたけど、まだ死にたくない。


「香織!どうした!・・・遥香!しっかりしろ!電話、スマホはどこだ!」


 あ、パパ、私のことを心配して会社、休んじゃったんだ。

 遠ざかっていくパパとママの声が、頭の中でやまびこのように繰り返し、消えていった。


 ◇  ◇  ◇


 九重 宏介


 ついさっき、学校から帰ってランドセルを下したばかりのタイミングで琴音姉ちゃんから電話があった。人魚の肉、取りに来るって。


 ・・・昨日から父さんは「本業」で出張中だ。「副業」のほうは、リモートワークということになっているらしい。

 口裏合わせのために「副業」のほうから家に電話がかかってきたときは、僕が代わりに出て父さんに転送する手筈(てはず)になっている。


 昔、母さんが使っていた旅行カバンを押し入れから取り出し、冷凍庫の中から人魚の肉を取り出す。


 半分が肉、半分が魚肉のようなそれは、遥香さんが何らかの処置を施したらしく、冷凍焼けも劣化もしていない。


 肉屋か魚屋で今朝買ってきたばかりのように新鮮だ。


 肉のほうを旅行カバンに詰めたところでいっぱいになってしまい、仕方なく別のカバンを探そうと冷凍庫のドアを閉めたところで、台所の片隅に設置された赤色回転灯が数秒だけ回る。


「うわ、マジかよ。警報装置が作動するとか初めてだよ。」


 思わず口走ってしまったが、躊躇(ちゅうちょ)している時間はない。


 旅行カバンをそのままに、父さんの研究部屋に向かう。


 あそこには、警報装置が作動したとき、逃げ込むためのパニックルームが隠されている。


 父さんの「本業」は色々な勢力を敵に回す可能性があるらしく、非常事態の際にはとにかく隠れるか逃げるかの行動が必要となるため、小さなころから訓練をさせられている。


 訓練通り、部屋の照明のスイッチ等に一切触れないように気を付けながら研究部屋に滑り込むと、150センチくらいの黒い杖が会議用テーブルの上に鎮座していた。


「なんだ?この杖・・・。この宝石も・・・。これ、すごく高価な杖じゃないか・・・?」

 そうか、あいつら、この杖を盗みに来たのか。


 反射的に杖を手に取り、ウォークインクローゼットに滑り込む。


 ウォークインクローゼットの床板を外すと、地下に降りられる階段があるので駆け下り、床板を元に戻す。


 一連の動作を終え、パニックルーム内のカメラモニターの電源を入れると、そこには杖を持った中学生くらいの男子と、変な飾りだらけの(ほうき)を持った大人の女性が裏庭から侵入してくるのが映っていた。


 ◇  ◇  ◇


 剣崎 隼人


 鉄筋コンクリート造りの二階建ての家の前に立ち、様子を伺う。


 空木(うつろぎ)のマーカーを追いかけて東京中を探していたが、ついに正確な場所をつかむことができた。


 専用アプリをインストールしたスマホの画面には、確かにこの家に人魚の肉があることが示されている。


「け、剣崎さん、本当にやるんですか?」

 空木(うつろぎ)は、スタイルのいい身体を小さく丸めて周辺の様子を伺っている。


「ここまで来て手ぶらで帰れるか。協会の老害ども、魔女が絡んでる危険性があるから手を出すなとか言うくせに、しっかりと俺たちに嫌がらせしてきやがったじゃないか。」


 魔法協会の委員どもめ、俺が人魚を捕えそこなった後、査問委員会みたいなものまで設置しやがった。


 自分から手を引けと言っておいて、「なぜそこで引き下がった」だとか、「そんな命令していない」だとかぬかしやがった。


 いくら50年前の魔力結晶鉱山の利権争いで出遅れて、魔術結社に負けているからって俺みたいな現場の人間に当たり散らしてどうすんだよ。


「剣崎さん、やめましょうよ。も、もし本当に相手が魔女だったら、わ、私たちじゃ手も足も出ないですよ?」


「ああぁ?知るかよ。・・・そうだな、堂々と魔法協会の看板で魔女に喧嘩を売ってやるよ。あんな老害どもなんか俺と一緒に死ねばいいさ。」


「わ、わたし、もう付き合いきれません・・・帰ります!」

 空木(うつろぎ)はそういうと、(ほうき)(またが)って飛び上がろうとする。


空木(うつろぎ)。逃げたら例のアレ、ネット上にバラまくぞ。」

 静かな声でそう告げると、その顔色が目に見えて青くなった。


「アレ・・・。やめてください!そんなことされたら、私死んじゃいます!」


 慌てて(ほうき)から飛び降りた空木(うつろぎ)は顔を押さえて叫びながらうずくまった。


 ・・・アレ、ねえ。ただのラブレターだろうが。俺宛の。


 俺のことを同世代か年下と勘違いした挙句、お姉さんぶってセクシーな言い回しをしまくったラブレターは、確かに何度読んでも面白いと思うが、そこまで恥ずかしがる必要があるのかね。


「なんだかな・・・。まあいいか。行くぞ。」


 人気がなさそうな裏庭に回り込むと、勝手口のようなドアがあることに気付いた。


 ガラス窓を備えたアルミ製のドアだ。簡単に破壊できるだろう。


「よし、あそこから侵入する。カギを壊すから、お前は見張りをしていろ。」


 魔砲杖(キャノンワンド)を最低出力に設定し、鍵穴に向かって光弾を撃ち込むと、焼けた鉄の板に水滴を落としたような音とともに鍵穴は吹き飛んだ。


「・・・よし。ついてこい。」


「あぁ~初めて会ったときはかわいい男の子だと思ったのに~。」


 後ろで空木(うつろぎ)が悶絶している。

 悪かったな。12歳から成長できなくなったのは、魔砲杖(キャノンワンド)の呪いのせいなんだよ。


 勝手口から入ってすぐのキッチンを覗くと、そこには旅行カバンが無造作に置かれていた。


「なんだぁ?・・・マーカーの反応は・・・このカバンか?まさか、こんな簡単に見つかるとは。罠、じゃないよな?」


 注意深く旅行カバンを開く。罠の類いも術式の気配もないようだ。


 ん?何らかの魔法がかけられている。

 追尾系のものではないようだが、未知のものだ。それもかなり強力な。

 だが、俺にはこの杖がある。


解呪せよ(ディスペル)。」


 魔砲杖(キャノンワンド)をかざし、かけられた魔法を分解するように念じる。

 旅行カバンは一瞬光を放つと、何もごともなかったかのように沈黙した。


 中身は・・・確かに人魚の肉・・・のようだ。現物を見たことはないが、スマホの画面を見る限りではこの肉で間違いないようだ。


空木(うつろぎ)。あったぞ。」


「ええぇ?もう見つけたんですか?そんな簡単に見つかるなんて・・・。」


 空木(うつろぎ)が驚くのも無理はない。伝説級のシロモノが、こんな無造作に置かれているなんて普通じゃありえない。

 だが、この反応は間違いなく空木(うつろぎ)が撒いたマーカーだ。


「とりあえず目的は果たした。ずらかるぞ。」


 旅行カバンに入っているという、まるでカモがネギ背負(しょ)って、鍋とコンロと俎板(まないた)まで引きずってきたような違和感に戸惑いながらも、素早くそれを背負い、勝手口から飛び出した。


 ◇  ◇  ◇


 南雲 琴音


 私たちの家から健治郎叔父さんの家までは、長距離跳躍魔法で飛ぶ必要があるような距離ではない。


 自転車で、時間にして1分半ほど走ると、すぐにその特徴的な鉄筋コンクリート造りの二階建ての家が見えてくる。


 二階建てなのになんで鉄筋コンクリート造りなんだろう?


 窓は少ないし、風通りもあまりよくないように思うんだけど、パッと見る限りでは私たちの家より少し大きいんだよな。

 中はそんなに広く感じないけど。


 玄関に立ち、ドアホンを鳴らすと、慌てたように宏介君が飛び出してきた。

 その手には、150cmくらいの黒い立派な杖が握られている。


「大変だよ!千弦姉ちゃん!泥棒が!子供の泥棒が!」

 ・・・残念、私は琴音だ。どいつもこいつも、なんで区別できないのよ。


「どうしたの、宏介君?泥棒が入ったの?」

 慌てふためく彼の肩を抑え、面倒になってきたので、自分が琴音だと言わずに落ち着かせようとした。


「泥棒が!遥香さんから預かった人魚の肉を盗まれた!」

 ちょっと待って?今何を盗まれたって言った?


「なんだと・・・何を盗まれたって・・・?」

 後ろから姉さんの声が聞こえる。いや、これはキレた時の仄香(ほのか)の口調だ。

「遥香さんから預かった人魚の肉。半分だけど、ちょっと前に入ってきた二人組に盗まれた。」


「半分だけ!?半分は、残っているんだな?」

 仄香(ほのか)が姉さんの身体で宏介君の肩をつかみ、前後にゆすっている。


「うん。半分は、まだ冷凍庫に・・・。」

 その言葉を聞くや否や、仄香(ほのか)は家の中に飛び込み、まっすぐキッチンへと駆け込んだ。


 それを追って私も家の中に飛び込む。


「マスター。追跡術式は?」

 いつの間にかキッチンまでついてきたエル(グローリエル)が仄香(ほのか)に確認する。吉備津彦(きびつひこ)さんも一緒だ。


「追跡術式は、打ち込んでいない。うかつだった・・・。」

 仄香(ほのか)は冷凍庫から人魚の肉(魚肉)を取り出し、状態を確認している。


「ねえ、半分は残っているんでしょ・・・。半分じゃ、足りないの?」


「いえ、分量の問題ではなくて、部位の問題なんです。遥香さん用の薬を作るにあたって、脳と心臓、肝臓は欠かせない材料です。盗まれたのがせめて下半身だったら・・・。」

 仄香(ほのか)も少し落ちついたのか、口調がいつも通りに戻る。


《琴音、手分けして犯人を追ったら?仄香(ほのか)。例の神格、もう一度降ろしてもいいよ。》

 姉さんからの念話が頭の中に響く。


《姉さん、目が覚めたの?今朝まで仄香(ほのか)と術式の研究してたって聞いたから、心配してたんだよ。》


《ごめんごめん、琴音に言い出すタイミングを待ってたら、つい寝ちゃって。》

 姉さんの言葉に、ふと思いついたことがある。


「ねえ、遥香に使う術式って、姉さん一人でもできるの?」


 一瞬、仄香(ほのか)が考えるようなそぶりをしたが、すぐに力強く答えた。


「ええ。今朝までしっかりと叩き込みました。人魚の上半身が必要になる前段階までなら、千弦さん一人でも可能です。それに、下半身さえあれば、一週間くらいなら持たせられるはずです。」


《・・・任せて。一週間だろうが一か月だろうが、絶対に持たせて見せる。》


 さすがは姉さんだ。ここぞというときには一番頼りになる。

 ん?今なら一番は仄香(ほのか)か?


「じゃあ、決まりだ。一番役に立たない私の身体を仄香(ほのか)が使えばいい。双子だもん。ソフトウェアはともかく、ハードウェアは一緒でしょ?」


《いつもしっかり役に立ってるわよ。仄香(ほのか)。私からもお願い。でも、なるべくケガはさせないでね。》


「・・・わかりました。では、琴音さんの身体を使います。」

 仄香(ほのか)はそう言いながら椅子に座るとゆっくりと目を閉じた。


 目の前で姉さんの身体が、糸の切れた操り人形のように力を失った直後、身体にふわっと何かが覆いかぶさる感覚がした。


 ◇  ◇  ◇


 仄香(ほのか)


 健治郎殿の家で千弦の身体から琴音の身体に乗り換えた後、回復治癒呪で千弦の疲労と眠気をすべて回復させ、人魚の下半身の肉を持たせて遥香のところに向かわせた。


 千弦は、以前はあんなに嫌がっていたことを忘れたかのように、長距離跳躍魔法をスムーズに発動させて東の空に飛んで行った。


「うん、きれいな魔力制御ですね。さすがは千弦です。」


仄香(ほのか)。これからどうする?さっき姉さんが言ってた「神格」を降ろすの?》


 琴音の言葉を聞きながら、宏介殿から黒い杖を受け取り、軽く振って魔力を大量に流し込む。


 相当な量の魔力を流し込むが、びくともしない。通常の物質ならばすでに破裂しているだろう。


 壊れるどころか、杖自体が魔力を出力し始め、各所の魔法陣や術式が一斉に活性化していく。


《ええ。でも常人の身体で神格を降ろせば寿命が数年は縮みます。千弦さんの身体は、私と極端に相性が良かったので大丈夫でしたが、琴音さんも同じとは限りません。よろしいですか?》


《姉さん、あの時、そんな危険を冒してまで来てくれたのね。きっと大丈夫、双子だもん。それに万が一のことがあっても、遥香のためよ。遠慮なくやっちゃって!》


 ・・・うん。そう言うと思った。長く生きてきたが、この双子に会えてよかった。


「グローリエル、吉備津彦(きびつひこ)。二人はバックアップを。これから神格を降ろします。」


「マスター。誰を降ろすの?」


「稲荷大神を降ろします。下がっていてください。」

 健治郎殿の家の裏庭に立ち、ゆっくりと深呼吸をしながら意識を集中していく。


「ん。」


 グローリエルと吉備津彦(きびつひこ)の二人が十分に離れたことを確認し、魔力を練り、稲荷大神に捧げる祝詞を唱え始める。


「・・・かけまくもかしこきいなりのおおがみのおおまえにかしこみかしこみもまをさく・・・」


 人探し、失せもの探しであれば、日本最大の眷属数を誇る稲荷大神をおいてほかにはない。

 さらには、偶然だが間近に東伏見稲荷神社があるので、その恩恵を受けやすいのだ。


 相手が何者であろうが、この星にいる限り、草の根を分けてでも探し出す。

 人魚の上半身を奪い返し、盗んだ奴は消し炭にしてやろう。


 大地から何かがせり上がるような奇妙な感覚とともに、身体の隅々、髪の毛に至るまで力がみなぎっていくのがわかる。


 琴音の身体だけではなく、手にした杖にまで神格による力が流れ込んでいく。


《これが神格・・・!すごい、なんという万能感なの!》

 琴音が驚いている。


 立て板に水の如く、よどみなく全身に魔力が満ちていく。

 さすが、双子だ。武甕槌神(たけみかつちのかみ)を降ろしたときと全く遜色(そんしょく)がない。


 稲荷大神の権能の一つである眷属神に呼び掛けて、人魚の肉(上半身)を探していく。


 時間にして僅か十数秒。やはり失せ物が高魔力源だと見つかるのが早い。


「見つけた!この移動速度は航空機?いや、(ほうき)か!」


 これは・・・魔法使いか。それとも魔術師か。

 どちらでもいい。ここから北に約120kmを対地速度340km/h前後で北上中。

 高度は・・・500mか。


吉備津彦(きびつひこ)。グローリエルを連れて千弦と合流。念話の使用制限を一時的に解除します。」


「マスター。一人で行くのか?」

 グローリエルが心配そうに、少し下から私の顔を覗き込む。

 ・・・もう120歳になったのに、心配性な奴だ。


「一人じゃない、琴音も一緒よ。心配しないで。いつも無事に帰ってきたでしょう?」

 神格を降ろしてすぐは、力の加減が難しい。

 頭をなでてやることはできないが、少し低い背のグローリエルに目線を合わせる。


「ん。マスターは最強。聖釘(アンカー)だけ気を付けて。」

 グローリエルの言葉に親指を立て、飛翔魔法を無詠唱で発動する。


 神格を降ろしている間だけは、精神世界(アストラルサイド)に片足を突っ込んでいる状態だ。ほぼすべての魔法を無詠唱で使うことができるが、降ろした神格によりその威力は左右される。


 宏介殿が守ってくれた杖を片手に、眼下に西東京の家々を見下ろしながら、曇天(どんてん)の空を駆けていった。


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