85 光陰の魔女・狂気の幕引き
1978年8月中旬
リザ(エリザベス・ベル)
家から少し離れた空き地に、空軍のヘリが2機、着陸している。
それ以外にも、「国防総省」という文字と白頭鷲のマークの付いた車が何台も家の前にとまり、地元の警察ともめている。
一体何でこんなことになったのか、状況を整理してみようと思う。
◇ ◇ ◇
ハイスクールが夏休みで次の学年に上がる直前の時期である今日、アルお爺ちゃんとママ、それからお兄ちゃんとお義姉さんが私の15歳になる誕生日を祝ってくれることになっていた。
パパは日本で働いているから、エアメールでバースデーカードとプレゼントだけ送ってきたよ。
なんで日本にいるのにドイツ製のビスクドールなんて送ってくるのかしら?
私はヒナ人形が欲しかったのに。
まあ、それは今回のことにはあまり関係はない。
・・・結果的にいえば人生で一番びっくりした、でも最高の誕生日となった。
兄さんから少し遅れるという電話があった後すぐ、4人組の男が家に乱入してきて私に麻袋をかぶせ、妙な筒のついたピストルでいきなり発砲した。
1人は同じハイスクールの男の子だ。名前はアレハンドロっだったっけ?
だったっけ、っていうのはほとんど話さないし、魔法とか魔術とかにのめりこんでいるらしくて、変な宗教の話もするし、学校のみんなが避けているからほとんど話す機会がなかったんだ。
我が家ではアルお爺ちゃんが本物の魔女に助けられているし、魔女の力を聞いている私としては、アレハンドロの魔法なんて、理屈だけで何もできない妄想にしか聞こえなかったから。
それに私の占いにも興味がなかったみたいだし、接点は全くなかったんだよね。
話を戻そう。あのとき麻袋をかぶせられた後、悲鳴を上げていたママの声が、銃声の後聞こえなくなったからものすごく焦った。
力の限り暴れたんだけど、男の力で抑え込まれて紐か何かで縛り上げられて、たぶん車に放り込まれた後、そのままどこかに連れていかれた私は、車から降ろされて運ばれている途中、芝生の上にいきなり放り出された。
突然のことの連続で混乱してもがいていたら、それまでの男たちとは違う、頭の芯をしびれさせるような透き通った声がした。
「大丈夫?リザ。・・・ちょっと動かないで。今助けるわ。あら、この麻袋、すごく頑丈ね。術式束767を発動。・・・えい。」
ビリビリっという音がして麻袋が裂けると、そこにはパパからもらったビスクドールと同じくらいきれいな女の子が立っていた。
左目の翠色がすごくきれいだったよ。
「ぶはっ!た、助かりました。・・・あなた、誰?なんで私の名前を?」
その子はまるでテッシュペーパーか何かを引きちぎるかのように麻袋を裂いていった。
どういう力をしているんだろう?それとも何かコツでもあるんだろうか。
「あなたのお爺さんに頼まれて助けに来たのよ。彼からバースデーパーティーのゲストが一人増えるって聞いてない?」
「そういえばスペシャルゲストが来るって聞いていたかも。あ!そんなことよりママは無事!?袋をかぶせられたときに銃声みたいな音が!」
バースデーパーティーと言われて、ママのことを思い出した。ママ、もしかして撃たれた?死んでないよね!?
「大丈夫、あなたのママは無事よ。こんなところに長居は無用だわ。あとは私が片付けておくから、早く帰りましょう?」
その子の言葉を聞いて、胸をなでおろす。
あの時、あの場にはママしかいなかったから、ママが無事ならきっとお兄ちゃんもお義姉さんも大丈夫だろう。
そうだ、大事なことを忘れていた。お礼を言わなきゃ!
「ねえ、あなたの名前は?」
「あなたのお爺さんやお兄さんは私のことを『ミーヨ』と呼ぶわ。正しくはひとつ前の身体の名前なんだけどね。詳しくはお爺さんに聞けばわかるから。」
・・・ミーヨ。どこかで聞いた名前だ。そうだ!アルお爺ちゃんが言っていた魔女の名前だ!
「え!?もしかしてあなたが大魔女ミーヨなの!それにひとつ前の身体って・・・。」
最後まで言い切る前にミーヨは知らない言葉で歌うかのように不思議なリズムを口ずさむ。
「これから魔法であなたを家まで送り届けるわ。目をつぶって口を閉じていて。・・・勇壮たる風よ。汝が御手により彼の者を在るべき処に送り給え。」
その短い歌が終わると同時に、光の粒と不思議な浮遊感が私を包み込む。
「うわっ。ちょっ・・・きゃあぁぁぁ・・・!」
一瞬で大地が遠ざかり、夜空に、星が瞬く雲の上に放り出された私は、絶叫するしかなかった。
「まだお礼も言ってないのにーーーーー!」
◇ ◇ ◇
絶叫はむなしく夜空に響き、ものの15秒もしないうちにふわりと足から着地した私は、そこが自分の家の玄関先であることに気付くのに数分もかかってしまった。
家からママとお兄ちゃん、お義姉さんが飛び出してくる。
「リザ!無事なの!どこも痛いところはない!?」
「リザ!あいつらに何もされてないか!」
ママとお兄ちゃんが抱き着いてくる。
ママのお気に入りのTシャツとエプロンに大きな穴のようなものが開いているのに気付いたが、見る限りでは血も何もついていない。
お義姉さんのブラウスの肩とお腹にも、同じように穴が開いている。
どこかに引っ掛けて破いたんだろうか?
「大丈夫だよ、ママ。お兄ちゃん。麻袋から出た時にはミーヨ以外誰もいなかったし、すぐに空を飛んで帰ってきたから。」
「空を?ああ、ミーヨの箒か?でもミーヨが見当たらないな?彼女は無事か?」
・・・やっぱり、魔女って箒で空を飛ぶんだ。
お兄ちゃんが心配そうな顔でのぞき込んでくるが、後ろからアルお爺ちゃんの豪快そうな笑い声が聞こえた。
「魔女ミーヨなら絶対に大丈夫だ。ワシが保証する。何しろ戦時中にはアイオワ級の主砲を正面から受け止めて弾き返したという逸話まであるんじゃ。相手が州軍の戦車だろうが攻撃ヘリだろうが、ミーヨの敵じゃないさ。」
「アイオワ?え?戦艦アイオワの主砲って、16インチじゃなかったっけ?そんなもの食らって生きてるって・・・。っていうか、どういう状況であんな女の子相手に戦艦が主砲を打ち込むようなことになったんだ?」
お兄ちゃんとアルお爺ちゃんが興奮して何かを話しているが、南の空から空気をたたくかのような音が接近しているのに気付き、反射的に身構えると私の肩にそっとお義姉さんが手を置いた。
「大丈夫、味方よ。さっき、ミーヨからの指示でマンハッタンのメネフネさんに電話した時に聞いたんだけど、国防総省の人が来てくれるって言ってたのよ。」
魔女、いや、大魔女ミーヨ。
箒で空を飛び、合衆国史上最強の戦艦の主砲を弾き返し、電話一本で国防総省を動かす少女。
もっと、もっと話してみたい!
◇ ◇ ◇
・・・しばらくして国防総省の人たちがマサチューセッツ州警察より先に家の中を調べ、2人の男たちを担架に乗せて連れていく。
片方の男は国防総省の職員と何か受け答えをしているようだが、もう片方は顔にタオルをかぶせたままで何も話をしていないようだ。
生きてはいるみたいだけど、かなり重症らしい。
「リザ、あいつらのことは気にするな。ミーヨが死なない程度に治してくれたから。それより、せっかくのバースデーパーティーが大変なことになってしまったな。日を改めてやりなおすか?」
お兄ちゃんがそっと私の肩を抱き、部屋の中に連れていく。・・・ん?治した?死なない程度に?
「・・・ねえ、ママとお義姉さんは、ちゃんと治してもらえたの?」
「ああ、大丈夫だ。しっかり治してもらったよ。」
「おい!ダニエル!」
お兄ちゃんがアルお爺ちゃんの声にビクッとしてからハッとする。
やっぱり、2人の服に空いた穴は、銃で撃たれた時の穴だったんだ。
ミーヨが帰ってきたら、お礼を言わなきゃいけないことが増えた。絶対にお礼を言わなきゃ。
◇ ◇ ◇
ジェーン・ドゥ
吉備津彦と3人の子供たちを見送った後、 箒でアルバートたちが待つ家に向かって空を駆けていると、眼下に彼らの家と、複数の国防総省の車、そして州警察の車が見えてきた。
少し離れたところに空軍のヘリコプターが止まっているのも見える。
ジェイソンのやつ、相変わらず仕事が早いな。
まあ、話が通っているなら構わないだろう。
アルバートたちの家の玄関先に、箒で音もなく降り立つと、どこかで見た女性と制服を着た警察官が言い合いをしているところだった。
「さっきから言ってるでしょう!この件は大統領閣下の命令で国防捜査局の管轄になったんです!」
「大統領の命令なんてそう簡単に出るわけないだろうが!だいたい、ただの誘拐事件だろう!それともこの家の娘は大統領の隠し子だとでもいうのか!」
「それは大統領閣下に対する侮辱です!このチンピラ警官め、国防捜査局から正式に抗議を出します!上司を出しなさい!あなたじゃ話にもならない!」
「この年増女!やれるもんならやってみやがれ!」
・・・うん。箒で降りてきたのも気が付かないほどヒートアップしてるよ。
お、国防総省側の職員はアリサだったのか。こんな遅い時間に軍を動かしてしまったんだ。礼だけでも言っておくか。
「年増女ですって!?私はまだ20代よ!魔女みたいにガワだけ若いんじゃなくてホントに若いのよ!」
「わけわからねぇこと言ってないでそこをどけ!公務執行妨害でしょっぴくぞ!」
・・・アリサのやつ、私がいることに気付いていないのか。ガワだけ若いって、まあ、実年齢はやばいことになってるけどさ。
まあいい。
「アリサ、おつかれさま。今戻ったわ。こちらの方は?」
「あら、戻っていたのジェーン。セイラム警察署のチンピラ刑事よ。こいつ、私のことを年増女とか言ったのよ。ちょっと焼いてくれないかしら?」
アリサのやつ、相当頭にきているな。まあ、誘拐事件ならもうすぐ連邦捜査局も来るだろうし、一応あそこにも知り合いはいるから何とかなると思うが。
「まあまあ、アリサ、落ち着いて。ええと、刑事さん。アリサは本当にまだ20代なんですよ。四捨五入すると30代だけど・・・。」
「ガキは引っ込んでろ。でしゃばるなら逮捕するぞ。」
「ガキ・・・?まだ生まれてから半世紀も経ってないヒヨコ風情が。千連唱。第一の元素精霊よ。我は汝の階梯を押し上げるものなり。陽光の如く・・・。」
「ジェーン!ちょ、ちょっとやめなさい!焼かなくていいから!あなた、あなたも止めて!」
「うわぁぁぁ!ジェーン!ここで魔法を使わないでくれ!」
「なっ!このガキ・・・何を・・・!?」
・・・チンピラ刑事があまりにも失礼なので、熱核魔法をぶっ放して黙らせようと思ったら、国防総省の面々が次々に抱き着いてきたせいで最後まで詠唱できなかったよ。
「あ、ハンターだ。おひさー。あの時買ってくれたワンピース、着て来たよー。ってどさくさに紛れてどこ触ってんのよ!」
おい、そこのチンピラ警官。くそ、不完全燃焼だ。熱核魔法一発分の魔力を返せ。
「あ~!ミーヨ。来てくれたの!アルお爺ちゃん!お兄ちゃん!ミーヨが帰ってきたよ!」
なぜか複数人に羽交い絞めにされていたら、家のほうからリザの元気そうな声が聞こえた。
そういえば、バースデープレゼントを渡してなかったな。アルバートの車のトランクに積みっぱなしか?
「あ~。アリサ。冗談よ。とりあえず魔法は使わないから、放してくれない?」
「本当でしょうね?あなた、単独でホワイトハウスに怒鳴り込んだことがあるでしょ?冗談では済まないわ。あなた、合衆国どころか、全世界を敵に回しても勝てそうだから怖いのよ。いや、押さえつけるのも無駄だとは思うけど・・・。」
失礼な。いや、全世界を敵に回したらいくら何でも勝てる自信はないぞ?
・・・いや、一切手加減をしなければいけるかもしれないけどさ。
「ねえ、空軍のお姉さん。ミーヨ、何か悪いことしたの?」
リザが純粋な目でアリサを見上げている。
「・・・もう。子供には弱いのよね。ほら、楽しんできなさい。後片付けは私がやっておくから。」
「アリサ。恩に着るわ。・・・さて、リザ。空軍のお姉さんに後は任せてバースデーパーティーの続き、楽しみましょう!」
◇ ◇ ◇
リザに手を引かれて家の中に入ると、事件の跡はきれいに片付けられており、国防総省の若手の職員がさらに持ち込んだと思われる料理と、数十個のプレゼントの山が所狭しと並んでいた。
人数の増えたパーティの最中、アルバートの車から私が準備しておいたプレゼントを下ろしてもらってリザに渡したんだけど、国防総省の職員が用意したクマのぬいぐるみとカブってしまったよ。
あ、借りていた箒がそのままだった。元通りにして返さなくてはいけない。
「リザ、玄関のところにある箒なんだけど、さっき使ったままで、魔女箒の術式を打ち込んだままなのよ。あとで元に戻して返しておくわね。」
「魔女箒って、空を飛べる箒?」
リザが興奮して話しに食いついてきた。
「ええ。即興で術式を刻んだから、飛ぶ以外はできないけど・・・。」
「え、それって誰でも飛べるの?飛びたい飛びたい!」
「あなたは魔力持ちだから飛べると思うけど、誰でもは無理よ。ええと、そうね。あなたくらいの魔力なら5時間くらいは飛んでられるかしら。でもそのあとは3日くらいは寝込むわよ。1日で回復する程度なら、2時間ちょっとってところかしら。」
「えっ!私、魔女の箒で空を飛べるくらい魔力があるの!」
う~ん。あの箒の術式は不安定だったから剥がそうと思っていたんだけど、いまさら剥がすとはいえない雰囲気だな。
まあ、仕方ないか。一応保護者の許可も取っておこう。
・・・ん?一応私もこの子の先祖だから保護者の資格はあるのか?
「仕方ないわね。でも、あの箒は即興で作ったものだし、柄が細くて危ないわ。それに、ママやアルバートの許可を取らなくちゃね。そうしたらちゃんとした魔女箒を作ってあげるわ。リザ専用の、ちゃんと安全装置とサドルとかがついてる箒をね。」
「やったぁ!ママ!アルお爺ちゃん!ミーヨが私専用の魔女の箒を作ってくれるんだって!ねえ、いいよね、乗っても!」
リザが興奮してエマとアルバートのいるリビングに走っていく。
「あらあら、私も乗ってみたいわね。お義父さん、魔女様がせっかく魔法の箒を作ってくださるって言っているんだからいいわよね?」
「そうか、ミーヨ様が魔法の箒を作ってくれると。それは素晴らしい。家宝になるだろうな。」
・・・家族そろってノリノリじゃないか。仕方がない。本腰入れて安全装置山盛りの箒を作りますかね。
家の中では国防総省の若手たちと一家が魔女の箒の話で盛り上がり、家の外ではアリサや国防総省の警備局と州警察がにらみ合いを続けていた。
◇ ◇ ◇
セイラムの町郊外 教会跡地
教会跡地のすぐ横にある比較的きれいな民家で、様々な職業の男女たちが大きな円卓を囲んでいる。
「ロジェとオベールからの定時連絡がないが、だれか連絡を受けた者はいるか?」
部屋の一番奥にいる丸い眼鏡をかけた白髪交じりの男がその場の全員に問いかける。
背の高い、背広を着た金髪の男が全員を見回すが、誰も返事をしないことを確認すると、白髪交じりの男に答えた。
「誰も把握していないようです。魔術結社の協力のもと、新たな魔力源を模索していると聞いていましたが、例のダンバース精神病院焼失事件と関係があるのでしょうか。私も彼らの普段の行動も知りませんし。」
白髪交じりの男はしばらく瞑目すると、金髪の男に対してゆっくりと答えた。
「さすがに耳がいいな、オウル。諸君らも知っての通り、われら教会の信徒は女神の元に集う選ばれし者だ。名目上の階級はあれど、各々が独立して女神を称える者の集まりだ。ゆえに、ロジェとオベールが行っていたことも諸君が知らないのは仕方がないことである。」
オウルと呼ばれた男は、白髪交じりの男に対し、疑問を投げかける。
「教授。司教であり、セイラム地区長でもある私がこの町で活動している2人の動向を把握していないというのは問題ではないでしょうか。」
教授と呼ばれた白髪交じりの男はその問いには答えず、太った黒人の中年女に問いかける。
「ふむ。講師。君ならばどう考えるかね?」
講師と呼ばれた女は、数秒ほど考えるそぶりをした後、口を開いた。
「教授。大司教である貴方のお言葉に対し、司祭である私は申し上げるべき言葉を持ちません。すべては女神の御心のままに。」
「講師。構わない。自分の考えがあるのなら言ってみなさい。」
「・・・では謹んで申し上げます。一つ、我々の間では長幼の序あれど、お互いにその信心を疑うべからずという聖者エドアルドの御言葉があります。」
円卓を囲む男女は、一様に頷いている。
それらを見て、講師は言葉を続ける。
「そして一つ、全ての善悪は女神が裁くもの。人は人を裁くべからず。という教えがあります。この二つから、ロジェとオベールの行動が女神の教えに反するものと考えることも、その行動の善悪を考えることもできません。」
「その通りだ。講師。ダンバース精神病院の事件に2人が巻き込まれたのであれば、彼らの計画はそこで潰えてしまったのだろうが、彼らは女神の敬虔な僕であった。その事実は揺るがない。」
オウルは論点をずらされてしまったことに苛立ちを感じたが、これ以上の話は無駄であると判断し、会話を打ち切ることにした。
「では、ロジェとオベールに黙祷を。」
「・・・。」
オウルの言葉に倣い、その場にいる信徒たちは2人の男に対し、黙祷をささげる。
「他に議題はないか?ないなら、今日はここまでとする。」
教授の言葉に、オウルを含む男女数名は、民家から出ていき、各々の車に乗り込み、その場を後にした。
◇ ◇ ◇
民家には教授と講師、そして濃い褐色の髪を持ち、体格の優れた、彫りの深い顔の男が残る。
教授と講師、そしての体格の優れた男の3人は窓からそれらの車が走り去ったのを確認した後、しばらく黙っていたが、講師が重い口を開いた。
「やはり、ダンバース精神病院に保管しておいた489kgの魔力結晶は何者かが運び出したようです。残念ながら、我々が確保できたのはすでに運び出された45kgのみとなりますね。」
教授は窓の外を見たまま、それに答える。
「そうか。たったの45kgか。・・・われらが浴するべき女神の祝福を奪った者がいるな。見つけ次第、天誅を下さねばならぬ。」
「はい、教授。ダンバース精神病院跡地で記録された魔力波長の解析が完了次第、ただちにその者をとらえてまいりましょう。・・・ジラフ。あなたの出番よ。」
部屋の出口近くにある本棚にもたれかかった講師が彫りの深い顔の男に向き直る。
ジラフと呼ばれた男が部屋の中央で、長い柄の両端に球体が付いた棍棒を片手で回し、背中に背負う。
「任せておけ。何者かは知らんが、両手両足を砕いて磔にしてくれようぞ。」
「ふむ。よろしい。本件にかかわるものは私とお前たち、そしてネズミだけだ。確保済みの魔力結晶については奪い合いになるかもしれぬ。くれぐれも情報漏洩に気をつけろよ。」
・・・その時、部屋の中にもかかわらず、一瞬空気が動いたような気配がした。
教授が不思議に思い、窓から目を放し振り向くと、部屋の出口近くに立っているはずの黒人の中年女はすでに姿を消していた。
その代わりに薄暗い部屋の出口付近に、金髪で色白の左右の瞳の色が違う少女が、左手で何か黒いものを持ち、口角だけを大きく上げた、まるで道化師のような笑顔でそこに立っていた。
「・・・お前は誰だ。講師!どこに行った!」
「貴様!いつからそこにいた!」
教授とジラフは身構え、少女に向かって誰何するが、少女は全く動じないどころか何の警戒もないかのような軽快な動きで部屋の中央に向かって進み始める。
「ああ、この黒人女ね。ほら。絨毯の染みになってるわよ。」
少女が左手に持った何かを絨毯の上に放り出す。
それは、講師の首だった。
教授とジラフは少女の言葉に目を見開き、その首を見て初めて気付いた。
部屋の隅まで敷かれた絨毯を見ると元の模様がわからないほど赤く染まり、原型も分からないほどに切り刻まれた肉片のような何かが、あたり一面に散らばっていた。
教授は絶句し、よろめいた拍子に血だらけの絨毯に尻餅をついてしまう。
「ふふ。二連唱、闇よ。暗きより這い寄りて影を食め。」
少女の歌うような詠唱に一瞬で気を取り直したジラフは、渾身の力を込めて棍棒を振り下ろしたが、振り下ろされたのは棍棒ではなく、肘から先がなくなった両手と、勢いよく噴き出す赤い血だった。
「ぐぎゃあぁぁぁぁ!う、腕が!俺の腕が!」
ジラフは、後ろに下がろうとするが、だるま落としのように膝から下がバラバラになり、その場で芋虫のようにのたうち始める。
「う~ん。空間浸食魔法はやっぱり地味ね。役には立つんだけど。ええと、今何の話してたっけ?」
「き、きさま・・・、ま、まさか、魔女なのか?いつからここに!?」
魔女と呼ばれた少女は、血まみれの絨毯の上で楽しそうに踊っている。
どういう原理かはわからないが、薄紫のワンピースにも、黒いエナメルの靴にも一滴の血もついておらず、その足跡もつかない。代わりに、いくつもの円と紋様のようなものが講師とジラフの血で床や壁に描かれていく。
少女は楽しそうに踊りながら、透きとおった声で言葉を重ねる。
「ふふ。聖者エドアルドの言葉だか何だか知らないけど、あなたたちの崇める女神は無責任ねぇ?・・・『全ての善悪は女神が裁くもの』だっけ?その割には何もしていないわよね。」
「貴様!何が言いたい!我らが女神を侮辱するか!」
「女神様は貴方達が崇めてることなんてどうでもいいのよ。そうでなきゃ、自分の信徒が、何万人もの罪のない子供たちをこんなモノにするなんて、ふつうは許すはずないわよね?」
少女がやっと踊りをやめ、その左手をそっと開くと、そこにはゴルフボールくらいの大きさの魔力結晶があった。
「・・・それは女神の祝福!貴様、ロジェとオベールを殺したのか!女神のっ、グワァァァァ!」
教授の声が突然悲鳴に変わる。
彼は悲鳴とともに慌てて口元に手をやるが、その下顎は音もなく切り落とされ、大量の血と一緒に床に落ちていた。
「あなた、もうしゃべらなくていいわ。・・・『長幼の序あれど、お互いにその信心を疑うべからず』だっけ?あなたたちも女神と同じでしっかり無責任だわ。」
「き、貴様、俺たちをどうする気だ?」
両手両足を失って芋虫のようにしか動けないジラフが、憎らし気に少女をにらみつけている。
「ふふふ、大丈夫よ。私は優しいから殺さないであげるわ。生きたまま魔力結晶にしてあげる。3人とも人格情報と記憶情報を完全な形で残してあげるから。その魔力と魂が擦り切れるまで発電でもしていなさい。」
いつの間にか部屋の床や壁、天井にまで描かれた大量の円と夥しい紋様が鈍く光を放つ。
赤く、そして妖しく光りながら、それらの紋様は虫のように蠢き、教授と講師、そしてジラフの血液や肉片を巻き込み、だんだんと2人の身体と講師の頭に迫っていく。
教授とジラフは必死の抵抗もむなしく、赤い円にとらわれて身動き一つできない。
紋様が身体を蝕み、複数の円が圧縮していく。
「ガァァァァ!―――!」
部屋の中に響き渡る獣のような叫び声が消えた時には、部屋の中央に赤く鈍く光る小豆のように小さな魔力結晶が一つ落ちているだけだった。
少女はハッとした声でつぶやく。
「あ、しまった。奴らが回収済みの魔力結晶の行き先を聞くのを忘れちゃったわ。う~ん。どうしようかしら。・・・仕方ないわね。さっきの部屋のテーブルで残存思念感応魔法を使ってみるしかないわね。」
気を取り直した少女は部屋の中央にある魔力結晶を見下ろし、その小ささに鼻で笑った。
「なによ、こんなんじゃ200年もしないうちに魔力が底をつくじゃない。3人分だからもっと持つと思ったのに。・・・ああ、そういえばアフリカ系が一人混ざってたっけ。アフリカ系は魔法も魔術も使えないし、そもそも魔力がすくないからな~。古代魔法帝国の呪いかしら。まあ、いいわ。今度から別の方法を考えましょう。」
少女は左手に握ったままのゴルフボール大の魔力結晶を丁寧に清潔で柔らかな布で包み、宝石箱のような箱にしまい、懐に入れる。
続いて小豆サイズの魔力結晶を乱暴につま先で蹴り、まるで不潔なものを触るかのようにテッシュペーパーで包むと、乱雑にポケットの中に突っ込んだ。
「さってっと。思わぬ収穫があったわね。そういえば、ジェイソンが非大気依存動力の潜水艦の開発の話をしていたっけ。潜水艦くらいなら200年くらいの燃料で足りるわよね。リザの件で世話にもなったし、お土産にはもってこいだわ。」
少女がいなくなった部屋には、絨毯を汚した血の跡も、壁や天井に描かれた円や紋様も何も残ってはおらず、ただ、ジラフと呼ばれた男の不格好な棍棒が残されているだけだった。