84 光陰の魔女・狂気の産物②
1978年8月中旬
ジェーン・ドゥ
「マスター?コレ、どうしましょうか?」
ダンバース精神病院の隠された地下室で立ち尽くしていた私は、吉備津彦の声で我に返った。
「そうね・・・。とにかく徹底的にここを調べましょう。場合によっては、あなたを喚んで正解だったかもしれないわ。」
それまで穏やかだった吉備津彦の気配が一瞬で切り替わる。太刀の柄巻に右手を、帯執に左手を添え、腰を低く落とす。
「マスター、いつでもどうぞ。」
「警戒をお願い。誰か来たら殺さないように無力化して。・・・首と胴体が繋がってさえいれば何をしてもいいわよ。」
「承りました。」
周囲の警戒は吉備津彦に任せ、本棚にあるファイルを流し読みする。
純魔力の固定方法、圧縮方法、安定化のプロセス・・・どれも目新しい技術ではない。
先日、大統領閣下に説明した内容とほぼ同じだ。
だが、この設備ならば魔力の抽出方法に関する資料が必ずあるはずだ。
構わず読み終わったファイルを後ろに放り投げ、次のファイルを開く。
当初の予定では痕跡を残すつもりはなかったが、状況が変わった。
この施設は必ず破壊しなければならない。当然、研究結果もだ。
「あった・・・!」
目当ての資料を見つけ出し、その内容を注意深く読んでいく。
「魔力抽出・・・。潜在魔力の高い人間からの抽出、それも少年少女から・・・。人格情報維持のための基礎魔力まで?・・・生命力そのものの魔力への変換!?最悪ね・・・魔力結晶を1g作るために、素質がない子供なら二百人、素質がある子供でも十人分の命が必要って・・・。狂ってるわね。」
この身体に入って以来、これほど胸糞悪い思いをしたのは初めてだ。
よりによって、人殺しの道具を作るために守るべき子供の命を材料にするだと?
「マスター。この施設の人間を根切りにしてもよろしいですか。」
私の独り言を聞いた吉備津彦がものすごい形相をしている。
こいつ、無類の子供好きだからな。
「ええ。許可するわ。誘拐されてきた子供とそうでない連中の区別はつくわね?・・・あ、でも首だけは残しておきなさい。記憶を読んで芋づる式にしてやりたいから。」
その言葉を聞いた瞬間、吉備津彦は重い大鎧を風のように翻し、隠し扉に続く階段を駆け上がる。
そして目に留まらぬほどの速さで抜き放った大太刀を振るい、キンッ!という甲高い音とともに防爆仕様の隠し扉とカーペットを粉々に寸断した上で、ダンバース精神病院の廊下を駆け抜けていった。
「うわ。完全にキレてるわね・・・。ええと、まだ読んでないファイルは・・・。」
未読のファイルを調べていくと、氏名や数値が書かれたリストが見つかった。
「このリストは・・・子供たちの名前ね。リザの名前は・・・。あった。エリザベス・ベル。この数値は潜在魔力量か。ほかの子供の30倍近くあるわね。」
どういう順番で並べたかは分からないが、リザより4人以上前に記載された子供たちの名前はすべて二重線が引かれており、処理済みとスタンプが打たれている。
「このファイルも・・・このファイルも。リストの全員が処理済みになってる。こっちは南米からの移民のリストね。これは、日本人のリスト?それからこれは、ユダヤ人の子供の名前ね・・・。」
リストが制作された時期はかなり昔のようで、リストの最初の方の紙が少し黄ばんでいる。
この部屋の機械類は新しいようだが、それほど古い時代からこんなことをしていたのか。
処理済みとされた子供の人数だけで約10万人。これから誘拐しようとしている人数だけでも、3万人以上の名前が記されている。
一冊だけ赤いファイルのリストに示された名前をなぞっていくと、懐かしい名前が他と比較できないほどの数値とともに記載されていた。
・・・三好美代の名前が。
「ふざけてるわ。一番数値が大きな私から狙えばよかったものを。それに潜在魔力量が、ほかの子供のたったの百万倍ちょっと?舐めないでもらいたいわ!即時運用可能魔力量だけでも五十億倍以上あるんだから、そんなに魔力が欲しいなら、迷わず一番に私のところに来なさいよ!」
20メートル四方はあろうかという棚一杯の、数百キロに及ぶ魔力結晶に囲まれながら何百人もの子供の命を飲み込んだであろうカプセルの蓋を何度も叩く。
気付いた時には、両手ともに血だらけになって感覚がなくなっていた。
カプセルの横に置かれた、電源が切れたモニターに、私のひどい顔が映っている。
《マスター。施設内の根切りが終わりました。それと、子供を3人、男の子1人と女の子を2人保護しています。一人は幻想種ですね。ただ、いずれも重度の薬物中毒状態です。解毒呪と回復治癒呪をお願いします。・・・マスター、どうされました?》
吉備津彦がこの部屋を出て行ってから3分ちょっとしか経ってないが、もう終わったのか。
・・・もうあいつだけでいいんじゃないかな。
《大丈夫だ、何でもない。施設の関係者は?》
吉備津彦の念話に気を取り直し、何か所か骨が砕けた両手を回復治癒呪で修復する。
鉄製のカプセルは大きくゆがみ、のぞき窓は砕けていた。
《人間は全部で32名、うち魔法使いは2名、残りすべてが魔術師です。他、アンデッドが2体いましたが、術式ごと寸刻みにしておきました。人間については、脳は傷つけていませんのでご安心ください。すぐに首実検ができるよう、大会議室に並べておきました。座標を送ります。》
《ありがたい。頼りになるな。32人か。施設の性質のわりに少ないな。アンデッドがいるってことは、教会の信徒がいたということだな。》
《はい。黒い短杖を装備していた2人の魔法使いが教会の信徒と思われます。また、設置されていた自爆系の術式はすべて破壊しましたのでご安心ください。》
《助かるよ。それに生き残りの子供がいてよかった。首実検が終わり次第すぐに治療しよう。幻想種の子供か。珍しいな。種族はわかるか?》
《はい。エルフの少女です。見た目は10歳前後ですが、おそらく実年齢は80歳くらいでしょう。》
《吉備津彦としては、80歳だと子供に見えないんじゃないか?残念だったな。》
《・・・僕はロリコンではありませんよ。子供の守護者です。それに、エルフの80歳はまだ子供ですよ。》
沈み切った感情を誤魔化すかのように軽口を言ったが、少しスベったかもしれない。
ん?エルフ・・・?どこかで最近会ったような気がするが、どこだっけか?まあいいか。
それよりも、魔力結晶が収められた隠し部屋に誰も入れないようにしておこう。
カプセルの周囲に飛び散った自分の血液と、塩化ビニルのパイプを見て、ふと考える。よし、毒ガスでも撒いておくか。
「母なりし海を統べる第十七の元素精霊よ。汝の浄化の力を以て万物を侵し生命の壁を打ち崩せ。」
飛び散った血液と塩ビパイプから瞬時に刺激臭のある黄緑色の気体が噴出し、あたりを満たしていく。
◇ ◇ ◇
塩素ガスで満たされた隠し部屋を後にし、吉備津彦の示す大会議室へ向かうと、会議用テーブルに打ち落とされた男女総勢32名の首が整然と並んでいた。
《吉備津彦。これから首実検を行う。子供には見せられないから、建物の外に出ていてくれ。ああ、敵の増援が来たら容赦なく殺せ。》
《承りました。敵が来るまでの間、子供たちが不安そうなので子守歌でも歌っておきますね。》
吉備津彦の念話が終わる瞬間、小学校唱歌のような声が聞こえた。
・・・意地でも自分のことをそう呼ばせたいのか。
よし。これからあいつの名前はピーチボーイだ。そしてあいつの太刀はピーチスレイヤーだ。
ん?それだと逆の意味になってしまうか?
テーブルの上に丁寧に並べられた首は、すべて血を拭き取られ、髪を整えた上で唇に紅をさしてある。
「吉備津彦ったら、相手が罪人であると思っても礼儀は欠かさないのね。・・・まあ、そう考えるのは古い日本人だけだと思うけどね。」
例外なく一刀のもと切り落とされた首は、すべて目を閉じており、吉備津彦の性格が見て取れた。
それにしても、女の職員相手でも太刀筋に躊躇いがない。
あいつ、日本の英雄、だよな?
まあ、外道や人殺しに男も女もないか。
「さて、人数が多いわね。子供たちを早く治療したいし、遠慮はしないわよ。・・・双頭の騎士にして墓の管理者たるビフロンスよ。26軍団を率いる序列46番の伯爵よ。魔女の名において命ずる。汝が民に裁きを与え、彼の者の罪を詳らかにせよ。」
残留思念感応魔法を用いて並べられた首から情報を抜き取っていく。
・・・う~ん。こいつら、地獄に落ちたほうがいいような連中ばかりだ。この世より深い地獄があればだがな。
どうせ殺すものと思っているからか、どいつもこいつも子供たちを自分の欲望の捌け口にしていたよ。
・・・うわ。女の職員のほうがやり口がひどいな。生きている子供たち、大丈夫だろうか。
大体の記憶を抜き取り終わり、情報を亜空間上のストレージに保存していく。
この施設に類似する研究所はなし、か。まあ、そうだろう。こんな施設がそこら中にあったら、今頃は合衆国から子供がいなくなっているだろう。
それに、ここまで非人道的な研究をしているならば、良心の呵責に苛まれて情報を漏らす奴がいるかもしれないし、逆に他にない画期的な研究をしていると思えば自慢したくなる奴も出るだろう。
施設にいなかった関係者の名前は・・・。よし、政府関係者はいないな。関係してるのは魔術結社の2人と、教会セイラム本部に勤める信徒幹部の数人だけか。何よりの幸いだ。
・・・ん?セイラム本部?教会の本部?
「・・・ついにみつけた!!とうとう尻尾をつかんでやったわ!!地獄の苦しみを味あわせてでもあの子のことを吐かせてやる!」
誰も見ていないところで両こぶしを握り締め、天を仰ぐ。
長かった。本当に長かった。あと少し、もう少し。
◇ ◇ ◇
はやる気持ちを抑え、会議室を後にする。
外で吉備津彦と子供たちと合流し、解毒と回復治癒を行った後、魔力結晶を保管した隠し部屋に戻って塩素ガスを中和したところで、マンハッタンのオフィスにいるメネフネからの念話を受信した。
《マスター。メネフネデス。ジェイソン局長からの緊急連絡がありマシタ。マサチューセッツ州警察に出動の要請があったソウデス。おそらく、目的地はダンバース精神病院と思われるとのことデス。至急の離脱を進言シマス。》
《意外に遅かったな。こちらは魔力結晶を回収したらすぐに戻る。ああ、そうだ。強制長距離跳躍魔法で大量の魔力結晶を送るから、受け取ってくれ。》
《かしこまりマシタ。大量ってどれくらいデスカ?》
《目算で約500kgといったところか。》
《なんデスッテ?500gではなく500kgとおっしゃいマシタカ?》
《ああ、500kgだ。安心しろ、完全に安定している。真横で暴走熱核魔法を使っても誘爆しないよ。》
《・・・マスター。その量が誘爆したら、この星のデザインが変わりマスヨ。・・・それと、マンハッタンのオフィスのセキュリティーレベルの引き上げを進言シマス。》
《ああ。もちろんだ。私のデスクの二番目の引き出しに召喚符の束があるから、お前の好きな眷属を呼んでおいてくれ。わからなかったらシェイプシフターにでも聞いてくれればいい。》
《ええと、召喚符、あっタ。これデスネ。じゃあ、主天使以上の天使を3体ほど喚んでおきマスネ。》
《主天使級を3体って、ノルマンディ上陸作戦時の連合軍でも押し返せるぞ。・・・そんなに怖がらなくてもいいじゃないか。それと今、魔力回路をお前に繋いだから、召喚に要する魔力はそこから使ってくれ。》
《500kgも魔力結晶があるノニ、ワザワザこの距離で魔力回路を繋ぐんデスカ?ロスが多いデスヨ?》
《いいか、絶対に魔力結晶には手を付けるな。例え私に何があってもだ。》
《分かりマシタ。念話を終了次第、召喚シマス。》
《よし。召喚が終わったらオフィスの屋上で待機しろ。》
吉備津彦が魔力結晶を地下の隠し部屋から運び出し、それを私が順番に強制長距離跳躍魔法でマンハッタンのオフィスに送っていく。
「勇壮たる風よ。汝が御手により彼の者を在るべき処に送り給え・・・よし、これで最後ね。」
すべての魔力結晶の運び出しが終了し、魔力検知を行い、取り残しがないことを確認する。
「マスター。この三人はどうしますか?」
吉備津彦が保護した子供たち3人は、いつの間にか彼の手や大鎧の草摺を掴み、完全になついている。
相変わらず子供に好かれやすい奴だ。
「そうね。家族の元に送り返したいところだけど、強制長距離跳躍魔法でそのまま送ればいいというものでもないしね。」
「そうですね。ご家族が無事とは限りませんからね。・・・君たち、おうちはどこかな?」
3人のうち2人はすぐに自宅の住所を告げる。外出先で誘拐されたらしく、両親が害されたということもないようだ。
だが、幻想種の少女だけ事情が違ったようだ。
「・・・私は家に帰れない。お母さんもお父さんも私を売ったから。1000万ルーブルだって喜んでた。75歳になっても魔法が使えないから、一族の面汚しなんだって言ってた。」
エルフの少女はそう言って、顔を伏せる。
両親に見捨てられ、帰る家もなく、力なくその場に座り込む。
「マスター。何とかなりませんか?なんでしたら、僕が育てても・・・。」
なんというか、吉備津彦は子供には本当に甘いな。
「駄目です。あなたに子育てなんてできる訳ないしょう?狂戦士でもつくるつもり?」
「僕を召喚し続ける魔力コストのことは言わないんですね。やっぱりマスターらしいです。」
吉備津彦は優しく笑いながら少女の頭をなでている。
「子供たちの今後を考えるのは後にしましょう。まずはこの場を何とかしなきゃね。」
少なくとも、ここに接近中の州軍に子供たちを任せるのは却下だ。
なぜこの子たちが誘拐されたかを知れば、この愚かしい行いを真似するものが必ず現れる。
同じ理由で、この施設は無に帰す必要がある。
「吉備津彦。今すぐマンハッタンに子供たちと一緒にあなたを送るから、後をお願い。」
「承りました。お早いお帰りをお待ちしております。」
「ええ。明日の朝いちばんには帰るわ。アルバートのところにも顔を出したいしね。あ、ダニエルの肩のケガ、治すの忘れてたわ。・・・そうね。メネフネにお金をもらって子供たちにお菓子でも買ってあげて。ご家族を探したりするのは明日以降でいいわ。」
「はい。ではマスター。お願いします。」
「よし。・・・勇壮たる風よ。汝が御手により彼の者を在るべき処に送り給え。」
光の尾を引いて吉備津彦と3人の子供たちが飛んで行く。
それを見送った後、魔法の箒に跨り、ダンバース精神病院の全体が見える高度に到達した時点で轟炎魔法の詠唱に取り掛かった。
「二百連唱、炎よ。火坑より出でし死火よ。猛りて寥廓たる天地を焼き尽くせ。」
私の指先から眼下のカークブライド様式の歴史的建造物の中心に向けてピンポン玉程の大きさの光の玉が勢いよく飛んで行く。
その尖塔に光の玉が触れた瞬間、閃光を放ち、高さ数百メートルに達する焔の柱がダンバース精神病院のすべてを包み込む。
熱核魔法には及ばないが、火炎を発する魔法の中ではかなりの火力を誇る魔法だ。
この火力ならば、タングステンだろうがレニウムだろうが関係なくすべて溶け落ちるだろう。
焔の柱が空を赤く染め上げてから十数分もしないうちに地平線の彼方に州軍のものと思われる光が見え始めたが、すでにダンバース精神病院だった建築物群は溶岩のように溶け落ち、全ての遺体も痕跡も無くなっていた。
私は箒の上で犠牲になった子供達に短い黙祷を捧げた後、再びアルバートと合流しダニエルの肩の治療をするため空を駆けて行った。