83 光陰の魔女・狂気の産物①
1978年8月中旬
ジェーン・ドゥ
アルバートに招かれて彼の孫娘のバースデーパーティーに出席することになった。
部外者がいきなり行っていいのかと迷ったが、アルバートが言うところでは、ひ孫の孫だから立派な血縁者らしい。私のことは、彼の親族ではかなり有名なんだそうだ。
もちろん当時と身体は違うけどな。まあ、それは説明してくれてあるらしい。
アルバートの車で孫娘の家が見えてきたころ、紺色のバンとすれ違う。
側面や後部ドアに新しい弾痕が目立つ、前衛芸術に富んだデザインの車だ。
「危ないですな。こんな夜道を馬鹿みたいな速度で飛ばして・・・。」
運転席のアルバートがつぶやく。
「そうね。どこかで街灯とか崖とかに突っ込めば面白いわよね。」
車のデザインが気になった私は適当に返事をしつつ、何気なく追跡術式と監視術式を撃ち込んだ。これで事故を起こしたらパーティーのネタにしてやろう。
◇ ◇ ◇
アルバートの孫娘の家の前で彼が車を停めると、玄関の横に若い女性がうずくまっている。
肩と腹から血を流し、すでに心臓は止まっているようだ。
「ひどいわね。・・・アルバート。まだ心臓が止まってから時間が経ってないわ。とりあえず助けましょう。彼女は知り合い?」
アルバートは狼狽えながら答える。
「だ、ダニエルの・・・あ、もう一人の孫の嫁のキャシー・・・キャサリンです。助かりますか?」
「大丈夫、私に任せなさい。脳さえ無事なら、首だけになっても助けて見せるわ。」
キャシーの肩と胸に両掌をかざし、素早く回復治癒呪を使う。出血の量もそれほど多くない。人格情報も記憶情報も完全な形で残っている。
これなら一呼吸で治せるだろう。
アルバートが警戒しながら玄関ドアを開けると、ドアベルが牧歌的な音を立てる。
ドアベルに気付いたのか、家の中から若かりし頃のアルバートによく似た顔立ちの青年が飛び出してきた。
「リザ!来ちゃだめだ!・・・爺さん?それとこの子は?」
青年は狼狽えながらも周囲を注意深く見まわしている。いまだ警戒を怠っていないようだ。
「アルバート。彼がダニエルでいいかしら。彼、何かの事件に巻き込まれたようね?」
「はい。孫のダニエルです。・・・何かあったようですな。まったく、あなた様がいるときで本当に良かった。」
ダニエルは祖父の言葉と少女の行動を訝しげに見ながらも、興奮しながら受話器を取り、救急と警察に電話をかけようとする。
「待て。ダニエル。救急は必要ない。・・・見ろ。」
その言葉に従い、ダニエルがキャシーに目をやるころには彼女の肩と腹に空いた穴は跡もなく塞がり、規則正しくゆっくりと呼吸を始めていた。
「なっ!キャシー!大丈夫か!?」
ダニエルがキャシーに飛びつき、肩をゆすると彼女はうっすらと目を開け、つぶやいた。
「光の川が見えたわ・・・。ああ、死ぬかと思った。」
ダニエルは泣きながらキャシーを強く抱きしめている。
「ダニエル。ほかに死傷者はいないかしら?時間が経ちすぎると、蘇生しても後遺症が出るわよ。」
ダニエルはハッとしたかのような表情をすると、慌てるかのように私の手を引き、家の中へ招き入れた。
「そうだ!母さんが撃たれたんだ!こっちだ!リビングに来てくれ!」
ダニエルの言葉に従いリビングに入ると、その中央に中年の女性が倒れ伏していた。
彼の母親だろう。彼女も心臓が止まってからそれほど経っていないのか、脳細胞に目立った損傷はないようだ。
よし、これなら記憶情報も人格情報も完全な形で残っている。
そっとその胸に手をかざし、回復治癒呪を行使する。
胸を45口径のソフトポイントで複数回撃たれたのか。
おいおい、左肺の下半分と肺動脈、心臓に至っては左冠状動脈のすべて、左前下行枝と左回旋枝の両方が心筋ごと吹き飛んでいるじゃないか。これ、私がいなければ完全に即死状態じゃないか。
近くにあったローストビーフを一枚手に取り、破損した心筋と合わせてアミノ酸まで分解した後、蛋 白 工学に基づいてタンパク質から心筋を再生していく。
すまんな。質量が足りなかったからローストビーフ製の心臓で我慢してくれ。
いや、ちゃんと人間の細胞にはしたけどさ。
その代わりといってはなんだが、死ぬまで心臓病にはならないようにしたから。
時間にしてだいたい10秒ほどだろうか。身動き一つしなかった女性が咳き込むような動きをした後、ゆっくりと起き上がった。
修復した右肺に血液が残っていたか?
彼女はきょろきょろとあたりを見回している。おそらく混乱しているだけだろう。魂の情報に欠落はない・・・よな?
廊下に転がる2人の若い男たちをつま先でつつきながら、ダニエルの母親を様子を見る。
「血を流しすぎたようね。落ち着くまでそこのソファーで横になっていたほうがいいわ。後で牛乳か何かから造血してあげるから。・・・ええと、この2人は知り合い?見たところ、パーティーに参加するような格好に見えないけど?」
私の言葉に従い、アルバートとキャシーが協力して彼女をソファーに寝かせている。
お、キャシーはもう動けるのか。出血の量がそれほど多くなかったからだろうか。
「そいつらは襲撃犯だ。まだ生きてるならそのまま警察に突き出すつもりだったがどうかしたのか?」
ダニエルがショットガンを拾い、散弾を込めながら、心底憎らしそうに言った。
「そうね。生きてるなら生かしておくわ。まだ何もわからないしね。」
2人の男の片方はまだ息があるようだったが、もう一人は顔面に散弾が撃ち込まれたようですでに息絶えている。
・・・この男は治しても元通りにならなそうだ。顔だけではなく脳の一部までが吹き飛んでいる。おそらく、記憶情報か人格情報か、あるいはその両方に欠落が出るだろうな。
とりあえず両方とも最低限の蘇生と生命維持だけはしておくか。不要なら魔力をカットすればいいだけだしな。
「リザ!リザはどこ!?」
それまで黙っていた母親が突然悲鳴のような声を上げた。
「エマ、リザがどうかしたのか?まだ帰っていないようだが・・・?」
アルバートがダニエルの母親らしき女性をエマと呼び、その身体をやさしく支える。
「母さん、まさかと思うけど、ここにリザもいたのか?」
ダニエルの言葉に、エマは半狂乱になりながら叫ぶ。
「男たちが4人入ってきたかと思ったら、嫌がるリザを無理やり連れて行こうとしたの!1人はハイスクールの同級生だっていうから家にあげちゃったんだけど、いきなりリザに麻袋をかぶせたかと思うと、私を銃で撃ったのよ!」
「母さん!落ち着いて、すぐに警察を呼ぶから!」
「ダニエル!あなた、肩を撃たれてるじゃない!救急車!」
「待て、ダニエル。その前に今の状況を話せ!今ここには世界最強の味方がいるんだ!」
三者三様で大騒ぎをしているが、アルバートは私の力を知っている。とりあえず、この場は彼が何とかするだろう。
それよりもリザとかいうアルバートの孫娘は誘拐されたのか?
家族がいるところで堂々と連れ去り、目撃されたら構わず射殺しようとするとは。これは身代金目的ではないな。
では、彼女自体が目的か?何のために?
ふと床に落ちている銃を手に取る。減音器を装着した、コルトの45口径だ。
ロングバレルの銃口先端に刻まれたネジは、見る限りではかなりの高精度に作られており、工場でバレルを加工されたものに違いなさそうだ。減音器の減音材も質が良い。
いずれも密造品ではなく、軍用規格品で間違いないだろう。
・・・サプレッサーは連邦火器法によって所持が規制されていたはずだ。こんなハイスクールに通うような子供がアルコールたばこ火器爆発物局に登録してまで持っていたとは考えにくい。
わいせつ目的誘拐だとしても、装備が良すぎる。
考えても始まらないな。
腰を吹き飛ばされたほうの男をリビングまで引き摺り、その額を鷲掴みにして詠唱を行う。
「天空にありしアグニの瞳、天上から我らの営みを見守りしミトラに伏して願い奉る。日輪の馬車を駆り、彼の者の真実を暴き給え。」
詠唱を終えると同時に男が気味の悪いくらいの早口で自分の秘密を捲し立てはじめる。
・・・私が言うのもなんだが、相変わらず気味の悪いしゃべり方をさせる魔法だ。
この魔法、相手の情報のほとんどは念話で読み取れるから、いちいち聞かなくてもよかったんだけど、音声記録を必要とすることもあるからな。
いっそ2つの魔法に分けたほうがよかったか?
強制自白魔法により、面白いように秘密を話し始めた男を見て、ダニエルがさらに狼狽えている。
「何してるんだ?それに、さっき2人を生き返らせたのだって・・・。」
事件の当事者として母親と妻を一緒に失いそうになったのだ。妹も行方が分からないし、いろいろ知りたいのも当然だ。とにかく、彼に説明しながら男たちの読み取りをするか。
「ええと、今・・・。」
「ダニエル。彼女こそが本物のミーヨだ。世界最強の味方がいると言っただろう?何とでもなる。任せておけばいい。」
・・・アルバート。説明するくらいなら、そんなに手間ってわけでもないんだが。何より私に対する信頼がすごいな。孫娘のことが心配にならないのかね。
「まさか!彼女があの魔女ミーヨなのか!手を翳すだけで山を抉り島を沈め、天候を操り、モーゼのように海を割り、イエス・キリストのように死者を蘇らせるという!」
「・・・アルバート?あなた、孫に何を吹き込んだのよ?」
思わずジト目でアルバートを見てしまう。
他のはともかく、完全に死んだ人間を蘇らせることは、まだ一度も成功してないぞ。一応、理論だけは組み立ててはあるが・・・。
アルバートと目線があったが、目をそらしやがった。
「そうだ!海を割り、私を助けてくれた伝説の魔女だ!崇めるべきわが一族の神だ!」
「ええぇ!この子が魔女ミーヨ!?あなたのお爺さんの話ってホントだったの!?」
「魔女様!リザを!リザを助けて!」
うわぁぁぁ、アルバートのやつ、神扱いまでしやがった。それにつられてキャシーとエマまで騒ぎ始めたよ。
確かに山を抉ったことも島を沈めたこともあるけどさ。
海を割ったってのはアレか。潜水艦を持ち上げるときに使った重力加速度制御魔法のことか。重力制御で押しのけた海水は確かに壁みたいに見えるからな。
だが、さすがに紅海は割っても渡れないぞ。なんたってあそこの水深は平均で2,000m、最深部は3,040mもあるからな。ちょっとした登山の装備が必要になる。
・・・これで万が一、リザを助けられなかったらどうしようか。ちょっと怖くなってきたよ。
お、誘拐犯の頭の中の記憶情報の解析が終わった。
どれどれ・・・?
お、やっぱりさっきのバンか。追跡術式を撃ち込んでおいて正解だったな。
半分以上は野次馬根性だったが・・・。
ん?なんだって・・・。やつら、そんなことを考えていたのか・・・。
「アルバート。ちょっとマズイことになったわ。すぐにリザと誘拐犯を追わなきゃならないから、この2人の処分を頼んでもいいかしら。」
「処分ですね。・・・殺して庭に埋めればよろしいですかな?」
アルバートのやつ、いきなり物騒なことを言い出したな。
だが、この状況を警官に言っても信じはしないだろう。
よし、面倒事はジェイソンに振ってしまおう。これまで合衆国の世話を散々させられてきたんだ。少しは役に立ってもらうか。
「ええと、ここに電話すれば何とかしてくれるわ。メネフネっていう眷属・・・使い魔がいるから、指示に従って。それと、そこの箒、借りるわよ!」
マンハッタンのオフィスの電話番号のメモを置き、彼らの返事も聞かず、箒に素早く術式を刻み跨る。
後ろで何か歓声のような声が聞こえるが、気にせず強く大地を蹴って空に舞い上がった。
◇ ◇ ◇
・・・しばらく追跡術式を追い続けてみたが、例のバンはダンバースの郊外、ダンバース精神病院に向かっていることが追跡術式に並列起動している監視術式から判明した。
ダンバース精神病院といえば、ボストンの著名な建築家であるナサニエル・J・ブラッドリーが19世紀末に建てたことで知られる、カークブライド様式の建築物として有名だ。
今では治療法が非人道的であると疑問視され、入院患者が激減しているはずだが、誘拐犯のアジトになるような種類の施設でもないはずだ。
・・・いや、あそこはつい最近まで前頭葉白質切截術をやっているという噂があったな。
施設としては異なるが、やつらの狙いと教会の狂信者の妄想、そして魔術結社の暴走と繋がるのであれば面倒なことになる。
◇ ◇ ◇
しばらく進んで箒に跨ったままダンバース精神病院を眼下に見下ろしていると、先ほどのバンが敷地内に停車し、2人の男が袋のようなものを担いでいるのが見えた。
その向こうには警備員だろうか、制服を着た男が2人立っている。
動きからすると誘拐犯の仲間のようだ。
袋が暴れているところを見る限り、リザは生きているように見える。
・・・ダンバース精神病院で何が行われているか非常に気になるところだが、今はリザを助けるのが先だ。
「静かなほうがいいかしら。・・・四連唱、闇よ。暗きより這い寄りて影を食め。」
2人の誘拐犯の男と2人の警備員に空間浸食魔法を撃ち込む。
男たちの影が一瞬盛り上がるような動きをした後、音もなく4人ともその場に崩れ落ちた。
この魔法は空間衝撃魔法と似たような原理で、攻撃対象になるものに余剰空間をヒビ状に撃ち込んで侵食し、亀裂だらけにしてしまうという代物だ。
男たちは身体の大部分を余剰空間に侵食され、全身ヒビだらけでズタズタになっており、悲鳴を上げることもできずに絶命している。
「う~ん。やっぱり地味ね。便利で強力なんだけど、やっぱり私の趣味ではないわね。」
この魔法は完全に物理防御不能で、かつ私以上に高圧力の魔力で抵抗する以外に防御する方法はないし、瞬間的に作動し一切の光も音も出さないため、事実上回避する方法はない。
また、空間制御系攻撃魔法の特徴でもあるが、対象までの空間を跳び超えていきなり作用するため、防御障壁系の術式も意味をなさない。
だが、とにかく地味だ。目立った欠点はないんだけど。
欠点があるとすれば、光撃魔法を上回るコストの高さくらいか。
ま、誰かに教えるつもりもないし、教えても使える人間はいないだろうな。
とりあえず、リザを助けるか。
「大丈夫?リザ。・・・ちょっと動かないで。今助けるわ。あら、この麻袋、すごく頑丈ね。術式束767を発動。・・・えい。」
いまだにもがいている袋の前に降り立ち、身体強化と物理防御術式を発動した手で力任せに袋を引きちぎる。
「ぶはっ!た、助かりました。・・・あなた、誰?なんで私の名前を?」
袋の中から出てきた少女は、先ほど見たエマを若くしたようなイメージで、どことなくアルバートやダニエルに似ている。
「あなたのお爺さんに頼まれて助けに来たのよ。彼からバースデーパーティーのゲストが一人増えるって聞いてない?」
「そういえばスペシャルゲストが来るって聞いていたかも。あ!そんなことよりママは無事!?袋をかぶせられたときに銃声みたいな音が!」
ん?ああ、エマが撃たれたところを直接見たわけではないんだな。
「大丈夫、あなたのママは無事よ。こんなところに長居は無用だわ。あとは私が片付けておくから、早く帰りましょう?」
リザを連れたままこの病院を調べることはできない。だが、この病院で行われていることはおそらく、見過ごせるものではなさそうだ。
・・・よし。リザは強制長距離跳躍魔法で送ってしまうか。
「ねえ、あなたの名前は?」
そういえば、今回はまだ名を名乗っていなかったな。うん?さっき、ダニエルが私のことを「魔女ミーヨ」と呼んでいたっけ。まあ、それでいいか。
「あなたのお爺さんやお兄さんは私のことを『ミーヨ』と呼ぶわ。正しくはひとつ前の身体の名前なんだけどね。詳しくはお爺さんに聞けばわかるから。」
「え!?もしかしてあなたが大魔女ミーヨなの!それにひとつ前の身体って・・・。」
「これから魔法であなたを家まで送り届けるわ。目をつぶって口を閉じていて。・・・勇壮たる風よ。汝が御手により彼の者を在るべき処に送り給え。」
まだ話し足りなそうなリザの手を引き寄せ、強制長距離跳躍魔法を行使し、アルバートたちのいる家に向け飛び立たせる。
「うわっ。ちょっ・・・きゃあぁぁぁ・・・!」
リザの悲鳴が細長く響き、星明りの空へ消えていった。
さてと。大した距離でもないし、15秒くらいで家につくだろう。
◇ ◇ ◇
ズタズタになった死体を調べたが、損傷が激しすぎて記憶を読むことが出来ない。
少しやりすぎたか。
死体を放り出し、思案に暮れているとメネフネからの念話を受信した。
《マスター。マンハッタンのメネフネデス。アルバートから連絡がありマシタノデ、経過をお知らせシマス。》
《今日は休みだというのにわざわざマンハッタンまで出勤させてすまないな。で、どうなった?》
《アルバートがすぐにコチラに電話をくれタノデ、国防捜査局のウィリアムズ局長に対応を依頼しマシタ。現在対応チームがヘリで急行中デス。》
《そうか。ほかには?》
《イエ、それだけデス。・・・ちょっとお待ちクダサイ。今、リザが到着したとの連絡がありマシタ。無事に帰宅できたとのことデス。リザは喜んで興奮しているようデスネ。》
《そうか、よかった。強制長距離跳躍魔法は人によっては恐怖を感じるらしいからな。今回の件がすんだら、お前には何日か代休をやるからバナナパフェでも食べに行くといい。引き続きよろしく頼むよ。》
《マスター。休暇を与えるためだけに魔力を使って召喚を続ける術者なんて普通はいないと思うんデスケド・・・。それより、そちらで誰か召喚してはいかがデスカ?》
う~ん?永く生きる私としては、ずっと一緒にいてくれる眷属も大事な家族なんだがな・・・。
《分かった。そうだな。誰にするか・・・。》
ふと上を見上げると、星明りの照らされたダンバース精神病院がどこか鬼ヶ島のように見えた。
鬼ヶ島・・・鬼退治・・・。
よし、久しぶりに彼を喚ぶか。
「真金吹く吉備を平らぐ若人よ。桃より出でて温羅を斃せし者よ。我は犬飼健命・楽々森彦命・留玉臣命の名を借りて共に歩を刻むものなり。出でよ。吉備津彦命!」
詠唱が終わると同時に、古風な大鎧に太刀を佩き、白い鉢巻を巻いた15歳くらいの少年が姿を現す。
犬(犬飼健)と猿(楽々森彦)と雉(豊玉臣)は呼ばない。
・・・いや、呼べるんだけど、いくら何でも過剰戦力だ。一刻で城塞都市をアギラール城をはじめとした5つの支城ごと陥落させる気なら別だけどさ。
「マスター。お久しぶりです。・・・鬼はどこですか?首はどこですか?」
吉備津彦は太刀を抜き放ち、血走った目で周囲を見回している。
・・・いかん。しばらく喚んでいなかったからストレスでも溜まっていたのか。それとも人選を誤ったか?
「ごめんなさい、チェンジで。」
送還用の術式を起動しようとすると、吉備津彦は太刀を納め、いきなり私の足に抱き着いてきた。
「ちょっとぉ!冗談、冗談ですよ!いくら僕でも、いきなり罪のない人間を切り殺すことなんてしませんから!向こうは退屈なんですよ!」
・・・なんというか、無補給、休憩なし&無傷で一つの島の鬼を皆殺しに出来るほどの強さがあるくせに、中身は子供なんだよな。
キレた時は完全に大量殺戮兵器になるんだが。
まあ、いいか。
「吉備津彦。良いって言うまで誰も殺しちゃダメよ。じゃあ、私のバックアップをお願いね。」
「はい、マスター。あの、僕のことを呼ぶなら吉備津彦じゃなくて桃太・・・」
「吉備津彦。あなた、元服まだだっけ?」
「いえ、僕は吉備津彦です・・・。」
う~ん。今後やらせることを思うと、子供に大人気なその名前は聞きたくないかな。
吉備津彦を伴い、電磁熱光学迷彩術式を起動してダンバース精神病院の裏口から中に忍び込む。
・・・ん?左側の視界が妙だ。空中を何かが漂っている?
ああ、これは魔力線か。肉眼で見るのは初めてだな。そういえばこの眼、魔眼だったっけ。っていうか、ほとんど使わないから存在を忘れていたよ。
これ幸いと左眼で見える魔力線をたどっていくと、魔力線の密度がだんだんと高くなり、廊下に敷かれたカーペットの下から流れ出ているのが見える。
「この下に何かあるわね。吉備津彦。カーペットをめくってくれる?」
「はい、マスター。すごいですね。なんでわかったんです?」
吉備津彦がめくったカーペットの下には、地下への階段の扉が隠されていた。
「この左眼、魔眼なのよ。この身体に入った時から全く使ってなかったんだけど、こういう探索の時は役に立つわね。」
「年端もいかない少女の身体に魔眼ですか。元の持ち主は相当苦労したでしょうね。」
「そうね・・・。っと。鍵がかかってるわね。神秘の守護者よ。我は奇跡の言霊を以て汝を解き放つ者なり。・・・よし。行くわよ。」
っていうか、この身体の年齢って何歳なんだろう。吉備津彦とそんなに変わらないと思うんだけど。
隠し扉は電子式のナンバーロックで施錠されていたが、強制開錠魔法で構わず突破する。
それにしても、防爆仕様の隠し扉に電子錠か。厳重なことだ。
小さなモーター音とともに扉がせり上がり、地下へ続く階段が現れる。
念のため、定点間中距離転移術式の準備だけしておくか。
階段を下り、念動呪と透視呪を使って隠し扉とカーペットを元に戻しておく。
暗い廊下のような空間を進み、少し開けた空間に出た瞬間、思わず絶句してしまった。
その部屋は、二つの部屋がガラスで隔てられていた。
手前の部屋には、大量のファイルを収めた本棚とコンピュータを制御する座席、そして人がすっぽりと入るようなカプセルと断続的に低いうなり声をあげる機械があり、それらをつなぐコードやパイプには強い魔力線がまとわりついている。
その機械の中では、今も大量の魔力を帯びた赤い何かの圧縮作業が行われているようだ。
奥の部屋には約20メートル四方の部屋にところ狭しと並ぶ棚があり、そこにおさめられているのは、間違いなく大量の、それも数百キロに及ぶ魔力結晶だった。
「マスター。これって・・・!」
「ええ。魔力結晶の価値を知ってるはずの魔術結社の連中が暴走魔導兵器なんてものを考案するわけだわ。よりによってこんなものがつくれるなんて・・・。」
私は、本来であれば存在するはずがない、大量の魔力結晶に囲まれて呆然と立ち尽くしていた。