80 光陰の魔女・追撃
1978年6月中旬
アメリカ国防捜査局 局長ジェイソン・ウィリアムズ
国防総省 国防長官のオフィス
「ウイリアムズ。魔女との関係はどうだね。噂ではかなり親密な関係を築けていると聞いているが?」
昨年、カーター大統領政権が発足すると同時に抜擢されたハロルド・ブラウン長官は、21歳にして物理学の博士号を取得し、ローレンス・リバモア国立研究所の主任や国防総省研究開発局長、カリフォルニア工科大学学長を歴任している英才だ。
技術畑の人間にも理解があり、現実的な軍縮路線を推進している一人でもある。
「はい、長官。順調です。先日お知らせいたしましたが、どうやら私は彼女のひ孫にあたるらしいので。ははっ。孫のように扱われております。」
「ああ。そうらしいな。しかし、人類史上最強の魔女がひいばあさんか。まったく、うらやましいよ。パックス以外も何人か治してもらったんだろ?・・・私も先日、喉の痛みが止まらなくてね。彼女に背中を撫でてもらったら、嘘のように痛みが引いたよ。長年の肩こりまでなくなったのは本当に驚いた。」
長官は軽快そうに肩を回している。
「そうですか。それは何より。・・・で、お話のあった例の件ですが・・・。ジェーンのやつ、すでに気付いてましたよ。」
「なに?どこで知ったんだ?・・・情報が漏れた出所についてすぐに調べられるか?」
私の言葉に長官の気配が変わった。やはり、こういう人間の元だと仕事がやりやすい。
「調べるも何も。本人から聞きましたよ。例の『教会』のニューヨーク支部に殴り込んだ時、その場にいた連中の記憶を読んだ、って。・・・研究に教会の連中が入り込んでるのは間違いないですね。」
一瞬考えるようなそぶりをしたが、すぐに判断を下す。
「・・・いや、おそらくは魔術結社から情報は流出したのだろう。今回の技術提供元はそこだからな。至急調べさせよう。ところで、彼女は暴走魔導兵器について何か言っていたかね?」
「ええ。『研究するだけ無駄だからやめとけ。』だそうです。なんでも暴走状態まで持って行けるほどの魔力は、ジェーン以外だと出力できないらしいです。優秀な魔導士が数人がかりで自爆してやっと得られるレベルだとか。」
「そうか。では、魔力さえ用意できれば可能、ということか。」
「それも言ってましたよ。『魔力があるなら暴走させずにしっかり術式を組んだほうが威力が上がる。なんだったら私が術式を組もうか?』だそうです。」
魔女の言葉を伝えると、一瞬ハロルド長官が呆けたような顔をする。反対されると思っていたのか。
「・・・色々助けてもらってる立場で言うのもなんだが、そろそろ我が国も魔女以外の方法で抑止力を持たなければならんのだ。いつまでも彼女を当てにするわけにもいかん。」
「では、研究を強行するんですか?魔力源もなしに?」
「ウィリアムズ。魔力源の目途はついている。そちらは任せておけ。」
「そうですか。承知しました。では彼女については今まで通りに。」
その他の懸案事項を一通り打ち合わせしてから、長官のオフィスを辞する。
ジェーンに頼らず、自らの手で戦う力を持つのは私も賛成だ。ただ、30年以上も昔になるが、この国が原子爆弾を保有しようとしたときに、彼女の怒りを買ったというのは有名な話だ。
今でこそ我が国は彼女と友好的な関係を築いているが、当時は専門の暗殺部隊まで組まれたらしい。一個艦隊と一個師団を「部隊」と呼ぶのならな。
相手にもならなかったらしいが。
ご丁寧に、全員無傷で眠らされてリボンでパッケージされて、メッセージカード付でホワイトハウスの前に届いたよ。ワイバーン便で。
メッセージカードには「めんどくさいから直接、会いに行く。」の一言だけ添えてあったから笑えない。
・・・それほど原子爆弾は彼女にとって禁忌なのか?彼女の話からすると威力の話ではないようだ。
理由を聞いてみるか。ジェーンのことだ。二つ返事で教えてくれそうな気もする。
自分のオフィスに戻り、ジェーンからもらった豆で淹れたコーヒーを飲みながら近くにいた職員に声をかける。
「アリサ。ジェーンがパックス以外に治療した連中のリスト、だれが作成してたっけ。」
「私です。今すぐ必要ですか?すぐにお出しできますよ。」
「ああ、頼む。・・・ありがとう。」
リストを受け取り、ざっと目を通すと100人以上の名前が記載されていた。
・・・こいつは上顎、こいつは左手。こいつは両目、こいつは背骨。
誰も彼もが今の医学では絶対に治らないような連中ばかりだ。当然だな。部品がないんだから。
国防総省は養豚場と契約までしているらしい。領収書までついている。
傷病兵の多かった部隊では、ジェーンのことを女神とか天使と呼んでいる連中もいるらしい。航空機ペイント用の塗料がトン単位でなくなるのもうなずける。
左右の眼の色が違う金髪の少女のペイントが開発中のステルス塗料の上から塗りたくられたのは有名な話だ。
機体の開発元のロッキードの連中がパイロット相手に殴り合いの喧嘩をしていたのは笑えた。
とりあえずジェーンだけは怒らせないようにしよう。下手したら、軍の一部が反乱するかもしれん。
◇ ◇ ◇
チェコスロバキア 首都 プラハ
ジェーン・ドゥ
白、青、赤の国旗が風にはためいている。
ヴルタヴァ川の悠然たる流れを見下ろすカレル橋に立ち、東西を眺めれば東に旧市街が、西にプラハ城が見える。
10年ほど前にこの国で起きたプラハの春はワルシャワ条約機構軍に侵攻されたことにより潰えたが、百塔の町と謳われたこの町は、いまだに古き錬金術の時代の面影を残していた。
「ジェーン。何か欲しいものでもあったか。」
隣を歩くハンターが声をかけてくる。
「ええ。ガラス工芸品が見事ね。ソフィアにプレゼントしたら喜ぶわ。ソフィアが好きそうなデザインってどれかしら。」
「それは妙案だな。後で一緒に選ぼうか。」
ハンターの本名は知らないが、人種や髪の色は私と同じなのでまるで親子のように見える。
瞳の色は異なるが、親子にも見えなくはないことを利用して、観光客の親子のふりをしてこの国に潜入していた。
一緒にいる母親役はシェイプシフターが務めている。
「マスター。この姿って、アンデッドデスヨネ。一体誰のものデス?」
「ごめんなさい。ベオグラードで拾った身体だけど、名前は知らないわ。何か不都合があったかしら?」
「イエ、ボクが真似るのは姿だけデス。中身が腐っていても問題ありマセン。ただ・・・この身体、マスターの身体とよく似ているんデスヨネ。」
「そうね。よく似ているわ。・・・その顔を見ていると、何か胸がざわつくのよね。なぜかしら。」
ベオグラードで手に入れたアンデッドは、停滞空間魔法をかけて隠れ家に保存してある。
ベオグラードで確認したところ死後僅か8時間ほどであったため、蛹化術式により肉体的には蘇生処理を施してあるが、人格情報と記憶情報が揮発してしまっていたため、「生命活動を行っているアンデッド」という状態になっている。
だから、シェイプシフターが化けている身体はアンデッド特有の問題は一切発生していないはずだ。
「おい、ジェーン。これなんかお前に似合うんじゃないか?」
ハンターは家族連れでウィンドショッピングを楽しんでいるようにふるまっている。
なぜか、薄紫のワンピースを買われてしまった。赤いバレッタと黒いエナメルの靴もセットで。
・・・親子のふりをする。そういう任務中のはずだが、まさか任務だということを忘れてないよな。
イヤホンから突然、ノイズ交じりの音声が流れる。
『チームAのスポッターだ。目標の建物の包囲が完了した。裏口は二つ。両方ともいつでも封鎖できる。』
ハンターが口元を抑えながら返信を行う。
『了解。Wがこれより突入する。チームAはそのまま包囲を続けろ。裏口は突入と同時に封鎖。チームBは突入に合わせてスナイパーによる制圧を開始せよ。チームC。バスを入り口に横付けしろ。』
『チームC準備よし。いつでもどうぞ。』
・・・さっきまで家族連れのお父さん、という雰囲気だったのに一瞬で軍人の顔に戻った。やっぱり本職の軍人は違うな。
「ジェーン、行けるな?なるべく殺すなよ?」
「ええいつでもいいわ。殺さないようにも努力するわ。・・・ただ、確約はできないわよ。」
「そうか。お前が言うならそうなんだろう。よし、作戦開始!」
◇ ◇ ◇
逆三角形と逆さYの字の徴が特徴的な、白い大理石で作られた荘厳な建物の扉を開け、礼拝堂のような空間に踏み込む。
本職の特殊部隊に護衛されている以上、不意を打たれる心配は少ない。よって各種術式はすでに起動済みだ。
「タルタロスの深淵に在りしニュクスの息子よ。安らかな夜帷の王よ。汝が腕で彼の者を深き眠りに誘い給え。」
踏み込むと同時に、その場にいる信徒と思しき人間全員に強制睡眠魔法を掛ける。
2人の男と1人の女を残して、バタバタと人間が崩れ落ちていく。
・・・この3人はアンデッドか?それとも術式で抵抗したか?
ふん。おとなしく寝ていればいいものを。
3人のうち、2人がそのまま襲い掛かってくる。片方の男は素手で、女は剣を抜き、こちらに向かって駆け出す。もう一人の男は短杖を抜き、何かの詠唱を始める。
甘い。抗魔力と単純な詠唱速度で私に勝てるものか。
「三連唱、世の果てで天空を背負いし巨人よ。リンゴを持ちて勇者を誑かせしアトラスよ。今一時、汝が背の苦しみの万分の一を彼の者に与え給え。」
即座に重力加速度制御魔法を3人に叩き込む。
カエルがつぶれたような姿勢で男2人が地面に張り付き、短杖を持った男は胸が潰れたか、周囲に血の混ざった吐瀉物をまき散らす。
素手の男は足が砕けたか、不自然な姿勢でもがいている。こいつはおそらくアンデッドだろう。
女は術式で抵抗したか、半透明の光幕を展開しながら大きく後ろに飛びのいた。
「貴様・・・。まさか魔女か!」
「ご名答。・・・詠唱の一部が魔力に分解されたわ。いい剣ね。私の魔法を打ち破ったのはその剣の力かしら?」
「いかにも!聖者が遺せし神与の剣、聖者・ワレンシュタインの剣なり!」
「・・・その名前、名乗ったからには楽に死ねると思わないことね。」
「魔女よ!お前の魔法も魔術も、この剣の前ではそよ風と同じ!両手両足を落として封殺してくれる!」
・・・何を言ってるんだ、こいつは。聖釘の気配がないことは確認済みだ。
切り落として、その後どうするつもりなんだか。
「ねぇ、こういうの、知ってる?」
圧縮した魔力を、詠唱も術式も通さず、そのまま一条の光のように相手に向かって解き放つ。
黄金色の光の線が下から振り上げられると、剣を持った腕の手首から先が宙に舞う。
「ぐあぁぁぁ!なぜだ!なぜ魔法が使える!」
当たり前だ。これは京畿道で女神がやっていた純魔力砲の小規模高圧縮版だ。
詠唱や術式を魔力に分解されるのであれば、魔力のまま相手に叩きつければいい。
魔力制御まで邪魔されない限り、大した脅威ではない。
ただ、今の一発だけで熟練の魔法使いが寝込む程度の魔力の100倍は消費している。
効率で考えれば最悪以外の何物でもない。それに、10キロ以上離れたところからでも検知されるほどの魔力を使うから、よほどのことがない限り役には立たないとは思うけどね。
だから純魔力だけで物理干渉を起こすのは、女神と私以外にはいないと思うけどさ。
「やめっ、いやっ、ひっ!」
圧縮した魔力で作られた黄金色の光線が、女剣士の残りの手や足を切断していく。
切断されたところは高熱で焼いたためか黒く焦げており、出血はないようだ。
両手両足が無くなったところで、女剣士の髪をつかんで引きずり起こし、強制自白魔法で頭の中を浚っていく。
「さて、楽に死なせてはあげないわよ。・・・まずはそうね。あなたは何を知っているかしら。・・・天空にありしアグニの瞳、天上から我らの営みを見守りしミトラに伏して願い奉る。日輪の馬車を駆り、彼の者の真実を暴き給え。」
なんだ?こいつ、魔術結社所属の剣士で教会の信徒ではないだと?
知るか。聖者・ワレンシュタインの名を出したからには許さない。
魔導生命体の苗床にするか、キメラの材料にするか。宣言通り、楽には死ねると思うなよ。
「あなたが知ってることは大体分かったわ。本当なら、もうあなたに用はないのだけれど。あの子の絶望、ほんのひとかけらでも味わうといいわ。・・・炎の目を持つ力強きフラウロスよ。36軍団を率いる序列64番の豹よ。魔女の名において命ずる。彼の者の心を汝が黒き炎で焼き焦がせ!」
洗脳魔法を使って女剣士の頭の中をかき混ぜる。この魔法は、心の中を悪魔の炎で焼き焦がすため、拷問にもなるのだ。
「かはっ!ぐ、ああぁぁぁ!」
おお、芋虫みたいにのたうち回ってる。・・・今度は泡を吹き始めた。ははは。後で徹底的に延命処理した上で苦しめてやろう。
《シェイプシフター。この女だけ回収する。玉山まで強制長距離跳躍魔法で送るから、メネフネに監視をするよう連絡してくれ。》
《了解デス。・・・玉山の安全地帯でお待ちしているそうデス。》
「よし、ハンターやガンナーが入ってくる前に片付けるか。・・・まずは天井に穴をあける必要があるな。・・・光よ、集え。そして撃ち抜け。」
轟音とともに光撃魔法が天井に大穴を穿つ。直径2メートルほどで十分か。
『ハンターよりW!何か問題があったか!?』
やばいやばい。そういえばハンターとスポッターが外で監視任務に就いているんだっけ。外から光の柱が丸見えだ。
『大丈夫よ。ちょっと障害物があったから消し飛ばしただけ。作戦に一切影響しないわ。弱冠一名、消し飛ばしたけど。』
とりあえず、ハンターたちの手前、こいつは消し飛ばしたことにしておこう。
『スポッターよりW。そろそろ人が集まってきた。無力化が済んだならチームCを突入させてもいいか?』
いけない、いけない。つい作戦そっちのけで楽しんでしまった。
「勇壮たる風よ。汝が御手により彼の者を在るべき処に送り給え。」
とりあえず、メネフネのもとにダルマ状態になった女剣士を送る。・・・よし。作戦完了。
『ハンター、スポッター。全員制圧したわ。突入してもいいわよ。』
その言葉の直後、10人ほどのガスマスクをした兵隊が教会の礼拝堂になだれ込み、いまだに眠りこける信徒たちを回収している。
「ジェーン。ちょっといいか。この二人なんだが、ちょっとやそっとじゃ持ち上がらん。どうなってるんだこりゃ?」
あ、重力加速度制御魔法をかけたままだった。
「ええと、ちょっと待って。こっちはアンデッドだから、両手両足を切り落としてからのほうがいいわ。よいしょっと。はい。解除したわよ。」
女剣士が持っていた剣を使ってアンデッドの手足を切り落とす。うぉ、手ごたえがほとんどない。・・・恐ろしいまでの切れ味だ。
刀身は・・・ウーツ鋼か。うわ、ロストテクノロジーじゃないか。切れ味向上の術式は・・・ないな。
側面の文様の細かさといい、何回折り返してるんだこれは?16回?17回?作った鍛冶師はとり憑かれてたのか。それにどういう研ぎをしているんだ。まるで変態の所業だな。
よし、自分への土産にしよう。忌々しい術式は後ではがせばいい。
「・・・ジェーン。その剣は?」
「ふふふ。いいでしょ。鹵獲したのよ。あげないわよ?」
そういいながら、近くに落ちていた鞘に納める。
・・・うわ、鞘は絶滅動物の毛皮を鞣して作ってあるよ。この鞘、失くしたら二度と手に入らないじゃないか。
ほかに、貴重品とか落ちてないだろうな?
「まあ、鹵獲した武器については取り決めはなかったと思うからいいんだが、ボロそうな剣だな。そんなのより、クロードゾルムでいいものを買ってやろうか?」
ハンターが言うナイフメーカーもフランスの老舗で良いものだが、この剣には勝てない。似たようなものはあっても、本物はもう作れないからな。
刃渡りといい、重さといい、通常であれば少女の体では扱えないほどの重量があるが、すでにこの身体は改造済みだ。
それより、この剣の術式、ひどく気になるな。玉山の隠れ家に戻ったらゆっくり分解することにしようか。