77 光陰の魔女・再始動
現在 都内 某所
南雲 千弦
明日で11月も終わり、12月に入ればすぐ期末テストが始まるというのに、私と琴音、遥香(仄香)の3人+1人で集まって、また琴音の部屋で幻灯術式を鑑賞することになった。
まあ、火曜日からの4日間の放課後は3人+1人集まってテスト勉強をしてきたから、結構自信があるけどさ。だって、仄香の教え方、すごくわかりやすいんだもん。
もしかしたら上位50名に食い込めそうな勢いだ。
「さて、皆さん。準備はよろしいですか?」
「いつでもいいよ!」
《私もOKだよ!》
琴音と遥香は準備できたようだ。
「準備オッケー!」
3人の返事を聞くと仄香は頷き、鈴が鳴るような声で歌い出す。
脳がしびれるような、鈴の音のような美しい声で術式を起動していく。
いくつもの映像が現れては消え、五感が没入していく。
・・・これ、どんな映画館よりも面白いんだよな。不謹慎だとは思うけどさ。
そのうちSFとかの映画をこの術式で見れないか、仄香に聞いてみようか。
そんなことを考えているうちにいつの間にか、いつか映画で見たようなアメリカの行政オフィスのような部屋の景色に没入していった。
◇ ◇ ◇
1978年3月
アメリカ国防捜査局 局長 ジェイソン・ウィリアムズ
国防総省のオフィスのデスクに足を投げ出している国防捜査局のウィリアムズ局長は、朝から極端に顔色が悪かった。
マンハッタンの雑居ビルにある、美代と名乗る魔女のオフィスが完全に無人となっていることに気付いたのは先週の金曜日、2月26日の日曜日。彼女自身は何日も留守にすることが多いので、初めのうちは何も思わなかった。
たしか、美代はこう言っていた。「無人のように見えても、いつも姿の見えない眷属がいるのでいつでも電話をかけてきて構わないわ。私が生きていれば世界の裏側でも電話が転送されるもの。」と。
しかし、ホームパーティーを3月17日の金曜日、聖パトリックの祝日に行うことを伝えようと電話をしたが一向につながる気配がない。
念のためオフィスまで部下をやったが、やはり誰もいないようだった。
以前、ハロウィンの時期にオフィスを除いた時には、やたらとリアルな怪物の仮装をした連中が何人も働いていたのに。
・・・仮装、だよな。
まあ、眷属も日曜日くらい休むのだろうと思い、招待状をポストに投函させたが、その後、何の連絡もない。
2月の終わりのころに、白頭山が噴火したことは知っていた。そういえば、美代もノースコリアに用があると言っていたっけな。
アイルランドの火山で溶岩を素手で触るような女だから、噴火程度では死なないだろうと勝手に思いこんでいた。
それにしても、すさまじい噴火だった。
その現象のマグニチュードは7.1。震源地は極めて浅く、朝鮮半島に展開している中国、ソビエトのすべての部隊の施設が壊滅的被害を受けたそうだ。
予想される人的被害は死者だけで百数十万人、被害額は数兆ドル、行方不明者はもはや計上できないそうだ。
ノースコリアのほとんどの人間が熱を感じ、すべての電子機器が破壊され、通信網は遮断された。
噴火によって発生した火球は半島全域で確認され、はるか北東のハバロフスクでも目撃されたという。
約500キロ離れた釜山上空でも押し寄せる衝撃波が目視で観測され、約1000キロ離れた福岡でも空振で窓ガラスが割れたらしい。それどころか空振計によると衝撃波は地球を3周してなお、止まらなかったという。
だが、今月に入ってすぐのころ、在韓米軍、在日米軍の両方から上がってきた情報を見た瞬間、食べかけのドーナッツを落とし、さらにそれを踏んで転倒してしまった。
白頭山が裾野からまるごと消失した、と。
・・・諜報部員の報告によると、噴火ではなく、大規模魔力災害である、と。
それも、現地で確認された魔力波長は魔女一人分のみ。
空軍の連中に至ってはご丁寧に、偵察機まで飛ばして空撮写真を何枚も撮影してきたよ。
残留した輻射熱で偵察機の塗料は溶けていたらしいな。
つまり、なにか?美代が、たった一人であれだけのエネルギーを、白頭山のあったところが海抜マイナス1キロを超える、直径100キロのクレーターになるような大型隕石並みの威力を叩き出した、だと?
近くの川や地下水脈からの水が流れ込み、真円の湖になりはじめているらしい。
それだけじゃない。飛び散った破片、いや、岩塊だけで半島の地図の書き直しが必要になっているんだぞ!?
何せ破片一つの平均直径が数百メートル、最大のものは直径1キロを超えるらしい。
局内ではこの事件が理由で第二次朝鮮戦争が終結するという予測まで出ており、すでに専門のチームまで発足しているくらいだ。
そして俺はなぜか、明日の朝一番で大統領閣下に呼び出しを受けている。絶対にこの件だ。
知らねーよ!魔女の血脈とはいえ、普通の人間である俺にいったいどうしろっていうんだよ!
「局長、外線4番にお電話です。・・・例のミヨ、と名乗っている方です。お出になりますか?」
「なに!?ミヨからだと!今すぐ回せ!」
「ハロー。ジェイソン。元気だった?」
ん?こんな声だったか?まあ、いい。この番号を教えてあるのは美代とヤツの眷属だけだ。
「元気なわけあるか!おま、おまえ、何やってんだ!」
「ん?在韓米軍で死傷者でも出たの?手足がもげた程度なら生やしてあげるわ。ただし一人四本までよ。何だったら、脳さえ無事なら全身不随でも治すわよ?」
全身不随って・・・。ああ、ベトナム帰りのパックスが両足義足だったな。今度見てもらうか。
っていうか、人間の手足の本数は四本だろうが。
「いや、まだ重傷者の報告はない。それ以外のヤツで一人いるんだが・・・そんなことより俺が倒れそうだよ。」
「ん~。どうしようかしら。」
相変わらず、調子の狂うやつだ。こんなのが俺の先祖だなんて信じたくはないが・・・。
「いいわ。あなたの仕事、手伝ってあげるわ。新しい身体の慣らし運転もしたいしね。」
・・・仕事を手伝う?どこかの国でも滅ぼす気か。いや、それよりも何だと?
「ちょっと待て、新しい身体?古いのはどうした?」
そういえば、ミヨの身体は先祖の婆さんから数えて3人目だって言ってたっけな。
「前の身体は教会の狂信者に封殺されそうになったから捨てちゃったの。自爆させてね。とりあえず今からそっちに行くわ。入り口で待っててくれる?」
「捨てたって・・・。姿形が違うなら俺に分かるわけないだろう。とりあえず合言葉でも決めておくか。そっちから声かけてくれるか?」
「そうね・・・、じゃあ、薄茶のハーフトレンチコートを着た、金髪のオッドアイの女の子が『いい天気ね』と声をかけたら、『猿島の猿は元気かい』と聞いて。そしたら、『猿島に猿はいないわ』と答えるわ。」
「サルシマ?モンキーアイランドか?なんだそりゃ?どこの島の話だ?」
「どこだっていいじゃない。そういう名前の島が東京湾にあるのよ。じゃあ、10分後ね。」
「ちょ、おい!早すぎるって!切りやがった。・・・ジェシー!大至急ゲストカードの発行を頼む!」
「アイ、サー。名前はどうします?」
「名前・・・。ああ、ウィッチ・オリジンでいい。」
「ウィッチ・・・例の方ですか。了解しました。直ちに。」
◇ ◇ ◇
ものの数分でできたゲストカードをジェシーから受け取り、エントランスへ向かうと、ゲートの外には電話で聞いた通りの姿をした少女が立っていた。
ジェシーのヤツ、妙に仕事が早いな。もしかして暇だったのか?
まあいい。
15歳前後だろうか。薄い色の金髪が陽光にきらめき、大人になる前の幼さを残したかわいらしい少女だ。北欧系だろうか、ミヨの身体より、少し背が高い。
恐ろしく無表情なのが気になるところではあるが。
右の瞳がサファイアブルー、左の瞳がエメラルドグリーンのオッドアイの少女の姿をしている。
たぶん、こいつだろう。それにしても、随分と可愛らしい体を選んだものだ。
左右の瞳がとてもミステリアスだ。
何も言わず少女の横に立つと、オッドアイの少女は透き通るような声を発した。
「いい天気ね。」
「・・・サルシマのサルは元気かい?」
「猿島に猿はいないわ。・・・うふふ、なによジェイソン、元気そうじゃない。心配して損したわ。」
オッドアイの少女の顔は、可愛らしいというより、何か作り物のようだ。だが、黒髪の薄汚れたワンピース姿の日本人少女の身体より、よほど魔女らしい。
「ミヨ。これがゲストカードだ。名前のところは混乱するだろうから、ミヨ・ミヨシとは記載していない。・・・その体の名前はもう決まっているのか?」
「ジェーン・ドゥよ。」
ははは、いきなり身元不明死体扱いかよ。
「・・・おいおい、いくらなんでもその名前はないだろう?もっとまともな名前を名乗れよ。」
職員証を使ってゲートをくぐる。とりあえず、俺のオフィスに連れて行けばいいか。ミヨ・・・いや、ジェーンも堂々と後を追うようについてきた。
「勝手にメアリー・スー(Mary Sue)とでも名乗れと?名前をころころと変えていたんじゃ魔法が安定しないわ。それにこの姉妹にはきっとご両親がつけた素敵な名前があるはずよ。残念だけど本名がわからないうちはジェーン・ドゥと名乗るしかないわ。」
「なんだそりゃ。・・・ん?姉妹?まさかと思うがその身体、一人分じゃないのか。」
マジかよ。女版フランケンシュタインかよ。縫い目なんて見えないぞ?
「ええ、二人分よ。眼は右が姉、左が妹。脳はほとんどが妹。腰から下は姉。それと、両手と胴体は二人分あったから混ぜて余った分は栄養分にまわしちゃったわ。」
・・・故人を大事にしているんだか冒涜しているんだか分からないやつだな。
それに身元が分かったところで、二人分の身体を使ってるんだから、どっちの名前を名乗ったらいいかという問題が出てくるだろうに。
「ま、いい。じゃあ、以降はジェーンと呼ぶことにしよう。それで、白頭山のことは話してくれるのかい?たぶんそのことだと思うが、大統領閣下に明日出頭するように命令されてるんだよ。」
「あら、そう。なんだったら、ジミーとは私が話してもいいのだけど。まったく、食料品店兼農家の息子が海軍兵学校に行ったからって偉くなったものね。ずっと潜水艦にでも乗ってればいいのに。」
彼女はイライラしているのか、吐き捨てるように言い放つ。
まあ、あの人権とかいう弱腰外交でさらに仕事が増えているのは間違いないけどさ。
だが、ここは国防総省の廊下だ。誰が聞いているのかわからない。
「おい、今のは聞き捨てならんぞ。自国の大統領を悪く言われて怒らない軍人がいると思うか?」
とりあえず窘めるフリはしておこう。見た目は十代半ばになったばかりのようだし、俺が反省を促しておけば、それ以上周りの人間から彼女が何か言われることもなかろう。
「あら、ごめんなさい。じゃあ、どうする?私と戦争でもする?いつでも受けて立つわよ?」
近くのダストボックスがボンッという音を立てて吹き飛ぶほどの魔力?それとも殺気?が彼女の細い身体から噴き上がる。
俺は魔法も魔術も使えないが、何かヤバい波動が彼女から出ているのだけはわかる。
「い、いや、言葉に気を付けてくれ、と頼んでいるだけだ。・・・何があった?普段のお前らしくもない。」
こいつが暴れ始めたら止められる自信がない。本気でこいつが障壁を張れば、アイオワの16インチを直撃させても抜けないらしいからな。
「・・・ホント、ごめんなさい、私、ちょっとどうにかしてるわ。」
ジェーンは頭を振りながら、目を伏せる。
・・・新しい身体のことといい、名前といい、何かおかしい。
俺は国防捜査局のオフィスのドアを開け、応接スペースのソファーに彼女を座らせると、近くの職員にコーヒを頼み、彼女の正面に座った。
「何か困っているのか?話なら聞くぞ。孫だと思って話してくれるか。まあ、力になれるかどうかはわからないけどさ。」
「・・・孫のように思ってるからこそ、話せないこともあるのよ。白頭山で何があったかだけ話すわ。適当にレポートにでもしてちょうだい。」
「ああ、わかった。」
◇ ◇ ◇
2~3時間だろうか。彼女から聞いた話をまとめてレポートを作成すると、彼女はソファーから立ち上がりながら言った。
「私の目的についてはまだ話せないわ。でも、もし妨害されたら全人類相手でも戦う覚悟があるわ。」
「全人類相手って・・・。その目的とやらは人類全体にとって有害なのか。」
「そんなわけないじゃない。誰が好き好んで自分の子供たちを殺さなきゃならないのよ。私はただ、自分の子供を幸せにしたいだけなのよ。できることなら一人残らず。」
「そうか。孫としてその言葉、信じておくよ。」
「ありがと。それとあなたは孫じゃないわ。ひ孫よ。じゃ、もう行くわ。」
「マジかよ。そんなに近い親族だったのかよ。・・・今度のホームパーティー、出てくれるんだろ?待ってるよ。」
「そうね。必ず出席するわ。おいしい料理、用意しておいてね。」
出口までの見送りをジェシーに頼み、ソファーに寄り掛かる。
「あ、大統領からの呼び出し、同席してもらえばよかったか?・・・いや、やめとこう。何が起こるかわからんしな。」
◇ ◇ ◇
ジェシー(ジャネット・ブラウン)
私の目の前を魔女が歩いている。
忘れもしない、33年前、まだハイスクールを卒業したばかりのころ、トニーは陸軍のホワイトサンズ射爆場で行方不明になった。
後方勤務になり、あと少しで戦争も終わりそうだったころ、何者かに射爆場が襲われ、誰一人として生きては帰らなかった。
彼は遺体も残らなかったのだ。
射爆場の地面は何か所もガラス化しており、最初は新兵器の暴走による高熱で土中のガラス成分が溶けて固まったものという説がまことしやかに言われていた。
私は婚約者という立場であり、遺族でもなんでもなかったから、彼の最期も知ることができなかったけど、何としても彼の最期を知りたくて、いくつもの困難を乗り越えて、国防総省の事務官になることができた。
結果、知ってしまったのだ。
あの日、ホワイトサンズ射爆場で何の実験が行われようとしていたのか、そしてそれを妨害した女の存在を。
トニーを殺した女を!
・・・彼と一緒にいたマイクが最後に撮影した写真。
当時としてはまだ珍しい、カラーフィルムで撮影された何枚もの写真に写っていたのは、両掌から光や炎を放ち、兵士たちを殺している10歳くらいの女の子。
初めて写真を見たときは信じられなかったけど、この部署に配属されてから彼女の資料に触れる機会が多くなり、その存在を今は確信した。
悔しいけど、私の力では直接殺すことはできない。
だから、彼女が白頭山の天池に向かうと知ったとき、迷うことなくその情報を「教会」に流した。
結果、彼女は古い身体を失うことになった。
聖釘とやらで封印されてしまえばよかったのだけど、「教会」は信徒は多いものの、奇跡とやらを使える「使徒」とやらはあまり人数が多くないらしい。
まずは一矢報いることができた。魔女は次にどう動くのだろう。その目的は必ず妨害してやる。
「・・・ねえ、ジェシーさんといったかしら。本名はジェシカかしら?それともジャネット?」
突然、目の前の少女が声を発する。透き通った声だ。人生を復讐に費やし、老い始めた私の声と違って。・・・許せない。
「ジャネットよ。ジャネット・ブラウン。何か用かしら。」
表情が出ていただろうか。魔女に気取られてはいけない。
「お手洗いはどこかしら?案内してくださる?」
「こっちよ。貴女もトイレは普通に使うのね。」
職員用トイレのうち、他部署からなるべく遠いところを案内する。
「あら、やはりあなたも私の正体を知っているのね。天空にありしアグニの瞳、天上から我らの営みを見守りしミトラに伏して願い奉る。日輪の馬車を駆り、彼の者の真実を暴き給え。」
魔女が何か、聞いたこともない言葉の歌を歌った?いや、まさか、魔法?
瞬時に目の前が真っ白になり、両足から力が抜ける。
「な!うっ、あ、あぁ・・・。」
トイレ前の廊下で床に座り込みそうになった私を、魔女はその細い身体で器用に支えた。
右手でその額を抱えるように。額が熱い。青い光と、魔女の声が・・・。
自分の口が何かを喋っている。勝手に口が動いている。
「ふふふ、もう形振り構っていられないのよ、私は。・・・あはは!5人目にして早くもヒットだわ!そう、あなただったの!」
それが、人生最後の景色となった。