76 閑話 それぞれの日常
11月25日
現在 東京都荒川区 高校にて
南雲 千弦
昨日は結構遅くまで仄香の幻灯術式で彼女の過去を見せてもらったけど、その感想は「壮絶」の一言だった。
なぜ、彼女が魔女としてあれほど永い時を生きることが出来たのか、生きるのが嫌になってしまうのではないかと疑問に思っていたのだが、まさかそれが我が子に対する愛情によるものだとは思いもよらなかった。
・・・本人は醜い執着だと言っていたが、そうは思えなかった。
私も女だ。近い将来、きっと恋愛もするだろう。うまくすれば結婚することもできるかもしれない。
結婚すれば、きっと子供もできるだろう。
でもその時、生後間もないわが子を奪われたら?それが人の手によるものではなく、天災でもなく、超常の力によるものだったら?
正直言って想像がつかない。
たしか、最初の彼女は「三つ目の穴で冬の朝生まれた女」と呼ばれていたんだっけ。名前という概念すらない時代だ。
生活は相当厳しかっただろう。生まれた子供が大きくなる確率はかなり低かっただろう。
そんな時代にありながら、たとえ謎の石板で人智を超えた知識を手に入れたとしても、そして人生最初の子供だとしても、五千年も、いやおそらくは六千八百年以上も探し続けられるものだろうか。
・・・幻灯術式の中で見た、「破魔の角灯」の中から出てきた、「魔王の心臓」。
あれは彼女の子供の心臓だと言っていた。
魔女、それもオリジナルの身体から生まれた子供だ、仄香や歴代の魔女並みの回復能力を持っていても不思議ではない。
実際、美代の身体を使っていた時代、1945年にホワイトハウスで彼女はその眉間を45口径で撃ち抜かれても瞬時に回復していたし、その後の1950年には32口径や7・62mm×39で体中を穴だらけにされても生きていた。
・・・そういえば、師匠の家で杖を作ったとき、最後に入れた涙滴型の赤い石って、もしかしてそれなんじゃ?
大量の小銭に気を取られていたけど、あの杖、遥香の左腕に息子さんの心臓・・・。
もしかして神話級のシロモノなんじゃない?
興味や疑問は尽きないけど、12月に入ったらすぐ期末テストだ。
2学期に入ってからいろいろ起こりすぎて、あまり勉強ができていない。
期末テスト対策について仄香に相談したら、今夜から一緒に勉強してもらえることになったけど、今度のテスト範囲については自信がない。
最悪の場合、仄香の言う裏ワザを使うしかないだろう。・・・裏ワザ?カンニングではないようだけど・・・。
「おーい。千弦。南雲千弦〜。」
・・・聞きなれた男子の声が聞こえる。あれ?いつの間にか授業、終わってた?
「あ、ごめん、ボーっとしてた。なに?」
斜め後ろの席に座っていた、同級生の理君が少し呆れた顔で覗き込んできた。
「・・・疲れてるのか?もし体調が良ければだけど、このあと秋葉原でガンショップ巡りしないか?来週から期末だし、忙しくなる前にさ。」
彼は石川理君、中学1年の時からずっと同じクラスでお互いが重度のガンマニアであることが判明した中学2年の夏からの付き合いだ。
男か女かわからないほど可愛い顔をしてるし、まるで声変わりをしていないから一部では男の娘だと噂されているくらいだ。
そして可愛い顔の割に、スマートで引き締まった身体をしており、意外にも腹筋はキレイに割れている。
筋トレでもしてるのかしら。サバゲーは体力勝負なところ、あるしね。
師匠を若くして少し可愛くしたようなイメージなので、ちょっと気にはなっている。
残念ながら彼氏彼女の付き合いにはなれないけどさ。それに、彼の好みのタイプは琴音らしいし。
「別にいいけど・・・。何か新しい銃でも発売されたっけ?」
「千弦が使ってるL9A2と同じメーカーから、CZの新作が発売されたんだよ。バイト代で間に合ったし、予約もできたから今日受け取りに行こうと思うんだ。」
「ふーん。・・・いいよ。いつもどおり、従兄のシューティングレンジにも寄るんでしょ?私にも試射させてよ。CO2ガスガンでしょ?ボンベ分けてあげるからさ。」
そうなんだよな、こいつの従兄のシューティングレンジなら、18歳未満でもこっそりとガスガンを撃てるんだよな。
「いいのか!よし、じゃあ従兄に言ってシューティングレンジの予約を一人分増やすようお願いしておこう。」
彼、射撃の腕は凄いんだよな。腕っぷしはダメそうだけど。
はしゃぎながらLINEで予約を入れている理君を横目に見つつ、平和だなーなんて考えたりする。
こうして私たちのような子供が、人殺しの道具を模した玩具で遊べるのは間違いなく先人たちの血と汗と涙によるものだ。
もしかしたら、その中には魔女によるものも含まれているかもしれない。仄香は平和のために行動しているわけではないけどさ。
・・・まあ、せっかくの平和なんだ。楽しませてもらおう。
ん?念話だ。なんだろう?
《もしもーし。千弦ちゃん?放課後、暇になっちゃった。咲間さんと琴音ちゃんは、それぞれ新しい部室のカギの受け取りと引き渡しで時間がかかるって。》
《遥香か、一瞬仄香だと思ったよ。・・・声、一緒だからね。どこか遊びに行きたいの?》
《うん、ええと、あまり体を動かさないスポーツ的な遊び、ないかな?》
《難しいことを言うなぁ。基本的にスポーツは身体を動かすものだし・・・。とりあえず、今日は理君と銃を撃ちに行くんだけど、来る?あそこなら未成年でも文句言われないしさ。》
理君に許可は取ってないけど、自分の趣味の沼に引き込むためなら身銭を切るような奴だ。嫌とは言うまい。
《理君って、千弦ちゃんのクラスの?》
《そう。石川理君。シューティングレンジの料金は・・・二千円だったかな。》
《面白そうだね。行く行く!そっちのクラスに行くから待ってて!》
念話ごしに楽しそうな気配が感じられるところを見ると、かなりディープな趣味だが問題はなさそうだ。
「ねえ、理君。シューティングレンジの件なんだけど、もう一人増やせない?」
「え?別にいいけど誰か誘うのか?もしかして琴音さん?」
理君はそう言いながらも、素早くスマホを操作し、予約を入れているようだ。
いつも思うんだがこいつ、私のことは呼び捨てなのに、琴音のことは「さん」をつけるんだよな。・・・顔は同じはずなんだが、解せぬ。
「琴音じゃなくて、遥香が来るかなって思ってさ。知ってる?1組の久神遥香ていうんだけど。」
「え?久神さんが来るの?意外だなぁ。こんなオタクっぽい趣味、興味ないかと思ってたよ。・・・あ、シューティングレンジ3人分予約OKだって。オフシーズンだから何時間でもいいみたいだよ。」
こいつ、琴音が来ないと分かった瞬間、落胆しやがった。
「・・・やっぱり行くのやめようかな。理君は琴音のほうがいいみたいだし。」
「来たよー!千弦ちゃん!あなたが石川理君ね!今日はよろしくね!」
・・・遥香のやつ、タイミングが悪すぎでしょ。私の言葉にかぶせるようなタイミングで入ってきやがった。
「あれ?千弦、いつの間に久神さんに連絡したんだ?・・・ん?今何か言いかけてなかった?」
「何でもない!遥香が暇だって聞いてたから呼んでおいたの!ほら、二人分予約をとれたんなら行くよ!」
くそ、なんで私だけモテないんだ。遥香は言うまでもないけど、琴音にはファンクラブ的な連中までいるっていうのに・・・。
「・・・何を怒っているのか分からないけど、問題ないなら行こうか。久神さん、今日はよろしくね。」
「・・・?うん、よろしく。遥香でいいよ。千弦ちゃん、どうしたんだろうね?」
まったく、人の気も知らないで。そういえば、仄香の気配がない。
念話のイヤーカフが使えている以上は何も問題は起きていないと思うけど、また琴音に張り付いてるんだろうな。
あの事件から仄香はいつも琴音と一緒にいるようになった。
時々、遥香の様子を見に来ているみたいだし、師匠のところに行くときはその身体の制御を預かっているから、頻繁に会ってはいるんだけど、彼女の過去を幻灯術式で見てから妙に心がざわつくような気がする。
とにかく、遥香の安全にだけは十分に気を付けて行こう。
最近、顔色が悪い日が時々あるからな。
新しい魔力貯蔵装置も作ったことだし、常駐で術式を二つは走らせておける。
遥香自身もリングシールドの使い方を覚えたみたいだけど、用心に越したことはないかな。
◇ ◇ ◇
南雲 琴音
今日は待ちに待った新部室棟のカギの受け渡しとロッカー・机類の搬入だ。
私は姉さんと違って部長ではないけど、部室を私用で占領することが多いから、こういった雑務をよく押し付けられている。
例の第一体育館消失事件から、はや二か月。
事件のあった翌日には、宗一郎伯父さんの会社から多額の寄付がされていたみたいで、九重財閥の土建屋がその寄付金だけで突貫で直したらしい。
やっぱり、持つべきものは大金持ちの親戚だね。
まあ、宗一郎伯父さんの話では、将来的に九重の家は私か姉さんが継ぐことになっているらしいから、当然だそうだけど。
・・・政略結婚は勘弁してもらいたいかな。よっぽどのイケメンなら別だけどさ。
「あれ?コトねん、遥香っちは先に帰ったの?」
一緒に新部室棟のカギを受け取りに来た、咲間さんが不思議そうに聞いてくる。
そういえば、最近はいつも遥香と一緒だったからな。
「遥香は姉さんと秋葉原に行くってさ。どうせ2組のミリオタ君と一緒に鉄砲でも打ちに行くんじゃない?それより咲間さんは文科系だよね?新部室棟は運動部だけじゃなかったっけ?」
「ああ、うちの部は騒音だってクレームが入ることが多かったから、新部室棟に移動することになったんだよ。ま、パンフを見る限りではキレイだし、施設も整っているから何も異論はないんだけどね。」
「ふーん。よかったね。・・・ん?イヤーカフ、つけっぱなしなんだ。」
咲間さんは念話のイヤーカフをつけっぱなしだ。それほど仄香と接触はないと思ったけど、念話で何か話したりするんだろうか。
「ああ、これ。夜、作詞とかで詰まったときとかに相談に乗ってもらってるんだ。仄香さんって会話の引き出しが無茶苦茶多いんだよね。やっぱり長く生きてるからだろうね。」
「へぇー。そうなんだ。《きいてないよ。》」
《そういえば昨晩も咲間さんから相談を受けていましたね。魔女を題材にした楽曲を作るっていってましたよ。》
あ、しまった。念話で仄香に話しかける形になってた。
「お、仄香さん、来てるんだ。もしかして授業中もそばにいた?」
《ええ。いろいろあって、琴音さんに憑いてます。さすがにトイレやお風呂の時は覗いてませんけどね。》
「そういえば、お風呂の時だけはイヤーカフ、外しているからね。でもあれ?身体がなくても二号さんは召喚しっぱなしでいられるの?」
《ああ、それは知り合いに召喚符を通して魔力を供給してもらっているからですけど・・・。そうですね、千弦さんが新しく開発した魔力貯蔵装置みたいなものを使って召喚を維持しています。そうですね、半年くらいは持つと思いますが・・・。》
半年って・・・。その魔力貯蔵装置って、もしかして噂の魔力結晶なんじゃないか?
「え!召喚魔法もあるの!見たい見たい!もしかしてコトねんもできるの?」
「咲間さん、姉さんの魔力量でも、人型の眷属を30分間召喚したら入院だってさ。ん?召喚符を使ってくれてる知り合いって誰?魔法使いに知り合いなんているんだ?」
《ええ。40年以上の付き合いになるんですが、幻想種の女の子が一人います。彼女に頼まれて一人の眷属を召喚しっぱなしにする必要がありましたからね。そのうち皆さんに紹介しますよ。》
「幻想種?人間じゃないの?」
咲間さんが首をひねっている。そういえば、幻想種って噂でしか聞いたことがないな。
《いわゆるエルフですね。外見年齢は15歳から16歳くらいでしょうか。実年齢は120歳くらいだったと思いますが、中身はかなり若いので話は通じると思いますよ。日本語も教えましたし。》
「ほえぇぇ。エルフって本当に存在したんだ。コトねん知ってた?」
「いや、うわさでは聞いたことはあるけど、実在するなんて思わなかったよ。」
《幻想種そのものが少ないですからね。あ、学生課の人が来ましたよ。》
「じゃあ、咲間さん、お先に。終わったらパフェでも食べに行かない?」
「いいね。あ、じゃあ仄香さん、私の身体使う?それとも子孫じゃなきゃ難しい?」
《ええ、よろしければ。子孫じゃなくても、本人の同意があれば問題はありません。魔法が使えるかどうかは別ですが・・・。》
「そっか。魔法は使えなくても別にいいかな。なんか反動とかすごそうだし。じゃあ、後で。終わったら連絡するよ。」
咲間さんが念話のイヤーカフを指でトントンとするのを見ながら、学生課に入り、記入済みの書類を提出する。
記載漏れがないことの確認が終わると、晴れて新しい部室が剣道部のもの、ってわけだ。
ふふふ、ネイルサロン琴音、新装開店だよ。
◇ ◇ ◇
都内、某所
九重 健治郎
陸情二部の案件の急増のせいで表向きの仕事が回らなくなってきた。
表向きの仕事は、身分としてはみなし公務員だからカレンダー通り出勤しなくてはならない。
「なあ、有坂。忙しくて死にそうだよ。何とかならないか?」
つい、表向きの仕事の人事課長もやっている同僚に弱音を吐いてしまった。
「九重先輩、いくらこの仕事が暇だからとっても、本業のほうはヤバいことになってるらしいですね。風間大将がぼやいてましたよ、このままでは先輩が潰れるって。」
有坂(大尉)は俺と同じく陸情二部の人間だから、これまでもその所掌の範囲で便宜を図ってくれているのだが、もはや何ともならないようだ。
大将・・・わかってるんなら人手を増やせ・・・ってこの仕事、人手なんか増やせるわけねぇよな・・・。
「せめて表向きの仕事だけでもなんとかなりゃあ楽なんだがな。何しろ毎日出勤しなけりゃならんのが最悪だ。身柄を拘束されちまう。一日当たり八時間半のロスは大きいよ。」
いや、出勤してから1時間もしないうちに一日の仕事が終わってしまうから、実質的に七時間半は遊んでるも同然なのだ。
じゃあ、その時間は寝てりゃあいいのかもしれないが、俺の勤務している資料室のドアにはカギをかけられない。
いや、カギはあるんだが、資料を閲覧しに来る連中が多すぎていちいち開けたり閉めたりしてられないのだ。
「そうだ、先輩。働き方改革でリモートワークを推進するように法務省から事務連絡が回ってましたね。全体の一割をリモートワークにするよう目標が定められていましたけど、まだ立候補者が足りないんですよね。どうです?やってみませんか?」
「あ〜。でも長谷川部長がうるさそうだな。立候補じゃなくて指名制ならやるんだが。」
「じゃあ、指名制で打診しておきますよ。三上室長補佐と交代でどうです?」
そういえば三上君も内調対応で忙しいって言ってたっけな。
「よし、じゃあ頼むよ。俺と彼女の交代で週3くらいの出勤にしてもらえると助かるな。」
「わかりました。出勤とリモートワークのパターンはお任せします。それと、資料室の人員は定員が3人だったので、白石さんを資料室に異動させましょう。」
白石とは先週会ったばかりだ。何とでもなるだろう。
「お、それは助かるな。資料室には最低一人いりゃあいいだろう。よし、後は任せた。・・・そうそう、石川の方はどうなってる?」
「石川先輩の方は変わらずですね。特に連絡はないようです。まあ、あの人は何の仕事をやってるのか、我々にも知らされていませんからね。」
「そうか。ヤツは可愛い顔してるクセに汚れ仕事専門だしな。我々としては巻き込まれないよう気をつけるだけだな。」
「さて、人事課長の仕事は一段落したので・・・。どうです?先輩。今夜飲みに行きませんか?」
む、別調の仕事・・・ではないようだな。
「いや、悪いけど、今日は帰って寝るよ。家事もしなきゃならんしな。」
「そうですか。ではまたの機会に。」
さて、もうすぐ定時だ。
今日は久々にゆっくり眠れる。遥香さんから預かった肉を入れるためにネットで買った冷凍庫も届いてるだろうし、今頃宏介が設置しておいてくれてるだろう。
しかし・・・宏介のヤツ、「人魚の肉」だと言ったら、ものすごい嫌な顔をしていたな。
もしかして人魚の肉が毒であることはサブカルチャーでは有名なのだろうか。