74 血濡れの魔女・届かぬ手、断ち切られた糸①
現在
南雲 琴音
遥香の体で仄香が使っている幻灯術式の光がゆっくりと消えていく。
美代と名乗っていたころの仄香の体の感覚が遠ざかっていく。
凄まじい話だった。魔法の規模や種類もすごいけど、見ているだけで彼女が抱えている運命の大きさに押しつぶされそうになった。
これほどの思いをして生きていなければならなかったのか。諦めてただの一人の女として生きて死ぬという選択肢は、彼女の生存戦略の中には一欠片も存在しなかったのだろうか。
「千弦さん、琴音さん。あと一時間くらいで夕食の時間ではないでしょうか。あまり遅くまでお邪魔していても失礼ですし、そろそろお暇しようかと思うんですけど・・・。」
仄香(in遥香)がそう言うと同時に、階下からお母さんの声が聞こえた。
「千弦~。琴音~。遥香さ~ん、うちでお夕食食べていくのよね~?」
「ほら、母さんもそういってるし、食べてけばいいんじゃない?おうちに連絡だけしてさ。それとも、もう遥香の家で香織さんがご飯作って待ってるの?」
姉さんの言葉に困ったように仄香(in遥香)が答える。
「いえ、今日は結婚記念日らしくて、二人とも夫婦水入らずで出かけちゃいまして。私、というか遥香は留守番です。」
《そーだよ。せっかくだから琴音ちゃんと千弦ちゃんの家でごちそうになろうよ!仄香さんの料理って、素材の味しかしないんだよ!》
念話で遥香が騒いでいる。さては、仄香に料理をさせたな。
「素材の味・・・姉さんの料理も大概だけど、ザリガニとか鳩を食材としてとらえる人に料理をさせるのはちょっと考えちゃうわね。うちのお母さん、身内贔屓を抜きにしても結構料理上手よ。食べていったら。」
「じゃあ、お言葉に甘えて。遥香さん、身体を返しますね。味覚だけは共有させてもらってもいいかしら?」
《もちろん。さ~て!いっぱいごちそうになるわよ~!》
「・・・琴音。私の戦闘糧食に文句でもあるの?あとで話があるから、遥香たちが帰ったら部屋の鍵開けておきなさい。開いてなかったら術弾でぶち抜くわよ。」
姉さんがものすごく低い声で私にだけ聞こえるように話しかけてくる。
「え?いや、ちょ、そんな・・・。」
いや、味はそれほど悪くないんだよ?でも、栄養価が高すぎるのよ。
一食当たり3000キロカロリーとか、ブタまっしぐらじゃない!
私は姉さんみたいに、あわててダイエットって言って、40キロの背嚢を背負って40キロの樹海を40時間で走り抜けるなんてことはしたくないのよ!
◇ ◇ ◇
30分後
・・・お母さんが作ってくれた料理は、四色海鮮丼だった。しっかりと冷ました酢飯に鮭、イクラ、マグロ、ネギトロ、そして大葉と刻みネギが乗っていた。
三人とも大盛りだった。・・・遥香、すっかり元気になったな。結構な量があったのに、全部食べ切ったよ。
先月までは仄香が入っていたからとんでもない大食いだったけど。
私の部屋に戻って再び遥香と仄香が交代し、幻灯術式を起動する。
先ほどと違って、町の様子が少し現代に近づいている雰囲気を受ける。
・・・ゆっくりとゆっくりと。
いくつもある映像の中に五感全てが没入していく。
◇ ◇ ◇
1978年2月
三好 美代
あれから世界中を回った。残念ながら、赤い石に紐づけられた魔力回路は、何者かによって巧妙に接続先を隠蔽されており、息子がどこにいるのかわからなかった。
託宣神として名高い事代主神や八幡神をはじめ、神託を司る神格をたびたび降ろしたが、効果はなかった。明らかに何者かの妨害を受けている。
だがつい先日、アポロンの神託を得るためにデルフォイの地まで赴き、多重結界を張り、デルフォイの巫女と重ねて神降ろしをして初めて糸口をつかむことができたのだ。
おかげでこの身体はボロボロで、乗り換えが必要なほど損傷してしまった。
神格という、人の器に収まるはずがないものを連続して降ろしたのだ。
しかも、最後の一回は神格だけでなく巫女の霊まで降ろしたのだ。
こんな小さな少女の身体が耐えられるはずもない。
おそらく、千連唱以上の大規模攻撃魔法の行使や、魔力回路が一つでもオーバーヒートした瞬間に使い物にならなくなるだろう。
いや、下手をしたらその場で魔力災害を引き起こす可能性すらある。
周囲を巻き込んで大爆発なんてことになったら目も当てられない。慎重にならなくてはならない。
何より、この身体も50年以上使っている。そろそろ新しい体を探してもいい時期だろうか。
まあいいや。この世界は紛争が絶えないから、適当な体を見つけるのはそう難しくないだろう。
・・・話を戻して、アポロンの神託は次のとおりである。
一つ、息子は生きている。体は若く、大きなケガや病はない。
一つ、極めて強い結界に囚われており、当分の間、身動きが取れない。
一つ、手掛かりになるものは、心臓を見つけた場所のはるか北、どこまでも白い山の頂の湖のほとりにある。
5000年以上、探し続けたのだ。100年や200年くらいなら、何の問題もない。
自分に言い聞かせるように逸る心を抑えて、あの教会の跡地の遥か北にある山とやらを目指し、魔法の箒に跨って飛翔していた。
もちろん、38度線より少し南までは長距離跳躍魔法で来たけどね。
一応、メネフネを通じて国防総省には通達済みだが、やたらと作戦に関与したがったんだよな。あいつら。いつ行くのかしつこく聞かれたし。
探し物をするだけで交戦する予定はないと伝えたんだが、想定される敵勢力やら敵の兵器のスペックやら、やたらと情報を持ってきやがった。
誰が好き好んで第二次朝鮮戦争に参戦するものか。
どうでもいいことを考えていると、新たに召喚した眷属のうち一体から、念話が入る。
《マスター。ハルピュイア・リーダーです。現在、100キロほど先行していますが、敵影はありません。白頭山の頂上は夜明け前だけあって静かなものですわ。》
《そうか。お前は戦闘力が低いから、無理はするなよ。敵影を見つけたら、すぐに着陸するなりして隠れろ。》
《マスター。ハルピュイア・ツーですわ。咸鏡南道の徳山飛行場から、Mig-21が何機か上がっています。爆装はしていません。・・・夜間訓練飛行のようですが、お気を付けください。》
《了解した。っていうか、Mig-21に夜間飛行能力なんてあったっけか?新型か?・・・まいいや。新しい術式を使ってみよう。どの程度効果があるかはわからないが、ないよりはマシだ。》
つい先日開発した電磁迷彩術式を起動する。これは、レーダー波に対して強い欺瞞効果を発揮する術式だ。
まあ、目視されるくらいの距離まで来られたら何の役にも立たないし、赤外線誘導ミサイルに対しては、何の効果もないんだけどさ。
そのうち、赤外線や可視波長も誤魔化せるようになりたい。っていうか、人類の技術、進みすぎだろう。まだライト兄弟が飛んでから75年しか経ってないんだぞ。すごいな、人間って。
神託の言うところの「どこまでも白い山」というのはたぶん、白頭山のことだろう。あの山は確か、10世紀の中ごろに噴火しているはずだ。ということは、手掛かりとやらはそれ以降、白頭山に置かれたのか。
中国側から接近しようとも考えたが、中国とソ連の関係悪化に伴い、第二次朝鮮戦争前は中国吉林省と呼ばれていた地方が戦場となってしまっているため、朝鮮半島を縦断して現地に向かうことになった。
ベトナム戦争終結後、アメリカが新兵器の所有を宣言したため、中国、ソ連ともに西側諸国への手出しが一方的にできなくなり、各国の暴力は隣接した国や、西側ではない諸国へ向かうことになった。
戦略家たちは非対称戦争時代の幕開けとか言ってるが、「アメリカの新兵器」が張子の虎だと知られたらどうなるだろうか。
・・・世界の戦略家の皆さん、すまない。ビキニ環礁で炸裂させたのはアメリカの新型兵器じゃないんだ。あれは、私の陽電子加速衝撃魔法の試し打ちだったんだ。
口裏を合わせることを実験場を借りる条件として提示されたんだが、断れなかったんだよ。
いや、だってさ。託宣の中に余計なのが混ざってたんだよ。今から16年後に星が落ちるって。
せっかく親子水入らずで過ごせるのに、星が落ちてすべて台無しになるなんて冗談じゃないだろう?
《マスター。ハルピュイア・スリーです。5機の殲撃8型らしきものを確認しました。座標、送ります。北緯40.4362、東経126.0121を亜音速で南東に飛行中です。対空ミサイルらしきものを4発ずつ搭載しています。》
《了解した。完成していたのか。カタログ上の航続距離は2,000kmだったっけ。最高速度は音速の2.2倍。もしカタログスペックどおりなら、魔法の箒じゃ話にもならんな。・・・これより高度を下げる。到着が遅れるが、気にするな。》
ゆっくりと高度を下げていくが、夜明け前ということもあり、誰も気が付かないようだ。空は白み始め、眼下の地形が見え始める。
《マスター。メネフネデス。国防総省からお電話デス。国防捜査局のジェイソン様と名乗っておられマスガ、お繋ぎしてよろしいデスカ?》
《なんだ?こんなタイミングで。とりあえず繋いでくれるか?》
《ハロー、ミヨ。作戦行動中かい?重要な情報を入手したから、共有しようと思ってさ。》
《重要な情報?何かあったのかしら?・・魔法の箒で飛行中なの。ごめんなさい。端的におねがいするわ。》
《オーケイ。魔法協会からの連絡だが、ソ連軍が魔法使いを徴用して白頭山周辺に配置しているらしい。すべて教会の所属だそうだ。ミヨなら問題ないと思うが、注意してくれ。》
《教会の魔法使い?・・・ええ、それは貴重な情報ね。ありがとう。そちらに帰ったら一杯おごらせてちょうだい。》
《ハハハ、ミヨはアルコールを出す店に入れないだろう?代わりと言っちゃあなんだが、今度ホームパーティーをするから出席してくれよ。ぜひ魔法の箒でね。》
《ええ、予定が決まったら教えて。とっておきのワインを持って飛んでいくわ。じゃあまたね。》
念話を終え、地表すれすれを飛んでいくと、白頭山らしき山の頂に朝日が当たって白く輝いているのが見えてきた。
直線であと1キロ、といったところか。
《ハルピュイア・リーダー。そろそろ山頂に着陸して天池の探索を開始する。白頭山の上空警戒監視を頼む。》
◇ ◇ ◇
天池のほとりに着陸し、それを囲む16の峰を眺める。
・・・しかし、広いな。この湖のどこに手掛かりが眠っているのやら。
《ハルピュイア・リーダー、了解しました。》
《ハルピュイア・ツーより緊急!北東から飛行物体が高速で接近中・・・。ミサイルです!》
いきなりか!魔力反応は抑えていたはずだぞ!?いや、戦争中だ。巻き込まれただけか!?
「術式20番緊急停止!術式束92,291,281及び四重術式、923,521発動!」
常駐の魔力隠蔽術式は直ちに解除し、物理防御、圧力、熱運動量、自由電子制御術式に、防御障壁を4枚展開する。
《ミサイル、直撃まであと5秒!》
ハルピュイア・ツーの悲鳴のような報告の直後、私がいるところを中心に爆炎が上がる。
全方位から襲ってくる衝撃に、4枚の防御障壁と各種術式は抵抗し、何とか耐え抜く。
「燃料気化弾頭ですって・・・?いったい何を狙って撃ったの?まさか狙いは私?」
相手の思惑も戦力もわからない。ここは別に前線でもないし、私はまだ何もしていない。
・・・教会の魔法使いを徴用したといったな?奴らに見つかったか?
「まあいいわ。発動遅延、セット・ワン、四十連唱、光よ、集え。そして薙ぎ払え。発動遅延、セット・ツー、三十連唱、闇よ、踊れ。そして叩き割れ。発動遅延、セット・スリー、二十連唱、水よ、集いて一条の槍となれ。」
発動遅延詠唱を重ねながら考えるが、敵の意図もわからない。
可能であれば戦いを回避したいが、どうやらそうも言ってられないようだ。
せめて、神降ろしの回数が半分以下で済んでいたのなら・・・。
いや、最後に神格と死者を二重で降ろしたのが問題だったか。
《マスター。新たな敵戦力を確認しました。西北西から爆撃機と思われる敵性航空機が接近中です。機数は10。国籍不明、距離約70キロ。まっすぐそちらに向かっています。》
《了解した。対処する。》
爆撃機か・・・。優先して撃墜しておくべきだな。
それにしても妙だ。攻撃が散発的すぎる。軍隊を運用する者がこのような戦力の逐次投入などするか?この素人感、やはり敵は教会か?
「発動遅延、セット・フォー、五十連唱、炎よ、盛れ。そして焼き尽くせ。発動遅延、セット・ファイブ、百連唱、風よ、歌え。そして押し砕け。発動遅延、セット・シックス、二百連唱、雷よ、天降りて千丈の彼方を打ち砕け。」
念には念を入れて、発動遅延詠唱を6種440個セットしておく。
稜線から複数の大型の航空機のシルエットが見えた瞬間、光撃魔法を解き放つ。
「目標、敵性航空機を補足。セット・ワン、順次解放。」
10条の光の槍が現れ、明け方の空に放たれる。
光の速度で打ち出されるそれは一瞬でその胴体に突き刺さり、爆撃機を爆散させる。
《こちら、ハルピュイア・スリー。敵のミサイルランチャーを複数見つけました。いずれも発射準備中です。座標、北緯42.136984,東経127.5562です。》
《よくやった。中国側に20キロ、といったところか。十分射程内だ。》
「大体の位置さえわかればいいわ。目標座標、北緯42.136984,東経127.5562、セット・フォー、ファイブ!全解放!」
ハルピュイア・スリーの示した座標のあたりに炎撃魔法と轟風魔法を叩き込む。
着弾観測できないのが残念だが、火炎旋風による攻撃だ。ただではすむまい。
《ハルピュイア・スリーです。敵性航空機、およびミサイルランチャーの消失を確認しました。新たな敵影を確認。座標、北緯42.181776,東経128.194873。自走砲です。・・・ちょっとお待ちください。付近の地上で7体の魔力反応を確認。・・いえ、反応が増えました!合計12体です!》
何?先ほどの燃料気化弾頭の攻撃を耐えた魔導戦力が地上にいるだと?
《こちらでも魔力探知で捉えた!これは・・・。アンデッドか!》
灰色の肌の兵士たちが四方から一斉に襲い掛かってくる。
くそ、遠距離に照準を合わせすぎた!彼我の距離が30メートルしかない!
「セット・ワン、順次解放!」
慌てて残りの光撃魔法を撃ち出すが、全方位から襲われたことにより、正面と右の5体を消し飛ばすにとどまり、残りの7体がさらに接近する。
「く、セット・スリー、順次解放!」
水槍魔法をアンデッドに次々と撃ち込んでいくが、光撃魔法のように一撃で屍霊術の術式を破壊できないため、7体のアンデッドに水槍魔法を撃ち切ってしまった。
アンデッドだと?くそ、間違いなく教会だ!
教会が来ているということは、聖釘もあるということか?しかし、あれは接近しない限りは役にも立たないはずだ。
《マスター!自走砲が射撃を開始しました!防御を!》
ええい、次から次へとうっとうしい!
「九重術式26,439,622,160,671!」
展開中の4枚に加えて9枚の防御障壁を展開する。一拍遅れて、曳下射撃の雨が降る。
砲弾のうちの数発が、防御障壁に直撃し、耳障りな音を立てた後爆発する。
13枚の防御障壁のうち、2枚が一撃で消失した。
「ふ、下手くそね!曳下射撃の高度がバラバラよ!」
全力で防御障壁に魔力を注ぎながら吐き捨てるが、なかなか砲弾の雨がやまない。
やはり全弾ぶち込むつもりか。
このままでは防御障壁をすべて削り取られてしまう。
「・・・目標座標、北緯42.181776,東経128.194873、セット・シックス!全解放!」
発動遅延状態の轟雷魔法をすべて敵の自走砲がいるであろう地域に叩き込む。発動遅延状態にある魔法は、あとは空間衝撃魔法、30発だけだ。急いてチャージしておかなくては。
◇ ◇ ◇
砲弾の雨が止んだ後、ハルピュイア・リーダーから念話が入った。
《マスター、自走砲の撃破を確認。・・・意見具申、よろしいでしょうか。》
普段は命令に従うだけのハルピュイアが意見具申とは、珍しいな。
《なんだ、言ってみろ。》
《即時の撤退を進言します。待ち構えられていたとしか考えられません。それに、敵勢力下において攻撃を受けている状況での探し物は困難を極めます。》
《そうだな・・・。そもそも私がここに来るということを知っているのはアメリカ国防総省だけのはずだし、奴らが漏らすとは思えん。それに対応が早すぎる。何かがおかしいのはわかっているんだ。》
・・・そう、何かが引っかかる。それが何か、ずっと考えていたが一向にわからない。
《マスター。ご決断を。》
《よし。撤退する。・・・なに、国防総省にだって行先は告げたが、その目的は言ってない。それに次回は長距離跳躍魔法で来れるしな。無駄ではないさ。》
そうと決まればこんなところにいる必要はない。いったん撤収してまたくればいい。
ハルピュイアめ、私よりよほど冷静じゃないか。
そうさ、またくればいい。あの子は5000年以上待たせているんだ。あと1年くらいなら待っててくれるさ。
「勇壮たる風よ。汝が翼をっ・・・!?」
長距離跳躍魔法の詠唱を行い始めた瞬間、背中にドスっと何かが当たった感触がした。
驚愕に目を見開く。魔力探知には何も反応はない。それより、防御障壁を展開しているはずなのに、障壁を素通りしただと!?
背中から胸をかき回される痛みに耐え、振り向くとそこには法衣を着た男と、大きなヘルメットをかぶり、時代遅れな軍服を着た金髪翠眼の女がこちらを見下ろし、酷薄な笑みを浮かべていた。