72 血濡れの魔女・降りしきる雨、くすぶる火種 ②
美代ちゃんの身体を使っているときの魔女は、遥香の身体を使っているときよりもかなり強力です。
その理由は、とくに邪魔されることもなく「好き放題に魔改造済みだから」です。
でも、千弦や琴音の身体を使ったときに比べると遠く及びません。
・・・駄目だと知りながらも魔女が欲しくなる気持ち、ちょっとわかる気もします。
それにしても破魔の角灯、強力ですね。
材料は一体何を使っているのでしょうか。
1950年9月
三好 美代(魔女)
「無事か美代ちゃん!・・・何をしているんだ美代ちゃん?・・・やっぱり君は・・・。」
手を止めて教会の入り口を見ると、先ほど別れたばかりの道雄君が古めかしいデザインのランタンを片手に立ち尽くしている。
見られたくないところを見られてしまったな。
・・・いや、ちょっと待て。今彼は何と言った?
人間らしい感情はずっと昔に捨ててきた。いや、もともと持っていなかったのかもしれない。それでもこの展開はちょっと心に刺さるものがある。
教会の狂信者か?ならば情けは無用だ。殺すしかない。せめて別の、河辺機関※あたりの人間であってくれたなら・・・。
薄暗い教会の中、両手を血に染めて立ち上がる。あたりはソ連兵や北朝鮮兵士の血と肉片が散らばり、鼻を衝く臭いが立ち込めている。
作動させたままの術式を解除せず、彼に近づきながら声をかける。
「道雄君?今、『やっぱり』って言ったよね。『やっぱり』の後は、何?」
彼はそっとランタンをかざし、私の顔を照らす。
「・・・君が魔女だとは思いたくなかった。君の名前はそっちの界隈では有名だからね。でもこの目で見るまで信じたくなかった。」
「道雄君?あなた、やっぱりどこかの諜報機関の?それとも教会の・・・。」
お互い信じたくはないと思っているのだろうが、私の問い掛けに確信したのか、彼はランタンをかざし、横のダイヤルを捻った。
・・・ちょっと待て。ランタン!?
角灯から放たれる光は一瞬で赤いものへと変わり、あたりを侵食するかのように広がっていく。
「くっ!セット・ツー、解放!」
・・・八連唱し、発動遅延状態にあるはずの石弾魔法が発動しない!?
慌てて近くにあった瓦礫を、彼に向かい思い切り蹴り飛ばすがびくともしない。
これは!?身体強化術式も高機動術式も、そのほかのすべての術式が解除された!?
聖釘だって直接刺されなければ、そんなことは出来ないぞ!?
膨大な魔力で無理やり術式を起動するために、渾身の力を込めて練り上げた魔力が一瞬で霧散していく。念動呪を使い、彼からランタンを奪おうとしたが、念動の力場すら発生しない。
「破魔の角灯」とはこれほどのものだったのか!聖釘だってフルパワーなら呪いの類いは使えるのに!
「美代ちゃん。君はいつから魔女だったんだい?俺に会う前から?それとも別れた後?・・・そうか。東京の空襲で死んだ君の身体を魔女が奪ったんだね。」
道雄君はそういうとランタンを左手に持ち、肩から下げたカバンからピストルを取り出し、それを右手で構えた。
回復治癒呪が解除されたことにより、失血の症状が出て一気に重くなった体を引き摺りながら、教会の奥へと必死になって逃げだす。あそこにはソ連兵が持っていた新型銃を隠しておいた。魔法が使えなくてもあれさえあれば!
パン!という音が響き、右足に銃弾が当たる。ふくらはぎに当たり、骨が砕ける感覚がした。
これは32口径か。こんな低威力の弾丸で行動を阻害されるとは。
激痛に耐え、新型ライフルのある場所へ左足だけで這いずっていく。
クー・フーリン!来てくれ!・・・くそ、やっぱり念話も使えないのか!
せめて、せめて角灯に遭遇した時点で万全であれば!
ソ連兵が残した新型ライフルにしがみつき、あまりの重さに戸惑いながらも、彼に向けて引き金を引き絞る。
だが、使われている火薬量が多すぎたのか、余りにも大きな反動に振り回され、銃を取り落としてしまった。
「教会とやらが保有するという聖釘がないことが本当に残念だ。すまない、美代ちゃん。君の仇を討ちきれない。」
じりじりと迫ってくる彼は、転倒した私を見下ろして唇を噛みしめている。
「待って!私はあの時からずっと!」
彼は私の言葉を遮るかのように、彼の中にいる少女に語りかけ続ける。
「せめて君の魂だけは魔女から解放してあげよう。さあ、魔女よ。美代ちゃんの体から出ていけ!」
廃墟となった教会にパン、パンと乾いた音が二発響き渡る。
正面から2発。胸と頭に打ち込まれた32口径は、三好美代の脳幹と心臓を破壊し、その体はピクリとも動かなくなった。
彼は血と脳漿をまき散らして動けなくなった私の身体を、瓦礫の中から引き出したベンチにそっと横たえ、開いたままの私の目を指でそっと閉じる。
うわぁ・・・。こんな小口径の銃で殺されるとは。PTRS1941あたりならまだ納得できるんだが。
「・・・美代ちゃん。帝室博物館に行った時、君が言った言葉を覚えているよ。あのとき君は『大好きな人と博物館に来られるなんてなんて幸せなんだろう』と言ったね。てっきり、大好きな先生と一緒にいられるのを喜んでいるだけだと思っていたよ。」
ん?ほかにどんな意味があると思ったんだ?っていうか、っていうかよく覚えていたな。
「君はずっと家で虐められて、まともにご飯も食べさせてもらえずにいたんだよね。」
・・・よく知ってるな。っていうか、あの程度で虐めとか言われたら中世のころの生活は地獄だぞ。一日一食でも出れば御の字だ。子供なんて良くて産みっぱなし、下手すりゃただの労働力だ。
「上野公園で楽しそうに鳩と戯れてる姿が、すごく可愛かった。」
いや、鳩は結構ジューシーで牛肉みたいな味の高級食材だから、つい。
教会の奥から擦り切れて黄ばんだカーテンのような布を探し出し、そっと私の体にかけ、血だらけの手を握り、やさしく語り掛けるように言葉を続ける。
「酒浸りで賭博三昧の父親に、子連れの後妻。給食がない日は田んぼでザリガニを釣って焼いて食べてたって、近所では有名だったよ。だからこっそりと米と味噌を分けてあげたら、すごく喜んでくれたよね。・・・まさか土鍋にザリガニと野草を入れて炊き込みご飯を作るとは思っていなかったけどさ。」
ちょっと待て。道雄君、ザリガニ香草鍋を作ったとき、一緒にうまいうまいって言って食ってたよね?
え?アレ、君の中ではゲテ物扱いだったの?え?ヨーロッパでは普通の家庭料理だったんだよ!
道雄君はどこからかプレス加工された燃料容器を教会に運び込み、中の液体を私の体にかけた。
おい!?これ、ガソリン!?ちょ、ちょっと!これはまずい!さすがに火葬されたら治せないって!
早く回復治癒呪で動けるようにしないといけないのに、破魔の角灯を消す様子がまるでない。念話で眷属を呼んでも何の反応もない。
はあ、この体ともお別れか。人間関係が希薄で使いやすい身体だから結構気に入ってたんだが。
結構、術式で弄り回したし。
ま、これだけ世界中が戦争だらけなんだ。次の体はすぐに見つかるだろ。多分。
・・・破魔の角灯め、もし次回、その所在が分かったら遠距離から光撃魔法、いや陽電子加速衝撃魔法で国ごと薙ぎ払ってやる。イスやクラカタウと同じ状況になっても知ったことか。
◇ ◇ ◇
「マスター!!どこですか!!」
心臓が止まって結構な時間が経過したし、半分以上あきらめかけたところで、けたたましい音とともに教会のステンドグラスが砕け、神槍を持った短身痩躯の美丈夫が飛び込んできた。
「誰だ!どっちの兵隊・・・いや、魔女の眷属か!」
彼が角灯を掲げ、拳銃を構える。
「マスターから賜った飴の味が急にしたと思ったらこれか。おい、貴様、マスターに何をした。・・・念話にも反応がない。まさか、殺されたのか、封じられたのか。」
クー・フーリンは彼の後ろに寝かされた私を見ると、腰を引き、神槍を引き絞るように構える。
「いや、わたしが在るということは、まだマスターはそこにいらっしゃるな。だが、我への魔力の供給がない。・・・時間がないな。まずは目障りなランタンを壊してくれようか。」
クー・フーリンは一瞬で彼の間合いに入ると角灯を持つ手を神槍の柄で薙ぎ払い、叩き落す。
「くっ!なぜランタンが効かない!」
彼は一瞬狼狽するも、拳銃を構え、動き回るクー・フーリンに向かって正確に発砲する。
「知らぬわ!我はマスターのためにこの槍を振るうのみ!」
数発の弾丸をその身に受けながらも、クー・フーリンは破魔の角灯にその神槍を突き立てた。
角灯のつまみのような部品がはじけ飛び、ランタンからこぼれていた赤い光が消える。
一瞬、澱んだ空気を吹き飛ばすかのような風が吹いた後、クー・フーリンの念話が頭の中に響き渡る。
《マスター!目を覚ましてください!マスター!》
《すまん、助かった。すぐに回復治癒呪を使って再生する。う、脳に酸素が通ってない時間が長すぎたな。脳神経のいたるところが切断されて思考がめちゃくちゃだ。・・・よし、なんとか動けるか。》
彼に寝かせられたベンチから黄ばんだカーテンを引きはがし、ゆっくり立ち上がる。
「もう死ぬかと思ったわ。ねぇ、道雄君。さっき言いかけたことなんだけど・・・。」
ものすごい形相でわたしを睨む彼は、もはや何も聞こえていないようだ。
道雄君、もしかして三好美代という少女のことを?
「魔女め。それほどまでして美代ちゃんを辱めたいのか!ならば・・・創造の女神■■■■■よ!すべての奇跡の母よ!来りて我らを救いたまえ!」
ちょっ!おまっ!
道雄君!よりによってなんてことを!この辺りを消し飛ばすつもりか!
それより、教会の最高機密とされている女神の名前を君がなぜ知っているんだ!
その名が呼ばれると、絶え間ない雨が降り続いていた空が瞬時に晴れ渡り、呼んだ者に答えるように星の光が降り注ぐ。
周囲は魔力に満ち満ちて、肉眼で目視できるほどの輝く魔力粒子があたりを埋め尽くす。まるであたりは昼間のようだ。
女の声のようでいて、ひどく機械的な、頭が割れるような声が空間全体に響き渡り、教会に残されていたガラスというガラスが粉みじんに割れていく。
そして教会の前の水たまりが、至る所で常温で蒸発していき、追い打ちをかけるように気温が冬のように下がる。季節外れの雪、いや、雹が降り、あたりを白く染め始めた。
一連の現象が終わると、日の光がさしたかのように明るくなった空間の一部にひびが入り、何か、神々しさを勘違いしたような裸の女がそのひび割れから這い出してこようとしていた。
「なんてことを!クー・フーリン!道雄君を連れて東へ逃げて!今すぐ!」
「承知!」
クー・フーリンは短く答えると、彼の首根っことランタンをつかみ、山へ向かって全速力で駆け出した。
あいつの馬鹿力と俊足なら、ギリギリ逃げ切れるか?
設計図は・・・もう探してる余裕なんかないな。現物があればいいか。
「1500年前より、魔力粒子の量が多い!かなり強くなっているわね。ランタンも手に入りそうだというのに。ここまで来て!このクソ女神!・・・もう、こうなったらやるしかない、わね。」
周囲のありとあらゆるものが光の粒子と化し、消えていく中でその爆心地である女神と向き合い、深呼吸を一回だけ行う。
目を見開き、全身全霊で魔力を練り上げ、治したばかりで質量が足りない体の中で無理やり循環させた。
「全術式束、励起!連唱46,970発動。四重術式923,521発動。重ねて209,509発動。」
すべての術式を励起状態にし、術式強化、術式収束、多重詠唱、術式反復、抗呪抗魔力術式を連唱状態で発動する。
さらに防御障壁をフルパワーで4枚展開、精神防御、物理防御、そして霊的汚染防御をフルパワーで展開。
「術式束161,118,677、連続発動!」
最後に慣性、熱運動量、圧力、自由電子にかかる制御術式を連続発動させておく。
「よし、すべての術式の励起、安定発動を確認したわ。・・・さて、行くわよ!!」
「すべての安全機構を開放・・・。発動遅延セット・ワン、三百連唱、大地よ、轟け。そして押し潰せ。発動遅延セット・ツー、四百連唱、風よ、歌え。そして押し砕け。発動遅延セット・スリー、五百連唱、水よ、奔りて押し千切れ。」
地、風、水の攻撃魔法を3種1200連唱、スタンバイさせる。
・・・まさかここでお前と会うとは思わなかったよ。これで少しは間合いが取れるといいんだが。
女神は空間のひび割れからその全身を出し、光り輝く魔力の波を放ち始める。
「間に合ってくれよ・・・。発動遅延セット・フォー、千連唱、雷よ、天降りて千丈の彼方を打ち砕け。発動遅延セット・ファイブ、四千連唱、第一の元素精霊よ。我は汝の階梯を押し上げるものなり。陽光の如く煌めきて万里三界を焼き尽くせ。」
発動遅延詠唱を重ね切ったと同時に女神が耳を劈くような雄叫びを上げ、大地に降り立った。こちらを向き、光り輝く魔力を収束し始める。
余波だけでワンピースの裾が分解されて魔力に還元されていく。
肌まで分解されそうになったところで渾身の魔力を込めて魔力を解放する。
お前の好きになんてさせるか!
「セット・ツー!全解放!押し砕け!」
400発分の轟風魔法が瞬時に発動し、女神の身体を形容しがたい轟音と爆風が襲い、周囲の建物や木々を押し砕きながら弾き飛ばす。
よし、多少は効いている!
「セット・ワン!全解放!押し潰せ!」
解放とともに300発分の震撃魔法が瞬時に発動、大地が噴火したかのように巻き上がった建物や木々が轟風魔法と混ざり合い女神を巻き込み、数キロメートルの空間ごとミキサーのように押し潰し、かき混ぜる。
この程度で倒せるはずはない。
「セット・スリー!全解放!押し千切れ!」
500発分の水撃魔法が発動。海に向かって大きな津波のような土石流を巻き起こし、ありとあらゆるものを押し千切りながら地平線の彼方までを黒い濁流が覆いつくす。
「ぐっ!・・・くっそ、魔力回路が限界だわ。オーバーヒート寸前よ!」
魔力回路の冷却を急ぎながら地平線、いや黒い水平線を睨み、再び魔力を全開にしていく。
・・・水平線の彼方で何かが光った?
反射的に全魔力を防御障壁に流すと同時に、一条の光が飛来し障壁に当たって甲高い音を掻き鳴らす。
「く、障壁が持たない!九重術式26,439,622,160,671!」
4枚あった障壁が次々に砕け散り、慌てて発動した9枚の防御障壁のうち7枚を砕いたところでやっと光が収まった。
風圧だけでワンピースがズタズタになった。
全力で慣性制御術式を使い、姿勢制御に努めたが衝撃で吹き飛ばされ、建物の残骸に頭から突っ込んだ。
慌てて身体を起こすが、破片が刺さった頭からは少なくない血が噴いている。右手にいたっては小指と薬指が折れて変な方を向いている。
「なんという力技!純魔力だけでフルパワーの防御障壁を11枚も抜くなんて!ミズーリでさえ6枚だったのに!」
あ、膝も折れてるし。ま、歩かなきゃいいだけの話だ。
純魔力砲だと?こんな非効率な攻撃方法を取るとは。奴め。相当慌てているな。
とりあえず、いつまでも地べたに這いつくばっているわけにはいかない。あいつが逃げるとも思えないが、追いかけなくては。
「勇壮たる風よ!我に天駆ける翼を与えたまえ!」
飛翔魔法を使い、空に駆け上がる。
見つけた。海の少し手前にいるな。
ん?水平線に見えるのはどこかの国の上陸部隊か?この時期、あの方角からくるとしたら、中国軍か?・・・まあ、どうでもいい。ここは戦場だ。何が起きても自己責任だ。
まずは轟雷魔法、千発分。
「セット・フォー、全解放!」
女神も何かを放つのが見えた。やはり、純魔力砲か。相殺する気か!
千発分の轟雷魔法すべてが同時に発動し、空が軋む様な悲鳴を上げ、もはや稲光などではなく、目の前すべてが青白い光に満たされ、水平線まで見渡す限りの空気が電離する。
女神の純魔力砲と空中でぶつかり、轟雷が魔力と溶け合い、プラズマ化して暴走する。
その余波だけで、もはや轟音や爆音と言い表すこともできない。むしろ音が大きすぎて逆に聞こえないレベルとなる。
光が収まった後、鼻の奥を焼くような生臭い、いや、青臭いにおいがあたり一面に立ち込めた。
「ゲホッ!ゲホッ、ゲホッ・・・」
激しく咳き込み、軽いめまいを覚える。
・・・こんなに広範囲にオゾン臭が立ち込めるとは思わなかった。・・・猛毒なんだよな。これ。とっとと燃やすか。
「キキ・・・ギェアァァァァー!カカカカカ・・・・オ、オネエサマ・・・オネエサマタスケ・・・・サムイアツイイタイクルシイイイイイ・・・」
・・・しゃべった!こいつ、知性なんてあったのか!何語だ!?嘘だろう!?我々の言葉だ!
・・・なんで5000年以上も前の、なんで私が生まれた頃の言葉を!
くそ、確認したいことが山のようにあるが、こいつはまだ戦る気だ。手なんか抜けるか!
「セット・ファイブ、全解放!焼き尽くせ!」
多重圧縮型熱核魔法だ!こいつは最低でも千連唱でしか作動しない、低威力で撃つことができないという危険極まりない魔法だ。
これでダメなら、あとは取れる手段は数えるほどしかない。
熱核魔法の発動と同時に、女神のいる空間に直径約100m、反応温度1億℃を超える火球が次々と出現し、閃光が周囲の大地を溶かし、建物の瓦礫や木々、そして橋や土手までも一瞬で蒸発させる。光が収まった次の瞬間、衝撃波が押しよせ、一瞬遅れて轟音と爆風が飛来する。
はるか遠くで上陸しようとしていた揚陸艇が衝撃波で砕け、人が紙屑のように吹き飛ぶ様が一瞬だけ見えたが、今は大きく立ち上ったキノコのような形をした雲のせいで何も見えない。
頭が割れるように痛い。魔力回路の処理能力を大幅に超過し、気合と暗算で一部の処理を肩代わりしている。左手と左肩、そして右胸の魔力回路がオーバーヒートして皮膚を焼き、血を滴らせている。
魔力を解き放った右手は、原形をとどめないほど炭化している。
慌てて回復治癒呪を使うが、右手の形が戻ると同時に身体中の質量がどんどん減って行くのを感じた。
そろそろ限界だ。いい加減、帰ってくれ。耳も目も、魔力探知も効かなくなってきた。
くそ、やはり、この身体もここまでか。
◇ ◇ ◇
《マスター。ご無事ですか。女神の魔力が途絶えました。撃退成功です!》
クー・フーリンの声に、飛びかけていた意識を取り戻す。
なんとか、終わったか。水平線の彼方まで焼き尽くされた大地に降り立ち、焼けて煙が立つ土の上に座り込んだ。
「いい加減にして。もう、二度と会いたくないわ、くそ女神。」
順次、励起・発動状態の術式を解除していく。
「マスター。お疲れ様です。例のランタンと先ほどの男はこちらに。」
いつの間にか戻ってきたクー・フーリンが、道雄君を背負い、スイッチ部分が壊れたランタンをぶら下げていた。
「美代ちゃん。君は、いつから魔女だったんだ?」
道雄君が恐る恐るその口を開く。
クー・フーリンは彼の後頭部に槍の穂先を押し当てたままだ。また女神を呼ぶと思ってるんだろうな。
「大丈夫よ、クー・フーリン。奴は魔力を使い果たしたわ。最低でもあと40年は出てこれないはずよ。・・・それに、これほどまでに力を取り戻すには300年くらいかかるでしょうね。」
あらためて道雄君に向き直り、目をまっすぐ見て話しかける。
「道雄君、実はね。興津小学校に転校してきた時から、ずっと私だったんだよ。」
彼は眼を見開き、ボロボロの私に手を伸ばす。
「美代ちゃん。君は、『大好きな人と博物館に来られるなんてなんて幸せなんだろう』って言ってたよね。魔女ともあろう者が、一介の教師を『大好き』と思うなんてありえない。君は、あの時から嘘をついていたのか?」
ああ、そこからか。変だとは思った。
家族から虐待を受けていた美代なら、休みの日に家まで様子を見に来てくれたり、遠足で継母に弁当を作ってもらえないのを見越して、私の分まで弁当を用意してくれたりする先生に懐くのは自然だからな。
「私が南雲先生を好きだったのは、ただ優しくしてくれたからだけじゃないわ。このひとつ前の身体、南雲仄香の時にお腹を痛めて産んだ、我が子だからなのよ。」
彼は驚いたのか、口を開けたまま何も言わない。
「笑えるでしょ?お腹を痛めて産んだ子を本妻さんに取られて、姿を変えてまでその子に付きまとうなんて。長く長く生きてきたのに、子供と別れるなんてことは頻繁にあったのに。我が子のうちのたった一人の顔さえ忘れられないなんて。・・・魔女が聞いてあきれるわ。」
「・・・そうか。じゃあ、君は南雲先生がどうなったも当然知っているのか?」
「ええ。駆逐艦『藤波』。昭和19年10月26日または27日。アメリカ軍機による空襲とされてるわ。・・・実際には、ガトー級の雷撃もあったみたいだけどね。」
沈痛な顔をして、彼は言葉を絞り出す。
「君は、復讐しようと思わなかったのか。息子を殺した米兵を、仇を殺そうと思わなかったのか。」
「ふふふ。魔女に人間みたいなことを言うのね。・・・そうね。雷撃した艦も指示した人間も、すぐ特定したわ。でも、殺すどころか、助けちゃったのよね。」
「どうして!大事な我が子じゃなかったのか!」
「・・・雷撃した潜水艦の砲雷長、私の三つ前の身体のひ孫だったのよ。」
彼は、その顔には驚きとも悲しみともつかない、複雑な表情を張り付いたまま何も言わない。
「さて、そろそろ行くわ。もう会わないといいわね。次に会ったら殺すわ。」
「待ってくれ。これを。・・・その恰好ではどこにも行けないだろう?」
彼はそういって革のジャケットを脱ぎ、私に羽織らせた。
確かに赤茶けたワンピースはひどく引き千切れ、スカート部分は左半分だけしかなく、上半身は申し訳程度の布しか残っていない。幼い乳房が完全に露わになってしまっている。
ありがたく袖を通すと、手入れの時に使ったのか上質な保革油の匂いがした。
その後、仁川市の沖合で救助活動を行う米軍の船まで彼を送り届け、二度と会わないことをお互いに誓い、別れることにした。
さて。破魔の角灯、どこで分解しようかしら。
あ、そういえば道雄君って、河辺機関の人だったのかしら。それとも教会?あははっ。確認しそこなっちゃったわ。
※河辺機関とは、現在の一般財団法人世界政経調査会の設立時の名前です。
連合国軍最高司令官総司令部参謀第二部所属の対敵諜報部隊の下請け機関として設立されました。
当初は旧軍人により構成されていましたが、現在では警察庁や内閣情報調査室の面々が名を連ねています。
「内外の政治、経済、社会事情等の総合的な調査研究を行い、 内外事情に関する知識の向上普及を図ること」を目的としており、現在も内閣官房から情報調査委託費が交付されています。
あまり有名ではありませんが、現在も活動を続けているれっきとした情報機関です。
・・・破魔の角灯の秘密は次回、判明します。ご安心を。複製できるような代物ではありませんので。