69 閑話 尊敬できる姉
11月24日(日)
南雲 琴音
昨日から姉さんは遥香と一緒に健治郎叔父さんのところに泊まりにいったらしい。あの二人は趣味が同じだからいいけど、ミリタリーやら術式やらの話しかしないのに遥香は楽しめるんだろうか。
代わりと言っては何だが、咲間さんがうちに泊まりに来てくれている。
「ねえ、コトねん。例の魔法とか魔術の話なんだけどさ。ネイルに術式?って組めないの?」
咲間の左手を借りてネイルの練習をしていたら、彼女が唐突にそんなことを言い出した。
「う~ん。術式を組むのは姉さんが専門だからね。私はちょっと苦手だな。暴走してもいいんなら、やってみる?」
「暴走は怖いなぁ。安全そうなヤツ、何かないの?」
安全そうなヤツか。何かないかしら。そういえば、姉さんが術式の刻み方を記したノートをつくってたっけ。ちょっとこっそり借りてこようか。
「ちょっと待ってて。姉さんのノート、借りてくる。」
そういって姉さんの部屋の前に立ち、ドアノブを引くとカギがかかっていた。まあ、今なら強制開錠魔法で簡単に開けられるんだけどね。
「神秘の守護者よ。我は奇跡の言霊を以て汝を解き放つ者なり。」
カチャッという音を立てて、ドアが開く。ドアの内側を見ると、術式による施錠までされていたことが分かった。
・・・この魔法、術式による施錠まで突破するのか。すごいな。
ええと、たしか、この辺に・・・
あ、この引き出しだ。またカギか。今度はナンバー式の錠前だ。
「神秘の守護者よ。我は奇跡の言霊を以て汝を解き放つ者なり。」
再び強制開錠魔法を唱えると、ナンバー式の錠前は勝手に回転し、一瞬で番号がそろう。
・・・なんつー魔法だ。これ、もうカギとかいらないんじゃないの。
引き出しを開けると、そこには術式を記したノートと、薄汚れてボロボロになった日記のようなものが入っていた。
手垢で黒ずんだ日記の表紙には、小さな子供が喜ぶようなウサギのキャラクターが描かれていたようだ。読んではいけないものとは思いながらも、つい手が伸びてしまう。
・・・暗い部屋の中、デスクライトだけで読むそれは、なんというか、日付も飛び飛びで、いたるところに絵が描いてあり、まるで落書き帳のようだった。
最初のページは、落書きのような字で書かれていた。日付からすると、私たちが4歳くらいのころだろうか。
たしか、私が初めて身体強化魔法を使ったころだ。
『〇年〇月〇日
ことねがはじめてまほうをつかった うでずもうでまけた くやしかった』
『〇年〇月〇日
なんかいやってもまほうがつかえなかった わたし かけっこでことねにかてなかった ようちえんいきたくない』
・・・ここまでのページのいたるところに皺があり、何度も消しゴムで消した跡と、涙で濡れたような跡が残っている。
『〇年〇月〇日
けんじろうのおじちゃんに ないていったら おじちゃんもつかえないっていった かわりにいいこと おしえてくれるっていった』
『〇年〇月〇日
はじめてま法がつかえた。まじゅつっていうんだって。そのうちわたしもつかえるようになりたい でも 小がっこうでつかっちゃだめっていわれた ひみつなんだっていってた ことねは にじゅうとびができるようになったって いってた きっとま法だ。』
可愛らしい女の子が魔法のステッキのようなものを持っている絵が描かれている。クレヨンで描かれた女の子と男の人が笑っている。きっとうれしかったんだろう。
『〇年〇月〇日
まじゅつのじゅつ式が 少しりかいできた。明日はおじさんのところで じっさいにやってみる事になった。』
『〇年〇月〇日
はじめて自分で作った術式で物を動かすことに成功した。次は、じょうたい変化だ。』
『〇年〇月〇日
一つの術式内で複数の効果をはっきさせることにより、ま術のバリエーションが増えることにきづいた。次は、だんかい的に発動する術式を組みたい。』
このページ以降、絵は描かれていない。日時が大幅にとんで、代わりに図のようなものが描かれ始める。
・・・ああ、この時期だったかしら。私と姉さんがあの事件に巻き込まれたのは。
姉さんったら、しばらく日記つけてなかったからね。
『〇年〇月〇日
術式が段階的に動作するよう、構造式を組むことができるようになった。これは関数の考え方に近い。一つ一つの術式は単純な命令文だが、If~で構成される文をいれこにすることによって複雑な命令文を構成することができる。問題は術式のちえんのタイミングだ。』
『〇年〇月〇日
とうとう軽量化術式が完成した。さっそく、ランドセルにしこんでみよう。このランドセルを使う年月も、おり返し地点をすぎた。』
『〇年〇月〇日
外的な物理作用および使用者の思念に基づき、対象の形態変化、運動エネルギーや熱エネルギーの制御や出力、物体に対する形質転換、力場への干渉・・・。これらを組み合わせることにより、一時的な身体強化を可能とすることに成功した。これで5年前の琴音に追いついた。』
『〇年〇月〇日
術式はまるで魔法陣のようでもあり、電気回路のようでもある。開始位置は必ず魔力発生源から始まり、終了位置はその反対側につながる。また、分岐した場合は必ず反対側で収束する。回路全体に流れる魔力量は、抵抗値や魔力流量、圧力の計算を厳密に行わなければならない。もっと算数の勉強を頑張らなくては。琴音には負けたくない。』
『〇年〇月〇日
術式回路に使う言語は何語でもよいが、表記ゆれが起きてはならない。同じ状態を指す言葉が多い日本語は不向きだ。国語の成績もそれほどよくない私にも使えるコンピューター言語のようなものはないだろうか。』
文章の合間に数式やグラフ、化学式のようなものが入り混じる。暗号化のための変換式だろうか。
『〇年〇月〇日
小学校卒業前に高機動術式の実験に成功した。先週合格発表のあった中学の制服を買いに行くことになったから、スカートの内側に高機動術式をきざもう。ししゅうの技術もみがかなくてはならない。』
『〇年〇月〇日
琴音がいつの間にか身体制御魔法と回復治癒魔法を使えるようになった。見ている前で切り傷が治ったのはすごいとしか言いようがなかった。
九重のおおおばさまに習って、すでに何人もの治療の見学をしている。私はどんなに術式を重ねても、人体のような複雑でせんさいなものには手が出せない。その勇気がない。
10年以上たってもまだ魔法の一つも使えない。双子なのに私には何が足りないのか。努力が足りないのか。私は本当に琴音のお姉さんなんだろうか。』
『〇年〇月〇日
ついに回復治癒術式の術札が完成した。師匠のものに比べれば、切り傷をふさいだり、打ち身や捻挫に使う湿布くらいの効果しかないが、自分の左手をハンマーで何度もたたいてアザができたところに使ったら、期待以上の効果があった。
でも、これは琴音が2年前にできるようになったことだ。5年の差が2年になった。あと一息で姉さんと呼ばれても胸を張っていられる。私はあの子の劣化コピーじゃない。』
『〇年〇月〇日
府中の交差点で女の形をした化け物に左手を切断された。
つい、琴音ならきっと何とかしてくれる。そう思って左手をカバンに突っ込んだ。
きれいなネイルが割れていた。こんなに細かくネイルを塗るなんて、私にはできない。
魔法使いとしても女としても、琴音に勝てない。もし、左手が元通りにならなかったら、もう魔法も魔術もやめようと思った。
でも、左手はつながった。私にはこんな事はできない。やはり、琴音は私の誇るべき妹だ。考えがまとまらない。この日記は今日で最後にしよう。』
このページを最後に、後のページは白紙だ。
・・・次のページに何かを消したような跡がある。そして、また涙の後だ。
何か、本当に見てはいけないものを見てしまったような気がする。日記をそっと元の位置に戻し、術式が記載された分厚いノートを開くと、そこには様々な試行錯誤の跡が読み取れた。
なぜダメだったか、失敗した理由についての考察や上手くいった場合の条件の確認、ありとあらゆる術式の組み合わせを一つ一つ丁寧に記録し、考察を重ね、次の実験に生かしていく。
まるでどこかの研究機関の実験ノートのようだ。
姉さんは使えるようになった術式を、必ず私と共有してくれる。制服のスカートにも姉さんが作った高機動術式や認識阻害術式、状態異常抵抗術式や細菌・化学防護術式が刻まれている。
実は、電磁熱光学迷彩術式だって刻まれているんだ。
それに、姉さんの制服を何度か借りたことがあるから知っているが、まったく同じ仕様だった。姉さんは絶対にその成果を独り占めしていない。
独り占めしたって、誰も文句なんか言えないのに。
この術式ノートは姉さんのものだ。私なんかが勝手に使っていいものではない。
それに、咲間さんに「ちょっと苦手」といったけどあれは前言撤回だ。「まったくできない」と言い直さなければウソになってしまう。
その気になれば仄香が教えてくれた記憶補助術式と自動書記術式を使えば、このノートだって同じものが作れてしまうが、それをするほど私は愚かじゃない。
・・・まあ、勝手にカギを開けて部屋に入った時点で愚かなんだけどさ。
姉さんの術式ノートを宝物を扱うかのようにそっと元あった引き出しに戻し、ナンバーロックのカギをかけ、部屋を出ようとしたときに気付いた。
あれ?強制開錠魔法は使えるけど、部屋の施錠ができないじゃん。
どうやって施錠しようかと慌てたら、姉さんの施錠の術式はオートロックだった。
すごいな、姉さん。
そういえば今日は仄香が、健治郎叔父さんの家での用事が終わった後、遥香と会う前のころの話をしてくれるって言ってたっけな。
どんな話だろうか。大冒険の話だろうか。きっと血沸き肉躍るような話か、はたまたラブロマンスがあるのか。きっと私たちの知らない魔法の話とか聞けるんだろう。
あ、ジュースとお菓子、足りるかな。買いに行っておこう。